命の線引き  妊娠中絶 安楽死 ベジタリアン エコロジー etc.

命の価値は絶対的なものであり、殺人は絶対的な悪だと誰もが考えるだろう。
そして、その前提に立った上で、堕胎や安楽死など、生命に関係する問題について、賛成か反対かが論じられる。
視点を少しズラすと、菜食主義に関しても、動物を人間と近い存在と考え、植物との間で線引きをするるかどうかという問題になる。

だが、歴史的に見ると、人間が価値を置く生命に関しての絶対的な基準はなく、時代や地域によって考え方が異なることが確認される。
子供殺しが頻繁に行われていた時代があり、動物を残酷に扱うことが動物虐待と見なされない地域が今でもある。
悪や善の基準に「変化」はあっても、「進歩」はない。基準は常に相対的なものだ。

ここでは、人間が人間の命を左右する問題(中絶、安楽死等)と、人間以外の生物の問題(ベジタリアン、エコロジー)に分け、「命の線引き」について考えていきたい。

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考える力と書くこと ChatGPTと人間の思考 1/2

「考える力」は、大学入試だけではなく、企業でも必要とされ、現代人にもっとも求められる能力の一つだと見なされている。
そのためなのか、ネットをググると、考える力をつけるための方法を提案するサイトが数多く出てくる。
その中には、疑問を持つことが考える力をつけるきっかけになると書きながら、その提案自体に疑問を持つことは想定せず、ハウツー本を紹介しているものまである。

大学入試で「考える力」が問われるとしたら、入試問題に正しく答えることが、その能力の証明になる。
そこで面白いのが、最近話題のChatGPT。
人口知能(AI)による自然言語処理システムだが、ある調査によると、アメリカの一つの大学の入学試験問題を回答させたところBランクで合格、医師免許試験でも弁護士資格試験でも合格の判定結果が出たという。
また、日本の大学入試共通テストの英語では、80%近い正解率が得られたという報告もある。
人口「知能」なのだから当たり前かもしれないが、AIには「考える力」があることになる。

興味深いことに、日本の教育では、ある時期、「詰め込み教育」の反動から、知識よりも考える力と言われ、「ゆとり教育」が実践された。
現在では、脱ゆとり教育という名目で、学習量の増加を図りながら、子供への負担の増加という印象を与えるのを避けるためなのか、「生きる力を育む」といった方針がとられている。
こうした変遷を通して明らかになるのは、現在の日本でも、知識と思考は対立するという意識がおぼろげにでも存在し続けていること。
例えば、「知識」と「知恵」は違うなどという表現に、「知識vs考える力」の構図が透けて見える。

ところが、AIでは膨大なデータを入力し、そこから質問の回答を導き出す。
もしデータがなければ何も出力されないし、データが少なければ不正確な回答が出てくる可能性が高い。
AIの「考える力」の根本にあるのは、データ=知識なのだ。
逆に言えば、ビックデータ(大量の知識)こそが考える力の源泉であり、知識量が増加すれば考えた結果の正確性も増す。

そうしたことを前提にしながら、最初に、考える力と知識の関係について考え、次に、データ量でははるかに劣る人間が書くことによって思考力を高められるのではないか、といったことを考えてみよう。

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国語の授業と読むこと

小学校から高校までの「国語」の授業で、読むことの訓練が12年間にわたり行われ、誰でも読むことはできるようになっている。実際、日本の識字率は高い。
他方で、「国語」教育の問題点も指摘されている。例えば、長文読解ができない、論理的な文章が書けない、発信力が弱い、本(文学)を好きにならない、国語嫌いが多い、等。

そうした現状に関して考えて行くヒントとして、生徒の印象に残った作品名を上げてみると、中学と高校で次のような結果らしい。
中学:竹取物語、走れメロス、奥の細道、等。
高校:羅生門、こころ、山月記、舞姫、檸檬、源氏物語、等。

こうした作品が心に残っているとしたら、生徒にとって大きな意味があるに違いない。

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『竹取物語』は、日本人的な心の在り方を私たちに教えてくれる。
一般的に、かぐや姫が月に戻っていくところで話は終わるように思われているが、実はその続きがある。
月に戻る前、姫は育ての親に対する愛情を強く示し(人情)、愛する帝には不老不死の薬を残していく。その薬を、帝は富士(不死)の山に投げ入れる。
そうしたエピソードは、月よりも地上を、不死=永遠よりも現実=時間を好む、日本的な心性を表現している。

太宰治の『走れメロス』と芥川龍之介の『羅生門』は、対極的な倫理観を提示する。一方は、真実の友情の物語。他方は、下人が生き延びるために老婆を犠牲にするエゴイスムの物語。
『羅生門』と同じように、他者の犠牲の上で生き延びる「私」という枠組みは、夏目漱石の『こころ』や森鴎外の『舞姫』にも見られる問題であり、多くの犠牲を出した第二次世界大戦の後の、日本人の心の在り方を考えるきっかけになる。

