バルザック 知られざる傑作 Honoré de Balzac, Le Chef-d’œuvre inconnu 芸術論 4/5

統一感(l’unité)が作品に生(une des conditions de la vie)を与えるものであるというフレノフェールの説明を聞いた後、ポルビュスは、現実を画布の上に再現する時、ある矛盾が起こることを指摘する。
現実をそのまま再現すると本当らしくない、という問題。

  — Maître, lui dit Porbus, j’ai cependant bien étudié sur le nu cette gorge ; mais, pour notre malheur, il est des effets vrais dans la nature qui ne sont plus probables sur la toile…

ーー 先生、とポルビュスが言う。でも、私はヌードのモデルをよく見て、この胸をしっかりと研究しました。でも、私たち画家にとって不幸なことなのですが、自然の中で現実的な効果を持つものは、画布の上では本当らしくなくなってしまうのです。。。

本当らしさ(vraisemblance :バルザックはここでprobableという言葉を使っている)は、古典主義美学の中心概念。
絵画が目指すのは、本当のもの(vrai)ではなく、画布の上で本当らしく見えること(vraisemeblance)だと考えられていた。

それに対して、1820年代、文学においては、スタンダールやヴィクトル・ユゴーが、反古典主義の運動としてロマン主義を主張し、自分たちの生きている時代の出来事をテーマとして、本当らしさではなく、事実あるいは真実(vrai)を追求することを主張した。

「知られざる傑作」は1612年に時代を設定しているが、バルザックの芸術論は1820年代から1830年にかけての芸術論争に基づいている。そのことを、ポルビュスの悩みから推測することができる。

では、フレノフェール(バルザック)は、どのような芸術観を持っているのか。

  — La mission de l’art n’est pas de copier la nature, mais de l’exprimer ! Tu n’es pas un vil copiste, mais un poète ! s’écria vivement le vieillard en interrompant Porbus par un geste despotique.

  芸術の使命は、自然をコピーすることではない。自然を表現することなのだ!お前はつまらぬ模倣家ではなく、詩人なのだ!と、大きな声でいいながら、ポルビュスの言葉を乱暴な身振りで遮った。

この言葉は、バルザックの芸術論のマニフェストだといえる。

古典主義芸術の最も基本的な原則は、「自然を模倣する(imiter la nature)」こと。
フレノフェールはその原則を真正面から否定する。彼の視点からすると、古典主義者たちは、価値のない模倣家(vil copiste)にすぎない。

真の芸術家とは、自然を表現する(exprimer)者でなければならない。
そして、表現する者は、たとえ画家であろうと、詩人(poète)と呼ばれる。

では、表現する(exprimer)するとは、どういうことだろう。

Une main, puisque j’ai pris cet exemple, une main ne tient pas seulement au corps, elle exprime et continue une pensée qu’il faut saisir et rendre. Ni le peintre, ni le poète, ni le sculpteur ne doivent séparer l’effet de la cause qui sont invinciblement l’un dans l’autre ! La véritable lutte est là ! Beaucoup de peintres triomphent instinctivement sans connaître ce thème de l’art. Vous dessinez une femme, mais vous ne la voyez pas ! Ce n’est pas ainsi que l’on parvient à forcer l’arcane de la nature. Votre main reproduit, sans que vous y pensiez, le modèle que vous avez copié chez votre maître. Vous ne descendez pas assez dans l’intimité de la forme, vous ne la poursuivez pas avec assez d’amour et de persévérance dans ses détours et dans ses fuites.

手について考えてみよう。というのも、手を例に取ったからだ。手は単に体に付いているのではない。手は一つの思考を表現し、思考の続きになっている。その思考を把握し、表現しないといけない。画家であろうと、詩人や彫刻家であろうと、結果と原因を切り離してはいけない。それらはお互いに深く関係し合っているのだ。真実の戦いは、まさにそこにある! 多くの画家たちが直感的に戦いに勝利することもあるのだが、そんな時でも、結果と原因の関係というテーマは知らないでいる。一人の女性を素描するが、彼女を見ていない! しかし、そんな風にしていたら、自然の秘法に到達することなどできない。芸術家の手は、彼が何も考えないうちに、モデルを再現する。だが、それは彼の師匠のものをコピーしただけだ。形体の内面に十分に下ることもないし、内面を追い求めるとしても、多くの愛と十分な忍耐を持ち、くねくねとした曲線や遠近法的な消失点を辿ろうとはしない。

表現する対象は何か。

単に形を再現するだけでは、コピーにすぎない。
フレノフェール(バルザック)の目には、手はただそこにあるだけで、何らかの思考(une pensée)を表現している。
芸術家は、形ではなく、その思考を捉えなければならない。

別の言葉で言うと、形があるとしたら、その形には原因がある。形は原因の結果。従って、原因(思考)と結果(形)を分離することはできない。

その両者を描くために必要なことは、細部まで見ること。「ねくねとした曲線や遠近法的な消失点(ses détours et dans ses fuites)」まで観察することで、「形体の内面性(l’intimité de la forme)」を捉えることが可能になる。

