アベ・プレヴォ 『マノン・レスコー』 新しい時代を予告する女性の誕生

Jean-Honoré Fragonard, La Lettre d’amour

マノン・レスコーの名前は現在もよく知られている。近年の日本では、彼女はファム・ファタル、つまり、抗いがたい魅力で男性を魅了し破滅に陥らせる女性という、類型化した形で紹介されることがよくある。

その一方で、1731年に出版された時の題名が『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』であり、作者アベ・プレヴォの自伝的小説『ある貴族の回想と冒険』の7巻目にあたることはあまり考慮に入れられることがない。

そのために、実際に小説を読んだとしても、18世紀の前半にその作品がどのような意義を持ち、何を表現していたのか、考察されることはあまりない。
読者は、マノンにファム・ファタル、情婦、悪女などのイメージを投げかけ、自分の中にある恋愛観を通して、無意識に潜む性愛的ファンタスムを読み取るといったことが多いようである。
その場合、アベ・プレヴォの小説を読むというよりは、ファム・ファタルという女性像を中心に置き、物語のあらすじを辿り、気にかかる部分やセリフを取り上げ、恋愛のもたらす様々な作用について語ることになる。
マノン・レスコーはファム・ファタルだと思い込んだ瞬間に、そうした危険があることを意識しておいた方がいいだろう。

フランス文学の歴史の中に位置づける場合には、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』が1731年に出版された作品であることを踏まえ、その時代にこの小説がどのような意味を持ちえたのかを考えていくことになる。

アベ・プレヴォの本名は、アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ・デグジル。1697年に生まれ、1763年に亡くなった。
アベ(Abbé)というのはカトリック教会の神父の名称であり、プレヴォは実際、聖職についたことがあった。しかし、恋愛のために教会を離れたこともあり、波瀾万丈の人生を送った。

16歳の時、プレヴォはそれまで通っていたイエズス会の学校をやめ、軍隊に入隊する。しかし女性問題で父親との間にもめ事が起こり、再びイエズス会に戻り、修練者の修行を終える。
その後、軍隊に入ることを望み、オランダに向かう。しかし、24歳の時に、ベネディクト会に入会。

その後、修道院を離れ、1729年にはイギリスに赴き、自由主義的な思想を持った新教徒たちと交わる。
そして、『ある貴族の回想と冒険』の執筆を始める。寛大な心を持ち、愛のパッションに容易にとらわれる主人公は、アベ・プレヴォ自身を思わせ、自伝的要素を多く含んでいるといわれることもある。

イギリスでは、彼の保護者である貴族の娘と恋に落ち、オランダに逃げざるをえなくなる。その滞在中に数週間で書き上げたのが、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』。
出版と同時に大評判になるが、その一方で内容が不道徳だとして禁書になってしまう。

プレヴォはその後も恋愛や金銭問題で投獄され、再度イギリスに渡り、1839年には、1731年以来書き継いで来た『クリーブランド』を完成する。
この小説は、ジャン・ジャック・ルソーの『新エロイーズ』以前の小説としては、18世紀で最も人気を博した作品だった。

1734年からはパリに住んでいたのが、1740年に負債のために再び投獄される。50歳を過ぎた頃からは生活もある程度落ち着くが、1763年に死を迎えるまで、矛盾に満ちた生を送った。

このように、アベ・プレヴォの生涯は、聖職、恋愛、金銭問題、投獄等、騎士デ・グリューの身に起こる様々な事件と重なる部分が多くある。それらは、18世紀前半、とりわけルイ14世の死後の摂政時代(1715-23)とそれに続く時代の風俗や精神を反映している。

その時代の精神や風俗を私たちに肌で感じさせてくれるのは、1703年生まれの画家フランソワ・ブーシェの絵画だろう。
ブーシェの絵画は、慎みのヴェールを脱ぎ捨て、官能的な喜びに幸福を見出すことが可能になったことを示している。

