19世紀の時代精神 社会の中の「私」 2/2 新しい芸術観

19世紀前半のロマン主義は、ルネサンス以来のプラトニスム的芸術観を引き継いだものだと考えられるが、19世紀後半になると全く新しい芸術観が発生した。

その新しい芸術観の最も根源的な本質は、「作り出されたもの自体」に価値を置く、ということにつきる。

Vassily Kandinsky Sans titre

文学にしろ、絵画にしろ、現実の存在を前提とし、その現実を再現するのであれば、作品は現実のコピーにすぎないことになる。
それに対して、新しい芸術観の下では、作品は現実から自立したものと見なされる。描かれた絵画そのもの、書かれたテクストそのものが芸術の価値だと考えられる。

20世紀に入り、ピカソ、シュール・レアリスム、抽象芸術などが出現する。私たちは、そこに何が描かれているのか分からないことがしばしばあるが、しかし、美を見出すこともある。
そうした例を思い浮かべると、現実から自立した芸術がどのようなものか、理解できるだろう。

19世紀後半は、こうした新しい芸術観が誕生した時代。
ロマン主義から新しい芸術観への転換を私たちに教えてくれるのは、シャルル・ボードレールであり、ギュスターヴ・フロベールである。

ロマン主義からの転換 ボードレールとフロベール

ボードレールは、1846年に出版した美術批評で、次のようにロマン主義を定義する。

ロマン主義は、主題の選択の中にあるのではなく、正確な真実性の中にあるのでもなく、感じ方の中にこそある。
私にとって、ロマン主義とは、美に関する最も最近の、最も現代的な表現である。
美の数は、幸福を探求する通常の方法の数だけある。(原注:スタンダール)(中略)
ロマン主義と言えば、現代の芸術と言うことになる。——— つまり、内密性、精神性、色彩、無限への憧れ。それらは、様々な芸術が含むあらゆる方法によって表現される。
(「1846年のサロン」)

ボードレールはここで、ロマン主義芸術の二つの側面 —— 同時代の社会を素材とすること、人間の内面の表現 ——を前提にしながら、感じること=内密性、精神性などに力点を置いている。
そして、芸術が個人(「私」)の感情表現であるとすれば、そこで目指されるのは、「普遍的な美」ではなく、「相対的な美」だということになる。
ボードレールは、こうしたロマン主義的芸術観から出発した。

1857年、ボードレールは出版したばかりの『悪の華』を、フロベールに献呈した。
それに対して、フロベールは礼状の中で、「あなたはロマン主義を若返らせる方法を見つけたのです。」として、詩集を賞賛した。
その際、「若返らせる」という言葉は、過去のロマン主義を復活させるという意味ではなく、ロマン主義から出発しながら、新しい芸術観の第一歩を踏み出したという意味だと理解する必要がある。

フロベール自身、同じ1857年に出版した『ボヴァリー夫人』の中で、エンマ・ボヴァリーを、ロマン主義に憧れ、平凡な夫婦生活に満足できず、夫以外の男性との恋愛のために身を滅ぼす女性として描く。
それは、エンマのロマン主義的な傾向を揶揄し、ロマン主義を批判していると受け取ることも可能であるが、しかし、別の視点から見れば、「ロマン主義を若返らせる」方法を模索したと考えることもできる。

実際、フロベールが探求したのは、「何もないことに関する小説」だった。
何もないとは、小説の主題に大きな意味はないということを意味する。小説で重要なのは、現実の三文小説的な出来事、例えばエンマ・ボヴァリーの不倫ではなく、フロベールが紡ぎ出す言葉たちの織りなすテクストなのだ。

ボードレールも同様の思想に基づき、「1859年のサロン」では、想像力を中心とした芸術観を展開した。
彼はまず19世紀前半に発明された写真術や現実を写実すると主張するレアリスムを攻撃対象とし、現実を再現したのでは、作品は単なるコピーにすぎないと主張する。
現実は辞書と同じで、素材でしかない。辞書を再現しても芸術作品にならないように、現実を再現しても芸術にはならない。

