20ー21世紀の戦争

wikipediaの戦争に関するページを見ると、人間が犯してきた戦争がリストアップされている。

21世紀はまだ20年ほどしか経っていないのに、すでに多くの戦争が行われた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:21世紀の戦争

20世紀のリストを見ると、目が回るくらいの数の項目が並んでいる。https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:20世紀の戦争

21世紀になってから、戦争の多くは中近東やアフリカで起きている。ヨーロッパであったとしても、ロシアに近い地域。そのために、ヨーロッパや東アジアでは戦争がなく、世界は比較的平和だと言われたりもしてきた。
しかし、ミャンマーの例を見るとわかるように、戦争ではなく、クーデターが起こり、多くの市民が殺害されることもある。
アフリカや中近東では、イスラム過激派の武装集団による脅威が現在も続いている。
アフガニスタンからヨーロッパに逃れる難民は後を絶たない。

こうしたリストを見ていると、なぜ人間は戦争をやめられないのかと、つくづく悲しい気持ちになる。

攻撃する側の兵士も防衛する側の兵士も人間であり、軍人をやめれば、市民に戻る。その時、彼らは殺人を犯したことを一生抱えていくことになる。国のためという正当化が自分の心を守ってくれるとしても。

政治や軍事の視点から見れば、個人よりも国家を優先するのは当然のこと。国を守らなければ個人は守れないと考える。
個人の視点から見ると、指導者が国を守るために個人を戦争に向かわせるのは、殺人を犯せと命じていることになる。
そのどちらが正しいのか、非常に難しい問題だ。

とにかく、一時の熱狂に流され、感情的に物事を判断すると、一つの視点でしか物事を見ることができなくなってしまう。
21世紀に入ってからは、欧米的な視点がいわゆる国際社会を統一する時代ではなくなりつつある。
だからこそ、できるかぎり全体像をつかみ、複数の視点から物事を見る習慣を付けておきたい。

ところで、wikipediaの戦争リストには多国語版が33あるのだが、不思議なことにEnglishはない。
なぜ英語版がないのだろう。


3月15日追記

日本では、ウクライナに降伏することを勧めるなどとんでもないとか、ウクライナ国内で国を守るために必死に戦っている人たちに対して失礼なことを言うな、といった声をしばしば耳にする。

そう思うことは自然なことだが、その一方で、多数の死体をゴミ袋に入れて穴に入れるといった悲惨な映像が毎日のように流れ、ロシアに対する制裁を強く叫んでも、日々死者の数は膨れ上がっていくばかりという状態が続いている。

そんな時に思うのは、昭和20年の戦争末期にあった沖縄での戦闘。
wikipediaによれば、3月26日のアメリカ軍上陸から、大本営が戦闘の終了を発表した6月23日までの間に、約20万人あまりもの人々が亡くなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6

沖縄県民の犠牲者約9万4000人のうち、6割の人々が、第32軍が南部撤退した6月以降に南部地域において亡くなっているという。つまり、戦争を早く終わらせていれば、死ななくていい命だった。

しかし、上陸したアメリカ軍と戦った当時の人々が、敗戦濃厚だからといって無条件の停戦を受け入れようすることはなかった。

それ以前、アメリカ軍上陸の一ヶ月後の4月26日に、鈴木貫太郎内閣総理大臣は次のようなラジオ放送をした。
「沖縄全戦域に一致団結して全員特攻敢闘せらるる将兵各位並びに官民諸君、私たち一億国民は諸士の勇戦敢闘に対し、無限の感謝をささげている。(中略) 我が肉弾による特攻兵器の威力に対しては敵は恐怖をきたしつつたる。今後日本独特の作戦に対して、敵の辟易することは火を見るよりも明らかである。私は諸君らがこの神機をつかみ、勝利への鍵を確かと握られることを期待してやまぬ。」

また、5月18日になると、昭和天皇が第32軍宛に次のような電報を送ったという。
「第三十二軍カ 来攻スル優勢ナル敵ヲ邀へ 軍司令官ヲ核心トシ 挙軍力戦連日 克ク陣地ヲ確保シ、敵ニ多大ノ出血ヲ強要シアルハ 洵ニ満足ニ思フ。」
wikipediaの記述によれば、「昭和天皇からのお言葉は、長参謀長から各部隊に披露され士気を鼓舞した。」

こうした事実は、総理大臣や天皇陛下を非難するためではなく、戦争の際、現場にいる人間がどのような行動を取り、どのような反応をするかの一例として示すために引用した。

沖縄線を見るだけで、もしアメリカ軍の上陸前にとかやめておけば、もし6月前に戦争をやめていれば、どれだけの人間の命が救われたのか理解できる。

そして、敗戦を認めた日本は、アメリカ軍の統治を経て、今に至っている。
戦中であれば、敗戦を認めることは国の放棄であり、日本の文化が消滅することになると考えられたに違いない。
しかし、日本は今も存在し、日本の文化は今も脈々と続いている。

日本だけでなく、アフガニスタンの例を見ると、20年のアメリカの支配の後、またタリバンが戻ってきた。(その善悪に関しては、意見は様々だろうけれど。)

大きな時間の流れを見るとき、戦争は空しいことが痛感される。
であれば、人の命を優先することも、一つの選択肢ではないか?


3月17日追記

もう戦争について書かないつもりでしたが、ある人からの返事で教えられたことがあったので、最後の最後に。
。。。。。。。。。。。。。。
「極度の恐怖を感じながらもそれでも戦い続けた国民の姿はどんな結果であろうととても強く勇敢」

。。。。。。。。。。。。。
この言葉、まさにその通りだと納得。
指導者と国民は区別して論じないといけないと、彼女に強く教えられた。

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