1735年の作「ヘラクレスとオムパレー」では神話の素材が使われているが、1742年の「ガーターをつける女性と召使い」になると、裕福な市民の室内風景。全てがリアルで、描かれている女性の姿は、厳格な道徳とは相容れない。
少しだけ開いた窓、帽子を手にして驚いた様子のお付きの女性は、今にも待ち人が現れようとしていることを暗示しているとも考えられる。

マノン・レスコーは、ブーシェの絵画が許される時代に誕生した女性。そのことの意味を考えることで、アベ・プレヴォの小説の意義も見えてくる。

『騎士デ・グリュとマノン・レスコーの物語』

まず、物語の流れを大まかに辿っておこう。

第一部

デ・グリュは、名門の貴族の息子で、学問を好み、物静かな性格をしている。十七歳の頃、偶然マノンに出会い、その美しさに一目惚れし、駆け落ちを持ちかける。
マノンは最初から享楽的な性格の持ち主として紹介される。修道院に送られようとしていたが、デ・グリュと駆け落ちし、パリで暮らし始める。

パリで生活するうちに、いつしか生活が豪華なものになっていく。マノンが隣人のB.と通じ、金品を得るようになっていたからだった。
結局、デ・グリュは、B.の手紙によって父に居所を知られ、家に連れ戻されてしまう。そして、友人ティベルジュの説得もあり、神学校で神父になる勉強に励む。

一年後、神父になるための試験を受ける準備をしている時、18歳になりさらに美しさを増したマノンが姿を現し、B.とのことは、金のためにしたことに過ぎないと涙を流しながら詫びる。
彼女への愛に再び捉えられたデ・グリュは、彼女に誘われるままに、神学校から逃亡する。

二人はパリ近郊のシャイヨーで暮らし始める。しかし、マノンの望みで、パリにも家を持つことにする。
そこにマノンの兄が訪れ、ますます出費がかさむようになる。さらにシャイヨーの家が火事になり、金庫が持ち去れれるなどして、生活が困窮する。そのために、デ・グリュは、マノンの兄を通していかさま賭博師の仲間になったりもする。

マノンの方では、兄に紹介された金持ちの老人G‥.M‥.に近づく。そして、生活を立て直すために貞節を捨てるという内容の手紙を残し、デ・グリュのもとを去る。
その後、デ・グリュもマノンの弟のふりをしてG‥.M‥.を騙し、贈り物や現金を受け取ると、二人で逃げてしまう。

騙されたことを知ったG‥.M‥.は、警察に訴え、デ・グリューはサン・ラザールの感化院に、マノンはオピタルという犯罪者や売春婦を収容する施設に入れられてしまう。

マノンがオピタルに入れられたことを知ったデ・グリュは怒りに駆られ、マノンの兄からこっそりと短銃を手に入れ、院長を脅し、小間使いを撃ち殺して脱走する。
その後、オピタルに向かい、施設の管理人の息子T.の協力でマノンを救出する。ただし、その際、マノンの兄は馭者と諍いを起こし、撃ち殺されてしまう。
 デ・グリューとマノンは兄の遺体を残したまま逃げ出し、ティベルジュやT.に援助してもらいながら、新しい生活を始める。

第2部

マノンの前に、G‥.M‥.の息子が現れ、4万フランの年収、馬車、家具付きの邸宅、小間使い、下男、料理人等を約束する。そこで、デ・グリュはマノンと相談の上、彼を騙して金品を受け取った上で逃げてしまう計画を立てる。

その計画を実行している最中、マノンはデ・グリュを裏切り、G‥.M‥.の息子の財産を選ぶような行動をする。落ち合うはずの場所に姿を現さず、パリで最も美しい少女を送り込み、マノンの手紙をデ・グリュに渡す。

デ・グリュはマノンを取り戻そうとし、近衛兵を雇って息子を拉致し、G…M…親子に復讐しようとする。しかし、その計画が発覚し、デ・グリュは逮捕され、シャトレの牢屋に投獄される。

父親の力でその監獄から出ることができるが、父はG…M…と話し合い、マノンをアメリカに送るという決定がなされる。

マノンが移送される日、デ・グリューは護送の兵卒を襲ってマノンを救おうとするが失敗する。そこでしかなく、護送する者たちに金を渡しながらついて行き、アメリカへと渡る決心をする。

