ゾラとマネ Émile Zola et Édouard Manet 絵画の生を求める新たな眼差し

1866年、エミール・ゾラは、「レヴァンヌマン(L’Événement)」という日刊紙で、その年に開催された美術サロンの批評を担当し、サロンのあり方や受理された絵画を徹底的に批判した。
その一方で、サロンに落選したエドワード・マネの「笛を吹く少年(Le fifre)」等を激賞し、その結果、サロン評の連載を中断せざるをえなくなった。

その理由を知るために、まず、ゾラが批判したアカデミー派の絵画とマネの絵画を比較してみよう。

新しい鑑賞眼

今の私たちの目から見て、二つの系列の絵画の区別はそれほど明確ではないかもしれない。
ジャン=レオン・ジェロームの「シーザーを前にしたクレオパトラ(Cléopâtre devant César)」とエドワード・モネの「1866年の若い婦人(Une jeune dame en 1866)」を比較してみよう。二枚とも、1866年に描かれた作品。

Jean-Léon Gérôme, Cléopâtre devant César
Édouard Manet, Une jeune dame en 1866, ou La Femme au perroquet

この2枚の絵画の題材は、ジェロームが古代であり、マネは現代という違いがある。
しかし、当時の人々にとって本質的な違いは、題材以上に、表現の仕方にあった。
ジェロームの作品はアカデミーの伝統に従った正統派の絵画。マネの作品は美の伝統を破壊する噴飯物の絵画。

現代の人間にとって、マネの絵画が美の伝統に反するということを理解するのは難しい。
そこで、もう一つの例を取り上げてみよう。
1866年のサロンに入選し、そこでスキャンダルを引き起こしたギュスターヴ・クールベの「オウムといる女性(La Femme au perroquet)」。

Gustave Courbet, La femme au perroquet

このクールベの絵画がスキャンダルを引き起こしたのは、ヌードのせいではない。
1863年のサロンでは、アレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」が高い評価を受け、ナポレオン3世によって買い上げられた。こちらのヌードは誰の目にもスキャンダラスなものではなく、むしろ芸術の王道と見なされた。

Alexandre Cabanel, La Naissance de Vénus

19世紀後半の人々の目には、同じヌードでも、クールベとカバネスのものは全く別のものに見えた。
私たちがその目を持っていないのであれば、クールベやマネ、そして彼らに続く印象派の絵画の革新性が理解できないことになる。

マネの「1866年の婦人」は、1868年のサロンに受理されて展示された時、リアリズム様式とオウムの存在のために、クールベの「オウムといる女性」と関連付けられ、当時の観客たちによって、クールベの絵画と同じ「オウムといる女性」という題名で呼ばれた。
つまり、二人の画家の絵は同じ様式のものと見なされ、批評家からだけではなく、サロンを訪れる一般の観客からも非難されるものだった。

そうした中で、エミール・ゾラは、ジェロームやカバネスといった伝統的な画家たちを攻撃対象とし、エドワード・マネを激賞した。なぜ彼はそれほど反伝統を貫いたのだろう?

その答えは、絵画の見方を変えること。

アカデミーの伝統に従った絵画がなぜつまらないものか、ゾラはあたかも絵画展にいる観客に向かって話しかけるように説明する。

 Ne regardez plus les tableaux voisins. Regardez les personnes vivantes qui sont dans la salle. Étudiez les oppositions de leurs corps sur le parquet et sur les murs. Puis, regardez les toiles de M. Manet : vous verrez que là est la vérité et la puissance. Regardez maintenant les autres toiles, celles qui sourient bêtement autour de vous : vous éclatez de rire, n’est-ce pas ?

 近くに並ぶ絵をもう見ないようにしてください。この部屋の中にいる生きた人々を見てください。床や壁の上にいる人々の体のコントラストをじっくりと検討してください。次に、マネ氏の絵画を見てください。すると、そこに真実と力強さがあることがわかるでしょう。今度は、別の絵画を見て下さい。あなたの周りでアホのように微笑んでいる絵画です。爆笑してしまいませんか。

この言葉から、ゾラが絵画に求めているものがはっきりと理解できる。
まず、絵から目をそらし、会場にいる「生きている人々(personnes vivantes)」を見る。そこでは生命が息づいている。
その後からマネの絵を見ると、「真実(vérité)」と「力強さ(puissance)」を感じる。つまり、現実と同じ生命力を感じる。
それに対して、これまでの伝統的な手法が描かれた絵画は、気が抜けていて、にやけて笑っているように見える。つまり、生命感が欠けている。

これは決して、現実を再現するということではない。再現したら絵画は単なるコピーになってしまい、本物の生命感は感じられない。
重要なことは、絵画の中に描かれている世界が、現実と同様の生命力を持つことなのだ。

同じことをゾラはより明確にこう表現する。

Il paraît que je suis le premier à louer sans restriction M. Manet. C’est que je me soucie peu de toutes ces peintures de boudoir, de ces images coloriées, de ces misérables toiles où je ne trouve rien de vivant. J’ai déjà déclaré que le tempérament seul m’intéressait.

