ボードレール 「旅への誘い」 Baudelaire « L’invitation au voyage » その2 散文詩(1/2)

韻文詩「旅への誘い」を、ボードレールはなぜ散文で書き直したのだろうか?

伝統的な考えでは、詩とは韻文で書くものと決まっていた。
韻を踏み、一行の詩句の音節数詩句の音節数が一定であることが、詩と見做される条件だった。

そして、散文は、詩との関係で言うと、韻文を書く前に構想を書き留めるものくらいに考えられていた。

そうした伝統に対して、ボードレールは、韻文で書かれた詩とほぼ同じ内容を散文にし、その散文を詩として成立せようという大胆なチャレンジに挑んだ。
言い換えると、散文詩というジャンルを新たなジャンルを確立することが目標だといえる。

散文詩「旅への誘い」を通して、散文詩とはどのようなものなのか見ていこう。

第一詩節では、訪れることを夢見る国の紹介がなされる。

Il est un pays superbe, un pays de Cocagne, dit-on, que je rêve de visiter avec une vieille amie. Pays singulier, noyé dans les brumes de notre Nord, et qu’on pourrait appeler l’Orient de l’Occident, la Chine de l’Europe, tant la chaude et capricieuse fantaisie s’y est donné carrière, tant elle l’a patiemment et opiniâtrement illustré de ses savantes et délicates végétations.

素晴らしい国がある。こう言ってよければ、全てが豊かな国。昔からの恋人と訪れることを夢見る国。北方の靄に沈む、独特な国。西欧の東洋、ヨーロッパの中国と呼べるかもしれない。それほど、熱気があり気まぐれな空想が、思う存分活動していた。それほど、空想が、忍耐強く、かつ執拗に、博識で繊細な植物で、その国を彩っていた。

フランス語の散文では、一つの文章の中で同じ単語を何度も使うのは避ける傾向にある。同じ物でも別の単語を使ったり、別の言い回しをする。

ところが、この第一詩節では、国(pays)という単語が、pays superbe, pays de Cocagne, pays singulierと3度反復され、文体的な効果を出している。

その国はまず北にあると言われ、次にヨーロッパの中国だと言われる。
そのことで、夢の国がオランダを思い描いていることが暗示される。19世紀半ば、オランダは、東インド会社を通して、東洋の窓口だった。

また、国が植物で彩られているという記述も、チューリップを始めとする植物の栽培が盛んなオランダを連想させる。

しかし、それと同時に、西洋と東洋という異なるものの共存、あるいは対立するものの一致が、ほのめかされている。
夢の国では、現実の次元では対立する、光と闇、上と下、右と左、プラスとマイナス、陰と陽等々が、溶け合っている。

だからこそ、空想が自由に羽を広げ、そして、様々な植物が夢の国を彩ることになる。

第2詩節

Un vrai pays de Cocagne, où tout est beau, riche, tranquille, honnête ; où le luxe a plaisir à se mirer dans l’ordre ; où la vie est grasse et douce à respirer ; d’où le désordre, la turbulence et l’imprévu sont exclus ; où le bonheur est marié au silence ; où la cuisine elle-même est poétique, grasse et excitante à la fois ; où tout vous ressemble, mon cher ange.

本当の夢の国。全てが美しく、豊かで、静かで、誠実。豪華さが秩序の中に喜んで自分を姿を移し込む。生が豊かで、吸い込むと心地よい。混乱も、騒ぎも、予見できなことも排除されている。幸福が沈黙と一つになっている。食事そのものが詩的であり、たっぷりとし、人を高揚させる。全てがあなたと似ているんだ、我が天使よ。

ボードレールは、ここで、韻文詩のリフレインを散文で表現していることを、あえて明確に示している。

Là, tout n’est qu’ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.

彼方では、全てが整然とし、美しい、
豪華で、静か、そして官能的。

秩序、美、豪華さは単語のレベルで共通する。
韻文詩の静けさ(calme)は散文詩では沈黙(silence)に、官能(volupté)は興奮(excitant)という言葉で表現される。
そして、その国は、愛する女性と似ている。
このようにして、韻文でも、散文でも、ボードレールが感じる美とは何かが、表現されていることがわかる。

その上で、散文では、韻文には出て来ない要素が付け加えられる。
1)生命感
2)幸福感
3)食事

食事が詩的であり、人を高揚させるという表現は、夢の国が詩そのものであり、忘我(extase)へと導いてくれることを、読者に伝えている。

最後にボードレールは、我が天使に向かって、あたな(vous)という代名詞を使っている。それに対して、次の詩節では、君(tu)は知っているかと、より近い関係の相手に使う代名詞を使う。
詩人は、その違いによって、第2詩節までが一般論であり、第3詩節ではより個人的な思いへの踏み込むことを示していると考えることができる。

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