ボードレール 「レスボス」  Baudelaire « Lesbos » 2/3 レスボスの女たちの宗教

第3-4詩節でもレスボス島への呼びかけが続くが、ここからは肉体的で官能的な要素に言及され、意識が地上的な次元に下ってくる。

フリネ(Phryné)に代表される乱れた生活を送る女たち(femmes de moeurs légères) の吐息がこだまし、鏡に映る自分の肉体に恋をする。

Lesbos, où les Phrynés l’une l’autre s’attirent,
Où jamais un soupir ne resta sans écho,
A l’égal de Paphos les étoiles t’admirent,
Et Vénus à bon droit peut jalouser Sapho !
Lesbos, où les Phrynés l’une l’autre s’attirent,

Lesbos, terre des nuits chaudes et langoureuses,
Qui font qu’à leurs miroirs, stérile volupté !
Les filles aux yeux creux, de leur corps amoureuses,
Caressent les fruits mûrs de leur nubilité ;
Lesbos, terre des nuits chaudes et langoureuses,

(朗読は44秒から)

レスボスよ、そこで、尻軽な美女たちが、互いに互いを引き合う、
そこで、決して、一つの吐息が、こだますることなく留まることはなかった、
パフォスと同じように、星々がお前を賞賛する、
そして、ヴィーナスがサッフォーに嫉妬するとしても当然だ!
レスボスよ、そこでは、尻軽な美女たちが、互いに互いを引き合う、

レスボスよ、暑く物憂い夜の大地よ、
それらの夜のため、鏡に向かい、なんと不毛な官能か!
娘たちは、窪んだ目をし、彼女らの肉体を愛し、
成人に達し熟れた果実を愛撫する、
レスボスよ、暑く物憂い夜の大地よ、

「互いに互いを引き合う(s’attirent)」、「吐息(un soupir)」から始まり、「暑く物憂い夜(nuits chaudes et langoureuses)」「官能(volupté)」と続き、「肉体を愛し(amoureuses de leur corps)」、「売れた果実を愛撫する(Caressent les fruits mûrs)」に至る言葉の連なりは、女性の同性愛者たちの性的な行為を連想させ、19世紀の社会道徳に照らしてみれば猥褻と非難されことが容易に理解できる。

第3詩節では、海の泡から生まれた「ビーナス(Vénus)」が最初に向かったキプロス島の「パフォス(Paphos)」とレスボス島が同等に置かれ、そのことによってサッフォーがビーナスの位置にまで引き上げられる。
星々がレスボス島を「賞賛し( t’admirent)」、ヴィーナスがサッフォーに「嫉妬する(jalouser)」までになる。

この詩節の2行目の動詞(resta)だけが単純過去形で、それ以外の現在形と異なっているのは、「吐息(un soupir)」とその「こだま(écho)」を過去に押し込めたままにするためだろうか。

第4詩節で発せられる「不毛な官能(stérile volupté)」という言葉は、妊娠をもたらさない愛の行為を指し、レスボス島で繰り広げられる愛が同性愛であることを暗示する。
そのことは、「鏡(miroirs)」の存在によっても示される。つまり、そこに映るのは男の肉体ではなく、女の肉体なのだ。そのことも、同性愛を暗示する。

娘たちの目の窪み(yeux creux)は、愛の行為が繰り返される暑く物憂い夜の疲労を暗示すると考えていいだろう。
この詩節は、「レスボス」の中でもとりわけ猥褻だとして、1857年の裁判でも引用され、非難を浴びた。


第5詩節では、レスボス島に対して顔をしかめるプラトンに言及される。その理由は、19世紀前半における2人のサッフォー説を知ることで理解できる。

1人目のサッフォーは、レスボス島のミティリーニで生まれた女性詩人。プラトンが10番目のミューズ(詩の女神)と考えるほど優れた抒情詩人とされた。
もう1人のサッフォーはレスボス島のエレソスに生まれた女性で、少女たちとの同性愛を繰り返し、最後は美少年パオーンとの恋に破れ、断崖から身を投げて死んでしまう。
(参照:ボードレール 「レスボス」  Baudelaire « Lesbos » 1/3 レスビエンヌたちの口づけ

プラトンが眉をひそめるとしたら、このエレソスのサッフォーに対してなのだ。

第6詩節も含め、ボードレールは、エレソスのサッフォーを連想させるレスボス島に、「お前(tu)」という言葉を使い話しかける。

Laisse du vieux Platon se froncer l’œil austère ;
Tu tires ton pardon de l’excès des baisers,
Reine du doux empire, aimable et noble terre,
Et des raffinements toujours inépuisés.
Laisse du vieux Platon se froncer l’oeil austère.

Tu tires ton pardon de l’éternel martyre,
Infligé sans relâche aux cœurs ambitieux,
Qu’attire loin de nous le radieux sourire
Entrevu vaguement au bord des autres cieux !
Tu tires ton pardon de l’éternel martyre !

老プラトンの厳格な目など、しかめさせておけ。
お前が許しを得るのは、過度な口づけからだ、
穏やかな帝国の女王よ、愛らしく高貴な大地よ、
(許しを得るのは、)尽きることのない洗練された事物からだ、
老プラトンの厳格な目など、しかめさせておけ。

お前が許しを得るのは、永遠の殉教からだ、
それは、絶え間なく、高い望みを持つ心に課せられる、
それを私たちから遠く引き離すのは、輝く微笑み、
おぼろげに、他の天の岸辺で、垣間見える微笑み!
お前が許しを得るのは、永遠の殉教からだ!