私は、マネ氏を何の制限もなく賞賛する最初の人間のようです。というのも、私にとって、閨房を飾るあらゆる絵画、多色刷りの安っぽい版画、惨めな油絵などはどうでもいいのです。そうしたものに、私はまったく生きた感じを見出しません。すでに明確に言ったことですが、気質だけが私の興味を引くものです。

ここでもゾラは、「生きた感じ(vivant)」が全てのポイントだとしている。
別の箇所では、マネと伝統的な絵画との違いをよりはっきりとさせる。

 Vous savez quel effet produisent les toiles de M. Manet au Salon. Elles crèvent le mur, tout simplement. Tout autour d’elles s’étalent les douceurs des confiseurs artistiques à la mode, les arbres en sucre candi et les maisons en croûte de pâté, les bons hommes en pain d’épices et les bonnes femmes faites de crème à la vanille. La boutique de bonbons devient plus rose et plus douce, et les toiles vivantes de l’artiste semblent prendre une certaine amertume au milieu de ce fleuve de lait. Aussi, faut-il voir les grimaces des grands enfants qui passent dans la salle. Jamais vous ne leur ferez avaler pour deux sous de véritable chair, ayant la réalité de la vie ; mais ils se gorgent comme des malheureux de toutes les sucreries écœurantes qu’on leur sert.

 あなたは、サロンでマネ氏の絵画がどんな効果を生み出すかご存知でしょう。彼の作品は、ただただ、壁を穿つのです。その周りに広がるのは、流行の芸術的砂糖菓子屋たちの甘ったれた作品、砂糖飴の木々、パテで覆われた家々、香辛料のきいたパンでできた人形のような男たち、ヴァニラ・クリームでできた人形のような女たち。飴の店はもっとピンクになり、もっと甘くなります。芸術家(マネ)の生命に溢れた絵画は、ミルクの大河の真ん中で、苦々しい味わいを持つように思えます。そのために、展示会の中を通りかかる大きな子供たちのしかめ面を見なければなりません。2スー程度の安い料金だとしても、彼らに本物の新鮮な肉、生命という現実を持った肉を飲み込ませることは、決してできないでしょう。彼らは、胸をむかつかせる甘いお菓子が出されたら、それらを喉一杯に詰め込むような不幸な人間たちなのです。

マネの絵画と伝統的な絵画の比較がされているのだが、エミール・ゾラは、読者に激しい反応を引き起こす文章を書く根っからのジャーナリスト。ここでも刺激な表現が数多く使われている。

伝統的な絵画は、甘ったるいお菓子で、一般の観客たちは、そうしたお菓子が出されたらお腹いっぱいになるまで食べて満足する人間たち。不幸な、「大きな子供(grands enfants)」なのだ。
それに対して、マネの絵画は、甘ったるいお菓子の中では「苦く(amer)」感じられるかもしれないが、しかし、「生命感に溢れ(vivant)」、「生命という現実(la réalité de la vie)」を持っている。

もし私たちがゾラの目を持っていたら、彼と同じように、マネやクールベの絵には現実の人間の生命感を感じ取り、カバネルやジェロームの絵は精気がないものに見えることになる。
逆に、アカデミーの絵画を愛する人々の目を持っていたら、カバネルのヴィーナスは美の極致であり、クールベの裸婦像は下品ではしたないと感じる。
上に挙げた4枚の絵画を見て、二つの見え方を習得することで、私たちは19世紀的な絵画に関する感受性を身につけることができるだろう。

ちなみに、19世紀後半以降、時代は確実に、アカデミー派を離れ、ゾラが主張する新しい芸術観へと移行していく。
画家たちの中では、1819年に生まれたクールベに続き、1820年代になると、ナダール、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ、ピエール・モローたちが生まれ、1830年代には、ピサロ、マネ、ギュスターヴ・ドレ、ドガたちが続く。
セザンヌは1839年生まれ。1840年からは、モネ、ルドン、ロダン、ルノワールたちが生まれた。

文学で言えば、1820年代に生まれたエドモン・ド・ゴンクール、ボードレール、フロベール、シャンフリーリなどの世代の後、1840年代に生まれたゾラ、マラルメ、ヴェルレーヌ、ユイスマンスたちが続く。
1854年生まれのランボーはとびきりの早熟で、1870年の初頭には彼らの列に連なる。

ロマン主義に続く1820年から1840年代に生まれた世代の芸術家たちは、アカデミー派の芸術観を否定し、新しい芸術観を作り上げていった。
私たちがその革新性を理解するためには、まず最初に、19世紀的な鑑賞眼を持つ必要がある。
そのためには、ゾラの勧めに従い、現実の人間を観察し、その生命感をマネとクールベの描いたオウムといる女性に感じ、ジェロームのクレオパトラとカバネスのビーナスにわざとらしい美しか感じないように訓練するのがいい方法になる。

その目がなければ、大スキャンダルを起こしたモネの「草上の昼食」や「オランピア」の生々しい生命感を感じ取ることはできないだろう。

Édouard Monet, Le Déjeuner sur l’herbe
Édouard Manet, Olympia

マネの才能と気質

ゾラはマネの才能について、次のように説明する。

 Le talent de M. Manet est fait de simplicité et de justesse. Sans doute, devant la nature incroyable de certains de mes confrères, il se sera décidé à interroger la réalité, seul à seul ; il aura refusé toute la science acquise, toute l’expérience ancienne, il aura voulu prendre l’art au commencement, c’est-à-dire à l’observation exacte des objets.
 Il s’est donc mis courageusement en face d’un sujet, il a vu ce sujet par larges taches, par oppositions vigoureuses, et il a peint chaque chose telle qu’il la voyait.

