
「行く川の流れは絶(た)えずして、しかも本(もと)の水にあらず。」で始まる『方丈記』は、現代の読者でも、日本語の美しさを体感することができ、しかも、日本的な心の在り方を知ることができる、大変に優れた文学作品。
全体は4つの部分から構成される。
冒頭に序が置かれ、次に5つの災害の記述が続く。その後、自然の中にたたずむ極小の住居(方丈)での隠遁生活が描かれ、最後に、悟りきらない自分を揶揄するような後書きが置かれている。
最近では、災害文学とか、ミニマリストな生き方の勧めとして読まれることがある。
しかし、そうしたhow toもの的な読み方をすると、『方丈記』の文化的な豊かさがすっぽりと抜け落ちてしまいかねない。
ここでは、人生訓的な読み方ではなく、作品そのものの富を吸収することができるような読み方を試みたい。
そのためには、多少分からない部分があったとしても、鴨長明が鎌倉時代の初期に書いたままの言葉を読むことが大切になる。
まずは、序の文を、youtubeにアップされている朗読に耳を傾けながら、流れるような美しさを持った長明自身の言葉で読んでみよう。
行く川の流れは絶えずして、しかも本(もと)の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく留(とど)まることなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。玉しきの都の中に棟(むね)をならべ甍(いらか)をあらそへる、貴(たか)き賤(いや)しき人の住(す)まひは、世々(よよ)を経て尽(つ)きせぬものなれど、これをまことかと尋(たずぬ)れば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年(こぞ)焼けて今年は作れり。あるは大家(おおいえ)ほろびて小家(こいえ)となる。
住む人もこれに同じ。所も変(かは)らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中(うち)にわづかに一人(ひとり)二人(ふたり)なり。朝(あした)に死し、夕(ゆふべ)に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来(きた)りて、いづかたへか去る。また、知らず、仮(かり)のやどり、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。
その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常をあらそふさま、いはば朝顏の露にことならず。あるいは露おちて花の残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕(ゆふべ)を待つ事なし。
(1)時の流れと永遠
一般的に、「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。」の文では、同じ水ではないという後半部分に焦点が置かれ、時間が全てを押し流してしまい、この世にあって永遠に存続するものはないという認識が述べられていると言われる。
そうした無常観は、平安時代末期の源平の争いで、約30年間くらいの間のみ支配者となった平家の没落を歌った『平家物語』の冒頭と対応している。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃ・ひっすい)の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
「諸行無常(しょぎょう・むじょう)」とは、仏教の基本的な教えの一つ。
諸行=全ての作られたものは、時間の経過とともに生滅(しょうめつ)し、変化し、常なることは無いことを説く。
序の最後でも「無常」という言葉が使われ、その象徴として「朝顔の露」が挙げられているために、『方丈記』も、「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく留まることなし。」の言葉通り、全ては「うたかた」、つまり水の泡にすぎないという思想を展開するかのように思われる。
実際、冒頭の文に続く「人と栖」に関する考察も、第一部で語られる5つの災害の記述も、諸行無常説を証明するかのようである。
しかし、別の視点から見ると、「行く川」の流れは「絶えることがない」と言われていることに気づく。
全ては生まれ死ぬし、「盛者必衰」には違いない。しかし、死んではまた生まれ、衰える者の後からはまた栄える者が現れる。
「朝(あした)に死し、夕(ゆふべ)に生る。」それも、もう一つの理(ことわり)なのだ。
そして、そこには、仏教の理念である「諸行無常」とは異なる、日本的な世界観がひっそりと込められている。
日本的な世界観とは、お花見を考えるとよくわかる。
桜の時期は短く、すぐに散ってしまう。そのはかなさが桜の美をますます愛おしいものにする。そして、次の年にまた咲くのを楽しみにして待つ。
今年の桜だけを取り上げれば、二度と同じ花は咲かない。その意味では、全ては変化し、失われる。
しかし、来年もお花見の季節が巡ってきて、今年と同じように桜を楽しむ。そして、その次の年も・・・、というように、桜は毎年咲き続ける。それを私たちは疑わない。
そのように考えると、無常が美と結びつく日本的な美意識は、はかなさと永遠が静かに縫い合わされているところから来ていることがわかってくる。
実は、夏目漱石も『方丈記』に永遠の相を見ていた。
漱石は、大学生の時、東京大学のイギリス人教授に『方丈記』の英訳を依頼され、その際、A short essay on Hojokiと題したエッセーも一緒に提出したのだった。
その中の一節には、永遠の心(eternal mind)とはなかい性質を持った事物(all objects on ephemeral nature)を対比した部分がある。
Considering the particular social circumstances under which he lived, his peculiar turn of mind much hardened by his personal experiences as well as the strong influence which Buddhistic theology exerted upon his thought, it is not surprising he was irresistibly driven into an ethereal region where eternal mind calmly sits by itself, emancipated from all objects of ephemeral nature.
