フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その3 国王のルネサンス

Jean Clouet, François 1er

16世紀フランスのルネサンスは、国王フランソワ1世の主導の下で始まった。
彼は、1519年に行われたローマ皇帝を選出する選挙で、スペイン王カルロス1世(カール5世)に敗れ、その後の軍事的な対立でも敗北を続けた。
1525年のパヴィアの戦いでは、カール5世の軍に捉えられ、捕虜としてスペインに幽閉されてしまう。

そうした状況の中、フランソワ1世が王権の力を国の内外に誇示するために行ったのが、芸術の輝きによって王の威信を高める文化政策だった。

その政策の中心地として選ばれたのが、フォンテーヌブロー城。
すでに1516年にフランソワ1世はレオナルド・ダ・ビンチをフランスに招いていたが、1528年頃からは、次々にイタリアの建築家や画家を招聘し、フォンテーヌブロー城をフランス・ルネサンスの中心地にした。

フランソワ1世のギャラリー

フォンテーヌブロー城の内部装飾の中で最も重要なのは、1528年から30年にかけて建造されたフランソワ1世のギャラリーだといえる。
王は、イタリアから多くの芸術家を招聘し、1530年代には、このギャラリーを、イタリアの後期ルネサンスの美、とりわけマニエリスム的な美で満たした。

Galerie François Ier au Château de Fontainebleau

視覚的な美によって見る者を圧倒し、フランス国王の権威を示すという文化的かつ政治的な政策は、このギャラリーの装飾によって明確に示されている。

このギャラリーの装飾全ては、フランソワ1世のエンブレムであるサラマンドル(火トカゲ)によって支配されているのである。

それぞれの装飾は、3つの部分から成る。
(1)木製の羽目(lambris)。(2)フレスコ画(fresque)。(3)漆喰(stuc)の彫刻。
それらをサラマンドルが統括している。

イタリアから招かれた芸術家を代表するロッソ・フィオレンティーノの「盛装した象(L’Élephant au caparaçon)」を見てみよう。

Rosso, L’Élephant au caparaçon

最上段には、金色に輝く漆喰のサラマンドル。
その両横には、翼のはえた天使たちが寛いだ様子で腰をかけている。
その下には、三対のフレスコ画が描かれ、3つの部分に分けられたキリスト教の三幅祭壇画を思わせる。
フレスコ画の中心には美しく飾られた巨大な象。
その下には、再び漆喰の天使が置かれ、最も下の段は、木製の羽目で覆われ、フランソワ1世の頭文字である F の文字が金色で刻まれている。

中央のフレスコ画で、象を取り囲むのは、ゼウス(天の王)とハデス(地獄の王)とポセイドン(水の王)であると考えられ、巨大な象は3つの世界を統括するフランソワ1世を表す。
実際、象の額にはサラマンドルが、体にはフランス王家を象徴する百合の花とFの文字が描かれ、この装飾全体がフランソワ1世の王権を祝うものであることが示されている。

ロッソに続きイタリアから招かれたフランチェスコ・プリマティッチオ。
彼の「ダナエ」は、女神の裸体画でありながら、王権と教会の繋がりを表現している。

Primatice, Danaé
Danaé et la pluie d’or

主題となるのは、ギリシア神話のダナエと黄金の雫。
ダナエの父アクリシオスは、孫に殺されるという神託を受け、彼女を青銅の塔に閉じ込め、誰も近づけないようする。しかし、彼女の美しさを知ったゼウスが、黄金の雫に姿を変えて降り立ち、彼女と関係を持つ。その結果、ペルセウスが生まれる。

Titien, Annonciation, détail

この神話では、人間の誰とも交わらないダナエが受胎をする。そのために、キリスト教の受胎告知と重ね合わせることが可能になる。
ゼウスはキリスト教の神。ダナエは聖母マリア。息子のペルセウスがイエス・キリスト。
上から降り注ぐ雫を精霊とみなせば、父なる神(ゼウス)とキリスト(ペルセウス)の三位一体とも解釈しうる。

プリマティッチオの作品では、キューピットが着衣の女性に目隠しをしている姿が描かれている。
裸体の女性が聖なる存在であるとすれば、着衣の女性は現実的で卑俗な次元の存在と見なされる。
こうした二元論的な世界観は、ネオ・プラトニスムに基づいているといってもいいだろう。人間的な愛は、イデアに向かう愛へと昇華される。
キューピットは俗なる愛の目を覆い、聖なる愛の成就を助ける。

ゼウスの雫は、画面中央から白い塊となって降り注いでいるが、その上にはサラマンドルが置かれ、雫の主がフランソワ1世であることが示されている。
そのことによって、ギリシア神話のダナエの受胎とキリスト教の受胎告知の場面に、フランスの王権を重ね合わせて読み取ることができる仕組みになっている。
生命の雫がフランソワ1世に由来するという物語は、フランス王家の権威を明確に表現するものとなる。

これら2つの作品を検討するだけでも、フランソワ1世の政治的な戦略が、芸術による文化政策と一つのものであったことを理解することができる。
フランソワ1世のギャラリーには、当時、レオナルド・ダ・ビンチの死後に残された作品も展示され、フォンテーヌブロー派の美を生み出していった。
そうした雰囲気は、youtubeにアップされているビデオからも感じることができる。

国王の祭礼

城の内部装飾を担う画家の役割は政治と密着し、城の外部まで広がっていた。
国王の行事として最も重要なものの一つが、入市式。
中世以来、王は一つの居城に定住するのではなく、いくつかの城を移動し、パリやリヨンなどの都市を訪れる時には、盛大な式典が挙行された。
そのプロデューサーの一人が、式典会場や聖史劇(mystères)等の行われる仮設舞台の装飾を担う画家・芸術家たちだった。

