「女人訓戒」 太宰治による読書レッスン 

太宰治の「女人訓戒」はわずか数ページの作品だが、読んでいると思わず笑ってしまう。

人間は何かを思い込むと、とんでもない行動をすることがある。太宰はそうした例を次々に挙げ、きっかけとなることとその結果の取り合わせの滑稽さを浮かび上がらせる。

その最初の例として提示するのが、日本で最初にフランス文学教授になった学者の書いた本で、兎の目を移植された女性が猟師を恐れるようになったという面白いエピソードが引用される。
興味深いのは、教授の本の引用をした後、太宰は自分なりの推論を展開すること。そうしたやり方は、彼がどのように本を読むかを示す一つの例と考えられる。
別の見方をすると、太宰治が私たちに読書のレッスンをしてくれている、とみなすこともできる。

「女人訓戒」は「あおぞら文庫」に収録されているので全文を簡単に読むことが出来るし、youtubeに朗読(15分)もアップされている。短い作品だし、滑稽さが日々のストレスを一瞬だけでも忘れさせてくれるのも楽しい。
ただし、例がすべて女性に関係し、最後は女性に対する教訓といった体裁を取るので、女性差別といった目線で読んでしまう危険がある。そうなると作品の面白さが一気に消えてしまうので、注意しておきたい。

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太宰治 走れメロス 解釈は読者の鏡

太宰治の「走れメロス」は中学2年の国語の教科書に採用されているために、日本で中等教育を受けた人間であればほぼ誰もが知る作品であり、専門的な研究、国語教員たちの教材研究、ネット上に溢れる感想や解説等、驚くほど多くの言葉が語られている。

そうした言葉を大別すると、対立する二つの感想に整理することができる。
(1)友情と信頼を訴える感動的な物語=美談
(2)人物像や状況設定に突っ込みどころが多く、教訓くさいだけで真実味がなく、メロスも自己満足的で共感できない。

子供の頃に読んだ時にはとても感動した覚えがあるが、大人になって読み返してみると「アレッツ」と思ったという感想も、二つの相反する見解の反映である。

あおぞら文庫に収録されているし、youtubeで朗読(約40分)を聞くことも可能なので、作品全体をすぐに読み返すことができる。
あおぞら文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.html

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中原中也 月の光 癒しがたい悲しみを生きる

中原中也の「月の光 その1」と「月の光 その2」は、最愛の息子、文也の死をテーマにした詩で、痛切な悲しみが激しい言葉で綴られていてもおかしくない。
しかし、それとは反対に、感情が押さえられ、全体がおぼろげな雰囲気に包まれている。

その雰囲気は、ポール・ヴェルレーヌの『艶なる宴(Fêtes galantes)』に由来する。
題名は「月の光(Clair de lune)」からの借用であり、「マンドリン(Mandoline)」に出てくる二人の人名チルシスとアマントも使われている。

そこでの風景はまさに、「あなたの魂は、選び抜かれた風景(Votre âme est un paysage choisi)」とヴェルレーヌによって表現されたような、「死んだ児(子)」を悼む詩人の心象風景。
その中で、現実の死と直面した中也が、詩人として死を受け入れようとする。そうした心の在り方を描き出している。

月の光 その1

月の光が照っていた
月の光が照っていた

  お庭の隅の草叢(くさむら)に
  隠れているのは死んだ児(こ)だ

月の光が照っていた
月の光が照っていた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持っては来ているが
おっぽり出してあるばかり

  月の光が照っていた
  月の光が照っていた

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コミュニケーションについて 村上春樹のジェイズ・バー 柄谷行人『探求 I 』

村上春樹の『風の歌を聴け』の中に、コミュニケーションについて考えるヒントとなる場面がある。

 「ジェイズ・バー」のカンターには煙草の脂で変色した1枚の古びた版画が掛かっていて、どうしようもなく退屈した時など僕は何時間も飽きもせずにその絵を眺め続けた。まるでロールシャッハ・テストにでも使われそうな図柄は、僕には向かいあって座った二匹の緑色の猿が空気の抜けかけた二つのテニス・ボールを投げ合っているように見えた。
 僕がバーテンのジェイにそう言うと、彼はしばらくじっとそれを眺めてから、そう言えばそうだね、と気のなさそうに行った。
「何を象徴しているのかな?」僕はそう訊ねてみた。
 「左の猿があんたで、右のが私だね。あたしがビール瓶を投げると、あんたが代金を投げてよこす。」
 僕は感心してビールを飲んだ。

ロールシャッハ・テストにでも使われそうな図柄が、「僕」には、二匹の猿が二つのテニス・ボールを投げ合っている姿に見える。他方、ジェイは、一方の猿がビール瓶を投げ、他方の猿は代金を投げていると言う。

では、なぜ「僕」はジェイの解釈に感心するのだろう?

