
ジャン・ジャック・ルソーが後の時代に与えた影響は、18世紀の全ての思想家や作家と比べ、圧倒的に大きなものがある。
1712年生まれのルソーは、18世紀を代表する哲学者・文学者であるヴォルテール(1694-1778)よりも後の世代であり、『百科全書』の編集者ドゥニ・ディドロ(1713-1784)や感覚論の中心人物コンディヤック(1714-1780)と同世代に属する。
彼が生きたのは、デカルト的な「理性」を人間の中心に据え、観念から出発して真理を追究する観念論の時代から、生まれながらの観念は存在せず、人間は白紙状態(タブラ・ラサ)で生まれ、全ては「感覚」を通して得られる「経験」に由来すると考える経験論や感覚論が主流となる時代へと移行する時代だった。
ルソーはその流れを踏まえながら、新しい一歩を踏み出した。そして、その一歩が、19世紀のロマン主義の本質となっただけではなく、現代の私たちにまで影響を及ぼしている。

日本でも、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の有名な言葉はよく知られている。
「心で見なくては、ものごとはよく見えない。大切なものは、目には見えない。」
目で見て、手で触れることができる物質世界こそが現実であり、科学的な実験によって確認される物理的な事実が正しいと見なす世界観が一方にはある。
しかし、それ以上に大切なものが、人間にはある。それは心の世界。人間にとって物よりも心の方が大切だと見なす方が人間的と見なす考え方もある。
「感覚」から「感情」へと進み、人間の価値を「内面」に置く世界観。その道筋を付けたのが、ジャン・ジャック・ルソーなのだ。
「起源」を探る
ジャン・ジャック・ルソーは、1712年、ジュネーブで生まれた。母は産後感染症で出産直後に亡くなり、時計職人の父と叔母によって育てられる。
1722年、ルソーが10歳の頃、父は軍人といざこざを起こし、子供を残したまま、ジュネーブから逃亡する。そのために、叔父の家に預けられたり、牧師のところで寄宿したりする。司法書士の見習いになったり、彫金師のもとに奉公に出されたりするが、1728年、16歳になるかならないかの年齢でジュネーブから脱出し、放浪生活を送る。

プロテスタントの町ジュネーブで育ったルソーは、アヌシーで、カトリックへの改宗を熱心に勧めるヴァラン夫人に迎えられ、紆余曲折を経ながらも、1740年まで彼女のもとで過ごす。
その間、トリノでカトリックに改宗したり、様々な貴族の家で奉公したりもするが、最も重要なのは、アヌシー大聖堂の聖歌隊養成所で寄宿生として音楽を学んだことである。
というのも、ルソーは、オペラなどの作曲を手がけ、『百科全書』の音楽関係の項目を執筆し、新しい楽譜の書き方を提案し、楽譜を筆写する仕事で生計を立てることになるのだが、そのベースはこの時期に得たものだからである。
音楽以外にも、ヴァラン夫人のもとで、文学、哲学、科学などを学ぶ。そのなかでも、1738年からの約2年間、シャンベリ近くのレ・シャルメットで夫人の暮らした時期は人生で最も幸福な時だったと、後に回想している。
しかし、その生活は、ヴァラン夫人に新しい愛人が出来たことで終わりを迎える。

1742年、ルソーは富と名誉を求め、パリに出る。
パリでは、アカデミー会員や著名な作家、哲学者、サロンを主催する夫人たちと知り合いになり、貴族の秘書としてヴェニスのフランス大使館で働いたり、自作のオペラ・バレー『優美な詩の女神たち』の上演にこぎつけたりもする。
雇い主であるデュパン家の所有するシュノンソー城で詩や芝居を執筆するといったことからもわかるように、彼は貴族文化の一端を担う芸術家となることに成功したといってもいい。
1749年には『百科全書』の音楽関係の項目の執筆の依頼を受け、当時の先鋭的な知識人である「哲学者」たちの一員と見なされるようにもなる。
1750年、彼の人生を変える出来事が起こる。
ディジョンのアカデミーの懸賞論文に応募した『学問芸術論』が受賞するが、その反文明論的な主張のために大論争が起こったのだった。
懸賞の題名は、「学問と芸術の復興は習俗の浄化に貢献したか。」というもの。
18世紀の初頭以来、「進歩」の概念が多くの人々に認められた時代、アカデミーが期待したのは、文明の進歩で人間はより礼儀正しくなり、社会はよりよいものになった、という論調だったと推測される。
