19世紀の時代精神 社会の中の「私」 1/2 ロマン主義

19世紀は、文学だけではなく、絵画や音楽に関しても、日本でよく知られた芸術家たちを輩出した時代。

小説家で言えば、ヴィクトル・ユゴー(『ノートルダム・ド・パリ』『レ・ミゼラブル』)スタンダール(『赤と黒』)、バルザック(『人間喜劇』)、アレクサンドル・デュマ(『三銃士』)、メリメ(『カルメン』)、ジョルジュ・サンド(『愛の妖精』)、フロベール(『ボヴァリー夫人』)、エミール・ゾラ(『居酒屋』)、モーパッサン(『女の一生』)、アルフォンス・ドーデ(「アルルの女」「最後の授業」)、等。

詩人であれば、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー、等。

画家なら、ドラクロワ、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、ギュスターヴ・モロー、セザンヌ、等。

音楽家なら、ショパン、ベルリオーズ、リスト、ドビュシー、サティ、サン・サーンス、ビゼー、等。

さらに、ロマン主義、写実主義(レアリスム)、自然主義、印象派、象徴派、デカダンス、世紀末芸術といった用語も知られている。

その一方で、19世紀の半ばに世界観・芸術観の大転換があり、そこで発生した新しい世界像が20−21世紀の世界観・芸術観の起源となったことは、あまり意識されていない。

ここでは簡潔に19世紀文学の流れを辿り、時代精神の大きな転換について考えていく。

18世紀の遺産

19世紀は18世紀から2つの遺産を受け継いでいる。
一つは、『百科全書』から続く合理主義精神。
科学的な知見を信じ、科学の進歩が文明をより発展させ、人間の幸福に繋がると考える。
産業革命はその成果であり、証明でもある。

もう一は、「内面=心」に人間の本質を見る思想。
ジャン・ジャック・ルソーから始まり、物質的な次元ではなく、「感受性豊かな魂」を養うことこそが、人間の至福につながると考える。

この二つの流れは、1789年のフランス革命、それに続くナポレオンの帝政によっても断ち切られることがなかった。

フランス革命がもたらしたものは、「血統」が決定的な重要性を持つ貴族社会から、「個人の能力」によって社会的な上昇が可能となる社会への転換だった。
コルシカ島出身のナポレオン・ボナパルトが1804年の戴冠式を経て皇帝になったことは、その大転換の象徴と考えることができる。

ナポレオンの治下において、社会の主は、「貴族」から財産を持った「市民(ブルジョワ)」へと移行し、権力の源は血統ではなく金銭となった。
そこでは、法律・政治・軍事・教育などの制度が整備された上で、能力主義に基づく競争が行われることになる。

そうした社会の原理となるのは合理主義精神であり、迷信や宗教など合理的には理解できないものを排除し、実験可能で経験を基礎とする実証主義が時代を代表する思想となっていく。
その点では、『百科全書』の精神が継続しているといえる。

他方、都市には社会の「負け組」ともいえる人々が溢れ、そうした労働者階級の中には芸術家もいた。
芸術家たちは、華やかな都市の片隅で放浪生活を送るボヘミアンとして貧しく生き、基本的には反ブルジョワの姿勢を示した。

彼らが価値を置くのは、富や物質的な所有ではなく、内面=心。
そして、目に見えない内面を価値付ける理論として、目に見える現実の上位にイデア界を置くプラトニスムを持ち出す。

プラトニスムでは、イデアこそが真実であり、現実はイデア界のコピーでしかない。その理論に従えば、目に見える物質や肉体よりも、目に見えない心の方が真実であり、人間にとって価値があることになる。

そこで、多くの作家たちは、ルソーの著作をしばしば参照した。
あるいは、想像力を信頼し、幻想や神秘主義に基づく作品を手がけることもあった。

このように、社会の主流が実証主義に基づいているとしたら、芸術家は「内面主義」とでも呼べる思考を展開した。
その二つの傾向はどちらも18世紀の遺産に他ならない。

そうした中で、芸術においても、18世紀とは異なる動きが湧き上がってくる。それが、古典主義に対するロマン主義の戦いである

古典主義 vs ロマン主義

古典主義では、古代ギリシア・ローマの美が常に規範として参照された。
黄金比率に則り、左右対称で、均整の取れた美。それはいつの時代に、どこで見ても美と感じられるという意味で、「普遍的な美」と見なされた。(それは現在でも伝統的な美の基準である。)

