日本の美 平安時代 その3 『古今和歌集』自然と人間

平安時代は総合芸術の時代だといえる。
貴族たちは、書院造りの住居に住み、内部に置かれた障子や屏風に描かれた絵画に囲まれて日々を過ごした。その絵画は、和歌を素材にして描かれるものもあれば、逆に絵画を題材とした和歌も作られた。
室内では、美しい装束を纏い、仮名による物語が語られ、歌合、絵合等の遊びが行われる等、耽美主義的な生活が繰り広げられた。

10世紀以降になると、大陸文化の和様式化が進み、京都という閉鎖された空間で、少数の貴族達が宮廷生活を送る中、新しい美の感受性が確立していったと考えられる。

そうした中で、905年に、後醍醐天皇の勅令により紀貫之たち編者が編集した『古今和歌集』は、大きな役割を果たした。
ここでは、和歌を通して見えてくる人間と自然の関係について考えてみよう。

言葉

人間の活動の中で、言葉が占める特権的な役割を知ると、美意識の根本として言語がいかに重要か理解できる。

人間は、目で見、耳で聞き、手で触り、口で食べ、鼻で香りを嗅ぐ。人間は五感を通して、自分の外に広がる世界を知覚する。
さらに、頭で物事を考え、心で感じ、言葉、映像、音楽等の手段によって表現する。

こうした人間の活動の中で、言語は特別な役割を担っている。
ある物を見て、それが犬だと認識するためには、犬という言葉によって示される概念を予め知っている必要がある。でなければ、まったく形体が違うブルドックとチワワを犬と呼び、よりチワワに形の近い猫と区別することはできない。

私たちは言葉を知っているおかげで、春に咲く桜を桜と認識する。
そして、桜を見たと告げることで、話相手に何を見たのかが伝わる。
それと同時に、桜がきれいだったという言葉を通して、きれいとはどういうことか、話し手も理解するようになる。

人間は言葉によって物事を認識し、言葉によって思考し、言葉によって表現する。
このように、言語が人間に対して果たす役割を考える時、平安貴族たちの耽美的生活の中から生まれた美意識の核が、905年に完成した『古今和歌集』であったことが理解できる。

もちろん、『古今和歌集』は突然生まれたものではなく、歌集としては『万葉集』を引き継ぐものであり、さらに、9世紀以降協力に押し進めれらた唐風文化の影響も大きい。
そうした伝統や外国文化の影響を受けながらも、21世紀の私たちが今感じる「日本的」といえる感受性が、10世紀初頭に編集された『古今和歌集』の中で成立したのである。

その典型は、四季の移り変わりに対する繊細な感受性。
春自体の美を歌うことは『万葉集』にもあった。自然の永遠性との対比から人間の生の短さを嘆く詩は、中国大陸にもあった。
しかし、古今の歌人たちの歌を通して、四季それぞれの美が定められ、季節の到来や季節の衰えに心を寄せる感受性が確立したと言われている。

ここでは、『古今和歌集』の言葉を通して、人間と自然の関係を考えてみよう。

ヨーロッパの自然観

ヨーロッパの自然観は日本の自然観とは正反対といえるほど、違いが大きい。

ヨーロッパにおいて、自然とは人間が闘い、征服すべき「対象」だった。
例えば、森は恐ろしい存在であり、人間はその片隅にある小さな村に住む小さな存在。赤ずきんちゃんは森で狼に食べられ、ヘンゼルとグレーテルも森の中で魔女に食べられそうになる。
文明とは、恐ろしい自然を征服し、森や山を切り開き、人間にとって有益な場所に変えることだった。

現在は、自然をあまりにも痛めつけてしまったために、その反動として、自然保護が叫ばれ、エコロジーの運動が盛んになっている。
そうした活動をつぶさに観察すると、最終的に自然保護は人間のためであり、人間が自然という対象を保護するという意識が感じられる。
あくまで人間が主体であり、自然は対象にすぎない。

日本人にとっての風景

現代の日本でも、ヨーロッパ文明の影響の下で、それと意識しなくても、人間と自然の関係を主体と客体に分けて考えることが多い。
しかし、そうした意識の中でも、人間も自然の一部であると考え、自然と人間を断絶しない感受性が残っている。

声たえず 鳴けや鶯 ひととせに ふたたびとだに 来べき春かは
                         (藤原興風 )

