ボードレール 「香水瓶」 Baudelaire « Le Flacon » 香りと思い出 Parfum et souvenir

『悪の花(Fleurs du mal )』が1857年に出版され、風紀を乱すという罪状で裁判にかけられている時期、ボードレールは、それまでは明確な形で愛を告白してこなかったアポロニー・サバティエ夫人、通称「女性大統領(La présidente)」に手紙を書き、9編の詩が彼女に向けられたものであることを告白した。

「香水瓶(Le Flacon)」はその中の一編であり、共感覚を歌った「夕べの諧調」(参照:ボードレール 夕べの諧調 )に続き、香りと思い出が連動する様子が歌われている。

Le flacon


Il est de forts parfums pour qui toute matière
Est poreuse. On dirait qu’ils pénètrent le verre.
En ouvrant un coffret venu de l’Orient
Dont la serrure grince et rechigne en criant,

Ou dans une maison déserte quelque armoire
Pleine de l’âcre odeur des temps, poudreuse et noire,
Parfois on trouve un vieux flacon qui se souvient,
D’où jaillit toute vive une âme qui revient.

香水瓶

とても香りの強い香水がある。その香水にとって、全ての物質は
穴だらけ。ガラスを貫くようだ。
オリエント由来の小箱を開ける、
鍵が軋み、抵抗し、声を上げる小箱だ、

あるいは、荒れ果てた家の中で、衣装ダンスを開ける、
古い時代のつんとする匂いに包まれ、埃っぽく、黒ずんだ衣装ダンスだ、
すると、時に、古い香水瓶を見つけることがある。瓶は思い出し、
そこからは、生き生きとした様子で、一つの魂が飛び出してくる。魂が甦る。

第2詩節の3行目に、「古い香水瓶(un vieux flacon)」が出てくる。それがこの詩の主題となる。

その瓶があるのは、「オリエントから来た小箱(un coffret venu de l’Orient)」の中とか、「誰も住まなくなった家(une maison désert)」の「衣装ダンス(quelque armoire)」の中。
それらを「開く(en ouvrant)」と、「時として(Parfois)」、香水瓶が見つかることがある。

小箱もタンスも古びている。
小箱は、「鍵(la serrure)」を開けようとすると、「キシキシときしみ(grince)」、機嫌悪そうに「抵抗し(rechigne)」、「大きな声を上げる(criant)」。
タンスは、年代を感じさせる「つんとする匂い(’âcre odeur)」がし、「埃っぽく(poudreuse)」、「黒ずんでいる(noir)」。

ずっと前から忘れられてしまっている小箱や衣装ダンスから見つかる古い香水瓶。

詩人は、その香水瓶が「思い出す(se souvient)」と言うが、何を思い出すのかは明らかにされない。
ただ、そこからは「一つの魂(une âme)」が、「本当に生き生きと(toute vive)」、「飛び出してくる(jaillit)」。
viveはvivre(生きる)から来ており、魂が蘇り、生きているという感じがする。

最後の2行の詩句は、« se souvient »と« revient »が豊かな韻(rime riche)を踏み、思い出すこと、思い出が戻ってくることが、強く印象付けられる。


Mille pensers dormaient, chrysalides funèbres,
Frémissant doucement dans les lourdes ténèbres,
Qui dégagent leur aile et prennent leur essor,
Teintés d’azur, glacés de rose, lamés d’or.

千の思いが眠っていた、それらは死んだように見える蛹(さなぎ)、
静かに体を震わせながら、重苦しい闇の中、
羽根を伸ばし、舞い上がる、
真っ青に染まり、バラ色につやつやし、黄金のラメをまとい。

「眠る思い(pensers (qui) dormaient)」というのは、忘れられた思い出のこと。
それらは、「死んだように見える(funèbres)」けれど、しかしいつか孵化する可能性の「蛹(chrysalides)」にたとえられる。

だからこそ、生命の動きが感じられる。
「体を震わせ(Frémissant)」、「羽根を伸ばし(dégagent leur aile)」、「飛翔する(prennent leur essor)」。

その時、蛹は美しい色彩に彩られる。
「眠る思い」、つまり、忘れられた思い出の集積である蛹(さなぎ)は、「紺碧に染まり(Teintés d’azur)」、マロン・グラッセがテカテカと光っているように「バラ色に輝き(glacés de rose)」、「黄金のラメ( lamés d’or)」で被われる。


Voilà le souvenir enivrant qui voltige
Dans l’air troublé ; les yeux se ferment ; le Vertige
Saisit l’âme vaincue et la pousse à deux mains
Vers un gouffre obscurci de miasmes humains ;

Il la terrasse au bord d’un gouffre séculaire,
Où, Lazare odorant déchirant son suaire,
Se meut dans son réveil le cadavre spectral
D’un vieil amour ranci, charmant et sépulcral.

ほら、人を酔わせる思い出だ。クルクルと回る、
掻き乱された空中を。目をとじる。「眩暈(げんうん)」が
打ちひしがれた魂を捉え、両手で押していく、
深淵に向かって、人間の瘴気(しょうき)で黒ずんだ深淵に。

眩暈が魂をたたきのめす、何世紀も前から存在する深淵の縁で、
そこでは、ラザロが、いい香りを放ち、経帷子(きょうかたびら)を引き裂き、
うごめきながら、目を覚ます、亡霊のような遺体、
悪臭を放ち、魅力的で、墓のような、古い恋愛の遺体だ。

「思い出(le souvenir)」という単語に定冠詞が付けられているので、詩人と詩を捧げられた女性にとって、どの思い出かはわかっているのだろう。
しかし、具体なことは何も書かれていないため、私たち読者にはその思い出の内容は全くかわからない。

