帽子の描写で物語の流れが中断した後、会話の文章がきっかけとなり、新入生の名前のエピソードまで一気に進む。
— Levez-vous, dit le professeur.
Il se leva ; sa casquette tomba. Toute la classe se mit à rire.
Il se baissa pour la reprendre. Un voisin la fit tomber d’un coup de coude, il la ramassa encore une fois.
— Débarrassez-vous donc de votre casque, dit le professeur, qui était un homme d’esprit.
Il y eut un rire éclatant des écoliers qui décontenança le pauvre garçon, si bien qu’il ne savait s’il fallait garder sa casquette à la main, la laisser par terre ou la mettre sur sa tête. Il se rassit et la posa sur ses genoux.
「立ちなさい。」と先生が言った。
彼は立った。帽子が落ちた。クラス中が笑い始めた。
彼は身をかがめて拾った。隣の生徒が肘で叩いて、帽子を落とさせた。彼はもう一度拾った。
「ヘルメットを片付けなさい。」と先生。彼は気の利いた人なのだ。
生徒たちが大爆笑し、哀れな少年は混乱した。帽子を手に持っていたらいいのか、床に置けばいいのか、頭に被っていればいいのか、わからなかった。もう一度腰掛け、帽子を膝の上に置いた。
このシーンの視点は「ぼくたち」に置かれ、先生の言葉と新入生の行動、クラスの雰囲気が生き生きと語られている。
先生の言葉は、非常に効果的に用いられ、全体の流れにリズムを与えている。
それはいつも生徒に対する命令で、短く簡潔。「立ちなさい。」「君のヘルメットを片付けなさい。」
その言葉に対して、新入生はまったく言葉を発することなく、言われたように行動する。が、必ず生徒たちの反応を惹き起こす。その反応は笑いであり、徐々に嘲笑になっていく。
新入生は帽子を落とし、拾い、また落とし、どうしていいのかわからない中で、結局、膝の上に置く。そのぎこちなさが、彼の性格を浮き上がらせる。
彼の行動自体は普通なのに、周囲と合わない間の悪さが、彼自身の愚鈍さに見えてくる。
この様子は、エンマの夫であるシャルルが将来置かれることになる状況を、予め告げている。
レアリスム小説は、作者が直接介入せず、登場人物たちの視点を通して、非人称的、即物的に物語が展開することを基本としている。『ボヴァリー夫人』の冒頭では、語り手は「ぼくたち」を隠れ蓑にして姿を見せない。
しかし、描かれている世界を超越的に見る視点から、作者の代理人としてのサインを残すこともある。
先生に関して「気の利いた人」という指摘は、「ぼくたち」の発想ではない。また、みんなが爆笑して困惑している生徒を「哀れな少年」と言うのも、語り手の視点からの指摘である。
このように、語り手の視点をそっと忍ばせることで、作者は、物語られる出来事や登場人物に対する自分の視点を示すことがある。
不器用な生徒の帽子をヘルメットと呼ぶ先生を、「気の利いた人」と定義づけるのは、皮肉だろう。先生がクラス全体の笑いを誘発し、新入生を嘲笑の的にする。餌食になった生徒を「哀れな」と感じるとしたら、フロベールがどちらの側に立っているか、想像することは容易である。
いじめられっ子的なシャルルの存在様態は、より大きな視点に立つと、産業革命が進行している市民社会の中で、普通の人間が置かれた状況と対応しているとも考えられる。
文明が進歩し、富が増大する社会。一見幸せそうに見えても、誰もが漠然とした不満、不快感を抱えている。そうした中で、自分を守るためには、周囲と合わせるしかない。
新入生は、周囲と合わせることができないために、自分をさらけ出し、笑いの対象となる、不器用な人間。
そうした状況を描くことで、フロベールは、19世紀フランスの市民社会の空虚さを浮き彫りにすることに成功した。
このように、個人を非人称的に描きながら、それを歴史的現実に組み込むことは、レアリスム小説の一つの特徴である。
笑いの対象が、帽子から名前へと移行する。この場面でも、先生の命令がリズム感を作り出す。
— Levez-vous, reprit le professeur, et dites-moi votre nom.
Le nouveau articula, d’une voix bredouillante, un nom inintelligible.
— Répétez !
Le même bredouillement de syllabes se fit entendre, couvert par les huées de la classe.
— Plus haut ! cria le maître, plus haut !