それに対して、ルソーは、自分が享受しつつあった貴族文化を、外見が実体を偽る文明社会として、真正面から攻撃したのだった。
そして、自らの主張を実践するために、高額な所得を得られる職を捨て、楽譜を書き写す仕事で生計を立てる生活を選択する。
ただし、すぐに孤立するわけではなく、『百科全書』に携わる知的環境には留まっていた。
イタリア音楽(メロディー中心)とフランス音楽(和音中心)の間で行われた「ブッフォン論争」ではイタリア派に加担し、オペラ「村の占い師」の上演に成功したりもする。

カンタン・ド・ラ・トゥールによって描かれた当時の彼の姿は、「立派な服を着、きれいに髪をとかし、髪粉をかけ、滑稽な様子で藁の椅子の上に腰掛けている『村の占い師』の作者」とドゥニ・ディドロによって皮肉られるように、まだパリの貴族社会の周辺に留まる芸術家といった風をしている。
1754年、ディジョンの懸賞論文に再び応募する。その課題は、「人間の間の不平等の起源は何か、そして不平等は自然法によって正当化できるのか」。
ルソーは『人間不平等起源論』を提出し、今回は受賞を逃す。
この論文において、彼は『学問芸術論』から一歩を踏みだし、外見と実質が乖離した外見の文化に基づく文明社会を批判するだけではなく、彼の思想にとってより本質的な問題に到達した。
その本質を最も的確に表現するのが、「起源」という言葉。
人間の不平等の「起源」を理解するためには、不平等が存在しなかった人間の原初状態を知る必要がある。
ルソーによれば、その状態、つまり自然の状態において、人間の行動は、自己保存の衝動と哀れみの情という「理性に先立つ二つの原理」に従っていた。
彼は「前書き」の中でそのように原初の状態を説明するのだが、しかし、それは決して歴史的な事実ではなく、「仮定的で条件的な推論」として受け取られなければならないと、注意を促す。
自然状態とは、「もはや存在せず、存在しなかったかもしれず、おそらくこれからも決して存在しないような状態」なのだ。
このことが意味することは何か?
存在するものの「起源」を仮定し、そこに理想を見る。それは、目に見える現実を超えた存在を仮定し、そこにイデア界を仮設するプラトンと同様の思考法に他ならない。
文明社会を堕落と見なし、それに対して自然、野生を対比させる。その際、自然も野生も、現実の存在ではなく、観念的な「起源」であるとしたら、ルソーの思想はプラトニスムへと回帰だと見なすこともできる。
そして、少しだけ先回りして結論を言ってしまうと、ルソーの重視する「感情」「心」「内面」も、天上界のイデアを人間の内部に置き直したものだと見なすことができる。
『人間不平等起源論』と同じ時代に執筆されたと想定される『言語起源論』では、その題名の通り、言語の「起源」を探る。そして、「原初の言語は歌であった」という主張を提示し、その証明を試みた。
18世紀において、言語に関して、神から授けられたもの(=言語神授説)という教会の主張に対して、感覚論に基づき、身体的な欲求を表現するために人間が作り出したものという「哲学者」たちの説が提示されていた。
ルソーは基本的には感覚論的な立場に立つが、しかし、そこからさらに進み、言語は、身体的な欲求ではなく、人間の「情念」の表現であるとした。
ルソーはまず最初に身振り言語と声の言語を区別し、人間にとって視覚の方が聴覚よりも強い力を持っていることを認める。そして、もし人間が身体的な欲求しか持たなければ、視覚を刺激する身振り言語だけでお互いに理解し合えたに違いないと言う。
しかし、心を感動させ、情念を燃え上がらせる時には、別のものが必要だ。言葉の連続する印象が繰り返し心を打つと、事物がそこに存在しているのとは別の感動を生み出す。事物がある場合には、人は一目で全てを見る。よく知られた苦痛の状況を思い描いて欲しい。苦しんでいる人を見て、涙が出るほど心を動かすことは難しい。しかし、苦しむ人が感じていることを何もかも話す時間を与えると、すぐに涙にくれるだろう。(『言語起源論』)
この短い一節はルソーの全てを語ると言っていいほど、彼の「感情の哲学」 が凝縮されている。
1)視覚は「身体」に働きかける。聴覚は「心」に働きかけ、「感情」や「情念」を湧き上がらせる。
