
『風の歌を聴け』は、1979年に出版された村上春樹のデビュー作。
この作品は、村上が重視する「物語」が明確な姿を取って語られていず、小説に物語を求める読者にとっては、何が描かれているのかわからないとか、物足りないと感じられるかもしれない。
その一方で、小説について何かを語りたい文学好きの読者や、文学について語ることを仕事する評論家や文学研究者たちは、『風の歌を聴け』に続く様々な小説との関連を探りながら、自分たちなりの「物語」を織り上げてきた。

文学作品が読者を獲得するためには、「性格劇」と「心理劇」を通して、読者が作品世界に自己を投影するように誘う魅力が大きな力を持つ。
1987年に『ノルウェイの森』が爆発的な人気を博して以来、村上春樹の作品が膨大な数の読者を獲得したことは、その魅力を証明している。
『風の歌を聴け』はその原点であると同時に、第2作『1973年のピンボール』の後半から始まる「物語」——— 3(スリー)フリッパーのスペースシップという伝説的なピンボール・マシーンの探求 ——— がなく、「書くこと=語ること」自体について多く語られ、他の村上作品とはかなり異なっている。
こう言ってよければ、村上春樹が小説家になる過程が、村上自身によって、若々しいタッチで、生々しく、描き出されている。
4人の作家たち
『風の歌を聴け』の中には、4人の小説家、あるいは小説を書こうとしている人物が出てくる。
この作品を書きつつある「僕」、友人の「鼠」、アメリカの小説家デレク・ハートフィールド、そして「僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家」だ。
A. ある作家
『風の歌を聴け』は、「僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家」の言葉の引用から始まる。
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。(1:小説全体で40から構成される断章の番号)
ある作家が誰なのかはわからないし、本当に出会ったのかどうかも、実際にその作家が存在したのかどうかもわからない。
問題はそうした現実性ではなく、「文章」そのものにある。何が書かれているかという「内容」ではなく、「文章」自体が文学の核となるという認識。
上の引用を例にとれば、「完璧な文章などといったものは存在しない。」の後、「完璧な絶望が存在しないようにね。」と続けられるがが、その二つの文の繋がりがポイントになる。
「完璧な絶望」とは何かはわからないが、とにかく完璧な絶望など存在して欲しくはない。としたら、「完璧な文章」が書けないからといって、絶望する必要もない。
このように、二つの文章のつながりが、なんらかの解釈を導いていく。そこに、小説を構成する文章の意義があり、面白さがある。
その引用の後、「僕」は作家としての最初の一歩を踏み出していく。
僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な文章なんて存在しない、と。
しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。(1)
「いつも絶望的な気分に襲われる」と書かれているのだが、それに反して、私たち読者には、「完璧な絶望が存在しない」と感じられる。
では、なぜ絶望的な気分にならないのだろう?
「僕」は、絶望的な気分になる理由として、「書くことのできる領域はあまりにも限られていた」ことだと言い、具体的な例として「象」と「象使い」を挙げる。「僕」が書けるのは「象」についてだけであり、「象使い」について何も書くことはできない、と。
しかし、こんな例は、絶望をもたらす事例とはかけ離れていて、思わず肩すかしを食らうか、笑ってしまう。そのため、絶望していると言う「僕」が、自分を何かしら皮肉な目で見、ユーモラスに語っているといった感じがしてくる。
「ある作家」は、小説の本質が「文章」にあることを、「僕」に教えてくれた作家だった。
B. 「僕」
「僕」は20歳代最後の年を迎え、「今、僕は語ろうと思う。」と決意し、8年前の夏の思い出を語り始める。
その目的は、「自己療養のささやかな試み」だと言う。
結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養のささやかな試みにしか過ぎないからだ。
しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。
弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。つけ加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に戻り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。(1)
「ここに語られていることは現在の僕におけるベスト」という言葉は、この文章が、全てを語り終えた後になり、「僕」が付け加えたということを示している。