想像力は、現実を「分析」し、その結果を「統合」する。
その能力は、現実を分解して、色彩、輪郭、音、香りの精神的な意味を教える。次に、それらの素材を用い、新しい世界を創造する。

こうした創造の過程は、「1846年のサロン」と共通しているが、1859年のボードレールが13年前とは違う点は、「新しさ」を強調することである。
現実を再現するのではなく、作品は現実から独立し、新しいものとなり、新しいという感覚を生み出すものである必要がある。
約10年の間のこうした意識の違いが、ロマン主義を含めたそれまでの芸術観と、ボードレールから始まる新しい時代の芸術観の根本的な違いとなる。

新しい芸術観に基づくボードレールは、新しい美を次のように定義する。

「美は常に奇妙なもの。」
「美は常に人を驚かせる。」

19世紀の後半には、「再現芸術」から「非再現芸術」への転換が行われ、作品が現実から自立し、作品そのものとして価値を持つ時代が到来したのだといえる。

新しい芸術に向かって

これまでの文学史や絵画史などを見ると、19世紀後半には、対照的な二つの大きな流れが対立するものとして提示されてきた。

一つは、現実を再現する方向。
写実主義や自然主義は、現実社会を忠実に描き、そこで展開される人間のドラマが主題となった。
絵画でいえば、ギュスターヴ・クールベ。
小説では、エミール・ゾラやモーパッサンの名前が挙げられる。
スタンダール、バルザック、フロベールが、その流派に入れられることも多い。
この方向は、しばしば感情過多のロマン主義に対する反動から生まれたものとして説明されてきた。

もう一つは、現実を離れ、理性では捕らえられない精神世界を探る方向。
しばしば象徴主義というカテゴリーに入れられ、ボードレールを始祖として、ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメなどの詩人が思い起こされる。
絵画では、ギュスターブ・モローやルドンなど。
ロマン主義の精神主義、神秘主義、超自然主義など理性では捕らえられないものを、象徴的に表現しようとする動きだと考えることもできる。

ちなみに音楽では、ロマン派の後に来る流派は後期ロマン派と呼ばれる。
後期ロマン派では、バッハ以来の西洋音楽が土台としてきた調性が崩れ、調性に変わる新しい響きを求め、ワグナー、サティ、ドビュシーなどが様々な試みを行った。
その動きは文学や絵画と対応しているが、象徴主義という呼称は使われなかった。

では、同じ時代に大きな流れとなった自然主義と象徴主義は、実際にはどのような関係にあるのだろうか?


象徴主義という用語は、ボードレールの「コレスポンダンス」に出てくる「象徴の森」に由来するとしばしば言われる。

自然は一つの神殿。生きた柱が、
時として、混乱した言葉を発する。
その中で、人間は象徴の森を通る。
彼を親しげに見つめる、あの森を。

人間と世界が応答(コレスポンダンス)し、人間の生命が外的な自然に伝えられる。自然が生命を持ち、人間はその中で、木々の立てる音を耳にし、何かの象徴を暗示する声として捉える。
理性では捉えられない万物照応の世界を詩人は通り抜け、その真実を象徴を通して伝えようとする。

マラルメの感性は、万物照応の世界を虚無と捉え、虚無の上に詩句を連ねた。

何もない、目に映る古い庭も、
この心を引き留めはしないだろう、心は海に浸るもの。
夜たちよ! 心を引き留めはしないだろう、私のランプの不毛な光も、
純白が防御する空白の紙の上の光も、
子どもに乳をやる若い女も。(「海の微風」)

何もないこと、不毛な光、純白、空白(空)の紙。虚無を思わせるこうした言葉は、マラルメの詩句が目に見える現実を再現することを目指しているのではなく、現実が実は無だと暗示している。
この点は非常にわかりにくいのだが、日本における無の思想を思い出し、無が全ての源であり、生命の根源となることを考えると、理解につながるかもしれない。

