Le film Le Conte de la princesse Kaguya, réalisé par Isao Takahata du Studio Ghibli, exploite au maximum l’expression visuelle des « lignes en mouvement ».
Contrairement aux images réalistes des films d’animation de Disney, il met pleinement en valeur l’atmosphère des dessins faits à la main.
ジブリ
高畑勲 「火垂るの墓」 とてもいい映画だけれど、見返すのが辛い
映画をはじめとする芸術を紹介している雑誌Téléramaの2024年10月24日の項目に、«Dix (très) bons films qu’on n’a pas du tout envie de revoir» という記事があり、その最初に高畑勲監督の「火垂るの墓」が紹介されている。
https://www.telerama.fr/cinema/dix-tres-bons-films-qu-on-n-a-pas-du-tout-envie-de-revoir-7022732.php
「火垂るの墓」を見たことがあれば、思わずうなずくことだろう。(Si vous avez déjà vu Le Tombeau des lucioles, vous ne pourrez qu’acquiescer.)
Dix (très) bons films qu’on n’a pas du tout envie de revoir
Ils ont beau être d’une grande qualité, impossible de les regarder de nouveau. Trop de larmes, trop d’angoisse, trop de violence… Voici nos (bonnes) raisons de résister à une seconde séance.
“Le Tombeau des lucioles”, d’Isao Takahata (1988)

Un dessin animé tragique, c’est surprenant. En inaugurant le genre, Le Tombeau des lucioles devrait faire date », écrivait Bernard Génin à la sortie du film en France, en 1996. L’ex-spécialiste du cinéma d’animation à Télérama avait vu juste : le chef-d’œuvre d’Isao Takahata a tellement « fait date » qu’on n’a rien oublié de son réalisme quasi documentaire sur le Japon en ruine de 1945, ni de sa poésie déchirante. Et qu’on n’a jamais pu le revoir depuis, tant les malheurs de Sato, l’adolescent orphelin, et de sa petite sœur, Setsuko, nous ont laissés inconsolables. — S.D.(Samuel Douhaire)
続きを読むノーベル文学賞 次の日本人受賞者は宮崎駿監督?

大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した後、1994年10月17日に国際日本文化センターで行った講演「世界文学は日本文学たりうるか?」の中で、彼は日本文学に3つのラインを設定した。(『あいまいな日本の私』岩波新書所収)
(1)世界から孤立した、日本独自の文学。
代表は、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫。
(2)世界の文学、とりわけフランス文学、ドイツ文学、英米文学、ロシア文学から学んだ作家たちの文学。
代表は、大岡昇平、安部公房、大江健三郎自身。
(3)世界全体のサブカルチャーが一つになった時代の文学。
代表は、村上春樹、吉本ばなな。

(1)のラインでは川端康成が、(2)のラインでは大江健三郎が、ノーベル文学賞を受賞した。
残っているのは(3)のラインということになり、毎年10月頃になると、村上春樹が受賞するのではないかという話題が持ち上がる。
ジブリアニメ 「おもひでぽろぽろ」と芭蕉の山寺
「おもひでぽろぽろ」の最後、タエ子が山形から東京に戻る電車の中で、小さい頃からの思い出がぽろぽろと蘇ってくる。そのため彼女は電車を降り、逆方向の電車に乗り換える。
そのバックには、都はるみの歌うエンディング・テーマ「愛は花、君はその種子」が流れている。(原曲は「ローズ」の主題歌でベット・ミドラーが歌う「The Rose」。)
何気なく見ていると見落としてしまうのだが、タエ子が電車を乗り換える駅には「やまでら」という看板が見える。(1分23秒くらいから。)

宮崎駿監督 フランスでの紹介
2021年12月8日に放送されたQuotidienで、宮崎駿監督が引退を撤退し、2023年に新作を発表するという話題が紹介されていた。
Hayao Miyazaki, patron bougon mais génie artistique
児童文学からジブリ・アニメへ

宮崎駿監督がインタヴューの中で何度も答えているように、監督は児童文学の愛読者であり、『本へのとびら ——— 岩波少年文庫を語る 』(岩波新書)という本まで執筆している。
児童文学作品を映画化したこともある。
「魔女の宅急便」は角野栄子の同名の小説を原作にして、主人公のキキが魔女として独り立ちするために知らない町に行き、成長していく姿を描いている。
ジブリ・アニメの中では、「ゲド戦記」「借りぐらしのアリエッティ」「コクリコの坂から」「思い出のマーニー」等も、児童文学作品を基に制作されている。
そうしたことは、ジブリ・アニメが観客として最初のターゲットにしているのが、子どもであることと関係している。「となりのトトロ」や「崖の上のポニョ」はもちろんのこと、「天空のラピュタ」でさえも監督の意図としては小学校4年生に向けられているという。

