3月16日、フランスの大統領エマニュエル・マクロンが、国民に向けてテレビ演説を行い、外出禁止を含む様々な措置を打ち出した。
この演説の中で、マクロンは何度も、「私たちは戦争状態にある。」という言葉を使っている。
これは、コロナウィルスを敵に見立て、その敵に対して戦うという姿勢に基づいた表現だと言える。
日本では、この表現はかなり違和感があり、多くの新聞では、マクロンの演説を報道するとき、「戦争状態」という言葉をカッコ付きにして、強調している。
フランスと日本における表現の違い、そして物事に取り組む際の姿勢の違いは、他動詞表現を基本とするフランス語と、自動詞表現を好む日本語の違いと対応しているのではないだろうか。
他動詞表現は、主語+動詞の後に直接目的語が置かれ、主語が目的語に対して働きかける構文である。(SVO)
コロナウィルス対策であれば、私たちという主語が、コロナウィルスを敵とみなし、その目的語に対して戦いを挑み、勝利を目指す。
そして、戦いは能動的であり、積極的に相手に働きかけることが、目的を到達するための最良の手段になる。
別の例で考えてみよう。
風が吹いて、ドアが開くと言う場合、フランス語ではしばしば、風を主語して、ドアを目的語にすることがある。
Le vent ouvre la porte.
風がドアを開ける。
ドアが開いた原因である風を主語にし、開けるという行為が及ぼす対象が目的語になる。
この他動詞表現は、日本語には馴染まない。
中学や高校の英語の授業で、こうした表現は無生物主語と呼ばれて、生徒にとってわかり難いものとして、特別に教えられることがある。
https://eigogakusyu-web.com/grammar/120/
日本語では、「ドアが開く」と、自動詞で表現される方がしっくりくる。
物事は自然に推移する方が、好ましく感じられる。
面白いことに、日本語では、他動詞と自動詞の区別は直接目的語の有無で決まるのではなく、動詞によって決まっている。
「開ける」は他動詞。
「開く」は自動詞。
もうずっと以前のことになるが、大阪から奈良に向かう電車の車掌が、英語を勉強した影響からか、駅で電車が到着したときの言葉を他動詞的にしたと、ニュースで流れたことがある。
「ドアを開けますので、ご注意ください。」
「ドアが開きますので」という自動詞表現が普通であるところで、「開ける」という他動詞表現を使ったことが、日本では話題になる。それほど、日本語では、自動詞表現が自然に感じられる場が多い。
そのことは、日本人の生活態度にも反映し、物事が自然に展開していくことが好ましいと感じる心持ちがある。
能動的に活動することを薦める場合でも、最終的には控えめな態度、つまり主語である「私」をあまり出さないことが望まれる。
上の車掌の言葉で、「私」という主語を明示し、「私がドアを開けますので」とアナウンスしていたら、微笑ましいエピソードではなく、自己主張の強い車掌の話として非難の対象になっていたかもしれない。
コロナウィルス対策に関しても、「ウィルスが終息する」ために最善を尽くすと言う表現の方が、ウィルスと戦い、ウィルスを撲滅させると言うよりも穏やかな感じがして、人々を安心させるだろう。
日本的な態度は自動詞的であり、自然に物事が収まってくれることを好む。たとえ何かを能動的に行うにしても、物事を荒立てず、平和に解決できればと望む。
他動詞的態度と自動詞的態度。
そのどちらかがいいとか悪いというのではない。二つの表現の違いを知ることで、物事に対する姿勢の違いを知ることにつながるし、自分たちとは違う人々の行動パターンを知ることになる。