そのような古典的な美を実現する際には、対象も古典時代のものを選択することになり、古典主義演劇を代表するラシーヌの芝居を見るとわかるように、登場人物は古代神話やローマの英雄ということになる。

時代によって風俗は変化し、人々の服も、思考も変化する。そうした変化にとらわれず、美の基準である古代に素材を取ることで、時代に左右されない普遍的な美を創造することにつながると考えられたのである。

しかし、フランス革命を経て、ナポレオンのような個人が力を発揮する時代になると、芸術も同時代の現実を対象とするようになる。
19世紀の初頭、「文学は社会の表現である。」(ボナルド)と言われるようになり、作品が執筆される時代を対象とすべきだという考えが生まれた。

時代によって風俗も時代精神も変化するのであるから、その変化に伴い美の表現も変化する。それぞれの時代にふわさしい美が模索される。そのために、時代と空間によって異なる様相を示す「相対的な美」という考え方も生まれた。

1820年代、スタンダールやヴィクトル・ユゴーが古典主義に攻撃をしかけ、ロマン主義美学を展開した際、最初に話題にしたのがこうした時代性の問題だった。

古典主義美学に従い、古代の素材を使い、「一つの場所で、一日のうちに、一つの出来事が展開する」ことで生み出される「本当らしさ」は、噓っぽく感じるようになったという事情があるだろう。
演劇において、それを強く感じさせるきっかけとなったのは、1822年に行われたイギリスの劇団によるシェークスピア劇のパリ公演だった。

スタンダールは、『ラシーヌとシェークスピア』の中で、「ロマン主義とはまず同時代の芸術である。」というマニフェストの下、自国の歴史を題材とし、古くさい束縛を投げ捨て、「自分の美の定式」を作り出さなければならないと主張した。

『赤と黒』において、時代背景がナポレオンの時代であるのは、この主張に従い、フランスの同時代の歴史を素材としたからに他ならない。

ヴィクトル・ユゴーは、ロマン主義演劇のマニフェストである『クロムエル』の「序文」で、古典主義理論の基本的なコンセプトである「本当らしさ」を重視する美学を否定し、「真実」あるいは「本当のこと=事実」に基づいた美学を前面に押し出す。

ユゴーにとって、美は単独で存在するよりも、醜と対照されることで、より強く意識される。
フランスの中世を舞台とした『ノートルダム・ド・パリ』では、美女エスメラルダの横に醜いカジモドが配置され、そのコントラストが作品の美を生み出す。
その美は、決して古典主義が理想とする普遍的美ではなく、19世紀前半という時代に相応しい相対的な美と見なされる。


ただし、現実を再現するだけでは、美は生成しない。現実の素材を使いながら、理想化する必要がある。
言い換えれば、理想に達したいという強い欲求や憧れが、美の源になる。その上で、理想に到達できないという憂鬱、メランコリーが融合する時、ロマン主義的な美が発生する。

では、理想はどこにあるのか?
プラトニスムにおいて、現実を超えた超現実にイデア界が置かれた。イデア界へと人間を引き上げるエネルギーが愛(エロース)であり、その向かう先に美のイデアがあった。

19世紀前半、ルソーの影響の下、人間の内面に価値が置かれるようになると、イデア界が人間の内面に置かれるようになった。

ヴィクトル・ユゴーはこう言う。

詩の領域は果てしない。現実世界の下には、理想の世界がある。(中略)(『オード集』「序文」)

理想は現実の「下」にある!
それは、プラトンのイデアが、人間の肉体の内部=心に置かれたことを意味している。
その結果、心の表現である抒情詩が、叙事詩に代わり、美を表現する代表的なジャンルになる。

最初のロマン主義作品とも言えるラマルティーヌの「湖」で、「私」は昨年愛する人と訪れた湖に今年は一人で訪れる。そして、昨年の恍惚感(理想)がもはや存在しないという現実を前にして、否応なく湧き出してくる悲しみや喪失感を抒情的に表出する。

