ラシーヌ 『フェードル』 Racine Phèdre 理性と情念の間で 1/3

ジャン・ラシーヌ(Jean Racine)の『フェードル(Phèdre)』は、17世紀フランス演劇の最高傑作の一つ。
この上もなく美しいフランス語の詩句によって、理性と情念の葛藤が描き出される。

そこで、『フェードル』を読む場合には、2つの軸からアプローチしたい。
1)17世紀のおける理性(raison)vs 情念(passion)のドラマ。
2)ラシーヌの韻文詩の美。

韻文の美しさに関しては、実際に詩句を読むしかないが、最も基本的な詩法だけは知っておくことが必要になる。

韻文で基本的な要素は、詩句の音節数と韻。
ラシーヌの芝居の詩句は、1行12音節。(アレクサンドランと呼ばれる。)
そして、基本的に、12音節は6音節で区切れ(césure)、6/6のリズムになる。
そのリズムは、意味と対応するのが基本。
韻は、2行づつ同じ音になる平韻(aabb…)。

ラシーヌの場合には、その規則に非常に忠実に則り、逸脱は意図的であり、逸脱した語句は意味の強調につながる。

Raphaël, La Dispute du Saint sacrement

内容の理解という点では、18世紀以降の科学的な世界観とは異なり、五感で捉える現実世界とは別に、抽象化された世界の存在が前提とされている。

キリスト教で言えば、神の世界が実在としてあり、人間の世界は不確かで、偽りに満ちた世界という考え方。
アダム(人間)は神の似姿(image)であり、コピーだと考えると、本物が神、人間はコピーにすぎないという考え方がわかりやすいだろう。

17世紀にデカルトが理性(raison)を強調するのは、現象世界の偽りを問い直し、真実を理解するためだった。
科学であれば、一回一回の実験を繰り返し、一般法則を発見しようとする。
一般法則はどこにも存在しないが、現象を説明する原則となり、真実と考えられる。

こうした二元的な世界観が『フェードル』の基本的な世界観の基礎になっている。

現実を超えた世界で中心をなすのは、愛の女神ヴィーナス。
ヴィーナスは軍神マルスの恋を太陽の神ヘリオスによって妨げられた。そして、ヘリオスに対する復讐を、ヘリオスの孫であるフェードルによって晴らす。
その復讐の具体的な形が、義理の息子イポリットをフェードルが愛するというもの。

言葉を換えて言えば、フェードルが義理の息子に対して抱く情念(passion)は、女神ヴィーナスによって定められた宿命なのだ。

他方、現実の次元では、フェードルが義理の息子イポリットに恋心を抱き、最後に破局を迎えるという、人間的な悲劇が展開する。

より具体的に見ると、二つの三角関係がある。
一つは、アテネの王テーセウスと王妃のフェードル、そして、テーセウスの息子イポリット。
もう一つは、フェードルとイポリット、そして、テーセウスと敵対するギリシアの部族の娘アリシー姫という三角関係。イポリットとアリシーは敵対する関係にありながら、密かに愛し合っている。

こうした中で、テーセウスが遭難して死んだという知らせが伝えられ、恋の病に苦しむフェードルは、イポリットに愛を告白する。しかし、イポリットは義理の母からの愛を拒絶し、その場を去る。
その後、テーセウスがアテネに戻ると、フェードルは自分の行動が王に知られるのを恐れる。そして、イポリットが彼女を襲おうとしたという偽りの話を作り出し、夫に告げる。
怒った王は、船でアテネを去ろうとしているイポリットを殺すように海の神に祈り、その願いが叶えられてイポリットは死ぬ。
その知らせを聞いたフェードルは、後悔に苛まれ、毒を飲んで自害する。

この悲劇は、17世紀的に見れば、ヴィーナスによって定められた運命と、それに必至に抵抗しようとするフェードルの自由意志との葛藤を描いたドラマだといえる。

こうした大きな枠組みを理解した上で、実際にラシーヌの詩句を読んでみよう。


第2幕第2場で、イポリットがアリシー姫に愛を告白する場面。

        HIPPOLYTE.
Ai-je pu résister // au charme décevant…

        ARICIE.
Quoi ! seigneur… (3)/

        HIPPOLYTE.
Je me suis // engagé / trop avant.
Je vois que la raison // cède à la violence :
Puisque j’ai commencé // de rompre le silence,
Madame, il faut poursuivre ;// il faut vous informer
D’un secret / que mon cœur // ne peut plus renfermer.