春の終わり、そろそろ鶯が鳴くのを止める季節になってきた。そんな時、鶯に向かって、声を絶やさず、まだ歌ってくれと願う。
春は、ひととせ(一年)に一度しかやって来ず、ふたたび(二度目)はないのだから。
このように歌うことで、歌人は、春の最後の余韻を感じ、春を惜しむ心を表現する。

この和歌の中に人間は描かれていない。情景としては、木の枝に止まる鶯がいるだけ。
後は、春は一年に一度しかこないという当たり前の認識と、鶯にまだ鳴いていて欲しいという願いだけが示されている。

名残惜しいとか、淋しいとかといった、人間の感情を表す言葉は何も出て来ない。
しかし、春を惜しむ歌人の心が、この31音節の言葉の連なりからはっきりと感じることができる。
こう言ってよければ、自然を歌うことが、そのまま人の心の表現になっているのである。

紀貫之の次の句は、非常に抽象的で、人間の姿どころか、言葉以外に何もない。

桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける

桜の花が風で散ってしまった。すでに何もない。情景としてはそれだけ。

前に引用した藤原興風は、まだ鶯の声を聞いていて、鳴くのを止めないで欲しいと言うことで、行く春を惜しんだ。
他方で、紀貫之は、すでに花が散ってしまった桜の前にいる。

もう花はない。しかし、その何もないところに、「なごり」を感じる。
その言葉によって、客観的な風景が人の心の表現にもなる。
言い方を変えると、風景と人は同じ一つのもの。
歌人が桜を眺め、主体と客体の距離に基づいて対象を観察するのではない。
だからこそ、何もないはずの空間に、波が立つ。

その時にキーワードとなるのが、「なごり」という言葉。
なごり(余波、名残)は、二つの意味を内包する。
1)潮の引いた後まで残っている水や藻。波のひいた後、なおも残るもの。
2)物事が過ぎ去った後、なおその気配が残っていること。あることが過ぎ去った後も残り続ける物事や感情。
貫之はこの二重の意味を利用して、桜が散った後の何もない風景に「名残」を感じると歌いながら、「余波」を出現させる。
空には何もない、まして水はないのだが、そこに波が立つのだと、詠嘆する。(「ける」は詠嘆。)

実像としての花は散ってしまい、もやは存在しない。歌人は、そこに、不在の波を花の虚像として描き出す。
この歌から発せされるのは、ただただ美を惜しむ心であり、見事なまでに耽美的な作だといえる。

以上の二つの和歌から理解できることは、『古今和歌集』の歌人たちにとって、自然を歌うことはすでに心の表現であり、自然と人間の間に断絶はなかったということである。

人間=生きとし生けるもの

紀貫之は、「仮名序」の中で、次の様に語る。

世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける 

どんな人でも、こと(出来事)やわざ(行為)を、数多く見たり聞いたりする。そして、心に思うことがあれば、言葉にする。つまり和歌にする。
それと同じように、鶯も蛙も、生命あるものはどんなものであろうと、歌を詠む。

人間だけが歌を詠むのではなく、「生きとし生けるもの」が歌を詠むという紀貫之の言葉は、人間と動物、植物、昆虫等々、全てが同じ一つの生命であるという認識を示している。
小鳥のさえずりも歌だし、蛙の鳴き声も、コオロギの鳴き声も、人間の和歌と同じ。

地球上の全存在の中で、人間だけを特権化するヨーロッパ的な思考と、人間も動物も植物も区別しない古今的な思考は、鋭く対立する。
古今的感受性に従えば、自然とは征服するものでもなく、保護すべきものでもなく、人間との間に上下関係のない同類。共に生きる存在だといえる。

現代の日本人の心の奥にあるのは、征服や保護ではなく、共存ではないだろうか。

征服された自然 VS 生きた自然

視覚的表現を使って、そのことを確認してみよう。

フランス式庭園は、自然を完全に支配し、コントロールした姿そのものといえる。

私たちは、これほど見事に幾何学的に作り挙げられた庭園を見て、美しいと感じる。
しかし、心のどこかで、これは自然の植物ではなく、人の手が作り挙げた人工物だと思わないだろうか。

日本の庭園はどうだろう。

日本の庭園は、できる限り自然を活かし、自然を取り入れている。
人間の手が作ったというよりも、自然をそのまま模しているものであり、生きた自然そのものが自然にそこにあるという印象を与える。
「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」の精神が息づいていると言ってもいいだろう。

人間は「生きとし生けるもの」の一つにすぎない。
それが、日本的な美の根源にある思考ではないだろうか。

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