日本語の文字表記(漢字、ひらがなの併用)と日本的精神

日本語の最も大きな特徴は何かと言えば、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットなどを併用することだといえる。その歴史的な過程を辿ると、それが日本的な精神と関係していることがわかってくる。

古代の日本は無文字社会であり、活字は中国大陸から移入したものだった。「漢」字という名称がその由来を現在でも残している。英語で漢字はChinese characters、フランス語ではcaractères chinois。現在の日本で使われている漢字は中国語の漢字とはかなり違っているが、起源が同じであることに変わりはない。

しかし、私たちは漢字が外来のものだと意識することなく使っている。そのことが、日本的な精神の一つの表現かもしれないのだ。

日本語の文字表記の成立過程

いつから漢字が使われ始めたかという点に関してはあまりはっきりしないが、5世紀頃に作製された剣や鏡などに日本の地名や人名が記されていることはわかっている。

6世紀半ばには仏教が伝来し、漢文で書かれた書物を読む能力を持つ人々が育成され、712年の『古事記』の編纂につながった。

『古事記』は天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」し、太安万侶が「書き」記し編纂した日本最古の書物。
その過程が示すように、「和語を ー 漢字で ー 書いた」ものであり、大まかに言えば、日本語の音に似た漢字を当てはめるというアクロバットのような操作が行われた。つまり、表「意」文字である漢字を、表「音」文字として使用したのだった。

その後に編纂された『万葉集』も、「万葉仮名」と呼ばれる「表音文字として使った漢字」で書かれている。
例えば、「夜久毛多都 」。音だけでたどると、「 やくもたつ(八雲立つ)」。
次の例になると、現代の私たちにはとても理解できない。
「余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理」
(世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり)(大伴旅人)

このようにして、日本語が漢字によって書き記された書物が成立したのだが、その際、漢字と音の関係に関して二つの方法が用いられた。
その方法とは、音読みと訓読み。
a. 音読みとは、中国の発音に基づく音。       ex. 阿米(アメ)
b. 訓読みとは、漢字の意味と対応する和語の音。    ex. 名津蚊為(ナツカシ)

このことが日本語の表現法に決定的な影響を与えたことは、私たちが使う現代の日本語にも音読みと訓読みが混在していることからもよくわかる。

その後、ひらがなとカタカナが作られる。二つとも純粋な表音文字である。

ひらなが(平仮名)は、万葉仮名の書体である楷書、行書、草書などの中で、草書の形が変化していくうちに成立した。
初期の頃は一つの音に対して複数の字体が用いられたのだが、時代を経るに従い、一つのひらがなに一つの音が対応するように整備された。

漢字仮名混合文における、漢字とひらがなの使い分けの基本は、以下のように考えられる。
a. 漢字   — 指示的な内容を持つ「詞」
b. ひらがな — 助詞、助動詞など、指示的な内容を持たないが、ある情動的な意味を持つ「辞」:てにをは

カタナカは、9世紀頃、仏教の僧侶たちが、漢文の経典などを和読するための助けとして、万葉仮名の一部の字画を切り取り、音声を記したことに由来すると考えられている。
最初は、文字の読み方の順番を示すレ点などと一緒に文字列の行間に書かれたりしていたこともあり、あくまでも漢文を読むための補助としての役割が主だった。その後、ひらがなと同様に漢字カタカナ文が書かれることもあったが、しかし、ひらがなと違い、習字に書かれるなどして、美的な価値を持つことはなかった。

このようにして、日本語の書記システムは、「漢字」と「ひらがな」及び「カタカナ」を併用するものとなり、現在に続いている。

日本的精神

以上のような日本語の表記体系成立の歴史的経緯と、日本的精神がどのように関係しているのだろうか?

