ボードレール 人工楽園 Baudelaire Paradis artificiels 主観と客観の一体化

ボードレールの『人工楽園』は、人を酔わせる物質、ワイン、ハシッシュ、アヘンによる幻覚作用が心身に及ぼす効果について詳細に描いているのだが、その中心にあるには、「私」という主体が、対象となる客体と一体化する経験だといえる。

私たちでも、ある機会に何かに没頭して、我を忘れる時がある。その時には、「私」が何かをしているという意識もないし、対象となるものに対する意識もない。それは忘我の状態であり、時間意識も空間意識もなく、その状態が終わった後で、夢中になっていたとか、あっという間だったとか思い返し、最高に幸せな体験として感じることになる。

酒や麻薬は、忘我とはいえないが、意識が飛んで自分を失った状態を、物質によって人工的に作り出す可能性がある。ボードレールにとっての最高の手段は「詩(ポエジー)」であるが、薬物の作用を分析することは、最高の「酔い」である「恍惚(エクスターズ)」を理解する助けだったと考えていいだろう。

「私」と「客体」が一つになると感じられる体験に関して、『人工楽園』の中では、二つの箇所で触れられている。

1851年「ワインとハシッシュについて」

Les hallucinations commencent. Les objets extérieurs prennent des apparences monstrueuses. Ils se révèlent à vous sous des formes inconnues jusque-là. Puis ils se déforment et enfin entrent dans votre être, ou bien vous entrez en eux. Les équivoques les plus singulières, les transpositions d’idées les plus inexplicables ont lieu. Les sons ont une couleur, les couleurs ont une musique. Les notes musicales sont des nombres, et vous résolvez avec rapidité effrayante de prodigieux calculs d’arithmétique à mesure que la musique se déroule dans votre oreille. Vous êtes assis et vous fumez ; vous croyez être dans votre pipe, et c’est vous que votre pipe fume ; c’est vous qui vous exhalez sous la forme de nuages bleuâtres.

幻覚が始まる。外部の物質が奇怪な外観をまとう。今まで知られていない形で、あなたの目の前に姿を現す。デフォルメし、最後には、あなたの中に入ってくる。あるいは、あなたがそれらの中に入っていく。この上もなく奇妙な曖昧さ、全く説明不可能な思考の入れ替わりが起こる。音が色を持つ。色が音楽を持つ。音符は数であり、音楽が耳の中で展開するにつれ、あなたは恐るべきスピードで驚異的な算術の計算をする。あなたは座り、ハシッシュを吸う。あなたはパイプの中にいると思っている。あなたを吸っているのがパイプなのだ。青っぽい煙となって吐き出されるのが、あなたなのだ。

創造に関して、ボードレールは、ある物が何もないところから生まれるのではなく、想像力(イマジネーション)が現実に存在するものを変形し、それまでとは違ったものを生み出すと考える。
幻覚の場合も、まず最初にある物があり、それが「奇怪な外観(apparences monstrueuses)」をまとい、「未知の姿(formes inconnues)」に変形する。
ここまでは誰でも理解できる。

重要なのは、それに続く部分。
幻覚を見ている時、ボードレールによれば、「見ている主体(あなた)」と「見られている客体」の堺がなくなり、一つに混ざり合うのだという。
別の言葉で言えば、心の中の精神世界と外部にある物質世界の区別が「曖昧( équivoque)」になり、「入れ替わる(transpositions)」ようになる。
何もないところに幻覚を見るわけではない。客観的に見れば物は存在している。その上で、見ている人にしかわからない特別な物として見える。完全な主観でも、科学的な客観でもない世界像がそこにはある。

ハシッシュがもたらすそうした幻覚の中では、視覚や聴覚は独立して働くのではなく、超感覚的に連動するのだと、ボードレールは主張する。
色と音が対応し、音楽と数学が連動する。(数学に関しては、ピタゴラスを思い出すとわかりやすい。)

さらに一歩進むと、パイプを吸っている「私」は、パイプに吸われる存在であり、煙になって吐き出されることになる。
ここでは、「自」と「他」の区別はなくなり、「私」と「世界」が一体化した状態だといえる。

こうした状態は、私たちが何かに熱中して時間を忘れているような時には誰もが経験しているのだが、しかしそれを意識するのは常に事後のことであり、その最中に何が起こっているのか説明することは難しい。
そのことは1851年のボードレールにも当てはまり、幻覚時の「心理的な働き(faculté psychologique)」を言葉で説明することは難しいとしている。