ルソーは、人間にとって本質的なのは音声言語だとする。そのことから、彼が「感覚」ではなく、「感情」に重きを置いていることがわかる。

2)視覚と聴覚の違いを、瞬間と持続に見る。
存在する物体を見る時には、把握は一瞬である。それに対して、音は連続して聞こえる。
ルソーは、持続こそが「心」を動かすと考える。
彼の音楽論において、旋律(メロディー)が中心をなすのもそのためである。
18世紀フランス音楽の中心的作曲家ジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)は、和音が音楽の中心をなすと考えた。
しかし、ルソーの考えでは、和音は聴覚的な快感を生み出す感覚的なものにすぎない。音楽は言語と同様に意味を持つものでなければならず、人間の「内面」を映し出すことが必要だとする。
それをするのが、声であり、歌(メロディー)である。
人間の最初の言語は歌であり、その音楽が感情を表現する手段だった。
少し横道に逸れることになるが、こうした議論の展開を辿ると、なぜルソーが絵画に比較的無関心だったのかが理解できる。
「絵画による模倣(現実の再現)は常に冷たい。それは心を燃やす継起性(持続)を欠き、一目見るだけで全てが語られてしまうからである。」(『音楽辞典』)
3)伝達する機能 —— 社会性
「連続する言葉の印象」が人を感動させるとすると、声による言語の役割は、自分の欲求を表現することではなく、自分以外の人間に感情や情念を伝達することにあるということになる。
その前提は、人間の集団であり、社会であるという認識。その社会の中で、人は他者の苦しみを見て、共感し、涙にくれる。
「感覚」を刺戟されることによって生じる欲求は、利己的なものであり、人間同士を遠ざける働きをする。感じたままに生きている限り、社会生活を幸福に営むことは難しい。
人が集まり、社会を形成するには、「精神的な欲求」や「情念」の働きが必要だとルソーは考える。愛、憎しみ、哀れみ、怒りなどといった感情が、人間の「最初の声」の表現だった。
社会は生存の必要性のために形成されたのではなく、喜びや悲しみ、怒りなど、感情を伝え合うために形成されたものだとする。
この視点は、『社会契約論』で主張される、社会は構成員の主体的な契約によって形成されるという思想とも連動している。
身体的な感覚の次元では、生存欲求しかなく、家族以外の他者を排除する。社会は、声の言語で感情を伝達し合うことで形成される。つまり、社会は人為的に形成されるものであり、その契機を、声の言語から「契約」に置き換えると、社会契約論になる。
以上の考察を通して見えてくるのは、ルソーにおいて、「感覚」から「感情」へと思想の重心が移動することで、物質主義的な世界観から離れ、人間の「内面」を中心に据える世界観が、はっきりとした形を取り始めたということである。
「内面」の価値付け
A.内部の光(イリュミネーション)
ルソーは、目に見えない「内面」が人間の本質であると見なす。それと呼応するかのように、18世紀後半には、目に見えないものを信じる、いわゆる神秘思想的な思想が大流行する。
外部の世界は理性の光によって照らされ、合理主義精神に基づく文明が進歩を続ける。それに対して、人間の内面はある意味では闇の洞窟であり、外部からの光は肉体によって遮断されている。
その闇を照らす光があるとしたら、それ自体で発光するイリュミネーション(illumination)であり、理性の理解を超えた「内部(il←in)の光(lumière)」ということになる。
この内的な光を、神的、霊的な知としての「照明(光)」と見なし、神秘主義的的な結社「エリュ・コーエン(選ばれた僧侶)」を創設したのがマルチネス・ド・パスカリ。
堕落した人間が霊的に上昇して原初の調和を取り戻す「再統合」を教義としたイリュミニスムは、弟子のサン・マルタンの著作によって広められた。
17世紀から続く結社フリーメイソンの活動も盛んであり、マリー・アントワネットの名前を騙った「首飾り事件」で日本でも名前が知られているカリオストロ伯爵や、モーツアルトもフリーメイソンに属していた。
とりわけ、モーツアルトの「魔笛」は、結社の教義に基づき、様々なシンボルがちりばめられていると言われている。