エゴイスムに孤独感が加わると、中島敦の「山月記」になる。
そして、生きることの孤独感は、「えたいの知れない不吉な塊」が心を常に押さえつけることをテーマにした梶井基次郎の『檸檬』や、「月夜の晩に、拾つたボタンは/どうしてそれが、捨てられようか?」と歌う中原中也の詩「月夜の浜辺」によっても取り上げられる。

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こうした作品を通して、国語教育を受ける一人一人の子供たちは、濃淡の差はあれ、自分の中に抱える切実な問題を感じ取っているだろう。
そして、それぞれの作品を通して、自分自身について考え、人とのつながりについて考え、話し合うことで、「自分の考えを根拠に基づいて的確に表現すること」の訓練ができるに違いない。

しかし、現実には、「長時間かけても文章を理解できるようにならない」子供たちが多数発生し、読むことも、言葉で論理的に表現することも十分にできない、という統計結果が出ている。

せっかく素晴らしい文学作品に接しながら、なぜ本嫌いが増え、読書離れが加速しているのかを考えるために、国語教育の中で、文学作品について行われるテストの問題を覗いてみよう。

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数字を読む コロナによる死者数 出生者数

試験で18点だったと言えば、フランスではよくできると驚かれるし、日本だったら落第だ。というのも、フランスでは満点は20点で、日本では100点なのが一般的。18という数字は、20に対してなのか、100に対してなのかで、価値が変化する。

こんな当たり前のことが、しばしば忘れられる。

コロナの死者の累計は、厚生労働省の発表によれば、2023年3月22日の時点で、7万3562人。(最初の死者が確認されたのは2020年2月。)

この数字をどのように考えるかは個人の考え方にかかっているが、相対化するためには、年間の総死者数の知ることが一つの指標となる。
2020年 137万2648
2021年 143万9809
2022年 158万2033
計    439万4490

二つの統計の間の期間が少しズレるが、大まかに見ると、3年間の全死者数が約440万人、そのうちのコロナによる死者数は約7万4000人となる。
逆に言えば、コロナ以外の死者数は、430万人以上。そのうちの約10分の1は老衰によるというデータもある。

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情報の読み方 二極化しつつある世界を前にして

2023年3月20日はアメリカ軍がイラクの首都バクダットに空爆を始めた日から20年、というニュースが流れていた。
戦争の大義は、サダム・フセインが大量破壊兵器(核兵器)を所有しているというものだったが、兵器は見つからず、フセイン政権が打倒されただけで、結局は、イスラム過激派(IS)が中東やアフリカに拡散する結果になった。

2001年9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロをきっかけにして行われたアフガニスタン侵攻でも、アルカイダの指導者ウサマ・ビン・ラディンを標的にし、アメリカ軍がアフガニスタンに侵攻、タリバン政権を崩壊させた。
しかし、20年後の2021年アメリカ軍が完全撤退すると、タリバン政権が復活し、現在に至っている。

この2つの戦争は、1990年の湾岸戦争で、クエートを併合したイラクに対し、多国籍軍がサウジアラビアを拠点にして攻撃し、イラクを撤退させた戦争に端を発している。

2011年に起こったリビアの内戦においては、カダフィ大佐率いる政府軍と反体制派の戦いが激しさを増す中で、最終的にはアメリカ、イギリス、フランス軍が介入し、NATO軍が激しい空爆を行い、政権を崩壊させた。

こうした出来事は、第二次世界大戦後、そして、とりわけ湾岸戦争と同じ1991年にソビエト連邦が崩壊した後から、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)が続いていたことを示すいくつかの例だといえる。

日本でも、アメリカ軍によって守られているという意識、あるいは現実がある。
「自由で開かれたインド太平洋」という表現は、パクス・アメリカーナを別の表現にしたもの。
「国際社会」という表現も、同じことを指している。ただし、こちらの表現になると、世界の大部分の国が「同じ価値観を共有する」のだと見なし、共有しない少数を反対勢力とする。

以上のような状況は、アメリカの圧倒的な軍事力と経済力によって可能になったものだが、中国の経済力が増すに従い、不確定要素が増しているというのが、現在の世界全体の情勢だと考えられる。

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日本語の文字表記(漢字、ひらがなの併用)と日本的精神

日本語の最も大きな特徴は何かと言えば、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットなどを併用することだといえる。その歴史的な過程を辿ると、それが日本的な精神と関係していることがわかってくる。