彼(鴨長明)が生きた特別な社会状況や、彼の独特な心の動き、その動きは、個人的な経験と同時に、仏教の教えが彼の思想に及ぼした影響によって更に強めらるれのだが、それらを考えると、長明が極めて優美な領域の中にどうしようもなく導かれていったことに驚くことはない。永遠なる心がそれ自体で存在するその領域は、はかない性質を持つ全ての事物から解き放たれたものだった。
平安時代末期から鎌倉時代にかけての末法の世を背景に、全てが失われていくようなはかない(ephemeral)世界を前にして、長明は、独特の感性によって、永遠の(eternal)心が核を成す優美な(ethereal )領域を捉えたのだと、漱石は考えた。
注意したいことは、日本的美意識にとって、時の経過と永遠は両立するという以上に、両者が不可欠だということ。その点について、次に考えていこう。
(2)日常性と美の伝統
日本的感性は、永遠の幸福を望まないようである。
浦島太郎は、パラダイスである竜宮城で乙姫さまからもてなしをうけながら、結局故郷に戻ってしまう。
かぐや姫は育ての親や帝への想いを自分の中から消し去るために、月からもたらされた羽衣をはおらなければならない。また、不老不死の薬を姫から送られた帝は、不老不死になることを望まず、薬を富士の山頂に投げ入れさせてしまう。
どちらの物語にしても、永遠の地である竜宮城や月よりも、時間が流れると同時に人の情が通う地上を好む、日本人の心持ちを描いている。
そうした願いは、仏教の教えとは違っている。
例えば、浄土宗を始めとする大乗仏教では、阿弥陀仏を信じひたすら念仏を唱えれば、死後に極楽浄土に導かれると教えられる。
日本人は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、仏教に帰依するようにみえて、実際に願うのは、死後に訪れる魂の平安ではなく、現世での幸福。
さらに言えば、たとえ辛いことがあったとしても、情の通った世界で生きることを選ぶ。
鴨長明も、そうした日本人の例にもれず、「仮のやどり、誰が為に心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。」と述べ、喜びや悩みに言及する。
仏教的な救いからすれば、日常の出来事に心を動かすことは、「たゞ水の泡」のようにはかなくつまらないことで、「無常」なことだと、長明も十分にわかっている。
そして、ここで「無常」という言葉を使うことで、『平家物語』の「諸行無常」と同じように、仏教の教えに従っているようにも見える。
しかし、長明の日本的な感性は、仏教の教えに全面的に従うのではなく、この世のはかなさを受け入れ、美的に捉える方向へと進む。
そのことを理解するためには、仏教における「無常」に基づいた世界観を頭に入れておく必要がある。
例えば、10世紀末に書かれた『往生要集(おうじょう・ようしゅう)』では、この世は無常であり、人間の生もすぐに過ぎ去ってしまうのだから、生きながらえることを考えるのではなく、浄土に向かうことを考えるべきだと説いている。
一切のもろもろの世間に、生ぜるものはみな死に帰す。(中略)命は死のために呑まれ、法として常なるものあることなし。(中略)
人間世界は、 このようなものである。 本当に厭(いと)い、離れるべきである。 (源信『往生要集』)
下鴨(しもがも)神社の神官の子として生まれ、神職として出世することを望み、その願いが叶えられなくなると出家した長明にとって、『往生要集』で説かれる教えは、ごく当たり前に受け入れていたことに違いない。
しかし、仏教の修行の傍らで、彼は和歌と琵琶をたしなみ、出家後の小さな住まい(方丈)にも、阿弥陀如来の絵の横に和歌の書や琴や琵琶を置き、読経に疲れると、「ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。」という生活を送った。

だからこそ、「無常」を宗教や思想として語るのではなく、「朝顔の露」という具体的な事物に則して語ることを選んだのだった。
その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常をあらそふさま、いはば朝顏の露にことならず。
あるいは露おちて花の残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕(ゆうべ)を待つ事なし。
日本的な感性は、抽象的な思索ではなく、日常的な経験の中で実際に物事に触れ、その際の情感を語ることを好む。
「無常」という厳めしい概念を示されるよりも、「朝顔の露」と言われた方が、人生のはかなさを実感できる。
しかし、「朝顔の露」に言及されるのは、それだけの理由ではない。
現代の日本ではすでに失われてしまっているが、少なくとも江戸時代までは、和歌や俳句に典型的に現れたように、とりわけ花鳥風月に関して、現実の体験の中に文化的な教養が組み込まれていた。
こう言ってよければ、自然とは、和歌で歌われ、物語の言葉によって裏付けされた「自然」だった。
