ボードレール 「秋の歌」 Baudelaire « Chant d’automne » 中間の時としての秋

Sisley, Vue de Louveciennes en automne

ボードレールが歌う秋は、夏と冬の間にある中間の時。

夏の厳しい光の名残りに別れを告げながら、それと同時に、暗い冬が迫ってくる予感がする。

皮肉屋で繊細な詩人ボードレールは、そんなどっちつかずの時の不思議な感覚を綴り、愛する女性への愛の言葉とする。

全部で7つの4行詩からなる「秋の歌」は、4つの詩節を含む第一部と、3つの詩節で構成される第二部から成る。
第一部は聴覚の詩。第二部は視覚の詩。

        I

Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres ;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts !
J’entends déjà tomber avec des chocs funèbres
Le bois retentissant sur le pavé des cours.

もうすぐ私たちは冷たい闇に沈むことになる。
さようなら、短すぎた夏の激しい光よ。
私にはすでに聞こえている、不吉な衝突とともに
木々が中庭の舗石の上に落ち、鳴り響く音が。

第1詩節の冒頭、冷たい闇に「沈むことになる(plongerons)」と今後の予告されるとすぐに、夏の激しい光に別れの言葉を投げかけ、冬と夏という二つの季節が示される。
冷たい闇(les froides ténébres)と激しい光(vive clarté)の対照は、秋がそれらの両極端の間にあることを強く意識させる。

その中間の季節である秋、すでに木の葉が地面に落ちる音が聞こえ始めている。
その枯葉は、ロマンチックな思いを抱かせるものではなく、厳しい冬の到来を告げる不吉な音。

その時、詩人は落ち葉を見ているのではなく、地上に落ちる音を聞いている。
「秋の歌」が視覚の詩ではなく、聴覚に訴えかける詩であることが、「聞こえる(entendre)」という言葉で示されている。

第2詩節では、来るべき冬の厳しさが予告される。
そして、第3−4詩節では、冬の予告を受け、今の私の思いが綴られる。

Tout l’hiver va rentrer dans mon être : colère,
Haine, frissons, horreur, labeur dur et forcé,
Et, comme le soleil dans son enfer polaire,
Mon coeur ne sera plus qu’un bloc rouge et glacé.

冬全体が私の存在の中に戻ってくる。怒り、
憎しみ、おののき、恐怖、無理強いされる辛い労働。
そんな中、極北の地獄に輝く太陽のように、
私の心は、赤く凍った一つの塊にすぎなくなってしまうだろう。

地獄(enfer)という言葉が使われるほど、冬は人間にとって恐怖を引き起こすだろう。その時には、赤い太陽でさえ、凍ってしまうかもしれない。

そうした予感の中で、詩人は耳をそばだてる。

J’écoute en frémissant chaque bûche qui tombe ;
L’échafaud qu’on bâtit n’a pas d’écho plus sourd.
Mon esprit est pareil à la tour qui succombe
Sous les coups du bélier infatigable et lourd.

私は耳をそばだでる、震えながら、崩れ落ちる薪の一つ一つに。
作られつつある処刑台は、この上もなくこもった音を立てている。
私の精神は塔のようだ。
疲れ知らずの重い槌で何度も打たれ、倒れてゆくあの塔のようだ。

「秋の歌」は、まさに聴覚の詩。音が全てを生み出す。
薪が崩れ落ちる音。
その音が、処刑台を連想させ、重い槌を思い起こさせる。

その時、精神は耐えきれず、押しつぶされそうになる。

Il me semble, bercé par ce choc monotone,
Qu’on cloue en grande hâte un cercueil quelque part.
Pour qui ? – C’était hier l’été ; voici l’automne !
Ce bruit mystérieux sonne comme un départ.

