ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 5/7

第6部では、詩人の目から見た現実社会の悪が次々に列挙される。

VI
« Ô cerveaux enfantins !  
Pour ne pas oublier la chose capitale,
Nous avons vu partout, et sans l’avoir cherché,
Du haut jusques en bas de l’échelle fatale,
Le spectacle ennuyeux de l’immortel péché

                   おお、子どもたちの脳髄よ!
大切なことを忘れないようにしよう。
私たちは見た、至るところで、それを探さなかったのに、
運命の梯子の上段から下段まで通して、
不死の罪の退屈な光景を。

Albrecht Dürer, Adam et Eve (une partie)

不死の罪(l’immortel péché)とは、人類が罪を犯し続けていることを意味する。
その罪は、社会の上層から下層まで、至るところで犯されるものであり、探す必要もなく、目に飛び込んで来る。

そうした光景を詩人は退屈(ennuyeux)と形容する。
退屈(ennui)は、メランコリー(mélancolie)あるいはスプリーン(spleen)と言ってもいいだろう。
ボードレールの世界では、それらは美へと向かう出発点になる感情である。

ボードレールは、「美は常に奇妙である。」と主張したことを思いだそう。

« La femme, esclave vile, orgueilleuse et stupide,
Sans rire s’adorant et s’aimant sans dégoût ;
L’homme, tyran goulu, paillard, dur et cupide,
Esclave de l’esclave et ruisseau dans l’égout ;

女は、卑しく、高慢で、愚かな奴隷、
笑うことなく、自分を崇拝し、うんざりもせず自分を愛す。
男は、大食いで、好色で、扱い難く、貪欲、
奴隷の奴隷であり、下水の中の水の流れ。

女と男が対照的に描かれ、とりわけ女は自己愛の存在であり、男はその女の奴隷だと言われる。

交差韻で対比されるのは、女のstupide(愚かさ)と男のcupide(貪欲)。女のdégout(嫌悪感)と男のégout(下水道)。

両者の存在自体が、永遠の罪(le immortel péché)だと、詩人は言うのだろうか。

« Le bourreau qui jouit, le martyr qui sanglote ;
La fête qu’assaisonne et parfume le sang ;
Le poison du pouvoir énervant le despote,
Et le peuple amoureux du fouet abrutissant ;

死刑執行人は楽しみ、殉教者はすすり泣く。
祭りを彩り、香りを付けるのは、血。
権力の毒が専制君主を苛立たせ、
民衆は人を愚鈍にする鞭を愛する。

処刑の場面に目を移せば、罰する側は楽しみ、罰せされる側の涙など無視する。処刑は祭りであり、血が祭りを盛り上げる。
独裁者は権力に酔い、民衆は虐げられることに喜びを感じる。

« Plusieurs religions semblables à la nôtre,
Toutes escaladant le ciel ; la Sainteté,
Comme en un lit de plume un délicat se vautre,
Dans les clous et le crin cherchant la volupté ;

いくつもの宗教は、私たちの宗教と似ていた、
それら全ては天上を駆け上るのだ。「聖性」は、
羽毛の床の中で気難しい男がころげ回るように、
鋲とたてがみの中で、官能の喜びを探していた。

キリスト教も他の宗教も、天上の神を目指す。その際の精神の上昇は聖性を担うように見えるが、実は官能の喜びと繋がっている。

Eugène Delecroix, Le Christ sur la croix

鋲とたてがみは、キリストが十字架にかけられた時に使われた、手を貫く釘と頭に被せられた茨の冠を連想させる。
さらに、信者たちが、苦行の中で、肉体を傷つけ、痛めつけるための道具と考えることもできる。

苦行は本来、身体を苦しめることで魂の浄化を図り、宗教的恍惚に至る行為。しかし、それが性的な恍惚感と入れ替わり、官能の喜びにいつしか代わる可能性がある。

ボードレールは、天上に駆け上がる宗教的な恍惚感を、官能の喜び(volupté)と同一視しする。羽毛の床が、その暗示である。

« L’Humanité bavarde, ivre de son génie,
Et, folle maintenant comme elle était jadis,
Criant à Dieu, dans sa furibonde agonie :
” Ô mon semblable, ô mon maître, je te maudis ! “

「人類愛」は無駄口をきき、自分の才能に酔い、
今や狂女のよう、かつでもそうだったように。
そして、こう神に祈る、怒りに満ちた死の間際に、
「おお、我が同胞よ、私の主よ、お前を呪ってやる!」

「人類愛(Humanité)」という言葉は、19世紀の前半から大きな意味を持ち、非人間的な労働を強いる近代社会に反対する、人道主義的な意味合いを帯びていた。
人類愛、博愛、ヒューマニズム等の言葉で示されるものと同じと考えていい。

そうした言葉は、内実を伴わず、言葉だけで終わっていると、ボードレールは非難する。狂ったように、言葉を数多く費やすだけだと。
そして、「人類愛」に、神を呪っているとまで言わせる。

次の詩節になると、詩人は、彼自身に近い芸術家たちに存在にも言及する。

« Et les moins sots, hardis amants de la Démence,
Fuyant le grand troupeau parqué par le Destin,
Et se réfugiant dans l’opium immense !
— Tel est du globe entier l’éternel bulletin. »

もう少し愚かではない人々は、「狂気」を愛する大胆な人々だが、
「運命」が囲い込んだ大群から逃れ、
逃げ込むのだ、巨大な阿片の中に!
ーーこうしたことが、地球全土の永遠の報告書だ。」

Odile Redon, Nuages fleuris

当時であればボヘミアンと呼ばれ、少し後の時代には呪われた詩人と呼ばれるであろう芸術家たち。彼等は他の群衆、いわゆるブルジョワたちと比べれば愚かではなく、狂気を愛するという大胆さを持っている。

彼等は、運命に盲目的に導かれているブルジョワたちから逃れ、阿片の中に逃避する。
阿片は、人工楽園を作り出し、一時だけだとしても、芸術的な恍惚感を与えてくれる。

ボードレールは、こうして、13詩節52詩行を使い、驚くべき旅人たちに、航海のさなかに見たものを語らせ、「地球全土の永遠の報告書」として提示したのだった。

Odile Redon, Le cyclope

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