神秘主義者としてとりわけ興味深いのは、エマヌエル・スヴェーデンボルグ。
彼はヨーロッパでも有数の科学者として知られていたが、ある時、魂が肉体から離脱する霊的な体験をし、神秘主義的な多くの著作を残した。
スヴェーデンボルグの例は、物理的な世界と精神的な世界が対立するだけではなく、両者の間に対応(コレスポンダンス)があることを示している。
クール・ド・ジェブラン、ファーブル・ドリヴェ、デュピイといった学者たちも、地球、言語、宗教の起源を探求する中で、どこか秘教的な側面を持っている。
文学においては、市民の風俗を描くレチフ・ド・ラ・ブルトンヌのような作家でも、イリュミニスムの流れの中で、宇宙論的な夢想に導かれる傾向がある。
彼らは、神秘主義的な傾向を示すほんの僅かな例だが、大きな展望の中で捉えると、理性の光だけではなく、「内面」という洞窟を照らす「内的な光」に価値を置く流れの中にいると考えることができる。
B. ルソーの場合 自然と内面の一体化
ルソーは、1758年に『ダランベールの手紙』を出版。ディドロ、ダランベールたち百科全書派と訣別するだけではなく、ヴォルテールとも対立も深め、思想界からも孤立していく。
私生活でも、恋愛問題などから保護者たちとの関係が悪化し、最終的には彼らとも絶交状態になる。
1761年、書簡体恋愛小説『新エロイーズ』が18世紀最大のベストセラーとなり、一部の貴族の支持を得、彼らの庇護を受けることができる。
翌1762年、『社会契約論』と『エミール』を出版するが、理神論と教育問題を論じた『エミール』は教会から告発され、ルソーに逮捕状が出されるという事態に至る。しかも、パリだけではなく、ジュネーブでも焚書の宣告が出され、それ以降、逃亡生活を送らざるをえなくなる。そうした中で、言論界からの攻撃にさらされ、被害妄想的な感情を抱くようになる。
苦境にあったルソーに、イギリスを代表する哲学者ヒュームが手を差し伸べ、1766年にルソーはロンドンに渡る。しかしヒュームとの関係が悪化。1767年5月にはフランスに戻った。

当時のルソーは、敵対者たちから「狂気」のレッテルを貼られ、彼自身でも、常に迫害され、「陰謀」が張り巡らされているという強迫観念に苦しめられる。
そうした中で、自伝の書である『告白録』を執筆し、『孤独な散歩者の夢想』に着手した。
1778年5月、数少ない崇拝者の一人であるエミール・ド・ジラルダン侯爵によって提供されたパリ北方のエルムノンヴィルに迎えられ、二ヶ月後の7月、その地に質素な家で最後を迎える。
彼の遺体は、遺言に従って、エルムノンヴィルの庭園内にあるポプラの島に埋葬された。
こうして簡単にルソーの生涯を辿るだけで、彼が孤独を深め、自己の内部に沈潜していく様子がわかる。外部の世界は彼を迫害する敵たちに溢れている。そのように感じれば感じるほど、「内面」の世界に価値を置くことになる。
そうした中で、ルソーは神秘主義に向かうのではなく、独自の方法を発見したのではないか。
その方法を一言で表すとしたら、「自己と自然の一体化における忘我」。

ルソーは『エミール』出版後の逃亡生活の最後の時期、イギリスに渡る直前の1765年9月、スイスのビエンヌ湖の中にあるサン・ピエール島に移り住み、散策や植物採集をしながら束の間ではあるが平穏な日々を過ごした。
そして、『孤独な散歩者の夢想』の記述によれば、湖の畔で波の音を聞きながら我を忘れているうちに、自分の内面と外部の世界が一体化するような感覚を経験した。
夕方が近づくと、島の高いところから下り、湖の畔、砂浜の上にある、ひっそりとした場所に、好んで座った。すると、波の音や水面の動きで五感が固定され、波以外の全ての動きが魂から消え去る。そして、魂は甘美な夢想にふけり、夜になったのを気づかずにいるほどだった。波が行ったり来たりし、その音が絶え間なく続き、時には大きくなり、絶えず耳や目を打った。水の動きと音が、夢想していると消えていく内面の動きに取って代わる。今ここに存在しているという感覚を、無理に考えてみなくても感じられることが、私にはうれしかった。時々、短い時間だが、この世の事物は移り変わりやすいと、おぼろげに考えることもあった。波の動きが、そのはかなさのイメージだった。しかし、そうしたわずかな印象もすぐに消え去った。絶え間なく続く単調な動きが、揺り籠のように私を揺すり、魂が能動的に動かなくても、私を強く捉えたのだった。時間が来て、いつもの合図で呼ばれても、私はよほど努力しないと、そこから離れられなかった。