古代ギリシアの哲学者プラトンの「厳格な目(l’œil austère)」を、19世紀半ばの公衆道徳と置き換えれば、男女の別を問わず、同性愛は人々の眉をしかめさせるものだったと考えられる。

そうした現実社会の基準は、第2詩節で喚起された「果てしなき深淵(gouffres sans fond)」の次元では意味をなさないと、ボードレールは考える。
だからこそ、もし「許し(pardon)」を得られるとしたら、「口づけ(baisers)」をさらに「過激(excès)」にすることからだし、社会全般から断罪されるという「殉教(martyre)」を「永遠に(éternel)」続けることからなのだ。

プラトン的な精神性の高い愛が高尚なのではない。
レスボスの女のたちの恋愛こそが「穏やかな帝国(le doux empire)」を産み出し、レスボス島を「愛らしく高貴な大地(aimable et noble terre)」にする。
そこで行われる彼女たちの愛の技が、「洗練されたもの(raffinements)」なのだ。

レスボスの女たちの「心(cœurs)」が「高い望みを持つ(ambitieux)」のは、現実社会の規範を超えた無限の彼方に眼差しを向けているからだろう。

その無限の彼方には現実とは違う様々な天(les autres cieux)が存在し、「キラキラと輝く微笑み(le radieux sourire)」が「垣間見える(entrevu)」。

現実の次元で迫害され、殉教するとしても、その微笑みのおかげで、殉教と思われたものが昇天に変わる。
「殉教を輝く微笑みが私たちから遠く引き離す(martyre (…) qu’attire loin de nous le radieux sourire)」とは、そのような意味だと考えられる。


第7-8詩節では、「裁く」ことがテーマになる。
19世紀の社会生活の中で、同性愛は断罪され、予め判決が下っていた。しかし、対立する二つの価値が並立する「底のない深淵(gouffres sans fond)」においては、善と悪、美と醜、上と下、太陽と月など、どのような対立も同時にある。
としたら、同性愛者たちが熱烈な愛の活動で昼夜を満たすレスボス島を、悪の島と断罪できるだろうか?

Qui des Dieux osera, Lesbos, être ton juge
Et condamner ton front pâli dans les travaux,
Si ses balances d’or n’ont pesé le déluge
De larmes qu’à la mer ont versé tes ruisseaux ?
Qui des Dieux osera, Lesbos, être ton juge ?

Que nous veulent les lois du juste et de l’injuste ?
Vierges au coeur sublime, honneur de l’Archipel,
Votre religion comme une autre est auguste,
Et l’amour se rira de l’Enfer et du Ciel !
Que nous veulent les lois du juste et de l’injuste ?

神々の誰が、大胆にも、レスボスよ、お前の裁判官となり、
そして、日々の活動の中で青ざめたお前の額を断罪するだろうか?
黄金の天秤が、測ったことがなかったとしたら、
お前の小川が海へと流し込んだ涙の洪水を。
神々の誰が、レスボスよ、お前を裁けるのか?

正義と不正の法が、私たちに何を望むのか?
エーゲ界の誉れである崇高な心を持つ処女たちよ、
お前たちの宗教は、他の宗教と同様に、厳かだ、
そして、愛は、地獄も天国もあざ笑うだろう!
正義と不正の法が、私たちに何を望むのか?

「裁判官(juge)」、「正義と不正の法(lois du juste et de l’injuste)」だけではなく、「天秤(balances )」や「重さを計量する(pesé)」も測る役割を果たすことから、裁判を連想させる。

もし裁判を行うとしたら、それは誰か?
キリスト教の「神(Dieu)」であれば単数形で記されなければならないが、ここでは複数形で「神々(Dieux)」とされているので、異教つまり古代ギリシアの神々ということになる。

しかし、その神々の誰も、裁判官となり、レスボス島を「断罪する(condamner)」勇気はないだろうと言われる。
その理由は、裁かれる側、つまり同性愛者たちの住む島は断罪すべきものではなく、その逆だと考えられるからだ。

第7詩節では、レスボス島の「活動(travaux)」や「涙の洪水(le déluge de larmes)」にふれられるのだが、それらは第5-6詩節で描かれた愛の行為とその結果の迫害や殉教と関係する。

レスボスの女たちはその活動の末に、「額(le front)」が「青ざめ(pâli)」、彼女たちの目から流れる涙は洪水となり、「海(la mer)」のようになった。
その涙の洪水を、正義の女神テミスを連想させる「黄金の天秤(balances d’or)」でさえ、「測ったことがなかった(n’ont pesé)」のだった。
としたら、今も、これからも、レスボスを断罪する裁判に携わる神はいないに違いない。

第8詩節では、レスボスの女たちを褒め称える言葉が連ねられる。
彼女たちの「崇高な心(le cœur sublime)」は、「エーゲ海の誉れ(honneur de l’Archipel)」。
ちなみに、viergesは複数形、cœurは単数、honneurも単数。従って、honneurが同格として属性を示すのはcœurであって、viergesではない。

乙女たちの「宗教(votre religion)」、つまり同性愛は、古代ギリシアの宗教あるいはキリスト教といった他の宗教と同様に、「堂々とし、厳かなもの(est auguste)」。
その「愛(l’amour)」が一つの宗教になるとしたら、「天国(le Ciel)」と「地獄(l’Enfer)」を峻別し、対立的に捉える宗教や思想を揶揄し、「あざ笑うことになるだろう(se rira de)」。

ボードレールは、「正義と不正の法が私たちに何を望むのか?(Que nous veulent les lois du juste et de l’injuste ?)」と問いかけることで、社会を支配する正義の概念が、「私たち(nous)」にとって本当に正しいのかどうか、疑問を投げかけたのだった。

そして、第9詩節以降では、「私(je)」を登場させ、さらに詩句を続けていく。

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