
19世紀を代表する文学者、あるいはフランス文学を代表する作家は誰か? その問いをフランス人に投げかけると、多くの人は「ヴィクトル・ユゴー」と答えるだろう。
ヴィクトル・ユゴーは1802年に生まれ、1885年に死を迎えるまで、19世紀のほぼ全ての時代を生き抜いた。
しかも、20歳の頃にロマン主義運動の先頭に立って以来、詩、演劇、小説、評論、旅行記、日記、さらに絵画や政治に至るまで、多角的な活動を続けた。
83歳で死亡した時には国葬が行われ、凱旋門からパンテオンに続く沿道には200万の人々が詰めかけるほどの人気を博した。
21世紀、彼の作品の中では、『レ・ミゼラブル』と『ノートルダム・ド・パリ』という二つの小説が演劇、ミュージカル、アニメーションなどで頻繁に取り上げられ、世界中で絶大な人気を博している。
日本では、明治35-36年(1902-1903)に、『レ・ミゼラブル』が『噫無情(ああむじょう)』という題名で翻案され、さらに銀の燭台のエピソードが教科書に取り上げられるなどして、ジャン・ヴァルジャンの名前とともに、ヴィクトル・ユゴーの名前が広く知られるようになった。
他方、フランスにおいては、現在でもユゴーは詩人としての認知度が高い。
実際、詩人としての天分に恵まれ、インスピレーションだけではなく、テクニックの面でも、圧倒的な力を発揮した。
フランスのロマン主義に関して、絵画におけるドラクロワの存在が、文学においてはヴィクトル・ユゴーにあたると言ってもいいだろう。

そうしたユゴーの膨大な作品群を貫く一つの核を探り出すのは困難だが、ユゴー自身がカスケ諸島の灯台を描いた1枚の絵画が、彼の精神性を最も端的に象徴しているのではないか、と考えてみたい。
画面の中央には一本の長い階段が位置し、下から上へと伸びている。
灯台の下は暗い闇に包まれ、右手の海上にでは一艘の船が帆を傾け、今にも沈みそうな様子をしている。
上方には格子のはまった窓があり、その回りには雲が立ちこめている。その全体が暗いが、しかし、窓の回りは明るい光で照らされている。
階段自体も全体的には闇に包まれているが、しかし、中央の部分は明るく見え、窓から光が差し込んでいる様子が窺われる。
この光景は、カスケ諸島にある三つの灯台の一つを描いたものとして、現実に則したものといえるかもしれない。
Les Trois phares des Casquets Phare des Casquets, Aurigny
しかし、それ以上に、ユゴーの想像力が力強く働き、海上の闇から窓の光へと上昇する精神の動きが強く感じられる。
闇と光の葛藤、その混沌の中を上昇する精神性、それこそが、膨大なユゴーの作品世界の根底で鳴り響く通奏低音ではないだろうか。
ロマン主義の先導者
ヴィクトル・ユゴーは、1802年、ブザンソンで生まれた。父は共和派の思想を持ちったナポレオン軍に軍人で、母は王党派の支持者。三男として生まれたヴィクトルの子ども時代は、父への反発と母への愛で特徴付けられ、軍人にしたいという父親の希望とは反対に、詩作に熱中した。
14歳の頃には当時最高の文学者と目されていたシャトーブリアンを目指し、17歳になると、トゥルーズのアカデミーが主催した詩のコンテストで「黄金の百合賞」を獲得したりする。
その後も次々に各種の賞を獲得し、1819年に二人の兄と共同で王党派を支持する雑誌を立ち上げる。1821年には最初の詩集『オード集』を出版し、19歳にして詩人としての評価を得るようになっていた。
1820年、ロマン主義の抒情性を強く打ち出したラマルティーヌの『瞑想詩集』が出版され、17世紀から続く古典主義文学とは異なる「新しい文学」の可能性が示された。
「新しい文学」の大きな要素は、「文学は社会の表現である。」(ボナルト)という言葉が表すように、一つの時代にはその時代に相応しい文学表現を求めることだった。