ランボーになると、現実を捉える視線は消滅し、言葉が完全に自立し、疾走し始める。
プラトニスムでは現実とイデアの区別は絶対的であり、時間から永遠へと向かうためには愛の秘儀とでも呼べる儀式が必要だった。
しかし、ランボーは何の苦労もなく、永遠に達する。

また見つかった!
何が? 永遠が。
それは、海。溶け合うのは、
   太陽。(「永遠」)

現実がどうとか、イデアがどうというのではなく、言葉だけがここにある。そして、言葉によって形作られる世界が今ここに生成する。
それがランボーの生み出そうとした、「新しいもの」「未知なるもの」に他ならない。


Degas L’Absinthe

こうした詩人たちに対して、写実主義や自然主義では、現実を忠実に再現する小説が書き続けられたように見えるかもしれない。
しかし、それは表層的な見方であり、より深い部分で両者は同じ世界観を分け持っていたのではないか?

機械論的、科学主義的な小説論と見なされる『実験小説論』によって自然主義の文学運動を主導したと言われる、エミール・ゾラの場合を考えてみよう。

19世紀後半、イポリット・テーヌは、オーギュスト・コントの実証主義を引き継ぎ、文化は人種・環境・時代の三条件で決定されると主張した。
同じ時代、生物学者クロード・ベルナールは『実験医学研究序説』の中で、全ての自然現象はある一定の物理・化学的条件の下で発生するのであり、その条件を変化させれば現象も変化させることができるという、「決定論」を展開した。

こうした時代精神を背景にして、ゾラは『実践小説論』の中で、遺伝と環境を実験的に設定し,その中で人間がどのように行動するかを科学的に叙述するという創作方法を提示した。
そして、「第二帝政下における一家族の自然的、社会的歴史」という副題を持つ『ルーゴン・マッカール双書』(全20巻)を通して、持って生まれた気質(遺伝)によって条件付けられた主人公たちが、社会の下層(環境)の中で、挫折を繰り返して悲劇的な結末に至る過程を描き出した。

『居酒屋』の「序文」において、ゾラは自分の意図を次のように説明している。

私は、パリの場末の劣悪な環境の中で、ある労働者一家の避けることのできない転落を描こうとした。酩酊と怠惰が引き起こす家族の解体、乱れた性道徳、誠実な感情がすぐに忘れられること、最後に来るのは汚辱と死。それが生きた教訓であり、それ以外のものではない。

実際、主人公たちは、向上しようとする意志を持ちながらも、生活の悲惨さを忘れようとしては酒に溺れて、身を持ち崩し,破滅していく。
そうした物語を辿っていくと、小説がいかにも『実験小説論』の応用であるかのように見えてくる。

しかし、もし決定論的な意識に貫かれた小説というだけに終われば、登場人物たちの個性が失われてしまう。型にはまった一般論が操り人形のように動くだけで、一人一人の人間の生命感を感じることはできない。

ゾラは、写実主義を代表するクールベの絵画を論じた美術批評の中で、人類の物理的、道徳的な完成を目指して、自然や我々自身を理想的な姿で再現しようとすれば、芸術家個人の価値が死んでしまうと主張した。
他方で、最も重要なのは「個人」であり、個人の表現する「独創性」が芸術の本質であると力説する。

私が原則として提示するのは、作品が生きるのは独創性のみによるということである。それぞれの作品の中に一人の人間を見なければならない。そうでなければ、作品は私にとって冷たいものに留まる。私は断固として人間全体を芸術家のために犠牲にする。芸術作品に関する私の定義は、次のように表現できるだろう。「一つの芸術作品は、一つの気質を通して見られた創造物の一画。」 後のことはどうでもいい。私は芸術家である。私の肉と私の血を、私の心と私の思考を、あなたに与える。(中略)
私たちは、私たちの肉と魂で様式と技術を作り出す。私たちは生命を愛する者であり、あなたに私たちの生存を少しだが分け与えている。(「プルードンとクールベ」)

