マリー・ド・フランス すいかずらの短詩 Marie de France Lai de Chèvrefeuile 12世紀文学への最初の一歩

12世紀のフランス文学がどのようなものだったのか、フランス文化に親しんでいる人間であれば、誰でも興味があるだろう。
しかし、知識のないまま読んでみて、最初から楽しさを感じるのは難しい。

「恋愛は12世紀フランスの発明品」という有名な言葉があり、恋愛について考えたり、話のネタにはなりそうなのだが、実際に作品を読むと現代の読者には味気なく感じられるかもしれない。

日本では万葉集や古今和歌集の伝統が8世紀から続き、11世紀にはすでに『源氏物語』が書かれている。平安時代の日本文化は世界でも最高水準に達していたと言っても過言ではない。
そうした繊細でニュアンスに富んだ恋愛を描いた日本文学に比べ、12世紀フランスの恋愛物語から心の機微を感じることはまれで、恋愛小説的な面白さを求めてもがっかりすることになるだろう。

逆に言えば、アプローチする場合には、それなりの知識や読む技術が必要になる。
ここでは、翻訳でわずか5ページに収まる、マリー・ド・フランスの短詩「すいかずら」を読み、12世紀フランス文学への第一歩を踏み出してみよう。

最初に内容を確認しておこう。

(1)トリスタンは王妃イズーと愛し合っているが、マルク王のために離れ離れにされ、一旦は故郷である南ウェールズに戻った。しかし再びコーンウォールに舞い戻り、イズーと会う機会を窺う。
(2)精霊降誕の祝日、騎士たちがティンタジェルの町に集うことを知り、森の中で彼女を待ち受ける。その際、ハシバミの木で杖を作り、自分の名前を刻む。それを見れば、イズーが彼の存在に気づくと考えたからである。
(3)森を通りかかったイズーは杖に気づき、二人は再会を果たす。そして、トリスタンがどのようにすればマルク王から許しを得られるか等を話し合い、最後は涙ながらに別れる。
(4)トリスタンは、王から許されるのを待つために、ウェールズに戻る。
(5)二人の再会の喜びを書き記すために、トリスタンは「すいかずらの短詩(レー)」を作った。

こうした物語の中で、短詩の焦点は、ハシバミの木で作った杖である。
ハシバミの回りにはすいかずらがまとわりつき、もし二つを引き離せば、ハシバミもすいかずらも枯れてしまう。
同じように、トリスタンとイズーの運命も、「私なくしてあなたなく、あなたなくして私なし。」
植物は二人の恋を象徴する隠喩として描かれている。

以上のことは字面をたどるだけで理解することができるが、それ以外に、12世紀文学の文化を知るための情報を得ることも可能である。

(1)トリスタン物語

ワグナーのオペラ「トリスタンとイズー」やジャン・コクトーがシナリオを書いた映画「悲恋(l’Éternel retour)」で現在でも知られているトリスタン物語は、12世紀にはすでに存在していた。
そのことは、この短詩の最初に、二人の恋物語はすでに多くの人が語っていたと述べられていることから確認される。

作者マリー・ド・フランスは、12世紀後半、プランタジュネット家の支配の下にあるロンドンで活動したフランス生まれの女性作家。「私の名はマリー、フランスの出身」と別の箇所に書いている。
短詩の最後に、短詩の題名が英語では「ゴウト・リーフ(Goatleaf)」、フランス語では「すいかずら(Chevrefeuille)」と、二つの言語で記しているのは、当時のフランスとイギリスの関係をよく表している。

1152年、イギリスのヘンリー2世と南フランスを領有するアリエノール・ダキテーヌが結婚し、イギリスと西フランスを併せた巨大な帝国が成立していた。
マリーはロンドンの宮廷で、ブルターニュ地方に伝承するケルト系の伝説を古フランス語の韻文にし、宮廷に集う王族や貴族たちの間で人気を博したと伝えられている。

トリスタン物語もそうしたケルト系の伝承であるが、マリーの時代に誕生した新しい恋愛の形を取り入れたものになっている。
新しい恋愛とは、女性上位の恋愛観。それまでの恋愛とは、男性が女性を獲得する遊び的な要素が強かった。しかし、12世紀に、男性が女性を崇め、女性に愛を捧げ、精神的な愛によって立ち居振る舞いを洗練させる恋愛の型が発明された。宮廷風恋愛とか騎士道風恋愛と呼ばれる恋愛観である。

この転換にあたり、恋愛の基本形は三角関係として提示された。
その背景は封建制であり、城主と家臣である騎士の契約制度があった。騎士は城主に武力での助力を提供する。その報酬として、城主は家臣に封土を与える。
恋愛は、城主の妻に対して騎士が愛の奉仕を捧げ、奥方が返礼として指輪か接吻を与えることで成立する。従って、城主—奥方—騎士という三角関係に基づくことになる。