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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によるボードレールの散文詩「異邦人(L’Étranger)」の翻訳 Lafcadio Hearn « The Stranger »

パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)は、1850年にギリシアで生まれた。父はアイルランド人の医師で、母はヴィーナスが誕生した島として知られるエーゲ海のキュテラ島出身。

2年後に両親はアイルランドに戻るが、間もなく離婚。ハーンは父方の大叔母に育てられ、フランスの神学校やイギリスのダラム大学などでカトリックの教育を受ける。ただし、彼はキリスト教に反感を持ち、ケルトの宗教に親近感を示した。

1869年、大叔母が破産し、ハーンはアメリカに移民として渡り、シンシナティでジャーナリストとして活動するようになる。その後、ニューオーリンズの雑誌社に転職し、さらに、カリブ海のマルティニーク島へ移住する。

日本にやってきたのは、1890年4月。8月から、島根県松江の学校に英語教師として赴任した。
1891年1月、松江の士族の娘、小泉セツと結婚。同じ年の11月、松江を離れ、熊本の第五高等学校の英語教師になる。
1894年、神戸市のジャパンクロニクル社で働き始める。
1896年9月から東京帝国大学文科の講師として英文学を担当。その年に日本に帰化し、小泉八雲と名乗った。
東京では最初、牛込区市谷富久町で暮らしたが、1902年に西大久保に転居。
1903年、帝国大学の職を解雇され、後任として夏目漱石が赴任する。
1904年9月26日、心臓発作のために死去。享年54歳。

ラフカディオ・ハーンの生涯をこんな風に足早に辿るだけで、彼がシャルル・ボードレールの散文詩「異邦人」に親近感を持ち、英語に翻訳したことに納得がいく。

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村上春樹 『風の歌を聴け』 2/2 あらゆるものが通り過ぎてしまう世界を生きる 

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』では、大学生の「僕」が故郷の町に帰省した1970年8月8日から26日までの出来事が断片的に語られ、これといった物語はない。

中心になるのは、ジェイズ・バーで一緒にビールを飲む「鼠」というあだ名で呼ばれる友人との会話、「左手の指が4本しかない女の子」との出会いと別れ、そして、その間に湧き上がってくる様々な思い出。
それらの間に明確な繋がりはなく、一環した物語が存在しないために、普通に考えられている小説とは違った印象を与える。

村上春樹は、最初の作品を書くにあたり、小説とはどのようなものであるのか考えたに違いない。
「僕」が思い出を書き記すだけではなく、「鼠」も小説を書く。デレク・ハートフィールドという架空の小説家がでっち上げられ、大学時代に偶然知り合ったという作家の言葉を小説の冒頭に置くなど、書くこと自体に焦点を当てた箇所も数多く見られる。
( 村上春樹 『風の歌を聴け』 1/2 小説家になること 参照)

そして、「私小説」的な内容の小説に関して「鼠」が呟く、「俺はご免だね、そんな小説は。反吐が出る。」と言う言葉は、村上春樹が日本の伝統的な小説に飽き足らず、なんらかの新しい風を吹き込もうと望んでいたのではないかと推測させる。

ただし、その革新は伝統に対する真正面からの挑戦ではなく、いかにも村上春樹らしく、皮肉なユーモアを持った語り口で行われる。
そのことは、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンがないこと、それから人が一人も死なないことだ。」というコメントを読むとよくわかる。
というのも、「僕」の小説、つまり『風の歌を聴け』には、数多くの死について言及され、セックス・シーンがしばしば出てくるからだ。
こうした自己批判の仕方からは、村上春樹的世界のしなやかさが感じられる。

そして、そのしなやかさは、「文章」を通して読者にストレートに伝わってくる。以下の解説では、『風の歌を聴け』から引用した村上春樹の「文章」をしっかりと味わってほしい。

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村上春樹 『風の歌を聴け』 1/2 小説家になること 

『風の歌を聴け』は、1979年に出版された村上春樹のデビュー作。
この作品は、村上が重視する「物語」が明確な姿を取って語られていず、小説に物語を求める読者にとっては、何が描かれているのかわからないとか、物足りないと感じられるかもしれない。

その一方で、小説について何かを語りたい文学好きの読者や、文学について語ることを仕事する評論家や文学研究者たちは、『風の歌を聴け』に続く様々な小説との関連を探りながら、自分たちなりの「物語」を織り上げてきた。