アメリカで、二人はまじめな生活を送り、結婚することにする。
しかし、彼らの住む村の首長の甥セヌレがマノンを奪おうとし、結局、デ・グリュと決闘をすることになる。
デ・グリュは、セヌレを剣でさし、殺してしまったものと思い込み、マノンと二人で村から逃亡する。しかし、マノンは力尽き、荒野の中で死を迎える。

デ・グリュは彼女を埋葬するために穴を掘り、その上で自分も死ぬつもりでいたが、村人によって発見され、命を取り留める。
最後に、彼を探してアメリカにやってきた友人ティベルジュに発見され、フランスに帰国する。

A. 『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』の枠組み

この小説は枠構造をしている。
枠構造とは、小説の中心をなす物語の外に、物語が語られる状況が付け加えられている構造を指す。

最初に「私」として出てくるのは、『ある貴族の回想と冒険』の語り手。
彼が騎士デ・グリューと出会うところから小説が始まる。1715年7月にスペインに出発する約6ヶ月前のことだった。

Hôpital

ノルマンディ地方のパシーに泊まっている時、みすぼらしい宿の前に12人ほどの「喜びの娘(現在の売春婦)」がいるのを目にする。彼女たちはアメリカに送られるところだった。

その中に大変に美しく、貴族の娘といってもいいような女性がいるのに気がつく。巡査によれば、その女性、マノン・レスコーは、犯罪者や売春婦たちが投獄される「オピタル」から連れてこられたのだった。
彼女の近くには、苦悩のどん底に沈んでいるような一人の男がいる。それがデ・グリュ。彼はパリからずっと一行についてきたのだった。
「私は彼女のことをあまりにも激しいパッション(情念)で愛していて、そのパッションが私を世界で一番不幸な男にするのです。」と、彼は告白する。

その出来事から約2年後、貴族の男は、ロンドンからの帰りに、カレの町でデ・グリュと再会する。彼はボロボロの服で、無一文で、アメリカから戻ってきたばかりだった。

そして、デ・グリュは身に起こった全ての出来事を語り始める。
「今からお話しするのは、私の不幸や苦しみだけではなく、乱れた生活や、意志の弱さから犯してしまった最も恥ずべき行いも含めた全てです。」

これが物語の枠組みだが、とりわけ注目したいことは、デ・グリューがこれから話をしていく内容のポイントがここで提示されていることである。

まず、デ・グリューのマノンへの恋愛は、パッションであり、それも激しすぎるパッション。
17世紀において、パッションは人間の理性を狂わせる情念として断罪されてきた。そのために、パッションが人間を不幸にするという言葉は、当時としてはごく普通に理解されたはずである。

パッションは、不幸や苦しみをもたらすだけではなく、デ・グリューのような善良な人間でさえも悪徳の道に引き込んでしまう。乱れた生活だけではなく、犯罪まで犯す人間にしてしまう。

もう一つ注意したい点は、アメリカから戻ったデ・グリューには金銭がまったくないということ。
物語の展開上ごく当たり前のことと思われるのだが、金銭の問題は、18世紀という時代を考える時、実は大きな意味を含んでいることに気づくことになる。

時代は徐々に貴族中心の「血統主義」から、経済力を持った個人が社会的な序列を上昇できる「実力主義」へと移行しつつあった。一族の血が優先するのではなく、個人の能力が認められる時代へ。
1789年のフランス革命は、そうした精神性の変革の象徴的な事件と考えることもできる。革命後に権力を握るのは、コルシカ島からやってきたナポレオンであり、彼は皇帝にまで上り詰める。

デ・グリューは貧しくてもマノンへの愛を最優先する。(なぜなら、彼はパッションに捉えられているから。)
それに対して、マノンは幸福のために贅沢な生活を求める。たとえ、様々な行為が悪徳と見なされようと、恋人を裏切るように見えようと、家柄ではなく、彼女自身の美を使い富を手に入れようとする。
そして、アメリカにおいて、デ・グリューの価値観を受け入れる時、死を迎える。