1860年 ハシッシュの詩

1860年になると、ボードレールは、自他の一体化した状態を詩的創造の原理であると明確に認識し、そこに新しい世界を見出すようになる。

C’est en effet à cette période de l’ivresse que se manifeste une finesse nouvelle, une acuité supérieure dans tous les sens. L’odorat, la vue, l’ouïe, le toucher participent également à ce progrès. Les yeux visent l’infini. L’oreille perçoit des sons presque insaisissables au milieu du plus vaste tumulte. C’est alors que commencent les hallucinations. Les objets extérieurs prennent lentement, successivement, des apparences singulières ; ils se déforment et se transforment. Puis arrivent les équivoques, les méprises et les transpositions d’idées. Les sons se revêtent de couleurs, et les couleurs contiennent une musique. Cela, dira-t-on, n’a rien que de fort naturel, et tout cerveau poétique, dans son état sain et normal, conçoit facilement ces analogies. Mais j’ai déjà averti le lecteur qu’il n’y avait rien de positivement surnaturel dans l’ivresse du haschisch ; seulement, ces analogies revêtent alors une vivacité inaccoutumée ; elles pénètrent, elles envahissent, elles accablent l’esprit de leur caractère despotique. Les notes musicales deviennent des nombres, et si votre esprit est doué de quelque aptitude mathématique, la mélodie, l’harmonie écoutée, tout en gardant son caractère voluptueux et sensuel, se transforme en une vaste opération arithmétique, où les nombres engendrent les nombres, et dont vous suivez les phases et la génération avec une facilité inexplicable et une agilité égale à celle de l’exécutant.

実際、陶酔のこの期間に、全ての感覚において、鋭さが高度に達し、新しい繊細さが明確になる。臭覚、視覚、聴覚、触覚が、同じようにその進展に加わる。目は、無限を見つめる。耳は、この上もなく大きな騒音の中で、ほとんど聞こえない音に気づく。幻覚が始まるのはその時だ。外部の物質が、ゆっくりと、継続的に、独特の外観をまとうようになる。デフォルメし、形を変える。次に、曖昧さ、誤認、思考の入れ替わりが起こる。音が色をまとい、色が音楽を含むようになる。そうしたことはごく自然なことでしかない、と言われるもしれない。詩的な頭脳であれば、健康で正常な状態において、そうした類似(アナロジー)を容易に思いつく。すでに読者に予告したように、ハシッシュによる陶酔において、本当に超自然だといえるものは何も存在していない。単に、その時には、そうした類似が普通とは違う活気を帯びるだけだ。それらの類似が精神の中に入り込み、占領し、高圧的な性質で精神を圧倒する。音符が数になる。あなたの精神に数学的な能力が備わっているのであれば、メロディーや、聞こえてきたハーモニーが、官能的で肉感的な性質を保ちながらも、巨大な算術の操作に変形する。そこでは、数が数を生み出す。そして、あなたは、ひどく簡単に、演奏者と同様の敏捷性を持って、算術の諸行程や段階に従っていく。

ここでは、1851年にすでに行った考察とほぼ同じ論が展開されている。違いがあるとしたら、「詩的な頭脳(cerveau poétique)」に言及され、幻覚の解明が詩の創造と関係することがはっきりと示されていることである。

ボードレールは、麻薬による幻覚状態は詩人にとってはノーマルな状態だと明記する。
その状態では、それぞれの感覚が明確に分離しているのではなく、互いに影響し合い、例えば、ある音を聞くとある色が生み出される。五感が連動する状態であり、ボードレールはそうした状態を「コレスポンダンス(万物照応」という詩の中で見事に表現した。

Comme de longs échos qui de loin se confondent
Dans une ténébreuse et profonde unité,
Vaste comme la nuit et comme la clarté,
Les parfums, les couleurs et les sons se répondent.

長いこだまが遠くで溶け合うように、
夜のように、光のように、広大な
暗く深い一つのもの(unité)の中で、
香りと色と音が応え合う。
https://bohemegalante.com/2019/02/25/baudelaire-correspondances/

五感の対応と同様に重要な点は、それが「算術(arithmétique)」と連動すること。
そのことは、ボードレールにとって、詩が、霊感(インスピレーション)によって吹き込まれるものではなく、数学的な厳密さを持って構成されることを示している。

ハーモニーを構成する一つ一つの音は「官能的で肉感的(voluptueux et sensuel)」であり続けるが、それらの音の連鎖は厳密に構成されなければならない。