古代の日本は無文字社会であり、活字は中国大陸から移入したものだった。「漢」字という名称がその由来を現在でも残している。英語で漢字はChinese characters、フランス語ではcaractères chinois。現在の日本で使われている漢字は中国語の漢字とはかなり違っているが、起源が同じであることに変わりはない。

しかし、私たちは漢字が外来のものだと意識することなく使っている。そのことが、日本的な精神の一つの表現かもしれないのだ。

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日本語と英語・フランス語の根本的な違い 概念と状況

英語やフランス語を勉強してもよくわからないことがある。その理由は簡単で、日本語に同じ概念がないこと。

例えば、中学や高校で過去形と現在完了形を教わったのだが、私には違いが明確にわからなかった。大学のフランス語の授業で接続法を教わったが、ただ活用を覚えただけだった。
それ以外にも色々とあるのだが、なぜそうしたことが起こるかといえば、日本語表現がベースとするものと、英語やフランス語のベースとするものが違っているからだ。

そうした違いを、実際の生活の中でも感じたことがある。
フランスで話をしていて、神戸に住んでいると言うと、東京から何キロ?と聞かれることがあった。そんな時、私は何キロか知らないので、新幹線で3時間ちょっとと答えたりしていた。
また、初めてフランスに来たのはいつかと質問されると、20数年前とか、もう随分前のこと、とか答えていた。しかし、フランス人の知り合いは、1998年といった年号で言うことが多いことに気づいた。

ここからわかるのは、日本語を母語にする者にとって、物事を表現するときの基準が「私」にあり、空間的にも、時間的にも、「私」からの距離を表現する傾向にあるということ。
逆に言うと、「私」とは直接関係しない客観的な基準に基づいて表現することが少ないことになる。
実際、「コロナでマスクをしないといけなくなったのはいつから?」と聞かれて、「もうけっこうになる」とか「2・3年前から」と答え、年号で答えることは少ないだろう。

こうした違いがあるにもかかわらず、日本語と英語、フランス語などの根本的な違いがあまり語られないのには理由がある。
現在の国語(日本語)文法が整えられたのは明治時代初期のことであり、西洋の文典に基づき日本語の文法が編纂された。つまり、国文法は西洋語の文法の応用として作られた。
そのために、日本語と欧米の言語の根本的な違いが見過ごされる傾向にあると考えられる。

ここでは、その違いについて簡単に考えてみたい。

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映画と時代の感性  帰らざる河  ロード・オブ・ザ・リング  ペンタゴン・ペーパーズ

映画は映画として見ることが大切だとはわかっているのだが、それでも、時代の違いによる感受性や倫理観でつまずいてしまうことがある。

たまたまテレビでやっていたという理由で「ロード・オブ・ザ・リング」、「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を見て感じていたのだが、1954(昭和29)年に公開された「帰らざる河」になると、至るところで違和感を感じてしまった。(そんな見方をしたら、映画が面白く見れなくなってしまうのはわかっているのだが・・・。)

このブログを書くために「帰らざる河」の予告編をyoutubeで探していたら、日本での映画紹介があった。それを見ると、違和感を感じた部分がまさにメインになって切り取られている。

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明治維新を挟んで 同じ年に生まれて 作家や画家など

  明治天皇

1868年の明治維新後、政府は江戸幕府の政治を大きく転換し、近代化政策を押し進めた。
1870年には平民に苗字を名乗ることを許し、1871年には斬髪、廃刀を1872年には洋服の着用を推進。それと同時に、教育制度も改革し、学制を定め、東京師範学校を創立した。

明治時代の文芸や絵画はこうした近代化の影響を大きく受けているが、その一方で、初期には江戸時代の漢学の素養が強く残っていた。
実際、明治の初期に活躍した人々は江戸時代に生まれ、漢籍をすらすらと読むことができる最後の世代であり、西洋文明が流入する中で、二つの文明の葛藤を真正面から受け止めた人々だった。
森鴎外と夏目漱石はその代表的存在に他ならない。

明治維新後に誕生した世代の文学者は芸術家たちは、江戸時代の教育の影響が前の世代よりも弱く、葛藤の度合いが少なくなっているように思われる。
そうした中で、年代的には、西郷隆盛の死で終わる西南戦争の明治10(1878)年と、大日本帝国憲法が発布される明治22(1889)年を区切りと考えてみたい。

彼らを年順に並べていくと、面白いことに気づく。
同じ時代に生まれていても、私たちにとって、遠い過去の存在と感じられる作家や思想家がいる一方で、もっと身近な存在と感じられることもある。
その違いは、死亡した年の違いに由来するようだ。例えば、1912年に死んだ石川啄木と1965年に死んだ谷崎潤一郎が、同じ年(1886年)の生まれだとは感じられない。

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