
風景を描くことが、人の心の表現になる。日本の和歌ではそれはごく当たり前のこと。
しかし、人間と自然がそれほど親密な関係にないヨーロッパでは、擬人法という形で人間の心を無生物に投影するといったやり方をしないと、景物が心模様を表現することはない。
ところが、そうした中にも例外的な存在はいる。ポール・ヴェルレーヌだ。
例えば、「忘れられたアリエット」の8番目の詩では、冬の風景が詩人のアンニュイな心持ちを伝えている。
詩句の音節数は5。5/7のリズムに馴染んでいる日本語母語者には、さらに親しみやすく感じられる。

Ariettes oubliées VIII
Dans l’interminable
Ennui / de la plaine
La neige incertaine
Luit comme du sable.
忘れられたアリエット 8
草原の 果てることのない
倦怠の中
不確かな雪が
真砂のように光る。
(朗読は11分から)
草原全体が雪で覆われ、果てしなく広がる風景。砂漠の砂のように、雪が光っている。
そうした風景が描かれているのだが、一つだけ感情を示す言葉が使われている。それが「倦怠(ennui)」。
その言葉が、形容詞「果てしない(interminable)」から切り離され、次の行に送られることで強調され、この詩全体の雰囲気を作り出している。
では、なぜ「倦怠」を感じさせるのか? その理由は説明されないままに、以下に太字で示す様々な音が響き合い、その雰囲気を風景全体に拡散させている。
1)interminable(果てしない)- incertaine(不確かな)
2)interminable – sable(砂)
3)incertaine – neige – plaine(草原)
こうした音の共鳴を通して、「果てしない」と「不確かな」が、草原にも雪にも砂にも浸透し、「倦怠」が風景全体を覆っていく。
第2詩節では、光のない空に月を思い浮かべる。

Le ciel est de cuivre
Sans lueur aucune.
On croirait voir vivre
Et mourir la lune.
空はあかがね色
いかなる光もない。
まるで見えるよう、生き
そして死んでいく月が。
この詩節を特徴付けるのは、[ v ]の音。
空を染めるcuivre(鉛、あかがね色)という言葉が、voir(見る)、vivre(生きる)と響き合う。
その響きの中で、まったく光のない(sans aucune lueur)空に、月が見えるように「思い描く(on croirait)」。
そのlune(月)は、aucune(なにも・・・ない)と韻を踏み、実際には見えてはいない。空想の中で、月の生(vivre)と死(mourir)を思うのだ。
第3詩節では、これまでの二つの景色よりもさらにおぼろげな、もや(buées)に霞む風景が描かれる。

Comme des nuées
Flottent gris les chênes
Des forêts prochaines
Parmi les buées.
雲のように
灰色に浮かぶのは
近くの森の樫の木
もやの間に。
もやに包まれて、どっしりとした樫の木(chênes)でさえ、雲(nués)のようにふわふわと浮かんでいる(flottent)。
その様子が、灰色(gris)に描かれることで、心象風景になる。
その風景の基調をなすのは、韻を踏むnuéesとbuées。全てがおぼろげに漂っている。
詩の後半も3つの詩節から構成されるが、新しく描かれるのは5番目の詩節のみで、4番目は2番目、最後の6番目では最初の詩節が反復される。

Le ciel est de cuivre
Sans lueur aucune.
On croirait voir vivre
Et mourir la lune.
Corneille poussive
Et vous, les loups maigres,
Par ces bises aigres
Quoi donc vous arrive ?
Dans l’interminable
Ennui de la plaine
La neige incertaine
Luit comme du sable.
空はあかがね色
いかなる光もない。
まるで見えるよう、生き
そして死んでいく月が。
息を切らせたカラスよ
そして、お前たち、痩せ細った狼たちよ、
厳しい北風の中
お前たちにいったい何が起こるのか?
草原の 果てることのない
倦怠の中
不確かな雪が
真砂のように光る。
唯一新しく導入された第5詩節の景色の中に、初めて生き物が登場する。カラス(corneille)と狼(loup)。
冷たい北風が吹きすさぶ中、カラスは息を切らせ(poussif)、狼たちは痩せ細っている(maigre)。
詩人は、こうした動物がこれからどうなるのかと、誰にともなく問いかける。
その問いは、倦怠の中にいる自分自身に投げかけたものだろう。
ただし、その答えはなく、他の二つの詩節が反復して戻ってくるように、問いだけが堂々巡りをするだけ。
それが倦怠をさらに深くする。
しかし、最後に置かれた詩句は、灰色の世界の中に一筋の光があることを示すようでもある。
「真砂のように光る(Luit comme du sable.)」
フランスの詩人であるヴェルレーヌの詩句に、和歌のような情調を感じるかと問われると、首をかしげるかもしれない。
日本の湿った自然に対して、フランスの自然は乾燥している。草原が雪で覆われ、森が靄に包まれているとしても、しっとりとした感じは感じられない。見る人と自然との間には距離がある。
そうした感受性の違いはあるが、それでも、擬人化するのではなく、そのままの自然を描くことで人の心の倦怠を感じさせる「忘れられたアリエット その8」の詩句は、5音節のリズムによって、日本人の心を打つのではないだろうか。
現代の作曲家ジュリアン・ジュベール作曲による「忘れられたアリエット その8」の合唱。