
ルネサンスの時代から続いてきた再現芸術、つまり現実のモデルを再現することを基礎とする芸術の時代が、19世紀の後半に終わりを迎えた。
絵画に関しては、画布の上に表現された形象と色彩そのものが現実から自立し、それ自体としての価値を持つ芸術観が成立する。
そうした流れの中で、20世紀初頭のフォーヴィスムは色彩を中心にし、キュビズムは立体的な形体を中心に、作品の中に一つの世界を表現した。
1920年代に誕生するシュルレアリスム(超現実主義)では、現実への再接近が行われる。
超現実主義が現実への回帰だと考えるのは一見矛盾するように思われるが、しかし、現実を超えるということは、現実を前提としていることになる。
夢の世界と同じように、現実に不可思議な変形がなされ、理性では把握できない世界が生み出されたのだった。
1924年にアンドレ・ブルトンが出版した『シュールレアリスム宣言』(1924年)は、精神分析学のフロイトの影響を強く受けていた。
ブルトンは、意識を統括する理性の支配から逃れ、意識の下に潜む無意識の世界を表現することを目指した。
別の見方をすると、シュルレアリスムの世界は、夢や狂気を無意識の表現と見なす19世紀後以降に発展した心理学的な思考に基づき、合理的な思考が規定する3次元の世界を超えた「超現実」を表現していた。
ブルトンが絵画的表現として参考にしたのは、ジョルジョ・デ・キリコの作品だと言われている。
「秋の午後の謎」は、キリコの「形而上学絵画」の一枚。

この絵をよく見ると、遠近法の焦点がずれていて、不自然な空間が作り出されている。
しかも、小さな人間の姿に対して、彫像は異常に大きい。
その像は、やや右に体をひねり、人間のようにも感じられる。影がひどく長くて、方向も自然ではない。
こうした異様な点が重なり違和感を引き起こすために、見る者は、謎めいた感じを超えて、困惑や不安といった感情を抱くようになる。
1920年頃、ブルトンはキリコの「子どもの脳」を偶然バスの中から見て、その衝撃のために、バスを下りてしまったという逸話が残っている。

シュルレアリスム絵画では、無意識的世界を表現するために、二つの方法が考えられた。
1)意識の介在を避けるために、心の純粋な自動現象(オートマティズム)やコラージュなどを用いる。
アンドレ・マッソンの「自動描画」。

ジョアン・ミロの「カタロニアの風景」。

マックス・エルンストの「森」。

2)現実の世界ではあり得ないものの組み合わせなどで、夢や深層心理下の非現実的な世界を表現する。
この場合、描かれる人物や風景は具象的であるが、不自然に変形されたり、あり得ない組み合わせが行われた結果、現実とは違う映像が出現している。
サルバトール・ダリの「記憶の固執」は、シュルレアリスム絵画の中でも最もよく知られたものだろう。

マルク・シャガールの「エッフェル塔の新郎新婦」。
シャガールは、シュルレアリスム的な傾向の絵画を描いている。しかしどの流派に属することも好まず、シュルレアリスムの画家と呼ばれることを拒んだといわれている。

ルネ・マグリットの「恋人たち」。
マグリットは、イメージを本来の文脈から切り離し、別の文脈に置くことで驚きや衝撃を生み出す「デペイズマン」という手法を多用し、驚きを生み出した。

イヴ・タンギーは、アンドレ・ブルトンによって、「もっとも純粋なシュルレアリスト」と呼ばれた画家。

イヴ・タンギーの妻であるケイ・セージは、アメリカ生まれの詩人であり画家でもあった女性。

エドガー・エンデの「微笑み」。
彼は、日本でもよく知られている『モモ』や『はてしない物語』の作者ミヒャエル・エンデの父親。
ドイツのシュルレアリスム絵画を代表する画家でもあった。

こうして、20世紀前半の絵画の流れーーフォーヴィスム、キュビスム、シュールレアリスムーーと見てくると、19世紀後半に現実の再現を目指さなくなった芸術表現が、20世紀に入りどのように推移したかが見えてくる。