このように、枠組みは、枠の中で語られる物語の核がどこにあるのかを示す役割を果たしている。

B. 著者の意図

アベ・プレヴォは、冒頭に「作者の見解」を置き、彼の意図を明らかにしている。その中心部分を読んでみよう。

 読者が私の人生の物語(注:『ある貴族の回想と冒険』)の中に、何か心地よく興味深いものを見出したとすれば、これから付け加えるもの(注:『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』)にも、同様に満足していただけることをお約束いたします。デ・グリュー氏の行動の中に、パッションの力の恐ろしい例を見られることでしょう。私が描くのは、何も見えなくなった若者です。彼は幸福であることを拒絶し、自ら進んで、これほどないというほどの不幸に身を投じます。輝かしい功績が可能なあらゆる美点を持ちながら、取るにたらない放浪生活を選択し、富や生まれながらの気質がもたらす利益よりも好むのです。不幸を予見しながら、避けようとしません。不幸を感じ、不幸に打ちひしがれながら、彼にたえず差し出され、不幸を終わらせることが可能な救済策を利用しません。結局、曖昧な生活で、美徳と悪徳が入り交じっています。善良な感情と悪い行いが永遠の対照をなしています。私がお見せするのは、そうした情景の根本です。良識ある方々は、そうした性質の作品をご覧になり、有益でないとはお考えにならないでしょう。心地よい読書を楽しむというだけではなく、そこで描かれる出来事ほど、風俗の改善に教育的な役割を果たしうるものはないでしょう。私の考えでは、楽しみながら教育することは、人々にとって大変に役立つことなのです。

この一節には、17世紀後半から18世紀前半にかけての時代精神を示す言葉が数多く含まれている。
「パッションの恐ろしい力」「幸福」「美徳」「悪徳」「楽しみながら教育する」等。

「理性」という言葉は出て来ない。しかし、「何も見えなくなった若者」を理性を見失った人間だと考えれば、パッションの対極にあるのが理性だと理解できる。

もしデ・グリューが理性的な判断に従い、「富や生まれながらの気質がもたらす利益」を優先し、美徳のある生活を送れば、彼は幸福な生活を送ったはずである。というか、そうした考えが前提にある。
不幸な出来事の度に、家族や友人が手を差し伸べてくれる。彼らに従っていれば、不幸を終わらせることができる。
貴族の血縁関係から逸脱せず、伝統的な価値観を守ることが幸福の道。それが伝統的な考え方だといえる。

そうした中で、17世紀のラシーヌの悲劇では、パッションが理性を根底から揺るがし、その恐ろしい力に対して抵抗する人間の苦しみが描かれた。
その際、美は、弱い人間がパッションに負けまいとして悲しいほどに必至に戦う姿から生まれた。
それが観客を楽しませることにつながり、しかも教育にもなった。
「楽しみながら教育する」という表現が、古典主義美学の中心的思想であるのは、そうした理由による。

アベ・プレヴォも、明らかに、その古典主義美学に則って論を進めている。
デ・グリュがマノンに惹かれるパッションは、彼を不幸に陥れ、二人は善意を持ちながらも、悪徳に満ちた生活を送る。そして、マノンの死がデ・グリュを打ち砕く。
その不幸の物語が、読者を楽しませながら、最終的には「風俗の改善に教育的な役割を果たしうる」ものになると、アベ・プレヴォは言う。

しかし、もしそれだけであれば、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』はラシーヌの悲劇の舞台を18世紀に移し、小説に焼き映しただけで終わってしまう。

ちなみに、マノンは、ある時にデ・グリュから不実をなじられると、いきなりラシーヌの『イフィジェニー』の詩句を口にする場面がある。しかも、暗唱するだけではなく、パロディにする。

私! あなたはそんな不実を、私に対してお疑いになるのですか?
私! 私が、怒りに燃え勝ち誇った者を愛するというのでしょうか?
たえず、血にまみれ、私の目に浮かび上がってくる人を。(『イフィジェニー』第2幕第5場)

私! あなたはそんな不実を、私に対してお疑いになるのですか?
私! 私が、おぞましい顔を耐えることができるのでしょうか?
たえず、私の目に、あのオピタルを浮かび上がらせるあの顔を。

それに対して、デ・グリュもパロディで返事をするのだが、マノンがラシーヌの詩句をパロディにする教養を持つとは考えにくい。
この場面は、アベ・プレヴォが、ラシーヌの悲劇を参照していることを明らかにする意図によって書かれたと考えることができるだろう。

しかし、「作者の見解」からは現れてこない何かがある。それは何か?