文学においても、いつの時代でも美しいと見なされる「普遍的な美」ではなく、それぞれの時代には「相対で個別的な美」を追求する動きが出てくる。
神話や古代の歴史上の人物を通して人間の普遍的な精神を描くのではなく、18世紀の文学者・思想家ジャン・ジャック・ルソーに続き、「私」という個人の「内面」に渦巻く感情が、詩情を生み出す源泉になった。つまり、偉人の叙事を語るのではなく、私の「抒情」を歌うことが、詩の中心的な課題となる。
叙事詩から抒情詩へと詩の中心が変化するのは、ロマン主義の時代だった。
ロマン主義が古典主義と争う中で重要になるのは、「私の内面」に、政治的、社会的な出来事と同じか、あるいはそれ以上の価値をいかにして見出すかという問題。
別の観点からすると、「現実」よりも「想像力」に価値を置くことができるのか?という問いかけ。
その問いに対して、ユゴーなら次のように答えるだろう。
詩の分野に限界はない。現実世界の下には理想の世界がある。理想世界は、真剣な瞑想をする中で、事物に事物以上のものを見ることに慣れた人々に目には、光輝いて見える。(中略) 詩は、全ての中で最も内的なものである。
(1822年の『オード集』の序文)
「現実世界の下には理想の世界がある。」
この言葉が、ロマン主義の価値観を示す上で、決定的な重要性を持つ。
プラトンによれば、地上には時間が流れ、どんなに堅固だと思われるものも、全て時間の経過と共に失われてしまう。そうした空しい現実に対して、永遠に続く存在をイデアとし、イデアの存在する場所を天上とした。
そして、イデア界=理想の世界こそが真実であり、人間が現実だと思っている世界はイデアの写し(コピー)にすぎず、真実ではないのに真実だと人を信じさせる偽りのものだと主張した。
ユゴーは、その上下関係を逆転し、イデア界を現実に下に据える。
そのことを人間の次元に置き直すと、目に見え、手で触れることができる現実とは肉体を指し、目に見えない真実の世界は肉体という物質の下に隠された「内面=心」だと考えられる。
内面の世界は、客観的な観察によって見るのではなく、目を閉じて瞑想する中で感じられてくる。その時、事物が事物として見えるだけではなく、「事物以上のもの」として見えてくる。
心の目で見ることに慣れた人間には、「事物以上のもの」の世界は光り輝いて見える。
詩とはその世界を描くものであり、従って、「詩は全ての中で最も内的なものである。」という結論に達する。
「内的」という言葉は、ユゴーがイデア界を心の中に置いたことを示している。
ロマン主義の中心的なテーマとして、「自己の高揚」が挙げられるが、それは、人間にとっての真実が、イデアという一般的な存在ではなく、「私の心」という個別的な存在へと移行したことの証である。
「自然」「地方色」は、私の住む都市(ここ)との関係で、「ここにないもの=目に見えないもの=事物以上のもの」を求めることに由来する。
「夢」「狂気」「薬物による妄想」なども、「現実」を超えたものとして捉えられる。
そして、「事物に事物以上のものを見ること」は「想像力」の働きであり、現実の束縛を脱するために、「自由」が何よりも重視される。
このように見てくると、ロマン主義のテーマと見なされるこれらの項目の起源には、イデア界を現実の下に位置させるユゴーの思考が横たわっていることがわかるだろう。
(ユゴーが主張した結果というのではなく、変化しつつあった時代精神をユゴーが見事に言語化したと考えるべきだろう。)
詩集『秋の木の葉』に収められた「夢想の坂道」でも、現実世界から目に見えない世界への二元論が語られる。
(前略)感知できない坂道が、
現実世界から目に見えない空間へと向かう。
(中略)
私の精神は、見知らぬ波の間に沈んだ。
深淵の底で、精神は泳いだ。ただ一人、裸で。
常に、言葉にできないものが、目に見えないものへと向かっていく・・・
突然、私の精神は、恐ろしい叫び声を上げ、戻ってくる、