この言葉から、ゾラが考える芸術とは、「生命」を表現することだということが理解できる。
そうするためには、作品そのものに命を与える必要がある。その時、「新しい世界」が生まれる。

描くべき物や人は口実にすぎない。天才とは、そうした物や人を、新しい意味、より真実であったり、より偉大だったりする新しい意味の中で表現することにある。私に関して言えば、私を感動させるのは、再現された木や顔や場面ではない。それは、作品の中に見出す人間であり、力強い個人なのだ。神の世界の傍らに自己の世界を作り出すことができた個人なのだ。私の目はその世界を今後も忘れることはなく、至るところにその世界を見出すことになるだろう。(「プルードンとクールベ」)

「世界を見出す」とは、現実世界を絵画や小説の中で再び見出すことではなく、芸術家(天才)が現実を素材に使い、彼の気質に従って創造した世界を発見することを意味する。
遺伝や環境によって決定されるのは人間の枠組みでしかなく、それによって形は作られる。大切なことは、そうして作られた形に生命を吹き込むこと。それが芸術の本質なのだ。


こうした芸術観を持つエミール・ゾラは決してマラルメやランボーと対立するわけではなく、むしろ同じ方向を向いていると言えないだろうか。
そして、彼らは19世紀後半に出来上がりつつあった時代精神を先取りしていると考えることもできる。

その時代精神とは、哲学者アンリ・ベルクソンの「持続」によって代表される。

ベルクソンによれば、時計で計測する「時間」とは、実は空間的な認識に則り、本来分割できないはずのものを分節化することによって考え出された抽象的な存在。
それに対して、時計で計ることができず、人間が実感している意識の流れを「持続」と呼んだ。

具体的に言えば、同じ1時間でも、楽しい時にはあっという間に感じ、退屈な時にはひどく長く感じられる。その感じこそが「持続」であり、別の言い方をすれば「内的な時間」、人間の「生の流れ」でもある。

「時間」と「持続」の対比は、「意識」と「無意識」の対比と並行関係にあると考えることもできる。
「無意識」という言葉は、ドイツの哲学者エドゥアルト・フォン・ハルトマンの『無意識の哲学』(1869)を通して、フランスでもしばしば使われるようになった。
そして、「無意識」を「意識」の上位に置く思想は、フロイトの精神分析学によって、20前半になると決定的な重要性を持つようになる。

19世紀後半の芸術家達は、象徴主義であろうと、自然主義であろうと、あるいは絵画の印象派であろうと、現実の再現に基礎を置く二元論的な芸術観を廃止し、「持続」や「無意識」として捉えられる生の流れを表現しようとしたのではないか。

その時には、これまでの世界の姿とは違う、新しい姿が作り出される。そして、その世界は、意識が捉える現実の再現ではなく、その世界そのものが「新たな現実」となる。
その「新たな現実」においては、描かれた絵画そのもの、書かれたテクストそのものが、芸術の価値になる。


19世紀後半の芸術家たちは、しばしば19世紀前半のロマン主義的な芸術観を一旦は引き継ぎ、そこから新たな芸術の創造への歩みを進めていった。

そうした視点で19世紀全体を見渡しながら、個々の作家の作品を読んでいくことで、私たちの主観によって作品を恣意的に解釈するのではなく、時代に即した理解が可能になるだろう。

もう一つ、大切な点がある。
私たちの常識的な認識は常に変わることなく、現実世界を三次元の空間として認識し、時間は時計によって規則的に規定される。
そうした時空間の認識は21世紀の現代でも続いていて、芸術に関しても、現実の再現を基本にしているものもある。肖像画を見て、モデルになった人に「似ている!」と感嘆の声を上げることがあるのは、その一つの実例である。
逆の視点から言えば、前衛芸術の方は、今でも何を描いているのか分からないと言われたり、理解が難しいとされる。

そのように考えると、19世紀後半に誕生した新しい世界観・芸術観がそれ以前のものに完全に取って代わったわけではなく、両者が並行して現在まで続いていることがわかる。

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