第4部では、驚くべき旅行者たちが航海で見た光景が次々に語られていく。
IV
« Nous avons vu des astres
Et des flots ; nous avons vu des sables aussi ;
Et, malgré bien des chocs et d’imprévus désastres,
Nous nous sommes souvent ennuyés, comme ici.
「私たちは見た、星を、
波を。私たちは見た、砂も。
数多くの衝突と予見できない災難に出会ったのに、
私たちは何度も退屈した。ここでと同じように。
現実は退屈だ。だから、幻影的な国や輝く楽園を目指して旅立つ。
従って、星や波や砂に出会う素晴らしい旅であり、予期しないアクシデントがある旅だとしても、退屈する。

« La gloire du soleil sur la mer violette,
La gloire des cités dans le soleil couchant,
Allumaient dans nos cœurs une ardeur inquiète
De plonger dans un ciel au reflet alléchant.
紫の海に浮かぶ太陽の栄光が、
夕日に照らされた街々の栄光が、
私たちの心の中で火を付けるのは、不安な情熱、
魅力的な輝きをした大空に沈みたいという。

旅人が望むのは、素晴らしい光景に出会うことではなく、その光景がかき立てるある情熱だ。
それは、「空に沈む(plonger dans un ciel)」こと。
この撞着語法(オクシモロン)が、ボードレール的な欲望を的確に表現している。というのも、昇るではなく沈むという動作によって、空が「深淵(gouffre)」へと逆転するからである。
深淵はすでに、アメリカの発明者である酔っ払いの船乗の見る幻によって、苦々しいものとされていた。
また、この詩の最後では、「新たなもの」を見つけるために、深淵の底に沈まなければならないとされる。たとえ深淵が、天国だろうと地獄だろうと。
「大空に沈む」という矛盾した表現によって、詩人は旅の真の目的を、ひっそりと暗示しているのである。
« Les plus riches cités, les plus grands paysages,
Jamais ne contenaient l’attrait mystérieux
De ceux que le hasard fait avec les nuages.
Et toujours le désir nous rendait soucieux !
最も豊かな町も、最も大きな風景も、
決して、これほどの神秘的な魅力を含んではいなかった、
偶然が雲とともに作り出す町や風景の魅力を。
そして、常に、欲望が私たちの心をそちらに向かわせる!
最も豊かな街や大きな風景は、現実の光景のこと。
それに対して、驚くべき旅人にとって神秘的魅力を持つのは、偶然と欲望が生み出す光景。
偶然と雲が結びつくのは、ごく自然な連想。雲は風に吹かれて、自由に姿を変える。必然によって決定されているのではなく、その時その場で現れたり、消えたりもする。
「旅」の中でも、すでに、真実の旅人たちの欲望は雲の形をしている(les désirs ont la forme des nues)とされていた。
欲望に関しては、次の詩節で古い木に例えられる。
« — La jouissance ajoute au désir de la force.
Désir, vieil arbre à qui le plaisir sert d’engrais,
Cependant que grossit et durcit ton écorce,
Tes branches veulent voir le soleil de plus près !
享楽が強度への欲望をさらに募らせる。
欲望よ、老木よ、お前には快楽が肥やしとなる。
お前の外皮はふくらみ、堅くなり、
枝たちは太陽をもっともっと近くで見ることを望むのだ!
欲望は知らないうちに、いつしか衰える。そうした時、快楽が肥料となって、再び欲望は蘇り、強度を増す。
旅への出航には、こうした欲望が不可欠だといえる。
しかし、欲望だけで十分なのだろうか?
« Grandiras-tu toujours, grand arbre plus vivace
Que le cyprès ? – Pourtant nous avons, avec soin,
Cueilli quelques croquis pour votre album vorace,
Frères qui trouvez beau tout ce qui vient de loin !
お前は成長を続けるのだろうか? 西洋杉よりも生き生きとした
巨木よ。ーーしかし、私たちは、注意深く
集めました、いくつかの素描を、あなた方の貪欲なアルバムのために、
遠くから来る全てを美しいと見做す兄弟たちよ!

巨木という大きな欲望に対して、詩人は、その成長を疑う疑問を投げかける。
そして、一呼吸置くかのように、彼方への美意識を共有する人々(兄弟たち)に、自分を含む旅人たちが旅の中で見たものの素描を提示する。
では、その素描には何が描かれているのか?
« Nous avons salué des idoles à trompe ;
Des trônes constellés de joyaux lumineux ;
Des palais ouvragés dont la féerique pompe
Serait pour vos banquiers un rêve ruineux ;
私たちは挨拶をしました、象の鼻を持つ偶像に、
光輝く宝石がちりばめられた王座に、
細工を施された宮殿に。そのお伽のような豪華さは、
あなたたちの銀行家には、破産を招く夢のようなものでしょう。
驚くべき旅人たちが目にしたものは、3つ。偶像と王座と宮殿。
それらが実際にどのようなものなのか描かれてはいない。
ただ、破産を招くほど豪華なものということだけが記されている。
次の詩節では、さらに3つのものが付け加えられる。
« Des costumes qui sont pour les yeux une ivresse ;
Des femmes dont les dents et les ongles sont teints,
Et des jongleurs savants que le serpent caresse. »
ドレスは目を酔わせる。
女たちの歯と爪は彩られ、
賢い軽業師たちを蛇が愛撫する。
ドレス、女性、蛇使い。
ドレスは「酔い(ivresse)」そのものである。
女性は爪だけではなく、歯にも色彩が施され、色の力が暗示される。
軽業師は蛇を巧みに操る存在。

ここでポイントとなるのは、こうしたものがどのようなものかということよりも、次々に数え上げられることだろう。
そして、その勢いは、第4部の最後の詩節の最後の一行が、第5部と第6部へとまたがることで、さらに強められる。
V
Et puis, et puis ?
VI
« Ô cerveaux enfantins !
V
それから? それから?
Vi
おお、子どもたちの脳髄よ!
一行の詩句が半分に分割され、前半の「それから、それから」だけが第5部を構成する。
この構成は考えられないほど巧みに、見た物を数え上げていく勢いを読者に感じさせる。
そして、その勢いのまま第6部へと流れ込み、再び見たものが何か語られていく。
その最初には、子どもたちの脳髄に対する呼びかけが置かれる。
子どもは、もちろん、「旅」の第一行目に出てきた「地図と版画が好きな子ども」を思い出させる。