目が眩み、あえぎ、何も理解できず、恐れた様子をして。
なぜというに、深淵の中で、永遠を見たのだった。
芸術家の仕事は、孤独な精神が深淵の中で出会った「永遠」を、言葉で、映像で、音楽で、再創造することだといえる。
現実に美しいものは数多くある。しかし、プラトンが言うように、現実は空しい。
見ればうっとりとする物から、遠くに留まろう。
虹は蒸気。雲は煙。
理想は、現実に触れると、粉々になってしまう。(「友L. B. とS.-B.へ」)
真実の世界は現実世界の下にある。
それは、現実主義的な目からすれば幻にしか見えない世界でしかない。しかし、それこそが、芸術家が夢想し、想像力を自由に働かせることで生まれる世界、そして「現実世界の下にある世界」なのだ。
その幻を保っておこう。幻はすぐに逃げ去ってしまうから。
人はそれぞれ、心の中に、自分の空想のままに、
芸術とポエジーの、魔法にかかった世界を作り出す。(「友L. B. とS.-B.へ」)
「心の中に作り出す幻」とは、決して、現実とかけはなれた荒唐無稽な映像ばかりではない。
「幻」と呼ばれるのは、それが「目に見えないもの」「今ここにないもの」であり、それだからこそ、強い「憧れ」を心の中に掻き立てる動力になる。
例えば、幸福だった時の思い出、別世界と思われる美しい自然、過去がそのまま保たれているような田舎の風景、そして過去のある時代。
詩、演劇、小説と異なるジャンルであろうと、ユゴーが創造する「魔法にかかった世界」は、すべて、夢想の坂道を下った先にある「目に見えない空間」に他ならない。
その「芸術とポエジーの世界」がどのようなものかは、ユゴーによるロマン主義演劇(ドラマ)の定義を通して知ることができる。
A. 対立するものの共存
古典主義においては、基準となる美があり、その範疇にあるものだけが美とされた。
それに対して、ユゴーは、美は醜と共存することで、美となると考えた。
『ノートルダム・ド・パリ』のカジモドとエスメラルダを思い起こすと、ユゴーの考える美の概念が理解できるだろう。決して美女エスメラルダだけで美が完成するわけではなく、カジモドの存在も含めて、ノートルダム大聖堂の美が理想の美となる。
ロマン主義宣言とも言える『クロムエル』の「序文」の中では、新しい時代の演劇(ドラマ)は、キリスト教の影響の下、人間を二元論的に捉え、描くことが必要であると説く。
人間は運命と同様に二重の存在であり、人間には獣性と知性、魂と肉体が共存する。(中略) 全ての被造物において、美しいものの横に醜いものが、優美なもののそばにいびつな形のものが、崇高なものの裏側にグロテスクなものが、善とともに悪が、光とともに闇が存在することを、詩は感じ取ることになる。
B. 光への渇望

人間は二重の存在であり、魂と肉体、善と悪、崇高とグロテスクの共存を感じさせることが詩人(創造者)の役割だとすると、生み出された世界は常に対立する原理の戦いの場となる。
実際、『ノートルダム・ド・パリ』にしても、『レ・ミゼラブル』にしても、そこに描き出される社会は混沌とし、主人公たちは運命に翻弄され、崇高さよりもグロテスクが支配的なように見える。
そうした中で、ユゴーは、闇の彼方にあるはずの光に向かう力を、作品の根底に据えている。
人間は闇の中に留まりながらも、光を希求する。
プラトンにおいてイデア界に人間を羽ばたかせるのが「愛」だったように、ユゴーの作品世界でも、「愛」が光へと人を導く。

その愛が個人的な次元に留まる時には、恋愛として表現される。カジモドがエスメラルダに向けた愛のように。
それは、詩における抒情の源でもある。
愛が人類に対して向けられる時には、「博愛」あるいは「人道主義」として表現される。ジャン・バルジャンは個人的な恋愛感情ではなく、博愛主義を体言する人物だといえる。
