ボードレール「美への賛歌」 Baudelaire « Hymne à la Beauté »

「美への賛歌」« Hymne à la Beauté »。
この魅力的な題名を持つ詩は、私たちに、ボードレールの詩的世界に続く美の扉を開いてくれる。

7つの詩節からなる「美への賛歌」の第一詩節で、詩人は「美」の両義的な側面に戸惑い、こう問いかける。

Viens-tu du ciel profond ou sors-tu de l’abîme,
Ô Beauté ? ton regard, infernal et divin,
verse confusément le bienfait et le crime,
Et l’on peut pour cela te comparer au vin.

「美」よ、お前は、彼方の空から来るのか、それとも深淵から発するのか?
お前の視線は、地獄のようでも神のようでもあり、
善行と犯罪を、雑然とばらまく。
だから、お前とワインを同列にすることがある。

ボードレールにとって、ワインは麻薬と同じように、人を酔わせる。我を忘れさせ、恍惚(extase)へと導く。
ここで「美」はワインと比べられているが、ボードレールの世界で人を最も酔わせるものは「美」に他ならない。(散文詩« Enivrez-vous »を参照。)

第一詩節では、「美」の二元性が歌われる。
天空(ciel profond)と深淵(abîme)、地獄(infernal)と神(divin)。
この並べ方は、ABBAというように、同じもの(A)と対立もの(B)を交差させる順番になっている。キアスム(Chiasme)という語法で、ABABと並べるよりも、対比されるものの効果が大きくなる。

美の二元性は、フランス・ロマン主義を代表するヴィクトル・ユゴーの『ノートル・ダム・ド・パリ』の主人公エスメラルダの属性でもある。フロロは、彼女を見たとき、思わずこう口にする。「この超自然な美は、天国か地獄に由来する。」
人を陶酔させ、恍惚に導く美は、この世を超えたもの。その起源は無限の彼方にあり、彼方が天なのか地獄なのか人間には判断ができない。

第3詩行で、視線が善と悪をぶちまける(verser)時、雑然と(confusément)という副詞が用いられている。なぜなら、両義性な美の善悪や美醜は、はっきりと区別できるものではなく、混沌としているからにほかならない。そこに、醜いとしか見えない対象を描きながら美を生み出す、ボードレール的詩の原理の秘密が隠されている。

ところで、視線(regard)が何かを撒き散らす、こぼす(verser)という表現に、違和感を感じるかもしれない。普通、視線は投げかけるものであり、水をこぼすように何かを見ることはない。こぼすは触覚を思わせる。
視覚と触覚の混同?
ボードレール的世界では、五感が繋がり合い、響き合う。一つの感覚は単独で独立しているのではなく、視覚も触覚や聴覚、触覚や味覚とつながっている。
実際には、そうした共感覚はボードレール的世界というのではなく、普通の世界の有様に過ぎない。例えば、流れる水を見る時、視線の主と水の間には距離がある。しかし、目を閉じ水の音を聞いていると、聞く主体と音が一つになり、水のすがすがしい流れや冷たさを感じる。聴覚が触覚を喚起する。こうした共感覚は誰もが経験することである。
ボードレールは、こぼす(verser)という動詞を使うことで、視覚から触覚を導き、共感覚の世界を暗示しているのである。

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