答えは、マノン・レスコーという女性の新しさ。
彼女は18世紀前半に成立しつつあった時代精神を体現し、ブーシェの絵画に描かれるのに相応しい女性像だといえる。

C. 新しい時代の女性 マノン

マノンの新しさはどこにあるのか?

それは、デ・グリュのマノンに対する愛と、マノンのデ・グリュに対する愛の違いを通して、垣間見ることができる。

デ・グリュはパッションに捉えられ、どんなに裏切られようとマノンを愛し、様々な悪事に手を染め、殺人まで犯す。
アベ・プレヴォが最初に予告した通り、彼は、「何も見えなくなった若者」であり、「幸福であることを拒絶し、自ら進んで、これほどないというほどの不幸に身を投じ」、「富や生まれながらの気質がもたらす利益」を捨てても全く後悔しない。

それに対して、マノンはどうだろう。
彼女は贅沢を好み、富のためであれば、愛していると口では言うが、デ・グリュを騙すことも厭わない。
最初のパリの隣人、G‥.M‥.や彼の息子と関係するのも、全ては金銭のため。(そのために、彼女は娼婦だと見なされることもある。)

では、彼女はデ・グリュを愛しているのか? そして、愛しているとしたら、どのような愛なのか?
マノン・レスコーの新しさは、ここにある。

マノンの恋愛観は、G…M…の息子とのやり取りの中で、デ・グリュとの待ち合わせ場所のカフェに美しい娘を送った場面によってはっきりと示される。
彼女には「嫉妬」がないのだ。

マノンが娘に持たせた手紙の内容を、デ・グリュはこう語る。

 それがマノンの筆跡だとわかりました。マノンは私にこんな風なことを書いてきたのです。G…M…はどんな考えも及ばないほど礼儀正しく、豪勢にマノンを迎えました。山のようなプレゼントを贈り、これから女王のような生活を送ることになると思わせました。しかし、こんなに輝かしい新しい状況の中でも、私のことを忘れることはありませんと、彼女は書いていました。ただ、G…M…が今夜コメディー(・フランセーズ)に彼女を連れて行くのに同意しないので、私に会う喜びは別の日にとっておくことにするというのです。そして、この知らせが私に引き起こす苦しみはわかっているので、私を少しでも慰めるために、パリで最も可愛い女の子の一人を私に送り届けることにしたのです。その娘がこの手紙を持っていくことになります。あなたの忠実な恋人、マノン・レスコーという署名がありました。

デ・グリュはこの手紙を読み、怒りと苦しみに捉えられる。マノンは不実な裏切り者であり、永遠に忘れてしまいたいとさえ思う。

しかし、マノンの気持ちの中では、手紙に書かれている全てが誠実なのだ。
1. G… M…の息子から受け取るべき富は、彼女の幸福に不可欠なもの。
2. 可愛い女の子をあてがい、デ・グリュの苦しみを少しでも紛らわようとする思いやり。
3. デ・グリュのことを忘れることはなく、忠実な恋人であること。

1. 経済活動

物語を通して、マノンがデ・グリュに隠れて別の男とかかわるのは、物質的な豊かさを享受するために富を手に入れるためである。
それはマノン個人の欲望の問題ではなく、商業活動が活発化し、新しい金持ち階級が社会的な地位を占めるようになった時代の象徴でもある。

それ以前の社会制度でも大商人が貴族の称号を買い、新たな貴族となることはあったが、それでも貴族として認められるには何代かの期間が必要であり、血縁が決定的な重要性を持っていた。
そうした社会では、単純化して言えば、どの家に生まれるかが、将来を決定したといってもいい。