湖面に広がる小さな波の動きと微かな音が、孤独な夢想者の五感を捉え、感覚の動きを停止させる。彼は何も考えず、我を忘れた状態で、時間が過ぎていくことにも気づかない。
私たちも、あまりに楽しくて時間を忘れることはよくあるので、我を忘れて夢想にふける感覚は容易に理解できる。
ルソーはその状態を描きながら、波の動きと音が「内面の動き」に取って代わったのだと感じる。つまり、波の動きが心臓の規則的な動きと同調するというだけではなく、両者が一つになる。
波の音が震動の鼓動になり、外界の自然と人間の内面が一体化する。
文明社会では、外見と実態の間には必ずズレがある。心は肉体という障害物によって隠されている。身体の動きを通して心を読もうとしても、決して透明には見えない。他人が何を考えているのか、よくわからない。
ルソーはそうした外見の文化の中で、仲のよかった友人たちとも仲違いをし、迫害されているという強迫観念に襲われた。
それに対して、サン・ピエール島での夢想では、外界と内面が一体化し、透明になる。自然が私になり、私が自然になる。自己意識が消え去り、我を忘れると、時間の経過も感じられなくなり、その瞬間が永遠になる。
そのような状態の中で、人は何を享受するのだろうか? それは自己の外部の何かではない。自分そのもの、自分自身の存在だ。その状態が続く限り、人は、神のように、自分だけで充足する。
外界と内面の一体化、自然と自己が一つになった状態は、満ち足りていて、「神のよう」だという。その比較表現は、一体化に絶対的な価値を与えている印といえる。
その価値付けは、一体化の一方の座である「内面」への価値付けでもある。
ちなみに、もう一方にある「自然」の価値付けはすでに完了していた。
「起源」を探る過程で、堕落した文明に対して「自然状態」を提示し、上位に置いた。そこで仮説として提示された「自然状態」を、現実の自然に投影することで、「自然」は価値ある存在と認められた。
そのように考えると、「自然」の評価と「内面」の評価は並行関係にあり、ルソーはその二つの価値付けを行ったのだった。
ジャン・ジャック・ルソーが後の時代に与えた影響は、他の作家や思想家とは比較できないほど大きい。
ロマン主義の主要なテーマは、自然や地方色の愛好、自己の高揚だが、その二つはルソーに由来している。
今ここにある目に見える現実を否定的に捉え、ここにないもの(自然、地方)、今はすでにないもの(過去)への憧れをメランコリックに募らせる感情が、自己の高揚につながり、ロマン主義の本質をなす。
忘我的恍惚感はボードレールの詩学の根本であり、象徴主義の詩学にもつながる。
最初に記したように、星の王子さまの「大切なものは目に見えない」という思想も、ロマン主義を経由して、ルソーを起源とすると考えられる。
21世紀において、感情を人間の中心に置く考え方は、多くの人々に共有されている。
その意味では、ルソーを読むことは、今の私たちを理解することにもつながると言ってもいい。
ジャン・ジャック・ルソー『学問芸術論』前川貞次郎訳、岩波文庫、1968年。
ジャン・ジャック・ルソー『人間不平等起源論』中山元訳、光文社古典新訳文庫、2008年。
ジャン・ジャック・ルソー『言語起源論』増田真訳、岩波文庫、2016年。
(「解説」がとても明快で、ルソーの理解を助けてくれる。)
ジャン・ジャック・ルソー『孤独な散歩者の夢想』永田千奈訳、光文社古典新訳文庫、2012年。
中川久定『甦るルソー 深層の読解』岩波現代選書、1998年。
中川久定『自伝の文学 ルソーとスタンダール』岩波新書、1979年。
ダニエル・モルネ『十八世紀フランス思想 ー ヴォルテール、ディドロ、ルソー』市川慎一、遠藤真人訳、大修館書店、1990年。
ジャン・スタロバンスキー『ルソー 透明と障害』山路昭訳、 みすず書房、2015年。
桑瀬章二郎編『ルソーを学ぶ人のために』世界思想社、2010年。
桑瀬章二郎「人と生涯 ルソーという事件」
増田真「起源の探究と社会批判 『人間不平等起源論』を中心に」
鈴木大拙『スエデンボルグ』講談社学芸文庫、2016年。