そして、読者として想定された子どもたちに向けて送られるメッセージがある。
人と人のつながり、人間と自然のつながり、目に見えないものの大切さ、文明と自然の複雑な関係等、多くのことがアニメを通して伝えられる。
その内容は、子ども用だからという理由で単純化され、すぐに解決策が与えられるものではない。
それだからこそ、アニメを見終わった後、楽しい気分になるだけではなく、ずっと心に残り続ける「何か」がある。
おもひでぽろぽろ 思い出と向き合う

高畑勲が監督した「おもひでぽろぽろ」は、アニメ作品にありがちなファンタジー的な要素がなく、特別な主人公の特別な冒険物語とは正反対の作品。
主人公タエ子は27歳。独身で、東京の会社に勤めている。
物語は、田舎に憧れている彼女が10日間の休暇を取り、農業体験をするために山形の親戚の家に行くところから始まる。
田舎に行くと決めた時から、突然、小学校5年生の思い出がポロポロとこぼれ落ちるように蘇り、彼女の心を一杯にする。
山形では、親戚の家族に混ざって紅花を摘む作業を手伝ったり、有機農業に取り組むトシオに有機農業の手ほどきを受けたり、蔵王にドライブにいったりする。東京に戻る前の日、親戚のおばあさんからトシオの嫁になってくれと突然言われ困惑する。しかし、結局、そのまま東京に戻る電車に乗る。
しかし、電車の中で突然考えを変え、次の駅で電車を降る。そして、トシオが迎えに来た車に乗り、親戚の家に戻る道を辿る。
特別なことが何もなく、ただ一人の女性が田舎で農業体験をし、一人の男性と仲よくなるという物語。
虫めづる姫君 風の谷のナウシカの祖先?

平安時代後期に成立したと考えられている『堤中納言物語』に「虫めづる姫君」という短編物語が含まれている。
誰もが蝶や花を愛する中で、主人公の姫君は毛虫や気味の悪い昆虫を愛している。そのために、親からも、求婚者となりうる男からも、お付きの侍女たちからも、変な娘とみられている。
しかし、そんなことは一向に気にせず、平安時代の宮廷風俗を一切受け入れない。彼女には彼女の理屈があり、それを曲げようとはしない。

ジブリ・アニメに出てくる風の谷のナウシカは、この虫めづる姫君をモデルの一人にしている。実際、彼女はオウムの子どもを大切にし、誰もが恐れる毒のある花をこっそりと栽培している。
現代のような個性を重視する時代ではなく、社会的な規範がとりわけ重視された時代に、蝶ではなく、毛虫を愛する姫君の物語が、何を主張しているのだろう。
続きを読む風立ちぬ 生きることと美の探究と
「風立ちぬ」は、「紅の豚」の延長線上にあるアニメだといえる。

主人公の堀越二郎は、飛行機の設計技師。彼の友人である本庄は、兵器としての戦闘機を制作し、彼の爆撃機は殺戮兵器として空を飛ぶ。
それに対して、二郎は、「ぼくは美しい飛行機を作りたい。」と言い、実用ではなく、美を追い求める。

そうした対比は、「紅の豚」においては、イタリア軍のエースパイロットであったマルコと、軍を離れ自由に空を飛ぶことの望むポルコの対比として表されていた。
https://bohemegalante.com/2020/03/12/porco-rosso/

そうした類似に基づきながら、「風立ちぬ」では、美にポイントが置かれ、さらに、二郎と菜穂子の恋愛物語が、もう一つの側面を形成している。
その恋愛物語は、堀辰雄の『風立ちぬ』に多くを負いながら、生と死の複雑な関係を通して、生きることの意味を問いかけている。
紅の豚 大人を主人公とした、大人のためのアニメ

「紅の豚」の主人公は、豚の顔をした中年のパイロット。格好良くもないし、英雄でもない。何か特別なことを成し遂げるわけでもない。
そんな作品に関して、宮崎駿監督は、「紅の豚」の演出覚書の中で、「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画であることを忘れてはならない。」と書いている。
また、「モラトリアム的要素の強い作品」という言葉を使い、大きな流れから一旦身を引き、執行猶予あるいは一時停止の状態にいる人間の状況がテーマであることを暗示する。
そのような状況設定に基づき、「紅の豚」は私たちに、宮崎監督の考える「大人」、そして「人間が個人として生きることの意義」を明かしてくれる。
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