そうした社会においても、個人の才覚によって商業活動を成功させ、富を得る人々が出てきた。そこで重要なことは、家以上に、個人の才覚。

貴族ではないマノンは、女性の魅力という個人的な能力を最大限に活用し、富を得る。
それに対して、彼女を娼婦とか情婦とか呼び、そこに焦点を当てることはさほど意味がない。18世紀前半にこの小説が書かれたことの意味は、マノンが、デ・グリュを裏切るように見えたとしても、経済活動を自ら行い、富を手に入れる女性として描かれるところにある。

経済活動に関しては、ヴォルテールが1834年に出版される『哲学書簡』の中で、「商業がイギリスにおいて市民たちを裕福にし、彼らを自由にすることに貢献した。そして、その自由が今度は商業活動をさらに発展させた。」(第10書簡)と述べ、フランスの遅れを指摘することになる。18世紀前半はまさにそうした時代なのだ。

しばしば、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』が現実的な小説であり、17世紀前半の社会、とりわけ摂政時代の社会を反映していると言われるのは、こうしたマノンの金銭を巡る動きによる。

2. 恋愛における障害と嫉妬

デ・グリュを裏切り、富に惹かれるマノンは、「本当に」デ・グリュを愛しているのか、といった問いが投げかけられることがある。
そして、読者の持つ恋愛観により、答えは変化する。

嫉妬についても同様で、嫉妬は恋愛にはつきものと考える人もいれば、嫉妬は恋愛とは関係がないと考える人もいる。

文学作品を理解する場合には、そうした個人的な意見や感想はいったんカッコに入れ、フランス文学における恋愛の構図に基づき、作者がそれをどのように用いているのか見ていくことが必要になる。

12世紀、南フランスの宮廷で「恋愛」の概念が発明されたと言われている。
基本的な構図は、恋愛の三角形。
結婚という枠の中に、城主と奥方がいる。そこに騎士が現れ、城主の奥方に愛を捧げる。
この三者の関係が、恋愛の基本構図となる。

そこからいくつかの派生的事項が出来上がる。
恋愛は、結婚の枠外に発生する。
結婚の枠外であるために、秘密の厳守が求められる。
自分よりも上位の女性に男性が愛を捧げる。奥方は、愛の返礼として指輪などを与える。
基本的に、肉体的な関係は持たない。(結婚は子孫を残し、家を継続させる手段。)

「障害」

城主・奥方・騎士という恋愛の三角形においては、城主が恋愛の障害となる。
その障害が、恋愛を激しいものにし、維持する役割も果たす。

時代が下り、若い男女が恋愛をする物語になると、障害を設定する必要が出てくる。
シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の場合には、家の対立。
ラシーヌの『フェードル』であれば、義理ではあるが親子関係。つまり、近親相姦。

マノンとデ・グリュの場合、最初は身分の違いであるが、マノンが金銭のために自分の魅力を用い、デ・グリュを裏切るように見えるにつれ、彼女の貞操観念が障害となる。
娼婦、情婦、悪女、魔性の女、ファム・ファタルといったレッテルは、マノン自身が作り出す「障害」のために、デ・グリュが苦しみ、悪に手を染める原因になったことを指している。


「嫉妬」

嫉妬は、南フランスの宮廷で行われたとされる恋愛裁判の判決で、恋愛に必要なものとされた。
恋愛は、結婚という枠外での感情。そのために、お互いの関係を維持する枠組みが必要であり、嫉妬は感情的な絆となりうる。

では、自分の代役として、デ・グリュのところに美しい娘を送りどける行為は、マノンがデ・グリュを愛していないことを示しているのだろうか?
もしマノンに恋愛感情があるのなら、なぜ嫉妬しないのか? 
その理由を、彼女の署名との関係で考えていこう。

C. 忠実な恋人

マノンは、手紙の最後に、「忠実な恋人」と署名している。
G…M…の息子の富に目が眩み、デ・グリュとの約束をすっぽかすようなことをしながら、なぜ「忠実」などと言えるのか。「忠実」とは、「相手を裏切らない」という意味である。