「自己療養」とか「救済された自分」という言葉は、一見すると、思い出したくない思い出とか、傷ついた自分の赤裸々な姿を語ることで、神経症的な症状が改善するといった、精神分析的な作業を連想させるかもしれない。
しかし、そんなに簡単なことでない。「正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。」
書けば書くほど、語れば語るほど、言葉は正確ではなくなり、本当と噓(フィクション)がごちゃまぜになる可能性がある。
それは決して言葉に対する不信感の表現ではなく、言葉と現実との複雑な関係の表現だといえる。
そんな思いを抱きながら、「僕」は未来へと目を向け、「象が平原に戻る」姿を想像する。
誰も、そしてたぶん「僕」自身も、象がどこに行ってしまっていたのか知らないだろう。
しかし、「象使い」については書けなくても、「象」については書くことができたのであり、それを続けることで、いつかは「より美しい言葉で世界を語り始める」ことができることを期待する。
そんな「僕」は書くことを仕事にしているわけではなく、自分の書くものは芸術や文学ではないと考えている。
もしあなたが芸術や文学を求めているならギリシア人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシア人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういったものだ。
夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。
そして、それが僕だ。(1)
「僕」は、「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間」。
ギリシア時代であれば奴隷の労働と見なされた仕事をして生活し、真夜中になってやっと時間を見つけ、文章を書く。
そんな文章が、「地中海の太陽の下で優雅に詩作に耽る」ギリシア市民たちの作り出す芸術に匹敵するわけがないと、「僕」は思う。
他の仕事をしなくても食べていけるプロの作家がギリシア市民だとすれば、「僕」は奴隷だ。太陽の下で汗水たらして働き、夜中にしか書く時間を見つけることができない。
そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴飛ばしながらこの文章を書き続けている。(30)
そんな状況の中で、なぜ書き続けるのだろう? その理由は、次のように説明される。
僕にとって文章を書くのはひどく苦痛な作業である。1ヶ月かけて1行も書けないこともあれば、3日3晩書き続けた挙句それがみんな見当違いといったこともある。
それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べれ、それに意味をつけるのはあまりに簡単だからだ。(1)
「生きること」は難しい。それに対して、「文章を書く」ことはどんなに苦痛であっても、楽しい作業だと言う。なぜなら、書いた文章に「意味をつけるのはあまりに簡単」だから。
ただし、そんな風に考えたのは10代の頃で、後になりそれが誤りだと気づいたと付け加える。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートのまん中に一本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったものを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの・・・ 僕はそれらを最後まで書き通すことができなかった。
僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い溝が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測ることはできない。僕がここで書きしめすことができるのは、ただのリストだ。小説でも文学でもなければ、芸術でもない。まん中に線が一本だけ引かれた一冊のただのノートだ。教訓なら少しあるかもしれない。(1)
「僕」が今まさに書き付けているのは、かつてのノートの続きだと考えてもいいだろう。真ん中に引いた一本の線の左側には得たものを、左側には失ったものを書く。
ただし、左側の項目にしか書きこみがない。失ったもののリストばかりが続いている。
「僕がここで書きしめすこと」、つまり『風の歌を聴け』の中で語られることも、左側だけのリストかもしれない。
それは、小説でも、文学でも、芸術でもない。ただのノートにすぎない。
そのノートには、「見当違い」なことが書かれているかもしれない。しかし、反対に、「教訓」、つまり何らかの意味を見つけ出すことができるかもしれない。
そうなれば、「文章を書くことは楽しい作業」になる。
