
トリスタンとイゾルデの名前は、日本では、リヒャルト・ワグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』を通してよく知られている。
イングランドの南西端に位置するコーンウォールの騎士トリスタンは、マルク王の命令に従い、アイルランドのイゾルデを、王の妃とするために連れ去ろうとする。しかし、帰途の船上で、2人は誤って媚薬を飲み、激しい恋に落ちる。そして、その恋は、二人の悲劇的な死へとつながっていく。
この媚薬をどのように理解するかは様々であり、2人は最初から惹かれ合っていて、その気持ちを象徴するものとも考えられるし、あるいは、人間が逆らうことのできない運命と見なすこともできる。
では、その媚薬の効果に期限はあるのだろうか?
実は、トリスタン物語は元来ケルト民話の中で語られたものであり、11−12世紀にフランスで活字化された物語の中には、媚薬に期限が付けられているものがあった。
ベルールという語り手による「トリスタン物語」はその代表であり、恋の薬の有効期限は3年とされていた。
面白いことに、3年という期間は、アメリカの科学者が実験した結果と一致している。
恋人の写真を見せ、脳内の反応をMRIで測定すると、ドーパミンが作られる部位に反応するという。ただし、その効果は18ヶ月から3年しか持たないらしい。といったことが、以下のyoutubeビデオを見るとわかる。

ベルールの「トリスタン物語」では、有効期限の3年が巧みに物語の展開に活かされている。
マルク王の追っ手を逃れて森の中に逃げ込んだ二人は、苦しい中でも愛し合って過ごす。
恋という狂気に身を任せるのをやめ、悔い改めて王に赦しを請うべきだと説く隠者オグランに対し、トリスタンは次のように答える。
隠者殿、信仰にかけ、
イズー(イゾルデのフランス語読み)は心底から私を愛しておりますが、
あなたはその理由をご存知ではない。
彼女が私を愛するのは、あの秘薬のゆえ、
それで私は彼女から離れられず、
また、彼女も私から。噓は申しませぬ。
現代の読者からみると、恋愛が自分の自然な気持ちから生まれたのではなく、薬のせいだというのは、納得がいかないに違いない。
しかし、恋愛が理性によって制御できない一種の狂気であり、そのために苦しむことがあるということであれば、理解可能ではないか。
そして、それでも愛してしまう状況を、「運命」だと考える。
ケルト民話の伝承の中で、その運命が媚薬によって象徴されたのだと考えれば、トリスタンの言葉が現代の読者にもすっと入ってくるだろう。恋する運命だった、そして別れられない運命にある、と。
イズーも同じように言う。
イズーは隠者の足元に身を投げて泣き、
わずかの間にその顔色は何度も変わり、
隠者の憐れみを繰り返し乞う —
「隠者さま、全能の神にかけて、
彼が私を愛し、また私が彼を愛するのは、
ひたすら、二人が飲んだ秘薬の仕業、
それは災難(ペッシェ=罪)だったのです。
そのため、王に追われる身になりました。」
こうした中で、二人は愛し合う限り、幸せでいることができる。

辛い苦しい暮らしの毎日であるのに
二人は心をこめて愛し合っていて、
相手あるために苦しみを感じない。
(中略)
長い間モロワの森を逃げ回り、
二人は同じ不如意を味わうが、
相手あるために不幸を感じない。
気高いイズーは多いに恐れる、
自分のことでトリスタンが悔やみはしまいか、と。
トリスタンは多いに心を痛める、
自分のために王と仲違いしたイズーが、
狂乱の恋を悔やむのではないか、と。
恋愛の最中にあるとき、周囲からどんなに反対されても、この人しかいない、この人がいなければ生きていけない、などと思ったりするとしたら、トリスタンとイゾルデの森の中での生活そのままかもしれない。
ところが、媚薬には期限があった。
だが、私が思うに、皆様方はご存じない、
あの恋の飲み物、薬草入りの酒に、
どれほどの期限が付けられていたかを、
これを煎じたイズーの母は、
3年の愛にとつくりなした。
イズーの母親は、イズーがマルク王のもとに嫁ぐにあたり、王から愛されるようにと媚薬を調合したのだった。
なぜ3年という期限を設けたのかは明かされていない。しかし、その期間が現代の科学的な実験の結果と対応しているとしたら興味深い。
3年が過ぎたその日、ベルールの「トリスタン物語」の恋人たちは、突然2人でいることの幸福を感じられなくなり、不幸を嘆き始める。
トリスタンは言う。

ああ、神よ! 何という苦しみ!
今日で3年目、一日たりとも欠けぬ、
あの時から苦しまぬ日とてなかった、
日曜祭日も、また普段の日も。
私は忘れていた、騎士の務めを、
諸侯に立ち交じる宮廷の暮らしを。
それが今では王国から追放され、
一切合財なし、銀栗狐の毛皮もなく、
騎士たちの集う宮廷にも居合わせぬ。
イズーも自らの身の上を激しく呪う。

惨めな、不幸な女!
そなたは花の若さをどうしてしまったのか?
森にあっては、はしたない奴婢(ぬひ)さながら、
ここではそなたに仕える者などいないも同然。
私は王妃、とはいえその肩書きも
失ってしまった、海の上で、
私たちが飲んだあの毒のために。
媚薬の効力が切れた途端、二人は媚薬によって引き起こされた不幸を嘆き、道に外れた行動を悔い改め、マルク王と和解できるよう隠者オグランに仲介を依頼する。
恋愛物語に酔いしれたい読者にとっては興ざめしてしまうこうした展開は、他方で、恋愛が人間に及ぼす影響をはっきりさせることにつながる。
恋愛によってドーパミンが発生し、脳内の報酬系に関与して、人間の意欲や動機などが活性化すれば、困難な状況も乗り越えられる。しかし、ドーパミンによる刺戟がないと、苦痛に耐えられなくなる。
そうした違いが、ベルールの「トリスタン物語」では、媚薬に有効期限を付けることで、わかりやすく示されたのだった。
ベルール「トリスタン物語」は、新倉俊一訳『フランス中世文学集 1 信仰と愛と』 (白水社、1990年 )の中に収められている。
ワグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」については、フルトベングラーの全曲版に、字幕を付けたものがyoutubeにアップされている。