ジャン・ジャック・ルソーの宗教感情

現代では教育の書として知られる『エミール』が1762年に出版された時、神学者や教会から告発され、著者であるジャン・ジャック・ルソーに逮捕状まで出されたという事実は、私たちからすると不思議に感じられる。
そして、事件を引き起こした原因が、第4編に含まれる「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」の中で主張された「宗教感情」だったことを知ると、その感情がどのようなものなのか知りたくなるのも当然だろう。

そこで実際に『エミール』を手に取ってみるのだが、ルソーの思想はかなり込み入っていて、それほど容易に宗教感情の核心を捉えることはできない。感覚、理性、知性、自然、神などといった言葉が絡み合い、自然宗教、理神論などといった用語も、理解をそれほど助けてくれない。

その一方で、ある程度理解できてくると、ルソーの神に向かう姿勢が、日本の宗教感情とかなり近いことがわかり、親近感が湧いてくる。
そこで、論理的な展開は後に回し、彼の宗教感情がすぐに理解できる一節をまず最初に読んでみよう。

その一節は、「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」ではなく、『告白』の第12の書の中にある。
ルソーは人々から孤立し、スイスのサン・ピエール島に滞在していた。

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ルソー 告白と夢想 永遠の現在を生きる

ジャン・ジャック・ルソー(1721-1778)の後半生は、自己の人生を回想する作品に費やされたといってもいいだろう。
死後に出版された『告白』(第1部、1782年、第2部、1789年)や『孤独な散歩者の夢想』(1782)は、思想書、小説、戯曲等の執筆状況を含め、私生活を隠すところなく語った自叙伝となっている。
そのために、ルソーの著作を解読しようとすると、読者は自然に彼の告白から理解を始めようとする傾向が生まれた。例えば、ディジョンのアカデミーに応募した論文、書簡体恋愛小説『新エロイーズ』、『エミール』などに関して、『告白』の関係箇所に目を通し、彼の思想や私生活に基づいた解釈をする。
そこで、ルソーは、自分の「伝記」を書くことによって、彼の著作の死後の読み方を指定したとさえ言うことができる。

ここで注目したいのは、人生を振り返り、それを語る作業は、「記憶」に基づいているということ。
普通に考えれば、思い出には確かなこともあれば、不確かなことも、間違っていることもある。しかし、ルソーはとりわけ「真実性」に力点を置く。

 私が試みることはこれまでに決して例がなく、今後も真似する人はいないだろう。私は、一人の人間を、自然の真実のままに仲間たちにお見せしたい。そのようにして描かれることになる人間とは、私である。(『告白』第1巻)

このように、彼の自画像には決して嘘偽りがなく、真実であることを強調する。そして、その試みは、これまでに誰もしたことがないし、これからも真似る人はいないであろう、唯一のものだとする。

アウグスチヌスの有名な『告白』とも、モンテーニュの『エセー』とも、歴史上に名前を残す人々の「回想録」とも違う。
そうした言葉は、自分の告白を価値付けるための宣伝文句という面も否定できない。しかし、実際にルソーは、その独自性を確信していたと思われる。
エピグラフ(銘句)として引用される古代ローマの詩人ペルシウスの句が、その確信の源泉を示している。

内面に、そして、肌の下に。 Intus, et in Cute.

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