奴隷のように働きながら、それでも「僕」が「自己療養のささやかな試み」として文章を書き続けるのは、「生きることの困難さ」の数々をノートの左側にリストアップすることで、「どんな長いものさし」でも測ることができない深い溝に、ほんのわずかかもしれないが、何かしらの「意味」を読み取ろうとするからに他ならない。
「僕」は、「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁り」、「時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴飛ばしながら」文章を書き続け、その作業が「自己療養のささやかな試み」となり、いつか「より美しい言葉で世界を語り始める」ことができるのを願っている小説家の卵。
自分の書くものが、「小説でも文学でもなければ、芸術でも」なく、「一冊のただのノート」だと考えているか、あるいは、そのように評価されるだろうと思っている。
C. デレク・ハートフィールド
「僕」はデレク・ハートフィールドという作家から文章について多くを学んだと、告白する。
僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。殆ど全部、というべきかもしれない。不幸なことにハートフィールド自身は全ての意味で不毛な作家であった。読めばわかる。文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙だった。しかしそれにもかかわらず、彼は文章を武器として闘うことができる数少ない非凡な作家の一人であった。(1)
「僕」はアメリカの作家からほとんど全部を学んだという。その中心にあるのは、文章とストーリーとテーマ。要するに、小説の根本的な要素だ。
「僕」が夜中に睡魔と戦いながら書いているノート、つまり『風の歌を聴け』には、ストーリーらしいストーリーはなく、テーマもはっきりと見えてこない。一人の大学生が夏休みを利用して地元の町に帰省し、知り合いと再会し、女の子と出会い、様々な思い出がよみがえる。そんなごくありふれたことを書き綴ったリストのようなものだと言われれば、そんな風にも思えてくる。
そんなノートの中で、「僕」が一番こだわるのは「文章」。
ハートフィールドの文章は「読み辛い」が、しかし、「彼は文章を武器として闘うことができる数少ない非凡な作家の一人」だった。
一見矛盾しているようだが、しかし、「僕」は、「文章」こそが小説家の武器だと考えていることことがわかる。
ある作家の言葉通り、「完璧な文章などといったものは存在しない。」そのことは「僕」もわかっていて、完璧な文章を目指しているのではない。
ハートフィールドが良い文章についてこんな風に書いている。
「文章を書くという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」(1)
ハートフィールドによれば、「良い文章」とは、感性とは関係なく、「自分と自分をとりまく事物との距離」を測る「ものさし」となるものだ。
自分がいて、自分と関係を持つ人たちがいて、その場には様々な事物がある。たとえ自分が孤独だと感じたとしても、自分の周りには世界が広がっていて、その中で生きている。
自分は世界の一部であり、自分という存在を意識したその瞬間に、自分ではない世界が自分の外に出現する。
そのように考えると、自分を知ることも、友人との関係を知ることも、社会の中における自分の位置を知ることも、自分と自分以外のものとの距離を測ることだと考えることができる。
書くことはその距離を測定する「ものさし」だと言うハートフィールドの言葉は、そんな風に理解できる。
「僕」も彼の言葉に従い、書くことで、周りの人々や場と自分の距離を「ものさし」で測ろうとする。
しかし、「僕」とって、その作業は容易ではない。
すでに見てきたように、「僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い溝が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測ることはできない。」というのが、「僕」の実感だ。
従って、距離が測れないほど深い溝をなんとか測ろうとする「僕」の文章は、ハートフィールドの文章以上に「読み辛い」かもしれない。
しかしそれでも書き続けることで、いつの日か、「象」が草原に戻る姿を目撃しながら、あるいは「象使い」として「象」を草原に導きながら、「より美しい言葉で世界を語り始める」ことができるかもしれない。
それを目指すことが、「僕」が書き続ける理由であり、作家としての戦いということになる。
デレク・ハートフィールドはと言えば、「最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えること」ができなかった。その結果、「不毛な闘い」を8年2ヶ月の間続けた後、「1938年6月のある晴れた日曜日の朝」、「右手にヒットラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたまま」、エンパイア・ステートビルの屋上から身を投げて死んだ。「彼が生きてきたことと同様、死んだこともたいして話題にならなかった。」
