足利尊氏は統治政策として禅宗を重用し、支配制度を強化した。そのために、日本各地に禅寺の伽藍形式が広まった。
その過程で、僧の住居となる方丈などの庭園には、枯山水が好んで作られた。
禅宗様(ぜんしゅうよう)の建築物に禅の精神が貫かれているかどうかを知るのは難しいが、枯山水が禅的な無の思想に基づいていることを理解するのは比較的容易だろう。
ちなみに、14世紀後半に建造された金閣寺は、一階が和洋の住宅風、二階が和洋の仏堂風、三階が禅宗様(ぜんしゅうよう)の仏殿風という、折衷様式。

15世紀後半に建造された銀閣寺は、一階が和風の住宅、二階が禅宗様の仏道。こちらも二つの様式が共存している。

禅宗様の建築の代表は、円覚寺舎利殿。15世紀前半の建造と推定されている。

この建物を、「美を尽くす」と言われた平安時代を代表する平等院鳳凰堂や、鎌倉時代の初期に建造された雄渾な東大寺南大門(大仏様建築)と比較してみよう。


3つの外観を見比べただけで、円覚寺舎利殿の、質素で落ち着いた美を感じることができる。
禅宗様建築の特色として、外部からすぐに目に付くのは、急勾配の屋根。
そして、正面入り口横にある花頭窓、桟唐戸。
屋根の軒下には、像の牙のように先の尖った垂木が、上に向かって突き出している。

建物の内部に関しても、使われている柱は細く、組み方が非常に緊密で、均整が取れている。

円覚寺舎利殿以外の禅宗様の建築を見ておこう。
どの建造物も、簡素でありながら、独特の緊張観を漂わせている。


屋根を重ねた建築物も存在する。

安楽寺八角三重塔では、三重の屋根の下に裳階〔もこし〕と呼ばれる庇が付けられている。

こうした禅宗様の寺院や塔が建造されると同時に、僧侶たちの住居の庭園には枯山水が作られていった。
枯山水といって誰もがすぐに思い浮かべるのは、竜安寺方丈の石庭だろう。

白い砂の上に15個の石が置かれただけの、これ以上ないといっていいほどシンプルで、最小限の構成。見る人によっては、冷たいと感じるかもしれない。
しかし、砂の上に描かれた砂紋は、それだけで美しい。
しかも、その模様は、様々な水の動きを表す。
まっすぐな線は、穏やかな水面。
ウエーブしている線は、波のうねり。
片男波(かたおなみ)や青海波(せいがいは)は、打ち寄せる大波。
水のない砂が、水の動きを人の心に喚起する。
さらに、砂で描き出された渦は、大宇宙を表現し、悟りの世界を喚起する。
竜安寺の石庭では、方丈(住職の住まい)の廊下から眺めるとき、決して15個の石全てが一目で見られないように配置され、見える世界の裏に見えない世界があることが暗示されている。
大徳寺大仙院の庭園は、方丈を囲み、庭の奥から前庭へと続いている。
枯山水には庭の中心になる「主石」があり、水の流れは、最も大きなその石から始まる。

大仙院の場合、主石は庭の隅の置かれ、中国の神仙思想で不老不死の仙人が住むとされる蓬莱山を表している。
水は主石の右に組まれた三段の石から流れ落ち、川となり、海となる。

途中には、船の形をした石が置かれ、蓬莱山の宝を運ぶ。
そして、最後に、方丈の南に広がる「大海」に流れ込む。
そこでは、円錐形に砂が盛られ、白い大海原にゆったりと浮かんでいる。

蓬莱山から流れ出た「水のない水流」が、大海原を作り出す。
そのようにして、悟りの境地が象徴される。
不在(無)が無限を生み出す、あるいは無=無限を表現する枯山水は、禅の思想の具現化だと考えても間違いではないだろう。

禅が美の表現を生みだした一つの例が、枯山水だといえる。
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