わかることは、それが「人を酔わせる(enivrant)」ものだということ。
思い出は、空中を「クルクルと回る(voltige)」。「空気が乱れる(l’air troublé)」。そのために、目閉じてしまい、「魂(l’âme)」は「眩暈(le Vertige)」に捉えられ、「打ちのめされ(vaincue)」、「深淵(un gouffre)」へと運ばれいく。

voltige(回る)とVertige(眩暈)が豊かな韻(rime riche)を踏んでいるために、目が回り、頭がくらくらする効果が、音的にもはっきりと感じられる。
それだけではなく、子音 « v »が、souvenir, enivrant, voltige, vertigeと連続し、そのアリテラシオン(子音反復)によって、酔いをもたらし、目を回させ、眩暈を引き起こす効果が強調される。

そして、魂は、人間の「瘴気(しょうき)、病を引き起こす悪い空気(miasme)」に運ばれ、「黒ずんだ(obscurci)」深淵へと引きづられていく。

深淵は、次の詩節で、ラザロ(Lazare)のエピソードと重ね合わされる。
『ヨハネによる福音書』によれば、死んだラザロの墓の前で、イエスが、「ラザロ、出てきなさい!」と大きな声で叫ぶ。すると、手足を縛られ、顔は布に被われた姿で、ラザロが墓から出て来る。
そこから、ヨーロッパの伝統の中で、ラザロは死からの復活を象徴する人物とされてきた。

ここでは、忘れられた香水瓶—思い出—眩暈—に続き、ラザロの「亡霊のような遺体(le cadavre spectral)」が、深淵の中で「目覚め(dans son réveil)」、「動き(Se meut)」始める。
ちなみに、Lazareと次の詩行のle cadavre spectralは同格。Lazarre se meutの後、Lazarreがle cadavre spectralだという説明が加えられる。

その遺体は、「ある古い愛(un vieil amour)」の死んだ姿。
その愛は、「悪臭を放ち(ranci)」ながらも、「魅力的(charmant)」でもあり、さらに「墓を思わせる(sépulcral.)」ものでもある。

現実の次元で考えると、それは、ボードレールがサバティエ夫人に対して抱いた、秘められた恋愛を暗示しているのだと考えられる。
実際、詩人は、1857年8月18日に夫人に宛てて書いた手紙の中で、初めて自分の愛を明かし、『悪の華』のページ数を挙げ、その中の9編が彼女に向けたものであると告白している。

ラザロの「香りがいい(odorant)」のは、サバティエ夫人の香水の暗示だろうか。
彼女への愛は、単に心躍らせるだけではなく、墓場に葬られるほどの苦しみでもあったと、恋人は訴える。そして、その思い出が蘇ってくる、と。


Ainsi, quand je serai perdu dans la mémoire
Des hommes, dans le coin d’une sinistre armoire
Quand on m’aura jeté, vieux flacon désolé,
Décrépit, poudreux, sale, abject, visqueux, fêlé,

Je serai ton cercueil, aimable pestilence !
Le témoin de ta force et de ta virulence,
Cher poison préparé par les anges ! Liqueur
Qui me ronge, ô la vie et la mort de mon cœur !

こんな風に、私がいつか消え去る時、人々の記憶の中、
不吉な衣装ダンスの中で、
いつか私が投げ捨てられてしまった時、古い香水瓶、傷み、
老朽化し、埃だらけで、薄汚く、おぞましく、ベタベタし、ひび割れた香水瓶(の私)が、

私はあたなの棺になるでしょう、愛しい疫病神よ!
あなたの力と激しさの証となるでしょう、
天使たちが準備した愛しい毒よ! 私を蝕む
液体よ! おお、我が心の生と死よ!

ここで「私(je)」と名乗るのは、「古い香水瓶( vieux flacon)」。
それが将来、みんなから「忘れられ( je serai perdu dans la mémoire)」、「捨てられてしまった(on m’aura jeté)」た時、「あなたの棺になるだろう(Je serai ton cercueil,)」と、予測する。
予測するというよりも、そうなりたいという希望を伝えていると考えた方がいいかもしれない。

16世紀の詩人ロンサールの読者であれば、未来を念頭においた求愛の詩句を目にして、「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で」で始まる詩を思い出すかもしれない。その詩は「今日すぐに、命のバラの花々を摘んで下さい。」で終わる。(参照:あなたが年老い、夕べ、燭台の横で

ボードレールは、自分の愛について、古い香水瓶につけた7つの形容詞によって示されるように、つまらないものとして卑下する。
その一方で、愛の対象である「あなた(toi)」に対しては、「疫病神(pestilence)」「毒(poison)」と呼びながら、彼女の絶対的な力を称揚する。あなたは私にとって、それほど強い力を及ぼすのだと。

「蝕む(ronge)」も含め、普通であれば否定的な意味に捉えられる言葉は、愛する人の発揮する「力(force)」や「激しさ( virulence)」を際立たせ、最終的には、あたなが「私の心の生死(la vie et la mort de mon cœur)」を決める女神だと訴える。

その愛の力の源泉は香りの思い出であり、香水瓶によって象徴される。
ラザレの如く甦る香りによって「私」は眩暈に捉えられ、深淵に沈む。
17世紀の劇作家ラシーヌが言うように、恋は毒なのだ。(参照:ラシーヌ 恋は毒

「それでも私は香水瓶となり、あなたの香りの思い出を保ち続けたい。」
ボードレールはこんな風にして、愛する女性に愛を伝えたのだった。


レオ・フェレ(Léo Ferré)が曲をつけた「香水瓶」はかなりロマンティックで、恋愛詩の雰囲気が漂っている。

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