そんなハートフィールドが書いた「火星の井戸」という短編小説のあらすじを、「僕」は読者に向かってでもあるかのように紹介する。
火星の地表には底なしの井戸が無数に掘られている。ある日、宇宙を彷徨う一人の青年がそうした井戸の一つに潜り込む。彼は宇宙があまりにも広大であることにうんざりし、死を望んでいた。
下に降りるにつれ、井戸は少しずつ心地よく感じられるようになり、奇妙な力が優しく彼の体を包み始めた。1キロメートルばかり下降してから彼は適当な横穴をみつけてそこに潜りこみ、その曲がりくねった道をあてもなくひたすら歩き続けた。どれほどの時間歩いたのかはわからなかった。時計が止まってしまっていたからだ。2時間かもしれぬし、2日間かもしれなかった。空腹感や疲労感はまるでなかったし、先刻感じた不思議な力は依然として彼の体を包んでくれていた。(32)
この後、青年は光を感じ、井戸をよじ登り、オレンジ色の巨大な塊になった太陽を眺める。その時、「風」が話し始める。
「あと25万年で太陽は爆発するよ。パチン・・・ OFFさ。25万年。たいした時間じゃないがね。」
風が彼に向かってそう囁いた。
「私のことは気にしなくていい。ただの風さ。もし君がそう呼びたければ火星人と呼んでもいい。悪い響きじゃないよ。もっとも、言葉なんて私には意味はないがね。」
「でも、しゃべってる。」
「私が? しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ。」
「太陽はどうしたんだ、一体?」
「年老いたんだ。死にかけてる。私にも君にもどうしようもないさ。」
「何故急に・・・?」
「急にじゃないよ。君が井戸を抜けている間に約15億年という歳月が流れた。君たちの諺にあるように、光陰矢のごとしさ。君の抜けてきた井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ。つまり、我々は時の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創成から死ぬまでをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。」
「一つ質問していいかい?」
「喜んで。」
「君は何を学んだ?」
大気が微かに揺れ、風が笑った。そして再び永遠の静寂が火星の地表を被った。若者はポケットから拳銃を取りだし、銃口をこめかみにつけ、そっと引き金を引いた。(32)
広大な宇宙を彷徨っていた青年が、火星に掘られた底なしの井戸という閉鎖空間の中に潜り込む。そして、横穴を見つけ、そのまま歩いて行くと、光が見え、青年は再び地表へと戻る。
そこに記されている1キロ、2時間、2日間といった数字は何の意味もない。どれほど歩いたのか分からないし、時間は止まっている、つまり時間が存在しないからだ。
また、太陽の消滅に関して「風」が提示する、25万年とか15億年という数字にも意味がないことは、「時の歪み」という言葉によって説明される。
「火星の井戸」は、時計によって計測される時間が何の意味も持たない世界なのだ。
そうした世界を測定するために、どんな「ものさし」があるのだろうか?
「風」は自分の言葉に意味がないと言いながら、言葉をしゃべる。青年にそのことを指摘されると、「しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ。」と答える。
最後になると、「我々には生もなければ死もない。」と言い、「風だ。」と付け加える。
宇宙を彷徨った青年は拳銃をこめかみにあてて引き金を引き、「火星の井戸」の作者デレク・ハートフィールドはエンパイア・ステートビルの屋上から身を投げた。
結局、「僕」が発見したように、「どんな長いものさしをもってしてもその深さを測ることはできない。」ことを自覚せざるをえない。
できることは、「風の歌を聴け」という勧めに従うことなのだろう。
そうすれば、「風」の言葉が青年の心にヒントを与えるように、「僕」がノートに書き付けた言葉が読者の心にヒントを与えることになり、読者はなんらかの「教訓」を読み取ることができるかもしれない。
デレク・ハートフィールドは、「最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えること」ができず、自ら命を絶ってしまうが、しかし、「自分と自分をとりまく事物との距離」を「ものさし」で測ろうと試み、「風」に言葉を語らせることのできる小説家だった。
D. 「鼠」
「鼠」は「僕」が大学に入った時からの友人で、夏休みに帰省した時も、行きつけのジェイズ・バーでしばしばビールを一緒に飲み、とりとめのない会話をして時間を過ごす。
「鼠」は「おそろしく本を読まない」人間で、いつ最後に本を読んだかも思い出せないほど。彼が最後に読んだ本は、不治の病に冒されていると信じているファッション・デザイナーが、海辺の避暑地にやってきて、最初から最後までオナニーする話。