一般的に言えば、ある体系があり、次に別の体系が導入される場合には、前の体系は排除される傾向にある。
例えば、キリスト教がもたらされる前のヨーロッパの宗教は、古代ギリシアの神話に描かれる多神教だったり、ケルトの宗教だった。キリスト教が確立すると、それらの宗教は異教として徹底的に排除された。(生き残るとしたら、例えば、イシス女神がマリアの像に姿を変えるようにして、キリスト教の内部に潜むしかなかった。)

それに対して、日本では、仏教の伝来以降、日本土着の神々は抑圧されるよりは、神仏習合という形で、神も仏もさほど区別することなく、信仰の対象になった。

新しいものを導入しても、古いものを排除することなく、古いものと融合させる。その際、二つの本質的な違いを考慮するよりも、適当にやりくりする。
仏教はこの世を穢土とみなし、死後に極楽浄土に行けることを救いと見なすのが基本だが、日本での祈りは現世利益。それは土着の神々に人々が祈ったことだった。

そうしたメンタリティーは現在でも同じことで、多くの日本人は、お寺も神社も区別なく参拝に、仏に祈るのか、神々に祈るのか意識することなく、ただ手を合わせる。そして、家内安全とか受験の合格とか、現世での幸福を願う。
しかも、まったく異なるキリスト教に対しても同じ姿勢で臨み、教会でお祈りすることも厭わないし、結婚式を教会で挙げることもある。

多くの日本人にとって、イエス・キリストも仏も自然に宿る神々も、”神様”であることに変わりはない。

こうした例に見られるように、日本的精神は、原則とか本質にはこだわらず、その場その場で状況に合わせ、あるがままを受け入れ、古いものと新しいものをアレンジして、角が立たないようにやり過ごす。
「水に流す」ことが、生活の知恵なのだ。

そのために、次に新しいものが入ってくればまたそれを受け入れ、たとえ消化していなくても、呑み込んでいく。そして、それが古くなり、次に新しいものが現れれば、喜んで受け入れる。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。(『方丈記』)


水は同じでないかもしれないが、ずっと流れていればそれでいい。鴨長明の意図とは少し違うかもしれないが、『方丈記』冒頭の一節こそ、日本的精神の真髄を表現している。

。。。。。

日本語の言語表記も、こうした日本精神によって、中国の漢字を導入しながら、それ以前の日本の言葉を保ち、両者を共存させてきた結果だと考えることができる。

『日本書記』(720)は大和朝廷が正式な歴史書として編纂したものであり、その正当性を示すためも、「漢文」で書く必要があったに違いない。
しかし、日本語を廃止し、中国大陸の言語を正式に採用することはなかった。

『古事記』や『万葉集』のように、漢字を借用しながら、音読みと訓読みを組み合わせ、日本語を漢字で綴る方法を考案する。排除ではなく、神仏習合と同じような融合。
そして、漢字をいつの間にか、日本語に馴染ませてしまう。つまり、どちらもあり。

面白い例が、川端康成の『雪国』にある

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

あたなは「国境」をどのように発音するだろう?

「コッキョウ」? それとも「くにざかい」?
音読みにするべきか訓読みにするべきか、専門家たちの間でも結論が出ないらしい。

その一方で、「雪国」の読み方に関する論争はなく、「ゆきぐに」ではなく「セッコク」と読むべきという人はいないだろう。

その二つの場合の理由を説明することはできないけれど、もし問いかけられなければ、自分の読み方に疑問を持つことはない。
それほど音読みと訓読みのルールは無意識的に行われる。そして、そのことは、日本人の中で漢字が外来の文字と意識されないほど根付いていることを示している。
実際、どんなに形は変化したとはいえ、漢字は元来Chinese charactersであるが、中国由来のものだと意識することは全くないと言ってもいい。

その一方で、漢字を「漢」の文「字」と書き続け、その起源は絶えず明らかにされている。
そして、漢字を多く使う文にはどこかしら堅さや厳めしさを感じる。あるいは知的な印象を与える為に漢字を使うこともある。
“ひらがなばかりのぶんだとようちにおもわれるかもしれないし”、漢字という表意文字があるおかげで、文章の意味を理解するのが容易になる。
漢字は完全に日本語として馴染んでいるのだが、しかし和語とは違う印象を与え続けていることも確かなのだ。

宗教で言えば、神様に手を合わせることは同じだが、それでも、神社とお寺の違うことは何となく感じていることになる。(人によっては、仏教の方が神道より身近に感じるかもしれない。)




このように簡単に日本語の表記表現の歴史を振り返るだけで、日本的な精神性と関係していることがわかってくる。

そして、私たちが日本語を使い続ける限り、言語を通して日本的な精神を受け継いでいくことになる。

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