        イポリット
私が抵抗できたでしょうか、希望を砕くあたなの魅力に。。。。

        アリシー
何ですって! 

        イポリット
     私はあまりにも踏み込みすぎました。
分かっています。理性がこの激情に屈しているのです。
でも、沈黙を破り始めたのですから、
続けなければなりません。あなたにお伝えしなければなりません。
一つの秘密を。私の心は、もうそれを閉じ込めておくことができません。

6/6のリズムは、日本人にとっての5/7のリズムに等しい。
ラシーヌの詩句はその典型であり、ここでも、ほとんど全ての詩行が、6/6のリズムで構成されている。
実際、そのリズムで読んでいくと、フランス語の詩句のリズムの心地よさを感じることができる。

6/6のリズムを最も明確に感じることが出来るのは、« Madame, il faut poursuivre  (6) ;// il faut vous informer (6) »の詩句だろう。
手でリズムを取りながら、声に出して、Ma/dam(e) il / faut / pour/ suivr(e)を6音節、il / faut / vous / in/ for / merを6音節で発音してみると、意味とリズムの関係をはっきりと感じ取ることができる。

アリシーの言葉は、3音節(Quoi ! Sei/gneur)。
次の3音節はイポリットの言葉に引き継がれ(je me suis)、後半の6音節(en/ga/gé/ trop/ avant)が続く。
ただし、その詩節では、je me suis (3) // engagé (3) / trop avant (3)となり、意味的には、6音節目の後ろの切れ目(// césure)を跨いで、je me suis engagéと続くことになる。
その句またぎ(enjambement)という技法のために、最初の6音節(Quoi ! Seigneur – Je me suis)からはみ出した engagéという言葉が強調される。
そのようにして、「踏み込んだ(engagé)」というイポリットの気持ちが、リズムによってアクセントを置かれていることがわかる。
ラシーヌの場合、大部分の詩句が6/6のリズムであるために、逸脱する要素が見事に浮かびあがるのである。

同様の効果は、最後に出てくる「秘密(secret)」に関しても言うことができる。
D’un secret(3)は、意味的には、前の行のil faut vous informer(あなたに伝えなければならない。)に続く。(ルジェという詩の技法)
そこで、Secretという言葉に力点が置かれることになる。

以下の朗読の3分30秒からを聞くと、ラシーヌの詩句の最も基本的なリズムとその美しさを感じ取ることができる。

内容的に注目したいのは、理性と恋の関係。
理性が激情に屈する(la raison cède à la violence)とあることから、アリシーへの恋というだけではなく、一般的に、恋は理性と対立するものであることがわかる。
イポリットはなんとか理性を保ち、アリシーへの愛を留めようとするし、告白することは理性に反する行為であると見なされる。なぜなら、秘密は守るべきものであり、それが理性的な行動なのだ。

「フェードル」の中では、恋は毒(poison)と言われ、理性を殺す劇薬。
イポリットの理性は恋の情念に負け、秘密の中身を詳しく述べ始める。

Hippolypte
[…]
Depuis près de six mois,// honteux, désespéré,
Portant partout le trait // dont je suis déchiré,
Contre vous, contre moi, // vainement je m’éprouve :
Présente, je vous fuis ; // absente, je vous trouve ;
Dans le fond des forêts // votre image me suit ;
La lumière du jour, // les ombres de la nuit,
Tout retrace à mes yeux // les charmes que j’évite ;
Tout vous livre à l’envi // le rebelle Hippolyte.