マノンの意図は、絶望したデ・グリュが、G…M…の息子に隠れてマノンに会い、彼女を取り戻そうとする場面で語られる。

まず、代わりの女の子を送ったことに関して、デ・グリュが苦しんだのは「嫉妬」からだと断言する。
そして、マノンがデ・グリュを捨てG…M…の息子を選択したのだとデ・グリュが思い込んだために、悲歎にくれたと言う。
その後、真実を分かってくれるように懇願する。

私に罪はないのですが、そのことを考えると、見かけの状況が私に有利ではないことはわかっています。でも、お願いです。あなたご自身で私の裁判官となってください。実際に何が起こったか、真実をご説明しますから。

その後、マノンは約束をすっぽかし、手紙を書いている時の状況を語る。その中で、彼女の恋愛について理解する上で、最も重要な言葉が発せされる。

私はあなたに何も偽ることはしません。私の振る舞いも、考えたことについても。女の子がやってきました。私はその子が可愛いと思いました。そして、私が行かないことであなたが苦しむことことは分かっていましたので、心から、こう望んだのです。この子がしばらくの間、あなたの退屈を紛らわせてくれるようにと。というのも、私があなたから望んでいる忠実さとは、心の忠実さなのです。

彼らは、外見と真実を見分けることが困難な「外見の文化」に生きている。
その文化の中で、マノンは「見かけ」が自分にとって不利なことは自覚していて、それでも「真実」を伝えると言う。そして、デ・グリュ自身にその判断をして欲しいと望む。

その真実とは、彼女の忠実さが「心の忠実さ」ということ。マノンが嫉妬しないことは、その証明である。
デ・グリュが彼女以外の女性を愛するなど、疑うことは決してない。
だからこそ、美しい女性が彼と一夜を過ごしたとしても、嫉妬はしない。

また、マノンの心はデ・グリュに向けられているのだから、自分に罪があるとは考えない。従って、忠実な恋人というのも、マノンの真実の気持ちに他ならない。
肉体の魅力を使い経済活動をするとしても、それは心とは無関係なのだ。

その意味では、マノンは、12世紀の恋愛観に近づいたように見える。
結婚の枠外で成立する恋愛において、本質は肉体ではなく、心にあった。結婚は子孫を残すための制度であり、恋愛は感情の問題だった。

他方、21世紀においては、これほど単純に、恋愛から肉体の問題を切り離すのは難しい。
恋愛とは、肉体と精神の両者に係わり不可分であると、一般的には考えられている。
その考えからすると、マノンの言葉は随分と都合のいい言い訳のように聞こえる。
現代の読者が、マノンを「忠実な恋人」と見なすことは少ないだろう。

では、18世紀前半にマノンはどのように受容されたのだろう?

17世紀、人間の本質は理性の働きだと考えられるようになる。
しかし、その理性を乱すものがある。それがパッション。とりわけ、恋の情念は人間を悪へと導き、不幸に陥れる。
ラシーヌは、パッションに飲み込まれるフェードルを舞台に乗せた。
「恋は毒」。毒を飲み、理性を失うフェードルが美しいのではない。毒を運命として受け入れながら、毒の悪に対して必死に抗う姿に美を見出した。

ラシーヌ劇が「楽しみながら教育する」という時、観客を楽しませる部分は、フェードルの苦しみであり、彼女が人間的な弱さに打ちひしがれながら、苦しみ、悪徳に抵抗する姿に美がある。

アベ・プレヴォも同様に「楽しみながら教育する」ことを、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』の大きな方向性として設定している。
しかし、ラシーヌとは明らかにポイントが違っている。

マノンは、一般的な目から見て美徳と思われる行動を取ろうともしないし、嫉妬に苦しむこともない。
彼女は、フランソワ・ブーシェの絵画に描かれる女性たちのように、物質的な喜びに身を任せる。豪華な室内、華やかな衣裳、贅沢な食事。
身体の美を使って、それらを手に入れることに罪悪感はない。
彼女が最初に姿を現した時、修道院に送られようとしていたのは、「喜びへの傾向が強い」ためとされている。しかし、パッションに身を委ねることに対する特別な思いはない。