この単調な衝突の音に揺られていると、こんな風に思えてくる。
どこかで、誰かが、大急ぎで、棺に釘を打ち込んでいる、と。
誰のために? ー 昨日は夏だった。今は秋!
この神秘的な音が出発の合図のように鳴り響く。

第4詩節では、第1詩節に続いて再び「衝突(choc)」という言葉が使われ、詩人の耳に届いているのは、木の葉が地面に落ちてぶつかる音だということが再確認される。

その微かな音を聞き分けるほど、詩人の聴覚は研ぎ澄まされている。
そして、彼の心はメランコリック。棺桶の蓋に釘を打ち込んでいると聞こえるほどに。

その単調な(monotome)音は、他方で、神秘的な(mystérieux)にも感じられる。
地獄下りの後で地上への回帰が可能なように、棺桶の釘の音の後に、旅立ちの鐘が鳴るようにも感じられる。

秋は、恐ろしい冬の予感を抱え込みながら、しかし同時に、何かが胎動する時でもある。

W. Turner,The Fighting Téméraire tugged to her last Berth to be broken

第二部になると、突然「あなた」が現れ、「秋の歌」が愛する女性に向けられた詩だと明かされる。
来るべき死を予告しながら、今この時を生き愛し合おうと歌うバロック的な詩。ルネサンスの思想「死を想え(momento mori)」や「この時を掴め(carpe diem)」に基づいいた恋愛詩なのだ。

そして、あなたへの訴えは、聴覚ではなく、視覚表現が中心になる。
詩の第一部から第二部への移行は、耳から目への移行でもある。

II

J’aime de vos longs yeux la lumière verdâtre,
Douce beauté, mais tout aujourd’hui m’est amer,
Et rien, ni votre amour, ni le boudoir, ni l’âtre,
Ne me vaut le soleil rayonnant sur la mer.

あなたの切れ長の目の、緑がかった光が好きです、
穏やかな美しい人よ。でも、今日は、全てが辛いのです。
何一つ、あなたの愛も、寝室も、暖炉も、
私には、海の上で輝く太陽をもたらしてくれません。

Berthe Morisot, Julie

最初に歌われるのは、あなたの目。
その目の光は、緑がかって(verdâtre)いる。Verdâtreという言葉は、緑(vert)に近づくという意味で、やや蔑視的な表現と受け取られることもある。しかしここでは、純粋な緑を和らげる働きをしていると考えてもいいだろう。
そのことが、次の、穏やかさ(douce)に繋がる。

第一部で、秋は冬の激しい厳しさを予感させる季節として描かれてきた。それに対して、第二部で中心をなすのは、「穏やかさ」。
穏やかな美(douce beauté)、douceur éphémère(束の間の穏やかさ), doux(穏やかな)という言葉が、それぞれの詩節に配置されている。

その中で、愛する人の穏やかな美と、中間の時である秋が重ねあわされていく。

今、詩人にとっては、全てが辛い。あなたでさえ、海の上を照らす太陽のようには感じられない。寝室にいても、暖炉の前にいても、辛い。

だからこそ!と詩人は訴える。私を愛して欲しい、と。

Et pourtant aimez-moi, tendre coeur ! soyez mère,
Même pour un ingrat, même pour un méchant ;
Amante ou soeur, soyez la douceur éphémère
D’un glorieux automne ou d’un soleil couchant.

でも、私を愛して下さい、優しい恋人よ! 母であってください、
裏切り者に対してでさえ、意地悪な男に対してでさえ。
愛する人よ、妹よ、束の間の優しさであってください、
栄光の秋の、沈みゆく太陽の。

Berthe Morisot, Lilas à Maurecourt

この「でも(Et pourtant)」という言葉は、それでもなおと言った方が、詩人の本心を表していると考えてもいいだろう。その愛は、母の愛でも、恋人の愛でも、妹の愛でもある。

その愛は、永久に続くものではなく、今この瞬間だけのものであってもいい。その点を強調するために、詩人は、束の間の(éphémère)という形容詞を優しさにつけ、次の節では、短い務め(courte tâche)とも言う。

