日本的な美のルーツを探っていくと、最初の美女像は縄文時代にまで遡る。それが「縄文のヴィーナス」と呼ばれている土偶。

大地に豊穣を祈願する土偶は、バラバラに砕けた状態で発掘されるため、完全な形で残っているのは珍しい。
長野県棚畑遺跡で発掘された縄文のヴィーナス像は、粘土に細かい雲母片が練りこまれ、肌がかすかに金色に輝き、土偶としての美しさは特別といえるだろう。
無遠慮に、上から眺めていこう。
頭には何か冠を被っているのか、あるいは髪型なのか、平面的。そこに円形の渦巻き文が付けられている。それが縄文時代の像であることの印。

顔は丸く、小さく尖った鼻、おちょぼ口。
特徴的なのは目で、つり上がっている。ヨーロッパ人が東洋人を揶揄するとき、目を吊り上げることがある。しかし、日本では縄文時代から、この目の形が美と捉えられていたのだろう。

胸は小さく、横から見ても薄くなっている。手もちょっと付いているだけ。
それに対して、お腹、そしてお尻は極端にふくらんでいて、量感がある。お腹のふくらみは妊娠を示し、豊かな量感は登場の願いの象徴となっている。胸部が小さいのは、腹部を強調するためだろう。
この土偶が作られた時には呪術的な目的のためだったに違いない。しかし、今見ても、逞しい生命観を感じる。
制作の意図とは関係なく、土偶としての美しさをを感じる。としたら、ピカソがアフリカの像に美を見出したように、縄文時代の土偶に美を「発見」することになる。
丸顔でおちょぼ口、小さな鼻、つり上がった目、小さな胸に大きなお尻、そして、短い足。ヨーロッパ的な美とは対極にある。
もし日本が世界の美の基準になっていたらと考えると、楽しみが膨らむ。
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