Le nouveau, prenant alors une résolution extrême, ouvrit une bouche démesurée et lança à pleins poumons, comme pour appeler quelqu’un, ce mot : Charbovari.
「立ちなさい。」と先生。「名前を言いなさい。」
新入生は、もごもごとよくわからない名前を発した。
「もう一度!」
同じようにもごもごした音が聞こえ、クラス中からからかう声が上がった。
「もっと大きな声で!」と先生が叫んだ。「もっと大きな声で!」
新入生は、これ以上ないといった決心をし、大きく口を開け、胸から一気に空気を吐き出して、誰かを呼ぶ時のように、あの名前を言い放った。「シャルボヴァリ。」
「名前を言いなさい。」という命令から、「シャルボヴァリ」が出てくるまで、サスペンスが長く続く。帽子の描写の長さと匹敵する長さといっても過言ではない。
ここでも、問題の生徒は「新入生」と二度繰り返される。相変わらず名前が伏せられていて、それを強調するために、あえて「新入生」という言葉が何度も反復される。
最初に生徒の口から名前が発せられたときには、「よくわからない名前」と言われ、誰も聞き取ることができない。
最後に名前が出てくる一文でも、その前に様々な状況が付け加えられ、「新入生」という主語から、最後の「シャルボヴァリ」まで、読者は長く待たされる。
ここでは、クラス中で新入生の名前を待つ期待感が、文章そのものによって体現されている。
フロベールの文が、意味を伝えた後でも、文そのものとして残る。
現実の再現ではなく、言葉の力に文学的な価値が置かれる時代の到来。
帽子の描写とシャルボヴァリのエピソードは、そうした新しい時代の芸術観を告げている。
「シャルボヴァリ」が発せされた後、クラス中が大騒ぎになる。
まだもごもごしているために、シャルル・ボヴァリーと名字と名前が分けられるのではなく、二つが一つのようで、名字なのか名前なのかわからない。大爆笑が起こるのも無理はない。
Ce fut un vacarme qui s’élança d’un bond, monta en crescendo, avec des éclats de voix aigus (on hurlait, on aboyait, on trépignait, on répétait : Charbovari ! Charbovari !), puis qui roula en notes isolées, se calmant à grand’peine, et parfois qui reprenait tout à coup sur la ligne d’un banc où saillissait encore çà et là, comme un pétard mal éteint, quelque rire étouffé.
大音響が一気に轟き、大きくなり、金切り声の笑いが炸裂した。(みんな叫び、吠え、足を踏みならし、「シャルボヴァリ! シャルボヴァリ!」と繰り返した。)その後からは、あちこちで声がばらばらにするようになったが、なかなか静まらなかった。時には長い机の一つの列で笑い出すこともあった。まだあちこちで、消え残った爆竹のように、押し殺した笑いが飛び出すのだった。
この長い文章は、最初の「それは大音響だった。(Ce fut un vacarme)」という単純な構文で成り立っている。
その後、関係代名詞« qui »が3つ続き、大爆笑が徐々に変化していく様子が、見事に表現されている。
その際、マルセル・プルーストがフロベールの文体の特徴としてあげた動詞の活用(単純過去、半過去、現在分詞)がここでも見事に使い分けられ、動きと状態が描き出されている。
そのことで、主語の大音響に動きが与えられ、生き物のように感じられる。クラス全体が生き生きと活動し、シャルルを取り囲む。
彼は、爆音を上げて前に進んで行く近代社会に取り囲まれ、逃げることもできず、そこに取り残される個人の代表なのだ。
作者フロベールが、物語の中に直接介入する姿を見せることはほとんどない。しかし、作品の中に描き出されたそれぞれのシーンからは、彼の社会に対する眼差しを読み取ることが出来る。
『ボヴァリー夫人』の冒頭の一節を分析することで、リアリズムの小説とはどのようなものか知ることができる。
1)小市民の日常生活を、登場人物の視点から描く。
2)描かれた世界が、同時代の現実をフィクションとして描き出す。
それと同時に、文学作品が現実を再現する表象芸術の時代から、言葉そのものに価値が置かれる新しい時代を予告していることも理解することができる。
帽子の描写やシャルボヴァリのエピソードがその手引きとなる。
フロベールの文をしっかりと読んで後で、フランス語の解説を聞くと、文学テクストの分析(analyse de texte)や注釈(commentaire de texte)により興味が持てるかもしれない。
以下の解説は、フランス語の字幕が付いているので、フランス語を母語としない人には最適なものになっている。