 マネ氏の才能は、シンプルさと的確さにあります。恐らく、私の幾人かの同業者の信じられないような性質の前に、彼は現実に対して、一対一で問いかける決心をしたのでしょう。これまでの全ての知識、古い経験全てを拒絶したのでしょう。芸術を第一歩からやり直す、つまり、事物を正確に観察することから始めようとしたのでしょう。
 従って、彼は一つの事物の前に勇敢に身を置きました。その対象を大きな塊によって、力強いコントラストによって眺めました。そして、それぞれの物を、見えるように描いたのです。

これまでの知識や経験というのは、アカデミー派の理論によって積み重ねられてきた技法。
マネはそうした過去の遺産を捨て、描く対象を観察することから始め、「彼の眼に見えるように(telle qu’il la voyait)」描いた。

その見え方について、ゾラは、「大きな塊によって(par larges taches)」「力強いコントラストによって(par oppositions vigoureuses)」だと言う。
こうした見方は、彼がマネのアトリエを訪れた時に、マネから告げられたのかもしれない。
古典主義の絵画にあるような細部まで厳密に描くのではなく、塊とコントラストによって事物を捉えることは、新しい絵画の大きな柱の一つになる。

マネの気質については次のように説明する。

 Le tempérament de M. Manet est un tempérament sec, emportant le morceau. Il arrête vivement ses figures, il ne recule pas devant les brusqueries de la nature, il rend dans leur vigueur les différents objets se détachant les uns sur les autres. Tout son être le porte à voir par taches, par morceaux simples et énergiques. On peut dire de lui qu’il se contente de chercher des tons justes et de les juxtaposer ensuite sur une toile. Il arrive que la toile se couvre ainsi d’une peinture solide et forte. Je retrouve dans le tableau un homme qui a la curiosité du vrai et qui tire de lui un monde vivant d’une vie particulière et puissante.

 マネ氏の気質は、乾いた気質で、一気に全てを運び去ってしまいます。彼はさっと物の輪郭を描きます。自然のゴツゴツした部分を前にして、引き下がることはありません。力強く様々な事物を表現し、それらの事物が互いに他から浮かび上がるようにします。彼の存在全てが彼に対して、物事をいくつかの塊によって、シンプルでエネルギッシュな断片によって見るように導くのです。モネ氏は適切な色調を探し出し、それらをキャンバスの上に並べることで満足している、と言うことができます。そのおかげで、キャンバスは堅牢で力強い絵画で覆われるのです。私は彼の絵の中に一人の人間を見出します。その人間は、真実に対して好奇心を持ち、個別的で力強い生命で息づく世界を取り出すのです。

ここでも再び、物事を「塊によって(par taches)」見るという表現が使われている。
そして、その見方をすることで、「単純さ(simple)」と「力強さ(énéergique)」が生まれる。その結果、絵画は、「堅牢で力強い(solide et forte)」なものになる。

そうした絵画の中にゾラが見出すのは、「一人の人間(un homme)」。
ここにこそ、ゾラの主張の全てが込められている。
もし古典主義的な技法で絵画を描くと、一人一人の画家の個性は失われがちになる。どの絵画も、普遍的な美のヴェールがかかり、甘ったるいものになってしまいかねない。
それに対して、画家が自分の「気質(tempérament)」に従って描けば、そこには自然と、その画家にしか生み出すことのできない世界ができあがる。
そうすることで、一枚の絵画は、「個別的で力強い生命で息づく世界(un monde vivant d’une vie particulière et puissante)」になる。

そのように描くと、一人一人の画家の個性が表現され、独創的なものになる。
マネの絵画とクールベの絵画は、アカデミー派と対立するという意味では同じ新しい流れの中にあるが、それぞれの気質に基づく絵画であるために、「ほんのわずかも似たところがない(il n’y a pas la moindre ressemblance )」とゾラは言う。
マネの1枚1枚の絵画は「生きたキャンバス(une toile vivante)」であり、その生命は画家の気質を通して吹き込まれる。

私たちは、ゾラが1866年に発表したマネ論を通して、絵画に生を求めるゾラの眼差しを知ることができる。
そして、彼の目を通して19世紀後半の絵画の鑑賞眼を身につけ、モネたちが押し進めた絵画の革新運動を実感できるようになる。
21世紀を生きながら、マネと同じ絵画を鑑賞する眼を持つことが出来るとしたら、こんなに楽しく幸せなことはない。

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