ボードレール 夕べの諧調 Baudelaire « Harmonie du soir »

Eugène Boudin, Étude de ciel sur le bassin du commerce

「夕べの諧調」は、ボードレールの韻文詩の中で、最も美しく魅力的な詩の一つ。

一つ一つの言葉、言葉と言葉の繋がりが、音の点でも、意味の点でも、円やかなハーモニー(Harmonie)を奏で、私たちを恍惚とした美の世界へと導いてくれる。

詩の形態は、東南アジアのマレー半島で使用されたパントゥーム(pantoum)。一つの詩節から次の詩節へと、同じ詩句が次々に引き継がれ、戻ってくる。同じものの反復は、めまい、眩暈を惹き起こす。

音と意味の繋がりは、韻によって明確に示される。
女性韻 ige に関連する言葉は、揺れと固定、めまいとその跡を意味する。
男性韻 oirに関連する言葉は、宗教的な雰囲気をかき立てる。

女性韻:tige(枝)、vertige(めまい)、afflige(苦しめる)、se fige(固まる)、vestige(跡)。

男性韻:encensoir(振り香炉)、soir(夕べ)、reposoir(祭壇), noir(黒), ostensoir(聖体顕示台)。

宗教的な雰囲気は、振り香炉、祭壇、聖体顕示台の映像を見ると、実感できるだろう。

encensoir
reposir
ostensoir

「夕べの調和」は、« voici venir »(今、来ようとしている。)から始まる。
ここですでに、vの音で子音の重複(アリテラシオン)があり、iの音で母音の重複(アソナンス)がある。
詩の言葉の音楽性が表現され、ハーモニーが奏でられ始める。

Voici venir les temps où vibrant sur sa tige
Chaque fleur s’évapore ainsi qu’un encensoir ;
Les sons et les parfums tournent dans l’air du soir ;
Valse mélancolique et langoureux vertige !

今まさに時が来ようとしている。その時、枝の上で震える
花が、消え去っていく、振り香炉のように。
音と香りが、夕べの空で旋回する。
憂鬱なワルツ、そして、物憂いめまい!

舞踏会でワルツを踊り、何度も何度もクルクルと回る。美しいドレス、様々な香水の香り、優雅な音楽、それらが踊る人々を包み込み、めまいを起こさせる。そんな時、全てが旋回し、ものの形もはっきりとしなくなり、恍惚の中で我を忘れる。

ベルリオーズの「幻想交響曲」第2楽章「舞踏会」から、その雰囲気を感じることことができるだろう。

この時、枝の上で震えている花も、その形を失い、煙になって消えてしまうように感じられる。

花は、詩の隠喩でもある。そして、詩も音楽となり、香りを発散し、読者を包み込む。
vで始まった詩句は、igeで終わる。
その音が、第1詩節(venir … tige)から、第4詩節(valse… vertige)で反復される。
枝(tige)がワルツを踊り、眩暈(vertige)を引き起こす。

その間に、花(fleur)が蒸発する(s’évaporer)。
その際には、蒸発の中にvの音が響くだけではなく、sの音が、encensoir, sons, soirの中で繰り返される。

花もfとlの音として発散する。
parfumの音にはfが薫る。
lは、valse, mélancolie, langoureuxへと拡散し、詩句の音を滑らかにする。

こうして、音と香りに満ちた夕べのハーモニーが、眩暈(vertige)を引き起こし、読者を忘我(extase)へと導く。


第2詩節の最初の行と3行目は、第1詩節の第2詩句と第4詩句。
4行の内の2行は、前の詩句の反復になる。

Chaque fleur s’évapore ainsi qu’un encensoir ;
Le violon frémit comme un cœur qu’on afflige ;
Valse mélancolique et langoureux vertige !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir.

