
1868年の明治維新後、政府は江戸幕府の政治を大きく転換し、近代化政策を押し進めた。
1870年には平民に苗字を名乗ることを許し、1871年には斬髪、廃刀を1872年には洋服の着用を推進。それと同時に、教育制度も改革し、学制を定め、東京師範学校を創立した。
明治時代の文芸や絵画はこうした近代化の影響を大きく受けているが、その一方で、初期には江戸時代の漢学の素養が強く残っていた。
実際、明治の初期に活躍した人々は江戸時代に生まれ、漢籍をすらすらと読むことができる最後の世代であり、西洋文明が流入する中で、二つの文明の葛藤を真正面から受け止めた人々だった。
森鴎外と夏目漱石はその代表的存在に他ならない。


明治維新後に誕生した世代の文学者は芸術家たちは、江戸時代の教育の影響が前の世代よりも弱く、葛藤の度合いが少なくなっているように思われる。
そうした中で、年代的には、西郷隆盛の死で終わる西南戦争の明治10(1878)年と、大日本帝国憲法が発布される明治22(1889)年を区切りと考えてみたい。
彼らを年順に並べていくと、面白いことに気づく。
同じ時代に生まれていても、私たちにとって、遠い過去の存在と感じられる作家や思想家がいる一方で、もっと身近な存在と感じられることもある。
その違いは、死亡した年の違いに由来するようだ。例えば、1912年に死んだ石川啄木と1965年に死んだ谷崎潤一郎が、同じ年(1886年)の生まれだとは感じられない。