彼女のパッションは、二つの方向に向かう。
一つは、物質的な充足感。
血縁関係では手に入れられないものを、個人の魅力によって手にいれる。端的に言えば、金銭へのパッションであり、貴族から市民へ、家から個人へと権力が移行する時代を背景にしている。

もう一つは、恋愛。
ただし、彼女の恋愛は、「心の忠実さ」が問題であり、肉体的な次元と関係しない。
実際、アベ・プレヴォは、マノンの身体的な描写をほぼ何もせず、性的場面の描写は皆無である。
彼女は美しく、何人もの男を魅了する。しかし、性的な快楽に身を委ねることはない。
その意味で、彼女自身が言うように、まさに罪が無い、イノセントな存在なのだ。

マノンの自己認識が意味するところは大きい。

パッションは人間の理性を狂わせ、悪徳に導き、不幸に落としいれる、悪しき情念だった。
悪いとわかっていることを実行させ、愛してはいけないとわかっている人間を愛させる。
美徳が人間を幸福に向かわせるとすると、パッションは悪徳の源となる。

しかし、マノンはパッションにとらわれながら、イノセントな存在として描かれる。
どんなにデ・グリュを振り回そうと、それは肉体、物質の次元の問題でしかない。心は彼を愛し続けるために、自分に恥じるところはない。
経済活動が誰の非難も浴びないように、恋愛も非難されることではない。
そして、彼女の中で、二つのパッションは矛盾なく両立する。
マノンは、パッションに身を委ねることが、たとえ悪徳を引き起こすことになったとしても、それ自体として享受されうる可能性を示しているのである。

Jean-Honoré Fragonard, Les hasards heureux de l’escarpolette

他方、デ・グリュは前の時代の道徳感を抱き続け、友人のティヴェルジュが理性の代理人として、しばしばデ・グリュを正道に戻し、困難に陥れば手を差し伸べることもある。
しかし、彼の場合も、パッションと戦うことはもはや悲劇ではなく、喜びである側面の方が強い。どんなに不幸に見舞われようと、マノンへの愛を貫くことが、彼の幸福なのだ。

17世紀であれば、「楽しみながら教育する」とは、デ・グリュの不幸の物語が読者の教訓なり、読者を美徳に導くという意味だと理解される。
しかし、1715年のルイ14世の死に続く時代には、それは口実にすぎず、パッションに身を委ねる快楽に楽しみを見出しうる時代が来ようとしていた。

そのことは、1734年に出版されるヴォルテールの『哲学書簡』によっても確認される。18世紀前半を代表する哲学者は、人間を動揺させるどのような情念もない無人島での幸福に暮らす人間に対して、パリやロンドンでも人々は幸福であると述べている。(第25書簡)


18世紀後半なると、ジャン・ジャック・ルソーが現れ、「感じやすい魂」が醸成される。一言で言えば、人間の中心が「理性」から「感性」に移行する。
その時代、『危険な関係』の作者ラクロや『悪徳の栄え』等で知られるサド侯爵が、マノンを称揚する。
19世紀になれば、ロマン主義を代表するミュッセがマノンを取り上げ、デュマ・フィスは『椿姫』でマノンの物語を下敷きにし、マノン賛美の声はモーパッサンまで続く。

このように見てくると、マノン・レスコーは、18世紀後半以降の時代の精神性や感受性の先触れとなることがわかる、新しい時代を予告する女性なのだ。


アベ・プレヴォ『マノン・レスコー』野崎歓訳、光文社古典新訳文庫、2017年。

ヴォルテール『哲学書簡』林達夫訳、岩波文庫、1980年。

17世紀から18世紀にかけての時代精神について
ポール・アザール『ヨーロッパ精神の危機』野沢協訳、法政大学出版局 、1973年。

ロココ美術について
坂本満編『ロココ 世界美術大全集 西洋編18』小学館 、1996年。