文学作品が読者を獲得するためには、「性格劇」と「心理劇」を通して、読者が作品世界に自己を投影するように誘う魅力が大きな力を持つ。
1987年に『ノルウェイの森』が爆発的な人気を博して以来、村上春樹の作品が膨大な数の読者を獲得したことは、その魅力を証明している。

『風の歌を聴け』はその原点であると同時に、第2作『1973年のピンボール』の後半から始まる「物語」——— 3(スリー)フリッパーのスペースシップという伝説的なピンボール・マシーンの探求 ——— がなく、「書くこと=語ること」自体について多く語られ、他の村上作品とはかなり異なっている。
こう言ってよければ、村上春樹が小説家になる過程が、村上自身によって、若々しいタッチで、生々しく、描き出されている。

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小林秀雄 雪舟 絵画の自立性について

小林秀雄は、ボードレールから学んだ芸術観に基づいて、「近代絵画の運動とは、根本のところから言えば、画家が、扱う主題の権威或いは強制から逃れて、いかにして絵画の自主性或いは独立性を創り出そうかという烈(はげ)しい工夫の歴史を言うのである。」(『近代絵画』)と定義した。

要するに、一つの山を描くとして、モデルとなる山に似ていることが問題ではなく、絵画に描かれた山それ自体が表現するものが重要だということになる。

こうした考え方は、画家の姿勢だけではなく、絵を見る者の観賞の仕方とも関係している。
「雪舟」(昭和25(1950)年)の中で、小林秀雄が雪舟の山水画について語る言葉を辿っていると、実際、絵画の自立性という考え方に基づいていることがはっきりとわかる。

小林が見つめているのは、雪舟の「山水長巻」(さんすいちょうかん)。
全長16メートルにも達しそうな長い墨画淡彩の絵巻の中に、二人の男が散策する姿が描かれている場面がある。

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小林秀雄 ボードレール 『近代絵画』におけるモデルと作品の関係

小林秀雄が学生時代にボードレールを愛読していたことはよく知られていて、「もし、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろう」(「詩について」昭和25(1950)年)とか、「僕も詩は好きだったから、高等学校(旧制第一高等学校)時代、『悪の華』はボロボロになるまで愛読したものである。(中略)彼の著作を読んだという事は、私の生涯で決定的な事件であったと思っている」(「ボオドレエルと私」昭和29(1954)年)などと、影響の大きさを様々な場所で口にしている。

そうした中で、『近代絵画』(昭和33(1958)年)の冒頭に置かれた「ボードレール」では、小林が詩人から吸収した芸術観、世界観が最も明瞭に明かされている。
その核心は、芸術作品の対象とするモデルと作品との関係、そして作品の美の生成される原理の存在。

『近代絵画』は次の一文から始まる。

近頃の絵は解らない、という言葉を、実によく聞く。どうも馬鈴薯(ばれいしょ)らしいと思って、下の題を見ると、ある男の顔と書いてある。極端に言えば、まあそういう次第で、この何かは、絵を見ない前から私達が承知しているものでなければならない。まことに当たり前の考え方であって、実際画家達は、長い間、この当たり前な考えに従って絵を描いて来たのである。

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古池や 蛙飛び込む 水の音 —— 芭蕉の捉えた永遠の瞬間

世界中で最も知られている俳句は、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」だと断言できるほど、この俳句はよく知られている。
そして、句の解釈としては、蛙が池に飛び込む水の音がはっきりと聞こえるほど、古い池の辺りは静かでシーンとしている、そうした静寂を捉えたもの、とされることが多い。

それに対して、長谷川櫂は『古池に蛙は飛び込んだか』の中で、次のような解釈を提示した。

ある春の日、芭蕉は蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべた。すなわち、古池の句の「蛙飛び込む水のおと」は蛙が飛び込む現実の音であるが、「古池」はどこかにある現実の池ではなく芭蕉の心の中に現れた想像の古池である。
とすると、この句は「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」という意味ではなく、「蛙が飛び込む水の音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」という句になる。

さて、このとき、芭蕉は坐禅を組む人が肩に警策(きょうさく)を受けてはっと眠気が覚めるように、蛙が飛び込む水の音を聞いて心の世界を呼び覚まされた。いいかえると、一つの音が心の世界を開いたということになる。

この結論だけ読むとわかりづらいかもしれないが、長谷川櫂の解説をたどって理解すると、芭蕉が創造した新しい俳句の世界=「蕉風」とは、日本的な感性を5/7/5の言葉のリズムの中に凝縮したものであることがわかってくる。

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