続く一節では、幻覚状態が別の視点から考察される。

Il arrive quelquefois que la personnalité disparaît et que l’objectivité, qui est le propre des poètes panthéistes, se développe en vous si anormalement, que la contemplation des objets extérieurs vous fait oublier votre propre existence, et que vous vous confondez bientôt avec eux. Votre œil se fixe sur un arbre harmonieux courbé par le vent ; dans quelques secondes, ce qui ne serait dans le cerveau d’un poète qu’une comparaison fort naturelle deviendra dans le vôtre une réalité. Vous prêtez d’abord à l’arbre vos passions, votre désir ou votre mélancolie ; ses gémissements et ses oscillations deviennent les vôtres, et bientôt vous êtes l’arbre. De même, l’oiseau qui plane au fond de l’azur représente d’abord l’immortelle envie de planer au-dessus des choses humaines ; mais déjà vous êtes l’oiseau lui-même. Je vous suppose assis et fumant. Votre attention se reposera un peu trop longtemps sur les nuages bleuâtres qui s’exhalent de votre pipe. L’idée d’une évaporation, lente, successive, éternelle, s’emparera de votre esprit, et vous appliquerez bientôt cette idée à vos propres pensées, à votre matière pensante. Par une équivoque singulière, par une espèce de transposition ou de quiproquo intellectuel, vous vous sentirez vous évaporant, et vous attribuerez à votre pipe (dans laquelle vous vous sentez accroupi et ramassé comme le tabac) l’étrange faculté de vous fumer.

時には、人格が消え去り、汎神論的な詩人の特性である客観性があなたの中で異常に発展し、外部の物体を見つめているうちにあなた自身の存在を忘れ、しばらくすると見ている物体と混ざり合ってしまう、ということが起こる。あなたの目は、風によって折り曲げられた調和のある木をじっと見つめる。数秒後、詩人の頭の中ではごく自然な比較でしかないようなことが、あなたの頭の中で一つの現実になる。最初、あなたはその木にあなたの情熱とか欲望、あるいは憂鬱な感情を投げかける。すると、木のうめき声や揺れがあなたのうめき声や揺れになる。間もなく、あなたは木になる。同じように、大空の彼方で羽ばたく鳥は、最初、人間的な事物を超えて飛びたいという不滅の欲望を表現している。しかし、すでにあなたは鳥そのものだ。あなたは腰掛け、タバコを吸っているとする。あなたの注意力が、少し長すぎるほど、パイプから吐き出される青っぽい煙の上に置かれる。ゆっくりと、継続的に、永久に発散するという考えがあなたの心を捕らえる。すると、あなたはその考えをあなた自身の思考内容や思考仕方に適用するようになる。奇妙な曖昧さによって、置き換えや知的な誤解のようなものによって、あなたは自分が蒸発していると感じるだろう。そして、パイプ(あなたはその中でタバコのように縮こまり、丸まっていると感じている。)に、あなたを吸っているという奇妙な能力を付与するようになるだろう。

1851年には、「あなたはパイプの中にいると思っている。あなたを吸っているのがパイプなのだ。青っぽい煙となって吐き出されるのが、あなたなのだ。」と書かれた部分が、1860年にはより詳細に分析される。
そのことによって、ボードレールは、「汎神論的な詩人(poètes panthéistes)」の特性である「客観性(objectivité)」を具体的な例によって説明し、詩における「人(主観)」と「物(客観)」の関係を明らかにすることを意図している。

その理解のためにまず最初に注目したいのは、「客観性が(中略)あなたの中で異常に発展する(l’objectivité (…) se développe en vous si anormalement, )」という表現。
その結果、「外部の物体を見つめているうちにあなた自身の存在を忘れ(la contemplation des objets extérieurs vous fait oublier votre propre existence)」、「しばらくすると見ている物体と混ざり合ってしまう(vous vous confondez bientôt avec eux)」としたら、「客観性」とは何だろか?

普通に考えれば、「客観」は「主観」と対立し、その存在が個人的主観に依存せず、あらゆる主観から明確に独立している実在を意味する。従って、「客観」が異常に発展したからといって、主客が同一化することはありえない。
ボードレールの主張は、そうした常識的な思考を逆転する。

その逆説を理解するヒントになるのが、「汎神論的(panthéiste)」という言葉。
「汎神論」とは、最も簡単に言えば、キリスト教の神のような人格神の存在を認めず、この世の全てのものに神あるいは神性が宿ると見なす信条だといえる。
そうした思考は、草や花だけではなく河や石にも生命を感じ、自然のあらゆる場所に神の存在を感じ取り、お供えを捧げたりする日本的な感性と近いものがあり、そうした感性を持つ人間には比較的理解しやすい。
「汎神論的な詩人」とは、人間と自然との間に断絶線を引かず、人間と同様の生命を自然に認め、自然を崇める詩人だと考えることができる。和歌の作者たちも汎神論的と見なすことができるだろう。

別の視点からすると、「汎神論的」とは、人間という「主体」と物という「客体」を分断することなく、物と人間を一つの存在の別の現れと見なし、全てに生命を見出し、あらゆるものに神の存在を感じ取る思考ということもできる。

例えば、ジェラール・ド・ネルヴァルの「黄金詩篇」という詩は、汎神論的といえる。

Respecte dans la bête un esprit agissant :
Chaque fleur est une âme à la Nature éclose ;
Un mystère d’amour dans le métal repose ;
« Tout est sensible ! » Et tout sur ton être est puissant.