ケルトの伝承では、妖精が魔性の力で騎士と恋に落ちる話だったが、12世紀の宮廷の中で、マルク王—王妃イズー—トリスタンという三角関係の恋愛へと変形した。
マリー・ド・フランスの短詩はこの枠組みを取り入れていることから、12世紀の恋愛観を反映したトリスタン物語に基づいていることがわかる。

(2)伝承の形式 ー 宮廷と吟遊詩人

すいかずらの短詩は、竪琴に巧みなトリスタンによって作られたと最後に伝えられる。そのことは、伝承の形態を反映している。
実際、恋愛詩や物語は、王族や貴族が集う宮廷で、吟遊詩人によって弦楽器の伴奏を付けて歌われるものだった。

ヨーロッパでは、ルネサンスの時代まで、公の文書や学問に関する著作はラテン語で書かれていた。フランス語やイタリア語といった言葉は地方語(langue vernaculaire)であり、一段低く見られていた。その関係は、江戸時代以前の日本での漢語と和語の関係と同じである。
そして、ラテン語の文書に関しては黙読されることもあったが、地方語で書かれた詩や物語は声に出して歌われることで、流通していった。

竪琴の使い手であるトリスタンがこの短詩を作ったという記述は、従って、二つの情報を伝えている。
a. 吟遊詩人は、王の甥であるトリスタンのように、貴族や騎士の身分に属する。
b. 作品は宮廷において声に出して歌われた。

ところで、南フランスではトゥルバドゥール、北フランスではトルヴェールと呼ばれ、ドイツに入るとミネジンガーと呼ばれる吟遊詩人は、様々な地方を遍歴するジョングルールと呼ばれる旅芸人のイメージと重なることがあり、各地を遍歴していたと見なされることも多かった。
マルセル・カルネ監督の映画「悪魔が夜来る(Les Visiteurs du soir)」を見ると、城から城へと渡り歩く遍歴詩人という通説に基づいている。その点で注意が必要だが、しかし、宮廷での吟遊詩人の活動の様子を知ることはできる。

ただし、ここで歌われる曲は20世紀的であり、中世的とは言えない。中世の歌の曲想は以下のyoutubeビデオで聞くことができる。

マルセル・カルネ監督が映画の中で20世紀的な曲を採用したのは、中世の曲が20世紀の観客には馴染みがなく、受け入れられ難いと考えたからだろう。
そのことは、二つの時代の間には明らかな文化の違いがあり、自国の文化でも過去のものは異文化になっていることを示している。

マリー・ド・フランスの詩もそうした異文化を背景に創作されたものであり、文化の違いを探りながら読まなければ、本当の理解には繋がらない。

(3)振る舞いの洗練 文化の高まり

ローマ帝国の支配下にあったヨーロッパ社会は紀元5世紀頃から衰退に向かうが、9世紀にカール大帝が大帝国を樹立して以降、国力や文化は徐々に回復を始める。そして、11世紀から12世紀にかけて大きな飛躍を遂げ、12世紀ルンサンスと呼ばれる時期を迎えた。

歴史的に見れば、1096年に第一回十字軍の遠征が行われる。
キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒の支配から回復するために、ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけによって始まったその運動は、宗教意識の高まりと同時に、ヨーロッパ諸国の国力の充実を示すものである。
騎士だけではなく、一般の民衆たちが参加した軍隊が、地中海の反対側まで進行するためには、莫大な富が必要だった。十字軍の遠征は、それだけの運動を実行できる力がヨーロッパの諸国に備わったことを意味している。

1163年には、パリのノートルダム大聖堂の建立が始まる。
その建造に代表されるゴシック様式の豪華な聖堂は、キリスト教が一般の民衆の間にも広く浸透し、民衆の宗教意識が高まった象徴であるとも考えられる。

この二つの出来事を通してだけでも、中世社会において、封建社会に君臨する「君主の権力」と「キリスト教の権威」という二つの力が高まったことを見てとることが出来る。

「すいかずらの短詩」にも、キリスト教が社会の中に浸透していることを知る手掛かりがある。
マルク王が騎士たちを集めて祝宴を開くのは、「精霊降誕祭(Pentecôte)」の祝日。イエスの復活・昇天後、集まっていた信者たちの上に精霊が降り立ったという出来事を記念する祝いであり、宮廷の生活のリズムがキリスト教の祝日に従っていたことがわかる。

その一方で、豪華な祝いの祝宴を催すことが可能なマルク王の宮廷の充実ぶりも示している。
そうした中で、学問や文化が発展し、人々の振る舞いも洗練されるようになる。

12世紀を代表する哲学者・神学者であるピエール・アベラールは、物事の一般性は実在せず、名称にすぎないとする「唯名論」を唱えたことで知られているが、他方で、弟子であったエロイーズとの激しい恋愛でも知られている。
彼らの書簡はラテン語で書かれているが、驚くほど人間的で、恋愛が肉体的な次元から精神的な次元へ移行する様子を示している。