そして「鼠」はこう続ける。
「うん。・・・・ 信じられるかい?何故そんなことまで小説に書く? 他に書くべきことは幾らでもあるだろう?」
「さあね?」
「俺はご免だね、そんな小説は。反吐が出る。」
僕は肯いた。
「俺ならもっと全然違った小説を書くね。」(5)
「鼠」は「僕」と違い、嫌なことは嫌、嫌いなことは嫌いとはっきりした態度を示す。
主人公が自分の私生活を明かし、書かなくてもいいようなプライヴァシーをさらけ出す小説などには反吐が出ると言い切る。
要するに、私小説と呼ばれるような、私生活をリアルに語るタイプの小説にはうんざりしている。
その後、「鼠」は自分なりの小説の構想を持ち、実際に小説を書くようになる。「僕」によれば、その特色は二つに絞られる。
鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンが無いこと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。(6)
「僕」の書くものと「鼠」の書くものの違いが、この言葉によって明確に示されている。
「僕」の書くものにはセックス・シーンが多くあり、そして人が死ぬ。
「放って置いても人は死ぬし、女と寝る。」という現実があり、「僕」はその現実の中で、「認識しようと努めるもの」と「実際に認識するもの」との間に横たわる「深い溝」を「ものさし」で測りたいと願い、その不可能な作業を続ける。
だからこそ、現実に起こる死も性もリスト・アップして、ノートに記す。
「鼠」の原則は全く違っている。彼は、その原則を、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディムの言葉として、「僕」に伝える。
私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する。(16)
「鼠」は、「何故そんなことまで小説に書く」といったことなど書かない。どんなことを書き続けているのかは、8年前の夏休みの思い出の後日談として明かされる。
鼠はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年のは精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしたコミック・バンドの話だった。あい変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない。(39)
ここからは、「鼠」の小説の本当の姿は見えてこない。
実は、8年前、故郷の町のホテルにあるプールで、「鼠」がふと「小説を書こうと思うんだ。」ともらした時、彼の小説の核心が語られていたのだった。
「僕」は、「これから何をする?」と「鼠」に語りかける。
「小説を書こうと思うんだ。どう思う。」
「もちろん書けばいいさ。」
鼠は肯いた。
「どんな小説?」
「良い小説さ。自分にとってね。俺はね、自分に才能があるなんて思っちゃいないよ。しかし少なくとも、書くたびに自分自身が啓発されていくようなものじゃなくっちゃ意味がないと思うんだ。そうだろう?」
「そうだね。」
「自分自身のために書くか・・・ それとも蝉のために書くかさ。」
「蝉?」
「ああ。」(31)
「鼠」にとっての「良い小説」とは、「書くたびに自分自身が啓発されていくようなもの」であり、「何故そんなことまで」と思われることを赤裸々に書いたものではない。
そのことはすっとわかるのだが、しかし、「蝉のために書く」とはどういう意味か?
その問いの答えは、何年か前に女の子と奈良に行った時の思い出として語られる話の中に含まれている。
「鼠」と女の子は山道を3時間くらい歩き、夏草の生えた斜面に頃を下ろし、古墳を見下ろす。
山道を歩いている間に見たものは、「鋭い鳴き声を残して飛び立っていく野鳥とか畦道に転がって羽根をバタバタさせているアブラ蝉とか」だけだった。
そして、斜面に腰を下ろすと、「気持ちのいい風」が吹いくる。
「その時に考えたのさ。何故こんなでかいものを作ったんだろうってね。・・・もちろんどんな墓にだって意味はある。どんな人間でもいつかは死ぬ、そういうことさ。教えてくれる。でもね、そいつはあまりにも大きすぎた。巨大さっていうのは時々ね、物事の本質を全く別のものに変えてしまう。実際の話、そいつはまるで墓には見えなかった。山さ。濠の水面は蛙と水草でいっぱいだし、柵のまわりは蜘蛛の巣だらけだ。
俺は黙って古墳を眺め、水面に渡る風に耳を澄ませた。その時に俺が感じた気持ちは、とても言葉じゃ言えない。いや、気持ちなんてものじゃないね。まるですっぽりと包みこまれちまうような感覚さ。つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風や、みんなが一体になって宇宙を流れていくんだ。」
鼠はそう言うと、もう泡の抜けてしまったコーラの最後の一口を飲んだ。
「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」(31)