作家として、政治家として、ヴィクトル・ユゴーは死刑制度の廃止を訴え続けた。初期の小説『死刑囚最後の日』は、彼のそうした思想を明確に表している。
ユゴーの世界は二元論に基づき、その中には、光へと向かう目に見えない階段が存在している。
カスケ諸島の灯台を描いた1枚は、そうしたユゴーの世界を最も端的に表現しているといっていいだろう。
「理想のは現実世界と下にある」とした時にユゴーが意図したことは、プラトン的なイデアを天上から人間の内面=心の中に置くことにあった。その一方で、「光」と「闇」という具体的なイメージを描く場合には、「光」は通常のように「闇」の上に置かれる。
その結果、光へと向かう階段は上昇するものと見なされ、ヴィクトル・ユゴーは人類や文明の「進歩」を信じ、「悪」も最終的には「善」へと向かうことを信じた、と考えることができる。
堕天使の昇天
ユゴーの死後出版された詩集に、『サタンの終わり』がある。
人類の壮大な歴史を描いた『諸世紀の伝説』と同じ1850年代に執筆されたが、未完のまま残され、ユゴーの生前には出版されなかった。
キリスト教において、世界は神が創造したものであると考えるため、悪の存在を説明するのが難しい。神が悪を作ることはありえない、というのがその理由。
では、悪魔をどのように説明するのか?

悪魔はサタンの他に、ルシフェルとも呼ばれる。その名称は、語源的には、「リュシ」=「光」、「フェル」=「持つ、運ぶ」から成り、「光を持つ者」を意味する。
従って、ルシフェルとは本来は光の存在だった。
しかし、神に反逆したために罰せられ、天界を追放され、地上で「堕天使」として悪を働くようになったとされる。
(ちなみに、ジブリアニメの「ハウルの動く城」に出てくるカルシファーは、火の悪魔であり、ルシフェール的な存在である。)
そこで、悪魔、サタン、ルシフェルには、善と悪、光と闇という対立する要素が共存すると考えることができる。
そして、その二重性が人間の本質でもあるとユゴーが考えていることから、『サタンの終わり』とは、地上を生きる人間のドラマであることがわかる。
堕天使サタンは、神の怒りにふれ、宇宙の無限の闇を落下する。その墜落に対応して、地上では女神リリス=イシスによって悪が広まる。
鉄は剣になり、カインがアベルを殺害する道具になる。
木はキリストを磔にする十字架になる。
石はバスティーユ監獄になる。
そうした諸悪を描いたまま未完に終わった詩集ではあるが、結末と思われる原稿が残されていて、そこで神は最後にサタンが天国に戻ることを宣言する。
堕天使が天上に回帰するその結末は、愛によって光源に向かい上昇しようとするヴィクトル・ユゴーの強い望みの表現に相応しい。
善と悪を合わせ持つ人間が、地上において葛藤を繰り返しながら光を求める姿こそが、崇高でもありグロテスクでもある人間のドラマだといえる。
『ノートルダム・ド・パリ』も『レ・ミゼラブル』も、最も大きな展望で捉えると、「堕天使の昇天」の構図に基づいている。
カジモドの外見は醜く、グロテスクそのもの。その一方で、心はエスメラルダを純粋に愛する気持ちで満たされている。
彼はエスメラルダから愛されることはないが、しかし最後まで愛し続ける。彼女が無実の罪で絞首刑になるのをノートルダム大聖堂の上から眺めた時には、彼女の死を招いた司教補佐フロロを塔から突き落とす。
もしそれが結末だとしたら、カジモドが光に向かい昇天したと言うことはできない。
しかし、『ノートルダム・ド・パリ』は、エスメラルダの処刑の約2年後、死刑になった人々を葬る場所にある二つの骸骨を見つけるところで終わる。