当然、鴨長明の頭の中にも、「朝顔の露」を歌った和歌がいくつか浮かんでいたことだろう。
例えば、紫式部の和歌。

消えぬまの 身をも知る知る あさがほの 露とあらそふ 世を嘆くかな
紫式部は、『源氏物語』にも朝顔の姫宮を登場させ、光源氏との間の贈答歌で、朝顔と露を取り上げている。
「朝顔」の章の根底にあるのは、「げにこそ定めがたき世なれと、はかなきことにつけても思しつづけらる」という無常観であり、二人の歌も、時間の経過とともに全てが失われるという世界観を反映している。
見し折りの つゆ(露)忘(わす)られぬ 朝顔の 花の盛(さか)りは 過ぎやしぬらむ(光源氏)
秋果(は)てて 霧の籬(まがき)に むすぼほれ あるかなきかに 移(うつ)る朝顔 (朝顔の姫君)
源氏の歌の、「つゆ」は、副詞の「つゆ」(=少しも)と名詞の「露」の掛詞。また、「露」は「朝顔」の縁語でもある。
彼は、朝顔の露のはかなさを連想させながら、あなたのことが少しも忘れられないと、想いを伝える。
それに対して、姫は、「露」に対して「霧」を、「過ぎや」に対して「移る」を置き換え、花の盛りは霧の立ち込める垣根に結ばれてしぼんでしまい、あるかなきかになってしまったと、返歌を贈る。
これらは恋の歌だが、その根底にはこの世のはかなさが横たわっていることは明らかである。
そのはかなさが、無常として、思想的あるいは宗教的な世界観と結びつくこともあった。
源順(みなもとの したごう 911~983)の「無常」と題された和歌。
世の中を 何にたとへむ 夕露も 待たで消えぬる 蕣(あさがお)の花
寂然(じゃくねん 生没年不詳。1118年(元永1)ころ生まれ)の「無常の心を詠める歌」。
朝顔の 花に宿れる 露の身は はかなき上に なほぞはかなき
『新古今和歌集』には、朝顔の露を歌い、釈教歌、つまり仏教の教えとして収録された和歌がある。
何か思ふ 何かは嘆く 世の中は ただ朝顔の 花の上の露
こうした例はほんの一部だが、鴨長明が「無常」の表現として「朝顔の露」を取り上げたのは、現実に朝顔が朝咲き夕方にはしぼんでしまう短命の花というだけではなく、『古今和歌集』以来の和歌の伝統の中で、何度も歌われ、文化の中に組み込まれた花だったからに他ならない。
では、それが意味することは何か?
この世は朝顔やその露のようにはかなく、無常だ。その現実認識が変わることはない。
その一方で、同じ花が歌われ続けることで、一本の朝顔を実際に見た時にも、様々な和歌の言葉が思い出され、現実の花を記憶の中の花が覆い尽くす。
そこで時間が流れながらも、他方では、一つの花の中に歴史的な時間が流れ込み、時間が留まっているかのようにも感じられる。
たとえ、「本の水にあらず」としても、「行く川の流れは絶えずして」なのだ。
日本的な感性が望むのは、川の流れが不動であることではなく、絶えず流れていくことであり、「よどみに浮ぶうたかた」が「かつ消えかつ結び」、この世が無常であることに対して、悲しみや喜びを感じることだ。
そして、そのはかなさが「あはれ」の感情を引き起こし、美へとつながる。
琵琶の名手であり、歌人でもある鴨長明は、「あはれ」を感じ取る心を十分に養っており、だからこそ、朝顔の露の有様を、美しい対句で表現する。
対応する部分を、佐藤春夫の現代語訳で読んでみると、長明の文との違いがはっきりと感じられる。
露が先に地に落ちるか、花が先に萎(しぼ)んでしまうか、どちらにしても所詮は落ち、萎むべきものである。露が夕陽(ゆうひ)の頃まで残る事はなく、又朝顔とても同じ事、朝日が高く登れば萎むべき運命なのである。人々と人々の住家も所詮は朝顔に置く朝露と、朝顔の運命とを辿(たど)らねばならないものである。どちらが先に落ちぶれるか、それは解(わか)らないが所詮は落ちぶれるものなのである。(佐藤春夫訳)
長明の文では、花と露の対句が、事実を伝えるというよりも、文そのものとしての美しさを読者に感じさせる。
あるいは露おちて花の残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。
最初の文では、露が落ち、花が残る。しかし、たとえ残ったとしても、翌朝には枯れる。
次の文では、反対に、花がしぼみ、露が残る。しかし、たとえ残ったとしても、夕方には消える。
その対照が、和漢混交文と呼ばれる文体によって力強く、軽快なリズムを刻んで表現されている。
そして、その中で、いつしか無常が美へと変わる。
その美こそが『方丈記』の最大の魅力であり、日本的な感性が常に捉え続けてきた「移ろいゆく美」を読者にじかに伝えるものなのだ。
そして、その美を感じ取る心を養うことが、日本的な心の在り方や感受性を知ることにもつながっていく。
夏目漱石が、帝国大学在学中、James Main Dixonに依頼されて翻訳した『方丈記』に付けられたエセー« A Short Essay on Hojok-ki »の全文。
もし必要な場合には、無料の翻訳サービスソフトを試してみると、どの程度の精度かわかり、面白かったりする。
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