その時間感覚こそが、中間の時間である秋に対応する。
夏の激しい光も冬の冷たい闇も永続的なもの。夏も冬も、中間の時間ではなく、両極を占める動かない時間。
それに対して、夕日(soleil couchant)は、昼と夜の間を移行する中間の存在。
秋は、夏から冬へと移行する季節。

ボードレールは、その秋にここでは栄光の(glorieux)という形容詞をつけて称揚し、そして、穏やかさ(douceur)を付与する。

Courte tâche ! La tombe attend ; elle est avide !
Ah ! laissez-moi, mon front posé sur vos genoux,
Goûter, en regrettant l’été blanc et torride,
De l’arrière-saison le rayon jaune et doux !

すぐに済む務めです。 墓場が待っているのです。墓場は空です!
ああ!このまま、私の額をあなたの膝に置き、
味わわせてください、灼熱の白い夏を懐かしみながら、
暮れゆく秋の、穏やかな黄色の光線を!

「墓が待っている」と言うのは、今、この時を享受して私を愛して下さいという、バロック的な口説きの言葉。

詩人は今、愛する人の膝に顔を埋めている。
そして、夏の情熱が消え去り、冬の厳しい寒さが来ることを予感しているからこそ、束の間の今を味わっていたい。そんな訴えを、愛する人に向ける。この瞬間が永遠でありますようにと。

彼は、夏を惜しんでいるとは言うものの、夏につけた二つの形容(白いと灼熱の)は決して心地よさを連想させない。
むしろ、暮れゆく秋(l’arrière-saison)の光である「黄色」と「穏やかさ」の方が、はるかに好ましい。
とりわけ、黄色の光線(rayon jaune)は、ボードレールが目標としたサント・ブーヴの詩集『ジョセル・ドロルム、人生、詩、思想』(1829)に収められた美しい恋愛詩の題名« Les Rayons jaunes »を思わせる。

詩人が望むのは、不動の永遠ではない。過ぎ去るもの、消えゆくものを捉え、その儚さ故の穏やかさだといえる。
そのために、秋ほど相応しい季節はない。春は全てが生まれてくる。秋は死の冬に向かう。その予感が、美を生み出す。

Berthe Morisot, Le lac du bois de Boulogne

失われつつある今の瞬間に美を見出す感性は、フランスでは、ボードレールから始まったと考えられている。

「秋の歌」の面白さは、秋を、夏や冬と同質の季節と考えるのではなく、全てが消え去っていく移行の時、夏と冬の中間の時間として描き、そこに穏やかな愛を見つけようとしているところにある。

ある意味で、それは日本的な感性とつながるのかもしれない。



ガブリエル・フォーレが「秋の歌」に曲を付けている。

ボードレール 「秋の歌」 Baudelaire « Chant d’automne » 中間の時としての秋」への5件のフィードバック

  1. 米原信子 2019-10-04 / 16:25

    聴覚を研ぎ澄まし、自然の音を汲み取る。今の環境では失われた喜び。映像と音楽と朗読が一体となり、素晴らしい。深く感動します。

    いいね

    • hiibou 2019-10-04 / 17:41

      コメント、ありがとうございます。
      ボードレールの詩句は本当に美しいですが、その美しさを感じられる感性も貴重なものだと思います。

      いいね

  2. はちみつ 2020-12-15 / 13:29

    Le bois は、冬支度をする薪と解釈される方が多いようですね

    いいね: 1人

    • hiibou 2020-12-15 / 14:25

      ご指摘ありがとうございます。
      確かに、薪と訳した方が、イメージが沸くかもしれませんね。
      https://fr.wiktionary.org/wiki/bois
      ここを見ると、薪も目に入ります。
      1. Substance dure et fibreuse des arbres.
      ただ薪としてしまうと人間の手が加わるので、自然のままのイメージだと、3の意味でも可能かもしれません。
      3. Ensemble d’arbres assez proches, délimité par une lisière.

      いずれにしろ、ボードレールの日本語訳を見ることがほとんどないので、勉強になりました。
      ありがとうございます。

      いいね

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