永遠よ、虚無よ、過去よ、暗い深淵よ、
お前たちが呑み込んでいくその日々を、どうしようというのか?
言ってくれ。あの崇高な忘我を、私たち二人にいつか返してくれるだろうか。
お前たちが私たちから奪っていくあの忘我を。

時間はどうしようもなく流れ去り、昨年の愛も忘我も二度と戻って来ない。そのようにして不在の過去がイデア界となり、昨年の愛は決して手の届かない理想となる。
それは取り戻そうとしても決して取り戻すことができない。それにもかかわらず、あるいは、それだからこそ、より強く、激しく、憧れる。
そうした心の動きが、メランコリックなロマン主義的抒情を生み出すメカニスムに他ならない。


同時代の現実を作品の対象とする動きと、到達不可能な理想を求めるメランコリックな憧れをポエジーの頂点に据える動きは、決して相反するものではなく、むしろ一つの時代精神の表と裏の関係にある。

バルザックは『人間喜劇』という総題の下、91編からなる長大な小説群によって、「戸籍簿と競争する」ようにして、19世紀前半のフランス社会に暮らす人々の生活情景を描き出そうとした。
そのために、現実社会のリアルな再現を目指したかのように見なされることもある。

しかし、そこで描き出される生活情景の根底にあるのは、「人間の持つ底知れない生のエネルギーが生を破壊するという逆説」に基づいた思想であり、恋愛、父性愛、知的探究心、発明欲、性欲、金銭に対する執着といった欲望の生み出す悲喜劇が、バルザック自身の異常なほどの創作欲によって生き生きと描き出されている。
その意味で、バルザックの目指したものは、目に見える世界を通して、目に見えない生のエネルギーを感じさせることであり、「人間の魂の戸籍簿」を記入することだったと言ってもいい。

社会と人間の内面の関係を考える時、もう一つの視点があることも忘れてはいけない。

産業革命の結果、とりわけ都市生活は近代化され、鉄道が都市間を考えられないほどのスピードで結び、夜はガス塔で灯された。人々は「進歩」を実感し、19世紀の半ばにはダーウィンの進化論が提出される。
そうした社会では、科学的証明が信じられ、実証主義が思想的な支柱になる。

そうした社会の傾向に反比例するかのように、内面の世界は根源的な欠如感を深めていく。
フランス革命後、人間の価値が血統から個人の能力に移行し、「私」という個人に焦点が当たるようになった。
人間の内面という場合にも、より正確に言えば、「私」の心の中に湧き上がる感情が、内面として表現される。
そして、その感情は、繁栄する社会を背景として、常に何かが足りないという欠如感、これまであったものが失われたという喪失感によって特徴付けられる。

19世紀初頭のシャトーブリアンから始まり、1830年代のアルフレッド・ミュッセによって定式化された「世紀病」は、まさにその感情にあたる。
「私」は、文明化する社会の現実と自己の存在との間に言い知れぬ違和感を感じ、自分でもはっきりとわからない何かを求める。その結果、今ここにあるものではなく、愛(エロース)に導かれながら、今ここにないもの(イデア)を求め、絶望感に苛まれる。
そして、それでもなお求め続けるところに、「自己(私)の高揚」が生まれる。

別の視点に立てば、「自己(私)の高揚」は、今ここ(都市)にいながら、ここにないものを希求する心の動きということになる。
ロマン主義時代に、「自然」の美が称揚され、「夢」「幻想(狂気)」「死」「神」「無限」「超自然」等といったテーマが取り上げられたのは、今ここにおいて「不在」であることによる。
しかも、それらは「私」の心の奥底に潜む、目に見えない存在として感じられる。
だからこそ、内心の吐露が、単なる打ち明け話ではなく、理想に対するメランコリックな憧憬となり、ロマン主義的な美を創造する働きをするのである。


以上のようなロマン主義の美学は、19世紀の後半になり大きく変化する。
その展開点に位置するのが、シャルル・ボードレール。
彼は、ロマン主義を引き継いだ上で、新しい美学への道を切り開いていった。


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