もう6ヶ月近く前から、自分を恥じ、絶望し、
どこに行くにも私を引き裂く矢を持ち、
あなたに対しても、私に対しても、自分自身に試練を課すのですが、どうにもなりません。
あなたがいらっしゃると、あなたから逃れようとします。いらっしゃらないと、あなたを探します。
森の奥にいても、あなたのお姿が私に付いてきます。
太陽の光、夜の影、
全てが、魅力的なお姿を私の目の前に描き出します、どんなに避けようとしても。
全てが競ってあなたに引き渡すのです、反抗的なこのイポリットを。

(4分22秒から)

まず、ラシーヌの詩句の巧みさ、美しさを代表する詩句を記憶に焼き付けておこう。

Présente, je vous fuis ; // absente, je vous trouve ;

6/6のリズムと意味が対応するだけではなく、あなたがいるとき/いないときという意味的なコントラストを形作っている。
さらに、je vous という言葉が共通することで、子音( j, v )と母音(ou)が反復される。(アリテラシオン、アソンアンス、アナフォールという詩句の技法が集約している。)
しかも、わずか6音節の言葉が、禁じられた恋に捉えられた人間の心理を見事に表現する。
愛する人を前にすると、思わず逃げ出してしまう。ーー「あたながいらっしゃると、あなたから逃れようとします。Présente, je vous fuis. 」
反対に、その人がいないと、空想し、その人を心の中に思い描くために、出会うことになる。ーー「いらっしゃらないと、あなたを探します。absente, je vous trouve 」
わずか6音節の文を二つの中で、詩句の音とリズムが巧みに配置され、人間の心理を的確に表現する。
これこそ、ラシーヌの詩句の真骨頂だといえる。

その他にも、6/6で、意味が対比する詩句がある。
La lumière du jour (6) / les ombres de la nuit (6)
6/6のリズムと意味の対比はよくわかる詩節。
ただし、意味の対比は平凡であり、そのことからも、上で解説した詩句の素晴らしさが逆によくわかるだろう。

単語の単数と複数の違いを巧みに利用している例もある。

Portant partout le trait dont je suis déchiré

traitは矢の意味だが、複数形にして愛の天使キューピットの矢を連想させることもある。
ラシーヌは単数で使っているが、その矢に恋の意味が含まれていることは、イポリットの行動から理解できる。
単数で使うのは、恋の意味を明確にしないために、わざとそうしているのだろう。

恋の矢に射貫かれたイポリットは、敵の娘を愛する自分を恥ずかしい(honteux)と思い、絶望し(désespéré)、自分を苦しめる(je m’éprouve)。
アリシーに対しては(contre vous)、愛さないようにという試練を課す(je m’éprouve)。
自分に対しては(contre moi)、アリシーに会いたくても、あえて彼女を避けるという試練(je m’éprouve)。

しかし、どのようにしても、常にアリシーのことを考え続ける。
森の奥に(Dans le fond des forêts)行っても、彼女を思う。彼女がいない時でも、彼女のイメージ(image)がイポリットから離れない。(空間)
昼も、夜も、彼女を避けそう(éviter)、忘れようと思えば思うほど、彼女の様々な魅力(charmes)に捉えられる。(時間)

イポリットが自分のことを「反抗的(rebelle)」と言うのは、自分の気持ちに対抗して、愛さないように努めている、つまり愛に反抗するということを意味している。
しかし、どのようにしても、彼女への愛に対抗できず、彼女を愛している。

イポリットの最後の言葉で、「全てが彼女に私イポリットを引き渡す」と言われ、「引き渡す(livrer)」という動詞が使われ、イポリットが目的語になっている。
その言葉は、「フェードル」における愛とは何かを的確に示している。

愛という情念(passion)は、主体的、能動的な行動(action)ではなく、ヴィーナスが定めた宿命(destin)なのだ。
だからこそ、イポリットもアリシーに委ねられるという表現が使われている。

恋とは、「理性が激情に屈する(la raison cède à la violence)」ものなのだ。
その恋という病に冒され、恋という毒を飲み、理性を失うところまで行ってしまうのが、イポリットを愛するフェードル。
彼女が愛を告白する場面を読んでみよう。驚くほど激しく、しかも巧みに練り上げられた詩句に感嘆するだろう。(続く)

Alexandre Cabanel Phèdre


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