ポール・クローデル(1868−1955)は、フランス大使として1921年から27年まで日本に滞在し、日本の文化を深く理解したフランスの作家。
また、彼は敬虔なカトリック教徒でもあり、西洋的な感性と東洋的な感性の出会いを体現している。
そのクローデルの『百扇帖』Cent phrases pour éventailsと題された詩集の中に、お地蔵さまをうたった詩がある。
La nuit
Approche ta joue de ce bouddha de pierre
et ressens combien la journée a été brûlante
夜
頬を石の仏様に近づけてごらん
感じてごらん 今日の日差しがどんなに強かったか
私たち日本人はお地蔵さまに触ってみようとは思わない。ところが、クローデルはこの詩の中で、頬を近づけるようにと言う。ここに、日本とヨーロッパの感性の違いがある。

時は夜。
あたりはもう涼しくなってきている。
しかし、石のお地蔵さまは、昼間の暖かさをまだ保っている。
その暖かさを感じるには、手で触れてみるのが一番。見ているだけでは、ぬくもりは伝わらない。
フランス人のクローデルは、触れるだけではなく、頬を近づけてみる。そのことで、さらに内的な熱を感じることができるだろう。
その暖かさ、ぬくもりを通して、クローデルは、お地蔵様、つまり神様の、人間に対する慈しみを感じる。
もう一つの詩では、触覚ではなく、聴覚を働かせる。
Approche ton oreille
Et sens combien au fond de la poitrine d’un dieu
l’amour est long à s’éteindre.
耳を近づけてごらん
感じてごらん 小さな神さまの胸の奥で
慈愛がすぐには消えないことを

敬虔なカトリック信者であるクローデルが、キリスト教の神に対する信仰と、日本人の八百万の神々に対する漠然とした信仰を混同することはなかったに違いない。
この詩の中で、神を意味するdieuという言葉は、小文字で、しかも不定冠詞が付けられている。(キリスト教の神であれば、大文字Dieu。不定冠詞を使うことはない。)
しかし、日本人が人間を超えた存在を信仰していること、日本の神々もキリスト教の神のように人間を慈しんでいることを、道端の小さなお地蔵さまの前で人々が手を合わせる姿を見て、クローデルも感じたに違いない。
お地蔵様に耳をつけて聞こえてくるのは、鼓動ではなく、慈愛。
l’amour est long à s’éteindre(愛が消えるのは長い時間がかかる)。
この最後の詩句は、優しい姿をしたお地蔵さまになんとぴったりすることだろう。
日本人は人と会ったとき、距離を取り、お辞儀をする。フランス人は握手をし、親しくなればハグをする。
クローデルはフランス人にとっては自然な行動で、お地蔵様の慈愛を感じるのだといえる。
その詩を日本人である私たちが読むことで、日本の文化を見直す機会を与えられるとしたら、素晴らしい異文化体験になる。