尊べ、動物の中で動く精神を。
一本一本の花は、自然の中で開花する魂。
愛の神秘が金属の中に佇む。
「全てのものが感じている!」 全てがお前の存在に対して力を持つ。
https://bohemegalante.com/2019/07/07/nerval-vers-dores/

このように見てくると、「客観性が異常に発展する」という言葉の意味がわかってくる。
「異常に」ということは、この場合、「客観」が「主観」までも含み込むことであり、「物」が外部の世界に留まらず、「人」の内部にまで入り込むことを意味する。

そして、見ている人間と見られている物質の一体化は、「詩人の頭(cerveau d’un poète)」の中ではごく普通に起こることだと、ボードレールは言う。

パイプを吸っていると、いつしかパイプに吸われているように思えてくる。
木に自分の感情を投影していると、木のざわめきが自分の内心の声になる。
空高く飛ぶ鳥の姿が、自由に飛翔したいという気持ちと同調し、自分が鳥になったように感じられる。
こうした時、自分(主観)と対象(客観)の境目がおぼろげになり、ボードレールの表現によれば、「奇妙な曖昧さ(une équivoque singulière)」や「置き換えや知的な誤解のようなもの(une espèce de transposition ou de quiproquo intellectuel)」によって、自他が一体化する。

薬物による幻覚は、こうした詩的世界を、疑似的に体験させる可能性がある。逆に言えば、薬物による幻覚作用を分析することが、精神に及ぼす詩の力を理解することにつながる。
そして、『人工楽園』の中でボードレールが明らかにしたことは、幻覚や忘我において、人間の自己意識が解体し、自己と他者の境界が曖昧になり、全てが融合している状態にあるということだった。


日本の読者がボードレールの詩に強い親近感を抱くのは、日本的感性がボードレールのいう「汎神論的」なものであり、人間と自然の距離が近く、日本的な「無」や「空」とは、ある面から見ると、「全てが融合している状態」であると考えられるからではないだろか。

また、19世紀の後半にジャポニスムがヨーロッパで流行したことも、そうした共通性を前提にしているのかもしれない。


ボードレール 人工楽園 Baudelaire Paradis artificiels 主観と客観の一体化」への2件のフィードバック

  1. momo 2022-01-12 / 23:44

    はじめまして。
    今学期から大学でフランス文学について学び始め、こちらのブログを楽しく拝見しております。
    最近ボードレールの「悪の華」le cygneを読みとても好きになりました。
    そこでボードレールの詩で他に白鳥が出てくるものがないかを探しているのですが、ネットでは「le beaute」しか見つけることが出来ませんでした。
    hiibouさんはとてもお詳しそうですので何かほかにご存じかなと思ったのですが、もしご存じでしたら教えていただきたいです🌝

    いいね: 1人

    • hiibou 2022-01-13 / 11:22

      ご質問ありがとうございます。
      フランス文学を学び始めたばかりで、ボードレールの最も重要な詩の一つを好きになられたとのこと、素晴らしい詩的感性ですね。bravo !

      「白鳥」は実際に大変に美しく、かつ重要な詩ですので、ボードレールの詩の中にたくさん姿を現しそうですが、『悪の華』の中で、「白鳥」以外には、ご指摘になられた「美(La Beauté)」に出てくるだけです。

      私は以前、ジェラール・ド・ネルヴァルの「シルヴィ」(『火の娘たち』所収)第4章「シテール島への旅」の最後の部分で夕日に向かって飛び立った白鳥が、ボードレールの手でパリに降りたったのかもしれないと考えたことがありました。
      ボードレールの詩「シテール島への旅」は、ネルヴァルの『東方旅行』の序章(第12章から始まるシテール島(セリゴ島)に関する架空の紀行文)からインスピレーションを受けて書かれたものです。

      白鳥に関して言えば、ボードレールが熱愛する音楽家ワグナーの「ローエングリン」には、白鳥が曳く小舟に乗った騎士が登場します。(このオペラをフランスで最初に紹介したのも、初演の指揮をしたリストのメモを参考に記事を書いたらしいネルヴァルです。)

      白鳥とは関係ないようですが、『悪の華』の詩的世界の中では、アホウドリ(albatros)が最初に出てきます。二羽の鳥の姿を比較してみると、ボードレールの詩の理解が深まるかもしれません。

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