肉体から精神への移行は、恋愛が文化を洗練させる役割を担ったことの証となる。
男性が女性を肉体的に支配する無骨な行為から、自分よりも上位の相手に向けて愛を捧げることで自分を高めようとする繊細な感情へ。
騎士が城主の奥方に愛を捧げるという愛の形が、その精神的な情熱を具体化する。

トリスタンのイズーに対する想いは、まさに吟遊詩人の歌う恋愛詩の典型である。
「誠をつくして恋をする者は、その思いのとげられぬ時、大層悲しみ、物思いに沈むのである。」
この言葉は、恋愛が心の問題であることを明らかにしている。

行為から心への重心の移動は、人間にとって「意志」あるいは「意図」の方が「行動」よりも重要であるという精神性の変革に他ならない。

12世紀に生まれたとされるこの恋愛観は、基本的には21世紀の現代でも続いている。
従って、この言葉に驚くことはないし、何気なく読み飛ばしてしまうかもしれない。
ある一つの思考や感受性が当たり前になると、別の思考や感受性がそれ以前に存在していたことが忘れられ、普遍的なものだと思ってしまう。恋愛感情はそうした例の一つである。

トリスタンはイズーと会うために、突然姿を現すのではなく、ハシバミの木を杖にし、自分の名前を刻む。そして、イズーが気づいてくれるのを待つ。
彼が恋人に伝えるのは、自分たちがハシバミとすいかずらのように互いに結び合っているという気持ちであり、二人が再会しても、中心は思いのたけを述べること。
そして、別れる時には涙を流す。

ここに記されているのは、恋する者の正しい振る舞いであり、トリスタンという騎士は、恋愛によって、洗練された人間になる。
彼は、宮廷風恋愛あるいは騎士道風恋愛を実践する理想の恋人なのだ。

こうした恋愛は、12世紀の宮廷において、洗練された文化が成立しつつあったことを示している。

文化が洗練する時代には、女性的なものが上位に置かれる傾向にある。
当時、「愛の法廷(cour damour)」が開催され、そこに男女の様々な事象が持ち込まれ、恋愛と呼ばれうるかどうか審理するという、遊びの一種が行われたと言われている。
その法廷を主催したのも、審理に携わったのも、全て女性だった。
宮廷風恋愛とは、女性上位の恋愛観に則り、人々の振る舞いを洗練させ、文化の高まりを示すことになった。

そして、12世紀ルネサンスと呼ばれるほど文化的な水準が上がったからこそ、吟遊詩人たちが活躍し、トルバドゥールの恋愛詩、マリード・フランスの短詩、クレチアン・ド・トロワによるアーサー王伝説に基づく物語群などが、次々に生み出されたのである。


「すいかずらの短詩」を第一歩として、12世紀文学の森の中に踏み入れてみると、思わぬ発見があったりもする。
残念ながら、日本語訳がそれほど手軽に入手できないために、それほど容易に接近することができない。
まずは、マリー・ド・フランス『12の恋の物語』(岩波文庫)がもっとも容易な入り口だろう。

中世の古フランス語がどのようなものか知りたい場合には、「すいかずらの短詩」が現代フランス語と古フランス語で記されている次のサイトを参照。
https://fr.wikisource.org/wiki/Poésies_de_Marie_de_France_(Roquefort)/Lai_du_Chèvrefeuille

トリスタン物語については、ジョゼフ・ベディエ編『トリスタン・イズー物語』(岩波文庫)。
20世紀に編集されたもので、ワグナーのオペラの影響を受け、ロマン主義的な恋愛観が強く反映し、12世紀的な恋愛観はかなり隠れてしまっている。しかし、物語の大枠を知ることはできる。

ラテン語で書かれた書物であり、フランス文学に含めないことも多いが、『アベラールとエロイーズ―愛と修道の手紙』(岩波文庫)は、12世紀の恋愛観の変遷を知る手掛かりとして大変に興味深い。
18世紀の作家ジャン・ジャック・ルソーの『新エロイーズ』は、この書簡に由来している。

『狐物語』( 岩波文庫)は、悪賢い狐のルナールを中心として、狼イザングランとの争い、ライオンの王ノーブルの裁判等、様々な社会の状況が動物の姿を通して風刺的に描かれている。
アンチ道徳的な内容は、宮廷風恋愛とは対照的に見えるが、悪い例を示すことで、教訓としたという側面を持っている。

精神的な恋愛を歌ったトゥルバドゥールに関しては、ジャンヌ ブーラン他著『愛と歌の中世―トゥルバドゥールの世界』(白水社)が、比較的読みやすく、22編の詩を読むことができる。

トゥルバドゥールにおける恋愛観の転換に関しては、このブログで紹介したことがある。
https://bohemegalante.com/2020/11/26/naissance-amour/