花が、消え去っていく、振り香炉のように。
ヴァイオリンが震える、誰かに悲しまされる心のように。
憂鬱なワルツ、そして、物憂いめまい!
空は悲しく、美しい、大きな祭壇のように。

第2詩節で新しく加えられるのは、振動するヴァイオリン、そして、空。

その二つの要素は、「のように」(comme)という言葉を使うことで、直喩によって比喩の対象が示される。

ヴァイオリンは心のようだ。
その震えは悲しみの表現。

しかし、その悲しみは、他方では美しい。
だからこそ、4行目で、空は悲しく美しい(triste et beau)と言われる。

この二つの形容詞ー悲しい、美しいーの繋がりは、後にヴェルレーヌの「月の光」でも「静かで、もの悲しく、美しい月の光」(Au calme clair de lune triste et beau)でも用いられることになる。
https://bohemegalante.com/2019/07/30/verlaine-clair-de-lune/2/

ボードレールは、その空から、大きな祭壇を導き出す。
音的には、祭壇(reposoir)は、振り香炉(encensoir)に繋がり、夕方(soir)の薄暗がりの中でのミサの雰囲気を生み出すことになる。

第3詩節になると、心の悲しみの起源が示され、その由来が太陽であることも暗示される。

Le violon frémit comme un cœur qu’on afflige,
Un cœur tendre, qui hait le néant vaste et noir !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir ;
Le soleil s’est noyé dans son sang qui se fige.

ヴァイオリンが震える、苦しめられる心のように。
優しい心は、巨大で暗黒の虚無を憎む!
空は悲しく、美しい、大きな祭壇のように。
太陽はすでに沈んだ、凝固する血液の中に。

ヴァイオリンのように震える心は、優しい。
その心が憎むものは、虚無。虚無は巨大で暗黒だ(vaste et noir)。
キリスト教徒にとって、その虚無は、天における神の不在を表現しているのかもしれない。

ネルヴァルは、「オリーヴ山のキリスト」(« Le Christ aux Oliviers »)の中で、次のような詩句を書き付けたことがある。

En cherchant l’œil de Dieu, je n’ai vu qu’un orbite
Vaste et noir et sans fond :

神の眼を探して、私が見つけたのは一つの軌跡でしかなかった。
巨大で黒く、底なしの軌跡。

黒く巨大な虚無は、太陽が凝固する血の中に沈んでしまったことに由来する。
太陽は、夕方になれば、真っ赤な夕焼けの中を、必ず沈んでいく。
そして、翌朝、再び東の空から登るという保証はどこにもない。
死あるいは虚無が、最終的な勝利を収める可能性を否定することはできない。
全てが固定し(se figer)、悲しみが世界を満たすかもしれない。

そうした中で、再生の可能性を予告するものがあるとしたら、それは反復の動きだけだろう。

夕方沈んだ太陽は、翌朝再び昇る。
そこで、最後の詩節は、永劫回帰の痕跡を思い起こさせる。

Un cœur tendre, qui hait le néant vaste et noir,
Du passé lumineux recueille tout vestige !
Le soleil s’est noyé dans son sang qui se fige…..
Ton souvenir en moi luit comme un ostensoir !

優しい心は、巨大で暗黒の虚無を憎む!
光輝く過去の痕跡を集めよ!
太陽はすでに沈んだ、凝固する血液の中に。。。
あたなの思い出が私の中で輝いている、聖体顕示台のように。

眩暈(vertige)から痕跡(vestige)へ。音的には、rとsの一音だけの違いにすぎない。
輝かしい過去とは、陶酔の時、つまり全てがおぼろげで、全てが憂鬱なダンスを踊る、眩暈の時。
その過去へ回帰することを願うのであれば、それは不可能な理想を求めるメランコリックな欲望であり、ロマン主義的な美の感情を生み出すことになる。
ラマルティーヌの「湖」が、その感情を最も見事に表現している。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

しかし、ボードレールは、「今」に美を見出す。
思い出は、過去に遡るのではなく、今ここに生きている「私」の中で輝いている。
しかも、聖体顕示台(ostensoir)のように、思い出は誇示(ostentation)されている。

言い換えれば、過去が現在の中に回帰し、メランコリーなダンスを踊りながら、物憂い陶酔を生み出す。
Valse mélancolique et langoureux vertige !