「鼠」は「風に耳を澄ませ」ている。
その時、欠けているもの、失われたものは何もない。
目の前には天皇の墓である古墳が見えるのだが、あまりにも巨大なために、墓ではなく山のように見える。現実を生きる人間の行動は、そんな風に「物事の本質を全く別のものに変えてしまう」ことがよくある。
天皇の墓なのに掃除もされず、蛙や水草や蜘蛛などが一杯で、普通の人間のお墓よりもほったらかしにされている。
現実世界はそんな不条理さに溢れている。
しかし、「風の歌」を聴いていると、蝉や蛙や蜘蛛たちみんなが宇宙全体の構成員であり、風に吹かれながら、「みんなが一体になって宇宙を流れていく」という感覚に「すっぽりと包みこまれ」てくる。
それぞれのものは決して個別に独立して存在しているわけではなく、全体の中の一つだと感じられる。
山のように大きな古墳も、小さな蝉も、目に見えない風も、全てのものが大きな生命の一つの現れであり、一つ一つのものがその大きな生命を含んでいる。
この思い出に、「僕」の小説であれば必ず出てくる死者もセックス・シーンも出て来ない。「鼠」にとっての書くこととは、一緒に奈良に行った女の子の胸の形やその子と寝るといった「貧弱な真実」ではなく、全ての存在が一つの生命として宇宙を流れていくという「華麗な虚偽」を書き留めることなのだ。
それが「蝉のために書く」ということだといえる。
「鼠」は、「俺ならもっと全然違った小説を書くね。」とはっきり言い切り、「水面に渡る風に耳を澄ませる」ことのできる小説家だ。
5人目の作家 村上春樹
『風の歌を聴け』は、最初、雑誌「群像」に掲載され、その後、講談社から単行本として出版されたが、その際に、「ハートフィールド、再び・・・ (あとがきにかえて)」という「あとがき」が付け加えられた。
その中の一節で、著者は次のように書いている。
もしデレク・ハートフィールドという作家に出会わなければ小説なんて書かなかっただろう、とまで言うつもりはない。けれど、僕の進んだ道が今とはすっかり違ったものになっていたことも確かだと思う。
高校生の頃、神戸の古本屋で外国船員の置いていったらしいハートフィールドのペーパー・バックスを何冊かまとめて買ったことがある。一冊が50円だった。(中略)
何年か後、僕はアメリカに渡った。ハートフィールドの墓を訪ねるだけの短い旅だった。(ハートフィールド、再び・・・ (あとがきにかえて))
小説の「あとがき」の中で、「僕」という言葉で指し示されるのは『風の歌を聴け』の著者のはずで、ここでの「僕」は、村上春樹ということになる。
そして、村上春樹は、小説の中では一度も出すことがなかった「神戸」という地名を、ここで初めて明らかにする。
wikipediaなどを見れば、村上春樹は、「京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。」
「あとがき」の記述と一致するので、「僕」が村上春樹と同一人物だとますます確信することになる。
しかし、デレク・ハートフィールドという作家について調べて見ると、問題が出てくる。
そんな作家は実在せず、村上春樹が作り出した架空の小説家の名前なのだ。
としたら、「僕」が「ハートフィールドのペーパー・バックスを何冊かまとめて買ったことがある」はずがない。「一冊が50円だった。」などという言葉は、噓でしかない。
実在しない小説家の墓をどうやって訪れるのだろう!
それにもかかわらず、「僕」はハートフィールドについて何度も語り、彼の生まれまででっち上げてしまう。
最後にもう一度デレク・ハートフィールドについて語ろう。
ハートフィールドは1909年にオハイオ州の小さな町に生まれ、そこに育った。父親は無口な電気技師であり、母親は星占いとクッキーを焼くのがうまい小太りの女だった。(40)
こんなフィクションは、「僕」のノートであるよりも、「鼠」の小説に相応しくはないだろうか?
「鼠」は、「貧弱な真実より華麗な虚偽」を愛し、「俺はね、自分に才能があるなんて思っちゃいないよ。しかし少なくとも、書くたびに自分自身が啓発されていくようなものじゃなくっちゃ意味がないと思うんだ。」と考える小説家なのだ。
『風の歌を聴け』が最初に「群像」に投稿された時の題名は、「Happy Birthday and White Christmas」だった。この題名であれば、「僕」のノートの題名としてちょうどいいかもしれない。
それに対して、「風の歌を聴け」という題名は、「俺は黙って古墳を眺め、水面に渡る風に耳を澄ませた。」と話す「鼠」の文章に合っている。
としたら、『風の歌を聴け』は、「僕」と「鼠」の合作のようにも見えてくる。
そして、その二人の後ろには、もう一人の「僕」である村上春樹が、ニヤニヤしながら潜んでいる。
こんな風にして、村上春樹のデビュー作は、彼が作家になるまでの行程を、村上春樹的な語り口を通して、しなやかに語った「文章」として読むことができる。
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