バルザック 知られざる傑作 Honoré de Balzac, Le Chef-d’œuvre inconnu 芸術論 2/5

バルザックは、ポルビュスの「エジプトの聖女マリア」という作品について、フレノフェールが批評を加える場面を設定する。
しかし、その場面は、二人の登場人物の自然な会話というよりも、フレノフェールの口を通して、バルザック自身が芸術論を語っているような印象を与える。
こうした語り口は、小説の中に再現される現実の世界の本当らしさを壊す結果になる可能性がある。しかし、バルザックの世界ではよくそうしたことが起こる。
彼は、本当らしさの破綻を恐れることなく、自分の持つ世界観を読者に伝えようとしたのだろう。

登場人物に関して言えば、最初に登場した若者のニコラ・プッサンは、17世紀最大の画家。
ポルビュスは、ベルギー生まれで、マリー・ド・メディシスによってフランスの宮廷に招かれた画家。二人は実在の人物。
それに対して、フレノフェールはバルザックが作り出した虚構の人物。
また、ポルビュスが描いている絵画「エジプトの聖女マリア」は実在が確認されていず、虚構の作品である可能性が高い。

— Ta sainte me plaît, dit le vieillard à Porbus, et je te la paierais dix écus d’or au-delà du prix que donne la reine ; mais aller sur ses brisées ?… Du Diable !
— Vous la trouvez bien ?
— Heu ! heu ! fit le vieillard, bien ?… Oui et non. Ta bonne femme n’est pas mal troussée, mais elle ne vit pas.

ーー お前の聖女はわしの好みだ、と老人はポルビュスに言った。女王(マリー・ド・メディシス)がお前に支払うといった金額に10金貨足してもいい。しかし、もう少し手を加えたら、どうだろう。。。 悪魔と張り合って!
ーー この聖女をいいと思われるのですか。
ーー うーん、と老人。いいと思うかだと。。。 いいとも言えれば、そうでないとも言える。女性像の素描は悪くない。しかし、彼女は生きていない。

一般的には傑作と認められている「エジプトの聖女マリア」に関して、フレノフェールは、悪くはないが、彼が代わりにするとしたら(aller sur ses brisées:張り合う、対抗する)、手直しをすることがあると言う。

彼の目からすると、女性の素描は問題がない。(Trousserは、素描するの意。)
問題は、生命感がないこと。その女性は生きていない(elle ne vit pas.)。

では何か問題なのか。

Vous autres, vous croyez avoir tout fait lorsque vous avez dessiné correctement une figure et mis chaque chose à sa place d’après les lois de l’anatomie ! Vous colorez ce linéament avec un ton de chair fait d’avance sur votre palette en ayant soin de tenir un côté plus sombre que l’autre, et parce que vous regardez de temps en temps une femme nue qui se tient debout sur une table, vous croyez avoir copié la nature, vous vous imaginez être des peintres et avoir dérobé le secret de Dieu !…

お前たちが作品を完成したと思うのは、正確に姿形をデッサンし、解剖学の法則に従って、それぞれの部分をそれぞれの場所に配置した時だ! 輪郭に色づけをするのに、予めパレットの上で準備された肉体の色を使う。ある部分は別の部分よりも暗くなるように心を配る。時には、テーブルの上に立つヌードの女性を見て、自然を写し取ったように思う。自分たちを画家だと思い、神の秘密を盗んだと思い込む。

ここでお前たち(vous autres)と複数になっているのは、天才ではない、普通の画家に関して、一般論を述べているから。

そうした画家たちにとっては、線が色よりも重視される。
解剖学(anatomie)のように正確に肉体の輪郭を描くこと(dessiner correctement une figure)が重視される。

それに対して、色彩は輪郭線で描かれた形を埋めるにすぎない。
しかも、予めパレットの上で準備され、ニュアンスを付けるために、暗い部分と明るい部分に分けて彩色される。

そのようにして、解剖学的に正確な形を描くと、自然を写し取った(copier la nature)ように思い込み、神と同じように、自分が自然を創造したと誤解する。

ここでフレノフェールが批判しているのは、古典主義的な美学。
色よりも線、自然を再現する、その2点が古典主義美学の要点である。

Prrr ! Il ne suffit pas pour être un grand poète de savoir à fond la syntaxe et de ne pas faire de faute de langue ! Regarde ta sainte, Porbus ! Au premier aspect, elle semble admirable ; mais au second coup d’œil on s’aperçoit qu’elle est collée au fond de la toile et qu’on ne pourrait pas faire le tour de son corps. C’est une silhouette qui n’a qu’une seule face, c’est une apparence découpée, une image qui ne saurait se retourner, ni changer de position. Je ne sens pas d’air entre ce bras et le champ du tableau ; l’espace et la profondeur manquent ; cependant tout est bien en perspective et la dégradation aérienne est exactement observée.

