19世紀後半のヨーロッパでは芸術観が大きく転換し、理想的な美を理想的な姿で描き出す伝統が下火になる。
その動きと対応するように、現実そのものを対象とする芸術観が生まれ始め、戸外で自然の風景を描く、印象派の画家達の活動が活発になった。
しかし、他方では、印象派とは対極に位置する流派も生まれた。その一つが象徴主義的絵画である。
日本で最もよく知られているのは、オーストリアの画家、ギュスターブ・クリムトだろう。

フランスの画家では、ギュスターブ・モローがよく知られている。

こうした象徴主義絵画は何を対象し、どのような絵画表現を目指したのだろうか。
印象派批判から象徴主義へ
1874年の第一回印象派展から5年後の、1879年、エミール・ゾラが次のように書いている。

印象派の画家たちは、時間や天気の数え切れない状況に応じて、自然の変化の様相を研究する。つまり、光を分解し、動く大気、色彩のニュアンス、光と影の偶然の変化等を通して、自然を分析している。
しかし、技巧的に貧弱で、長い時間をかけて、堅固な形体を持つ作品を作り出してはいない。
このように主張するゾラにとっては、構図やデッサン(線)によって現実を再現することは、芸術作品の基本だった。従って、色彩中心で構図への配慮が低下した絵画は、認めにくいものだったに違いない。
1880年になると、オディロン・ルドンも印象派批判を行った。

ルドンの批判は、印象派と象徴主義の違いを教えてくれる。
印象派は、戸外で対象物の外観を再現するたには適切な絵画技法である。言い換えると、外的な世界で起こる現象のみを対象にしている場合には、物事の外観や光の効果を捉える印象派的画法が相応しい。
しかし、ルドンが表現しようとするものは、内なる声、瞑想する人間の内部で鼓動するもの。つまり、生命そのものであり、それは明暗法によってのみ表現可能だと彼は考える。
人間は思考する生物であり、光がどんな役割を演じようと、人間の内面の活動を捉えなければ、芸術の意味はない。
結局、印象派は外観を再現する流派であり、象徴主義は人間内部の主観を象徴的に描き出す流派ということになる。
ポール・ゴーギャンとナビ派
ゴーギャンは、ポスト印象派と呼ばれることも、象徴主義的画家と呼ばれることもあり、分類が難しい。
しかし、彼の印象派を批判する言葉から、二つの派の本質的な部分を知ることができる。

ルドンの批判と同じように、ゴーギャンも、印象派における外観の再現性を批判した。印象派は、色彩の装飾的な効果を研究し、目に見える世界像を再現しようとしたために、再現性という足かせがかかっていた。そのために、本当の意味での自由がないとゴーギャンが考えたのだった。
それに対して、彼自身の絵画は、ある批評家から、現実に対応した色彩計画がないと非難されたという。別の言葉で言えば、現実の花の色彩と絵画上の色彩が対応していないということになる。つまり、現実からの自由。
ナビ派の絵画は、こうしたゴーギャンの考えから生まれたと考えられている。
ナビ派の代表的な画家、ポール・セリュジエの「タリスマン」。

モーリス・ドニの「波」は、岡山の大原美術館に展示されている。

ピエール・ボナールの「屏風」。

ピエール・ボナールは「日本かぶれのナビ」とのニックネームを付けられていた。実際、遠近法を無視した千鳥格子や水玉模様の平面的な描写、奥行きのない背景とモチーフの重なり合いも、浮世絵の図法にヒントを得た作品が多くある。
ポール・ランソンの「ナビ派の風景」。

エドゥアール・ヴュイヤールの「縞模様のブラウス」。

ナビ派の誕生のきっかけとなったのは、1888年、ポール・セリュジエが、ブルターニュを訪れた時、ポール・ゴーギャンから指導を受けたことである。
日本のwikipediaには、次のようなエピソードが紹介されている。
ゴーギャンは、若いセリュジエと森の写生に赴いた際、「あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える? よろしい、それなら画面には真赤な色を置きたまえ……。それからその影は? どちらかと言えば青みがかっているね。それでは君のパレットの中の最も美しい青を画面に置きたまえ……。」と助言したという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%93%E6%B4%BE
アカデミーで正確な外界表現を教えられていたセリュジエにとっては、ゴーギャンの説く大胆な色彩の使用は衝撃であった。
セリュジエはその日の夜行電車でパリに戻り、アカデミー・ジュリアンの仲間であるピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニ、ポール・ランソンにゴーギャンの教えを伝え、共鳴した彼らによってナビ派のグループが形成された。
実際、ナビ派の絵画を見ると、現実の再現性を目指すのでないことがよくわかる。絵画が自立性を獲得し、色彩は現実とは関係なく、絵画それ自体の中で自立している。そのために、装飾性が強く感じられる。
象徴主義絵画の特色
象徴主義の根本的な考え方は、「目に見えない」本質を、目に見える外観を通して描くということ。
さらに言えば、目に見えるもの(自然の風景、人間の姿や動き、様々な具体的な現象)、つまり感覚が捉える外見(apparences)を通して、目に見えない根源的なイデーを「暗示」することが、象徴主義の目指すところである。
現実を再現するのではなく、現実を通してイデーを描くため、現実性を取り除く描き方になる。そこで、次の様な特色が生まれる。
1)輪郭線を明確にし、単純化された形態を作り出す。
2)色彩からニュアンスを取り除き、平面的にする。
3)描く主題は、神秘性・超現実性を表出しうる神話や超自然なもの。
こうした特色の結果、装飾的で、スタイリッシュな印象を与える絵画になっている。
ドイツ生まれでスイスで活動した画家カルロス・シュヴァーベの「墓堀り人の死」は、象徴主義を代表する作品。

ベルギーの画家フェルナン・クノップフの「私は窓を見る」。

ガストン・ビュシエール「サランボー」。

ウージェーヌ・カリエール「見る女性」。

オディロン・ルドン「一つ目の巨人」

ギュスターブ・モロー「ヘシオドスとミューズ」。

ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ「夢」。

アレクサンドル・セメオン「物語」

シャルル・ギュイユー「夕暮れのノートル・ダム」

どの絵画を見ても、平面的、装飾的であり、神秘な雰囲気に満たされているところは共通している。