ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 2/6 アレンジの美学

ジェラール・ド・ネルヴァルは一度だけ「美学(esthétique)」という言葉を使ったことがある。
その美学とは、「アレンジ(arrangement)」に価値を置いたもの。彼の美学では、アレンジが「構成(composition)」と同列に置かれる。

アレンジとは、本来、配置や配列をすること。そこから発展して、すでに存在する原型の配置や配列に手を加え、最初とは違う雰囲気に作り替えることを意味する。
日本語でも、音楽に関しては、原曲をアレンジするといった表現がしばしば使われる。

ネルヴァルの考えで興味深いのは、アレンジ(編曲)と創作や作曲を同じものと見なすことにある。
言うなれば、編曲した曲を、原曲とは別の、新しい曲と見なす。
独創性という視点から見れば、盗作を堂々と認めることになってしまう。

ネルヴァルは、アレンジの美学を通して何を考え、どのような作品を生み出そうとしていたのだろう。

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音楽と身体の共鳴 

人間の身体の中の水分の量は、体全体の約60%と言われている。
水の中で誕生した最初の生命が、今でも一人一人の人間に受け継がれ、命の水が体の中に流れているといってもいい。

体内の水分は体液として循環し、体中に栄養を運び、皮膚に血液を循環させて汗を出すことで体温を一定に保ち、新陳代謝がスムーズに行われるための働きをする。体調の維持のために、スムーズな体液の循環は欠かせない。
しかも、コップを指で弾けば中の水が振動するように、体液も体内の器官も振動する。
それと気づかないけれど、人間の身体は常に振動し、振動しながら身体全体の調和を保っている。

体の外に広がる空間の中にも、振動しているものがある。それは、音。
音は物体が振動することで発生する。
その振動が空気の振動として鼓膜に伝わることで、人間は音として認識する。つまり、音とは空気中を伝わる振動なのだ。

そして、音には共鳴作用がある。
同じ振動数を持つものであれば、一方の振動が他方の振動を増幅したりする。
逆に、異なる振動数の二つの音の間では、共鳴は起こらない。

音楽が音から出来ていることを考えると、身体という振動体は、音の振動と共鳴することで音楽の影響を受けることが理解できる。

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フランス文学の道しるべ 最初の一歩

Camille Corot, Femme lisant

 フランス文学の豊かで広大な森に入る時、地図を持たないと道に迷い、ただ歩き回るだけで終わってしまうことになりかねない。
 ゆっくりと木や花を観察し、小鳥のさえずりに耳を傾け、動物の動きに気を配るためには、森の全体像を把握できるための大まかな知識を持っていた方がいい。
 そこでまず最初に、最も大きな視点から見たフランス文学全体の見取り図を示してみよう。

 フランス文学というからには、フランスという国土の成り立ちを知ることも大切だし、フランス人が時代の変遷に従ってどのような精神性の中で生き、その中でどのような表現をしてきたのか等も知っておきたい。
 そうした知識を持つことで、一つ一つの作品を読む際に、読者の世界観を作品に押しつけ、自分流の読み方だけに終わる危険を避けることができるはず。

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フランス文学の道しるべ 一歩踏み出す前に

Vincent van Gogh, La lectrice de roman

 フランス文学には汲み尽くせない魅力を持った作品が多くあり、人生の友として生涯を通して付き合っていけるし、人生を豊かにしてくれる。

しかし、友として接していくためには、それなりの作法がある。こちらの思いを一方的に押しつけるだけでは相手は逃げていくだろう。
たとえそれが本であろうと、やはり相手を尊重する精神は必要。

そこで、これから少しづつフランス文学の紹介をしていく前に、文学作品を読む前提となることを振り返っておきたい。相手を知ることが、最低限の礼儀だから。

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2021年1月1日 雪の摩耶山 

2021年元旦、青谷道をたどり、雪の積もる摩耶山に行ってきました。
旧天上寺跡、天狗岩、掬星台、現天上寺までの風景を、ハイドンのピアノ・ソナタに乗せてお届けします。

ピアノ・ソナタは、アルフレッド・ブレンデルの演奏。
https://bohemegalante.com/2019/12/02/haydn-piano-sonata-alfred-brendel/

ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 1/6 音楽性と超自然主義 

ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)は、ユーモアに富んだ皮肉屋。しかも、恥ずかしがり屋で、自分について語る時でも、面白おかしい演出を施して、なかなか本心を掴ませない。

最後は、パリの場末にあった安宿屋の窓で首を吊るという劇的な場面を準備し、死後のネルヴァルのイメージに大きな影響を与えた。
実際、首吊り自殺がセンセーショナルなニュースになり、夢見がちで現実を顧みない作家だったとか、一人の女性への失恋のために狂気に陥り、そのことが彼の作品を決定付けたとか、色々なことが言われた。ザリガニに紐をつけ、犬のように公園を散歩していたとか・・・。
その余波は現在でも続き、ネルヴァルの詩や散文作品は、夢、理想の女性の喪失による狂気、神秘主義といったレッテルを貼られることが多くある。

マルセル・プルーストとの関係が取り上げられることもある。意図しない時にふと湧き上がる思い出が作品世界を形成するという創作方法が『失われた時を求めて』の原型であるとされ、プルーストの先達という位置づけをされる。そんな時、ネルヴァル作品の価値が真正面から取り上げられることはほぼない。

全てはネルヴァルが自死の演出を暗い場末でしたことが原因。そう言ってしまえばそうかもしれない。
2020年に代表作の一つである『火の娘たち(Les Filles du feu)』が、野崎歓さんの翻訳で岩波文庫から出版されたが、今までと変わらず、複雑でわからないとか、叶えられない夢を追う男の幻想的で夢幻的な話として読まれてしまう。

しかし、それでは、ネルヴァルはいつまでたっても同じ読み方しかされない。彼が生涯をかけて作り出した作品の意義も、美しさも、埋もれたままになってしまう。

少しでもネルヴァルが試みたことに接近するために、ここでは彼の美学について辿ってみることにする。

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