古典主義者たちは、一つ一つの事物をよく見ることをせず、過去の大画家たちの作品を模倣することに終始していた。彼等は現実を見ずに、過去の傑作の理想を再生産していたにすぎない。

バルザックの展開する新しい美学は、1846年にボードレールがサロンの絵画を論じた美術批評にも引き継がれている。詩人の美学も、頭の中の理想(poncif)を描くのではなく、モデルを観察し、内密性(intimité)を中心に据える。

La beauté est une chose sévère et difficile qui ne se laisse point atteindre ainsi, il faut attendre ses heures, l’épier, la presser et l’enlacer étroitement pour la forcer à se rendre. La forme est un Protée bien plus insaisissable et plus fertile en replis que le Protée de la fable, ce n’est qu’après de longs combats qu’on peut la contraindre à se montrer sous son véritable aspect ; vous autres ! vous vous contentez de la première apparence qu’elle vous livre, ou tout au plus de la seconde, ou de la troisième ; ce n’est pas ainsi qu’agissent les victorieux lutteurs ! Ces peintres invaincus ne se laissent pas tromper à tous ces faux-fuyants, ils persévèrent jusqu’à ce que la nature en soit réduite à se montrer toute nue et dans son véritable esprit.

美は厳しく困難のもの。愛と忍耐がないようでは、到達させてはくれない。何時間も待ち、様子を窺い、押したり、ぎゅっと抱きしめたりして、最後は降伏するようにもっていく必要がある。形体は、姿をころころと変えるプロテウスのようなもの。しかも、神話のプロテウスよりもずっと捕まえにくいし、皺も豊富にある。長い間戦った後でしか、真実の姿で現れるように強いることはできない。画家であるお前たち! お前達は、形体の最初の姿で満足してしまう。よくても、二度目、あるいは三度目の姿。しかし、そんな風では、戦いに勝利する戦士の行動とはいえない。戦に敗れない画家は、どんな逃げの手にも騙されたままではいない。我慢強く振る舞い、最後には、自然が何一つ纏わず、真実の精神の中に、姿を現わさざるを得ないところまでもっていく。

「美」という言葉が発せられ、芸術の目的が美の表現であることが明らかになる。

絵画において「美」の表現は「形体(la forme)」。
形を通してしか、美は表現されない。

その形体は、常に姿を変える。神話のプロテウスは、彼を取り囲むものに応じて、形と色を変え、姿を隠すので、捕まえることが難しい。
それ以上に美の形体を捉えるのは困難だと、フレノフェールは言う。

芸術家に必要なものは、そうした変化を追い続け、その真実の精神(la véritalbe esprit)に到達すること。その時、美の形体と美の精神を同時に捉え、表現できることになる。

Ainsi a procédé Raphaël, dit le vieillard en ôtant son bonnet de velours noir pour exprimer le respect que lui inspirait le roi de l’art, sa grande supériorité vient du sens intime qui, chez lui, semble vouloir briser la forme.

それがラファエルが行ったことだ、と老人は言い、黒いビロードの縁なし帽子を持ち上げ、芸術の王者に対して抱く尊敬の気持ちを表現した。ラファエルの偉大さは、内的な感覚に由来している。彼の作品の中では、その感覚が形体を砕こうとしているように感じられる。

形体と思考の内密な関係を最も見事に表現した芸術家として、ラファエルの名前が挙げられる。

ラファエルにおいては、描かれた形が、単なる形ではなく、内的な感覚(le sens intime)を見る者に伝える。

ここでバルザックが、ラファエルのどの作品を頭に描いていたのかはわからない。どれか一つというのではなく、ラファエルの絵画の全体的な性質を問題にしているとも考えられる。

Raphaël, La Vierge à la Chaise
Paul Delaroche, Sainte Cécile et les anges

テオフィール・ゴーティエが批判したポール・ドラロッシュの聖セシルの絵画と、ラファエルの「椅子の聖母」を見比べると、ドラロッシュには申し訳ないが、精神性の深さが違うと感じられる。
ラファエルでは、聖母や子供が美しく描かれているというだけではなく、神秘的な眼差しや体の動き、服の色彩から、言葉に言い表せない魅力が発散している。

形(forme)と思考(pensée)の内密性とは、こうしたことを言うのだろう。
そして、こうした次元にまで絵画が到達するとき、画家は、モデル(自然)をコピーするのではなく、表現(exprimer)したことになる。

ボードレールは、「1846年のサロン」の中で、ロマン主義を次のように定義した。

Qui dit romantisme dit art moderne, — c’est-à-dire intimité, spiritualité, couleur, aspiration vers l’infini, exprimées par tous les moyens que contiennent les art.

ロマン主義と言えば、現代芸術と言うことになる。つまり、内密性、精神性、色、無限への憧れ。芸術が含むあらゆる方法で、そうしたものが表現される。

この定義を見ると、ボードレール的な美が、「知られざる傑作」でフレノフェールから語られる「美」と非常に近いことがよく分かる。

フレノフェールの美術論はこの後、もう少し続くことになる。(続き)

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