マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 5/7

Jean Raoux, Femme à sa toilette

エロディアードが乳母に「私、きれい(Suis-je belle ?)」と問いかける言葉で、「エロディアード」という詩のテーマが明確にされた。
マラルメが詩の効果として追求するものは、「美」なのだ。

では、姫の問いかけに、乳母は何と応えるのだろう。

              N.

                              Un astre, en vérité :
Mais cette tresse tombe…

         N. (乳母)

                     星のように、本当に。
でも、この御髪が落ちかかっていらっしゃいます。

乳母は、エロディアードを美しいと答える。星(un astre)のように美しい、と。
しかし、欠点があることも告げる。髪の一部が落ちかかっているのだ。
その時、12音節の詩句の基本は、6/6のリズムで進むという最も基本的な原則に基づき、落ちる(tombe)という動詞が強調される。
しかも、前の行から、3/3/6と軽快に進んできた詩句が、1音節で止まる。

un astre (3) / en vérité (3)
Mais cette tresse (6) // tombe (1)

そのことによって、星のように美しいというよりも、髪(la tresse)が落ちかかる(tombe)方にアクセントが置かれることになる。

そして、乳母はエロディアードに触れようとするのだろう。姫は、その振る舞いを制止する。

              H.                                 

                 Arrête dans ton crime
Qui refroidit mon sang vers sa source, et réprime
Ce geste, impiété fameuse : ah ! conte-moi
Quel sûr démon te jette en ce sinistre émoi,
Ce baiser, ces parfums offerts et, le dirai-je ?
Ô mon cœur, cette main encore sacrilège,
Car tu voulais, je crois, me toucher, font un jour
Qui ne finira pas sans malheur sur la tour…
O tour qu’Hérodiade avec effroi regarde !

            H. (エロディアード)

そんな罪は止めなさい、
流れ出す血を凍らせる、その源で。控えなさい、
その身振り、誰もが知る不敬な身振りを。ああ、言ってみて、
どんなに確かな悪魔が、お前を、この不吉な動揺に投げ込んだのか。
その口づけ、差し出された香水、そして、言ってよければ、
おお、私の心よ、まだ罪を犯そうというその手、
だって、お前は、私を触れたかったのでしょ、そうしたものが作り出すのです、
不幸が起こらずに終わることのない一日を、塔の上で。。。
おお、エロディアードが眺める塔よ、凍り付くほど恐れながら!

乳母の手を押し留めるエロディアードの言葉の中で、froid(冷たい)という単語が、中心的なメロディーを構成している。
乳母が彼女を触れようと伸ばす手は、血を凍らせる(refroidit)。
最後に、彼女が塔を見つめる時に恐れを感じるのだが、その恐れは、effroiという単語で示される。
その時、« froit »の音が聞こえてくる。

さらに耳を澄ますと、froidの中に含まれる[ oi ]の音が、別のところから聞こえてくる。[ moi ](私)、そして、 [ émoi ](動揺)。
そして、音を聴けば、動揺(é/moi)の中に私(moi)が含まれていることがすぐに聞き取れる。
この二つの言葉の関係は、後に乳母が語る言葉の中で、決定的な重要性を持つことが示される。その際に詳しく見ていくが、動揺(é/moi)は、エロディアードが水に映った影なのだ。

マラルメは、詩句を掘り下げながら、「虚無」と出会ったという。
その虚無が「実体的な私」と「鏡に映った私」の間に横たわることはすでに見てきたが、それが言語の本質でもあるというのが、マラルメの最初の発見だった。
一般的に、言葉は現実の事象を指すものと見なされる。つまり、現実に猫が存在し、猫という言葉は猫を指し示す。言葉は現実の猫の代用として使用される。
その考え方に反して、マラルメは、言葉は現実や歴史的な事実に従属したものではなく、それ自体で存在していると考えるようになる。
洗礼者ヨハネの死は、サロメによるものであろうど、エロディアードによるものであろうと、どちらでもいい。
詩人は、エロディアードという名前の持つ美に心を動かされるだけであり、現実という基盤を言葉の下に置く必要はない。そこには「虚無」しかない。
https://bohemegalante.com/2020/04/18/mallarme-herodiade-langue-moi-beau-1/

そうした考えに立つとき、単なる音が言葉をつなぎ、音の反復が、詩句の音色とリズムを生み出し、新しい意味を作り出す可能性が見えてくる。
effroiはeffrayer(恐れさせる)と関係する名詞であり、寒さ(froit)とは関係がない。
émoiは、émouvoir(心を動かさせる)と関係し、「私」(moi)とは関係がない。
しかし、音としては、effroiはrefroiditを、émoiはmoiと響き合う。
その上、[ oi ] という音を通して、4つの言葉が不思議な共鳴を聞かせてくれる。
その時、「私」と冷たさが連動して、「冷たい水(eau froide)」と「鏡(miroir)」を呼び出し、エロディアードの冷たさが鏡像の冷たさでもあることが、音を通して示される。

もう一つの音にも耳を傾けてみよう。
最後の3行では、何度も、母音[ ou ]が繰り返される。(アソナンス)
vOUlait, tOUcher, jOUr, tOUr, tOUr.
そして、これだけの反復が耳につくと、最初に出てきたsOUrce(泉、源)が甦ってくる。
逆に言えば、sOUrceが、jOUrやtOUrを予告しているともいえる。
こうした音の表現から、辞書的な意味では「無」関係な言葉に「新たな」関係が生まれ、源と塔と一日という言葉の網が形作られる。

こうしたことを意識して詩句を声に出して読んでみると、音が意味を繋げる役割を感じ取ることができるだろう。
以下の朗読だと8分35秒くらいから、エロディアードの詩句が聞こえてくる。

詩句の内容を読み取っていけば、乳母がエロディアードに触れようとする行為は、不敬で(impiété)、冒瀆(sacrilège)な罪(crime)になるという。
口づけも、香料も、同じこと。
そうしたことは悪魔(démon)の仕業に違いないとさえ、姫は言う。

逆に言えば、エロディアードは、自分のことを神聖な存在と見なしていることになる。
だからこそ、実体の実在を信じる乳母との接触(toucher)は、不幸(malheur)を引き起こすことになる。

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