芸術作品の解説は必要か

Piet Mondrian, Composition avec rouge, bleu et jaune

絵画でも音楽でも、見たり聞いたりするだけでいい。頭で理解しようとすると、美が失われてしまう。

知的な解釈は、感覚的に感じ取る美を妨げ、素直に楽しむのを妨げる。

映画にしても、詩や小説でさえ、そのように言われることがある。

2019年度のバカロレア(L)での哲学の試験問題の一つは、「芸術作品を解説して何の役に立つのか」というものだった。

ジブリ・アニメを好きだという人間は多い。人によって、「となりのトトロ」だったり、「風の谷のナウシカ」、「耳をすませば」、「天空のラピュラ」「もののけ姫」「風立ちぬ」など、作品は違うかもしれない。

2019年6月、中国で「千と千尋の神隠し」が初公開され、大ヒットしているという。
https://bohemegalante.com/2019/03/02/sen-to-chihiro/7/

ジブリ・アニメは日本で考えられる以上に世界的な人気があり、フランスでも”Totoro mon voisin”や”Voyage de Chihiro”など、よく知られている作品がある。

これだけ人気があり、数多く観賞され、愛好されているジブリ作品。
しかし、ジブリ的な世界観が広く共有されているかといえば、そうは思えない。

宮崎駿監督は、NHKの番組の中のインタヴューで、無力感を口にしていた。
自分のアニメが社会的に何の力も及ぼさなかった。「トトロ」を多くの日本人が見、好きになったとして、社会は何もよくならなかった。

幼女殺しを犯した宮崎某がアニメおたくであったことがわかった時、もし彼がジブリを見ていればそんなことをしなかったはずだという意見があった。しかし、大塚英志という評論家によれば、その犯罪者はジブリの熱心なファンだったという。

結局、ジブリを見ても世界は何も変わらない、ということになる。

その理由は何か?

今の日本でジブリ・アニメを見るのは、テレビの金曜ロードショウでやる時だけということが多い。常に10数%の視聴率を保っている。そうした機会に見れば楽しいので、何度でも見る。しかし、同じ見方をし、それだけで終わってしまう。

作品の理解から遠ざける解説も多い。

「もののけ姫」の中で、アシタカが村を出るとき、カヤが玉の小刀を渡す。アシタカをそれをサンにあっさりと渡してしまい、決してカヤのことを思い出さない。そのことを指して、ある評者は、カヤが不憫だと書いているだけ。そこから先を考えようとはしない。

「もののけ姫」の最後、アシタカはサンを愛し、時々会いに行くと言い、エボシ御前が再興するタタラ場に住む決心をする。
それに対して、ある女性の小説家は、「もしも私がサンだったら、アシタカを殴り倒して二度と会わないと思います。」と書く。
二つの価値観の間でどちらかを選ぶのではなく、共存の道を探るという作品のテーマを全く理解しない感想。その感想は、作品の理解を妨げる。

インターネットだけではなく、出版されている本でも、このレベルの言葉の羅列が多い。

ジブリ好きは多くでも、メイとサツキが口にする「夢だけど、夢じゃなかった。」という言葉が象徴するジブリ的な世界観が共有されない。
「トトロ」を多くの日本人が見、好きになったとして、社会は何もよくならなかったという宮崎監督の無力感。それは、好きなだけで、理解されないところから来ているといってもいいだろう。

では、何か正しい理解なのか。
それを決めるのは難しい。

正しいかどうかはわからなくても、質のよい理解、解釈が求められる。
しかし、何が質がいいのか判断するのは難しい。
量を測ることはできるが、質を見極めることは難しい。

とりわけ、現代の価値観では、一般的な価値や正しさよりも、一人一人の個人的な価値判断が重視される。自分がいいと思うものが一番大切だという価値観。
そうした中で、外から押しつけられる価値観に対して、反発する傾向にある。

「天空の城ラピュタ」で、パズーとシータがラピュタに到着した直後、野原に寝転んでいる場面がある。ある評論家は、それを指して、セックスした後の姿だと書く。

そのような理解も個人の自由だとするという考え方があることを承知の上で、それが作品の理解にとって意味のある解釈ではないと考えられるようになるためには、作品をよりよく価値付ける解釈に数多く触れるしかない。

知的な解釈は決して感性的な喜びを減少させるものではない。
その反対に、知性と感性はお互いに高め合い、直感力を向上させる。
https://bohemegalante.com/2019/06/15/pour-lart/
理解することで、それぞれの作品に込められたメッセージをいい方向に読み取ることができ、そのことによってより深く感じられるようになる。
その作業を繰り返すことで、直感が磨かれ、いいものに自然と向かうようになる。

作品の解説は、そうした好循環を生むためのお産婆さんであってほしい。

芸術作品の解説は必要か」への2件のフィードバック

  1. hiibou 2019年6月30日 / 11:03 AM

    コメントありがとうございます。

    宮崎監督が破壊しようとしたのは、何だとお考えですか。

    いいね

  2. dalichoko 2019年6月30日 / 3:36 AM

    少なくとも宮崎駿さんは破壊者ですね。
    何もかも壊したいと思ってます。
    (=^ェ^=)

    いいね

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