コロナの流行以来、フランスでも、専門家ではない人々が、メディアで、「私は医師ではないけれど、しかし・・・。」と言いながら、自分の意見を大きな声で主張する傾向がしばしば見られる。
そうした現象をフランス語では、Ultracrépidarianismeと言うらしい。
ces experts autoproclamés du Covid portent un nom
« Je ne suis pas médecin, mais… » : cette phrase, on l’entend partout à longueur de journée depuis le début de la pandémie. Sur les chaînes d’infos, les réseaux sociaux, au travail et même en famille. En revanche, le phénomène semble avoir fait son temps dans les discours politiques.
En 2020, au tout début de la pandémie, chacun y allait de son avis, avec plus ou moins de succès. C’est peut-être ça qui les a poussés à à l’humilité.
Ultracrépidarianismeとは、話題になっていることについて、信頼に足る知識がないにもかかわらず、自分の意見を主張する態度のことと定義されている。
Ultracrépidarianismeの語源となるのは、ラテン語の« Sūtor, nē supra crepidam (靴屋よ、お前のサンダルを超えてはいけない)»。
専門的知識がなく、確かではないことに関して、思いつきで判断を下さないようにと警告するために使用される言葉だった。

この言葉は、プリニウスが『博物誌』の中で語ったエピソードから来ている。
古代ギリシアの時代、一人の靴屋(sūtor)が高名な画家アペレスに向かって、画家が描いたサンダル(crepida)には間違いがあると言った。そこで、アペレスはその指摘に従い、間違っているところをすぐに習性した。そのことに勇気づけられた靴屋は、その絵の中で彼が間違っていると思うことについて、次々に指摘し始めた。それに対して、画家は、「サンダルより上のことに関しては、意見を言うべきではない。」と諭した。
現代社会の中で、このエピソードはどのように受け取られるだろうか?
どんなことについても、誰もが意見を言う自由があると考える人々もいる。素人の意見でも貴重な発見があるかもしれないという考えもある。
その一方で、聞きかじっただけの考えを、公共の場所で強く発言することに、違和感を持つ人々もいるだろう。
専門知識のbanalisationという問題も同時期に出てきましたね。
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