(前略)おぞましい死骸の間に、一方が他方を奇妙な様子で抱擁している二つの骸骨が見える。骸骨の一つは女性で、かつては白かったと思われる服の切れ端のようなものが付いていた。首のまわりにはアドレザラの種でできたネックレスをし、小さな袋を手にしている。緑色の鍵が付いているが、口が開いたままで空っぽになっている。それらは安物で、死刑執行人さえ欲しいと思わないものだった。もう一つの骸骨は、背骨が曲がり、頭は肩甲骨にのめり込み、一方の足が他方の足よりも短かった。脊椎骨の外れた痕跡が首になく、縛り首になったのでないことは明かだった。その骸骨が属していた人間がやって来て、そこで死んだのだった。抱擁している骸骨から引き離そうとした時、それは粉々になってしまった。
女性の骸骨は絞首刑にされたエスメラルダのもので、もう一つはカジモドのものであることは、描写によって明らかに示されている。
その中で、一方が他方を「抱擁する」という言葉が二度使われ、死後の世界でカジモドの思いが遂げられたことが告げられている。
抱擁を引き離そうとすると骸骨が粉々になってしまったという最後の一文は、カジモドの肉体が重力を失い、魂がこの世を離れて昇天していく象徴と考えることができる。

『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンは、人間不信と憎悪を生きた後、ミュリエル司教の善意によって回心し、人間愛に溢れた人物へと変身する。
彼の周りには、不幸なファンティーヌやコゼットといった善に属する人間たちと、彼をどこまでも追い詰めるジャヴェール警視、テナルディエ一家、犯罪者集団など、悪に属する人間たちがうごめいている。
こうした「レ・ミゼラブル=哀れな人間たち」の織りなす社会もまた、善と悪が交差する人間ドラマの世界である。
そうした中で、ジャン・ヴァルジャンは、徒刑囚から人類愛を体現する人間へと変化し、ある意味ではキリストのような存在になる。
カジモドが個人の愛の体現者だとすると、ジャン・ヴァルジャンは人道主義の体現者と見なすこともできる。
こうした視点からは、二つの小説とも、ユゴーが提示した新しい文学、つまりロマン主義文学の根本的なコンセプトに基づいていると考えられる。
グロテスクと崇高が混在する人間、その根底には光へと向かう熱望が潜んでいる。

ヴィクトル・ユゴーの気質は、平行に広がるのではなく、垂直に上昇する方向に働く。そのことは、彼が「垂直な旅行」 を好むことにも示される。
ライン川に沿ったストラスブールを旅行した際、彼は、当時の旅行ガイドに、ローマのサン・ピエール教会のドームよりも数メートル高いと記されている大聖堂を最初に目指した。
大聖堂の上から、下界を見降ろす。そこからの光景は素晴らしい。足元に見えるストラスブールの古い街並、その間を流れるイル川とローヌ川。彼方には広大な田園風景が広がり、ライン川が蛇行して流れている。
塔を回っていけば、北には黒森、西にはヴォージュ山脈、南にはアルプスが見えてくる。
ユゴーにとって、この光景は「命を持った地図」であり、そこでは、靄や煙、影、光、水や葉の揺らぎ、雲、雨、陽の光を感じ取ることができる。
この垂直な旅行の発散する恍惚感が、ヴィクトル・ユゴーという作家の本質をはっきりと示している。
彼は、カスケ諸島の灯台の階段を一歩一歩上り、光の窓へと飛翔することを希求し続ける生涯を貫いたのだった。
そうした気質を持ったユゴーの膨大な作品群は、想像力が自由に働いて「心の中に作り出す幻」であり、理想の世界への希求が生み出す恍惚感を発散している。
ユゴーの作品
『エルナニ』稲垣直樹訳、岩波文庫
『死刑囚最後の日』小倉孝誠訳、光文社古典新訳文庫。
『ライン幻想紀行』榊原晃三編訳、岩波文庫。
『ノートルダム・ド・パリ』辻昶、松下和則訳、岩波文庫。
『レ・ミゼラブル』永山篤一訳、角川文庫。
参考
辻昶『ヴィクトル・ユゴー』清水書院。
アンドレ・モロワ『ヴィクトール・ユゴーの生涯』 辻昶・横山正二訳、新潮社。
稲垣直樹『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』水声社。
小倉孝誠編『十九世紀フランス文学を学ぶ人のために』世界思想社。