ふぅ ! 偉大な詩人であるためには、語と語の繋げ方を完全にマスターし、言葉を間違えない、というだけではだめだ。ポルビュスよ、お前の描いた聖女をよく見てみなさい。最初のひと目だと、素晴らしく見える。しかし、二度目には、彼女が画布の奥に貼り付き、彼女の体をぐるっと回って見ることができないことに気づく。ただのシルエットで、一面しかない。切り取られた外観。後ろ向きにすることも、場所を変えることもできないイメージなのだ。この腕と画面の背景の間に空気を感じない。空間も奥行きも欠いている。その一方で、全てが遠近法に従い、空気遠近法で朧気になる感じも正しく守られている。

ここでは、輪郭線中心の絵画の問題点が指摘される。
そうした絵画は、詩で言えば、言語が正しく使用されているだけで、詩情に欠けたもの。

Paul Delaroche, Sainte Cécile et les anges, 1836.

絵画的には、肉体の厚みがなく、空気感が感じられない。
線遠近法(en perspective)も、空気遠近法(dégradation aérienne)も守られ、幾何学的には正確。
しかし、一つの表面だけ(une seule face)だけしか見えず、現実感がない。

バルザックがこの絵画批判を公にしたのは1831年。
1837年になると、テオフィル・ゴーティエが、ポール・ドラロッシュの「聖セシルと天使たち(Sainte Cécile et les anges)」に対して、同様の批判をしたことが知られている。
そこで、ゴーティエに批判された絵画を見ると、バルザックがどのような絵画を思い描いていたのか、知ることができる。

Mais, malgré de si louables efforts, je ne saurais croire que ce beau corps soit animé par le tiède souffle de la vie. Il me semble que si je portais la main sur cette gorge d’une si ferme rondeur, je la trouverais froide comme du marbre ! Non, mon ami, le sang ne court pas sous cette peau d’ivoire, l’existence ne gonfle pas de sa rosée de pourpre les veines et les fibrilles qui s’entrelacent en réseaux sous la transparence ambrée des tempes et de la poitrine. Cette place palpite, mais cette autre est immobile, la vie et la mort luttent dans chaque détail : ici c’est une femme, là une statue, plus loin un cadavre. Ta création est incomplète. Tu n’as pu souffler qu’une portion de ton âme à ton œuvre chérie. Le flambeau de Prométhée s’est éteint plus d’une fois dans tes mains, et beaucoup d’endroits de ton tableau n’ont pas été touchés par la flamme céleste.

しかし、多くの賞賛すべき努力にもかかわらず、わしには、この美しい体が、生命のほの温かい息吹で息づいているようには思えない。堅い丸みを持ったこの胸の上に手を置いたとして、感じるのは大理石のような冷たさだろう。通っていないのだ、我が友よ、血がこの象牙の肌の下に流れていないのだ。生命が真っ赤な露で血管や毛細血管を膨らめていないのだ。そうした血の管は、透明感のある琥珀色をしたこめかみや胸の下で、網のように絡み合っている。ここは息づいているが、あそこは動かない。生と死がそれぞれの部分で戦っている。ここは人間の女性、あそこは彫刻、もっと向こうは死体。お前が産み出したものは不完全なのだ。お前は、魂の一部しか、大切な作品に吹き込むことができなかった。プロメテウスの松明が一度ならずお前の手の中で消え、この絵の多くの場所は、天の炎に触れられなかった。

再び、絵画に生命感が欠けていることが取り上げられる。
ポルビュスの聖女マリアは、形態的には完璧でも、人間の肉体を感じさせない。血管に血が通っていず、大理石の像のように冷たい箇所があり、死体のような箇所もある。

こうした批判の後で、フレノフェールは、神話の神プロメテウスを引き合いに出す。
プロメテウスは、神から火を盗み、人間に与えたという神話で知られている。
しかし、19世紀には、パンドラを作り出した神としても知られていた。つまり彼は創造主の一人であり、彼の火は生命の象徴だった。
そこで、ポルビュスの手の中でプロメテウスの松明が消えたということは、彼の画筆から描き出される絵画に生命感が欠けていることの象徴。消えている時に描かれた部分は、大理石のようであったり、死体のようだったりもする。

最後に天の炎に言及される。
その天という言葉は、絵画の生命感を産み出すものが、人間の理性による知的作業ではなく、天から授けられるインスピレーションであることを暗示している。

こうした批判に対して、ポルビュスだけではなく、「エジプトの聖女マリア」を傑作と思っている若いニコラ・プッサンも、反論をしようとする。(続く)

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中