Joyeuse entrée du roi Henri II à Rouen en 1550
François Ier en Hercule gaulois

フランソワ1世の後を継いだアンリ2世が、1549年6月16日にパリ市に入市した際には、サン・ドニ門の上にヘラクレス像が置かれた。
その像の顔は、フランソワ1世の顔を模してあり、先王の業績を讃えるものだった。

イタリアからフォンテーヌブロー城に招聘されたロッソやプリマティッチオによってもたらされた美の様式は、このように、城を離れて、パリやリヨン、ルーアンなどの都市の中にも入り込んでいったと考えられる。

1580年頃に描かれたと推定されるアントワーヌ・カロンの「アウグストゥスとティヴォリの巫女」は、政治と宗教が絵画と密接に関係していることをはっきりと示している。

Antoine Caron, Auguste et la Sibylle de Tibur

画題のアウグストゥスは、紀元前27年から紀元14年まで在位したローマ帝国の初代皇帝。絵画の中では、緋色のマントを背負い、中央で跪いている。
青い衣に身を包み、左手を天にかざしているのが、ティヴォリの巫女。
巫女は未来を知り、予言する女性。カロンの描く巫女の指の先には、天空の彼方に浮かぶ聖母マリアと幼子イエスの姿がある。
従って、この絵画は、帝政ローマという異教の時代に、巫女が皇帝にイエスの生誕を告げ、ひいてはキリスト教の勝利を予告するアレゴリーとして読み解くことができる。

しかし、それだけでは終わらない。カロンは、この絵画に同時代性を与えているからである。
右手の奥に見えるのは、16世紀のパリの街。チュイルリーの宮殿やネールの塔等が描かれ、その前にはセーヌ河が流れている。

Les Tuileries, le Louvre et la Grande Galerie en 1615. Plan de Merian
Jacques Callot, Tour de Nesle


アウグストゥスの顔は、国王シャルル9世の面影が反映し、右の中景に描かれたテラスに腰掛ける女性は、王母カトリーヌ・ド・メディシスだと言われている。

Henri II blessé à mort lors d’un tournoi, le 30 juin 1559

彼女達が見物しているのは、馬上槍試合。中世からルネサンスの時代に流行した模擬的な争いであり、様々な式典の折に行われた。

カトリーヌの夫であり、続く3人の王達の父であるアンリ2世は、娘の結婚が決まった祝いの折に行われた馬上槍試合で負傷し、その傷がもとで1559年、在位わずか2年で死亡している。

このように、古代ローマ帝国の一場面を描いているカロンの絵画は、実際には、16世紀フランス、さらに特定すればパリを背景に、当時のフランス王家の状況を示す寓意となっている。

その寓意の意味を暗示するのが、画面の左前方にそびえ立つ二本の堂々とした太い柱。そのてっぺんには黄金の王冠が置かれ、下には、「アウグストゥスの敬虔(Pietas Augusti)」と書かれたメダルが掛かっている。
その碑銘は、ローマの元老院がアウグストゥスに対して認めた4つの美徳のうちの一つであり、フランス王家に当てはめれば、国王の美徳が「敬虔」であることを示している。

1580年頃に描かれたとされる当時の国王アンリ3世の姿は、敬虔そのものである。

Henri III agenouillé aux pieds du Christ en croix

この絵画の中で、十字架の前で跪くアンリ3世とキリストの位置は上下関係にあり、伝統的な宗教画の構図の中にフランス王が収められている。

他方、カロンの「アウグストゥスとティヴォリの巫女」では、二本の柱の上に置かれた王冠と聖母子は同じ高さにある。

この配置は、入市式等の式典において、教会の権威と国王の権威を同等に位置づける効果を狙ったものだっただろう。
敬虔でありながら、人間を神と並列に配置する構図は、ルネサンス精神が浸透した表れに他ならない。

ルネサンス精神を一目でわからせてくれる絵画がある。
それは、バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画に描かれた「アダムの創造」の場面。
ミケランジェロは、神と人間アダムの位置を上下ではなく、横並びにした。

Michel-Ange, Création d’Adam

ルネサンスの精神は、この場面に集約されていると言っても過言ではない。

Michel-Ange, Sibylle de Delphes
Michel-Ange, David

ミケランジェロは、古代の巫女も、システィーナ礼拝堂の天井画の中に書き入れ、異教とキリスト教の統合を図った。

さらには、旧約聖書に登場するダビデ王が少年時代に巨人ゴリアテと戦う姿を、「裸体の彫刻」とした。
その姿は、古代ギリシア・ローマという異教の時代の美の理想を通して、キリスト教の英雄の姿を表現したものに他ならない。

カロンの絵画の中では、ティヴォリの巫女の他に、裸体の女神の彫像も描かれてる。

この像の台座や乳房から流れ出る水は、「生命の泉」を起源とし、異教の神が司る豊穣のシンボル。
その豊かさは王国の繁栄の印であり、その保証となるのが、キリスト教の神と国王の庇護である。

このように見てくると、カロンの描くティヴォリの巫女を中心にした絵画は、国王がパリに入市する儀式の一貫として行われる演劇の場面を再現しているかもしれないという推測が成り立つ。
そこには、異教的な美を纏った王権とキリスト教が、フランス王国の繁栄を支えるというメッセージが込められている。

絵画が神話の場面を描きながら、実は描かれた時代を反映しているという例は、フランソワ・クルーエの「ディアナの水浴」にも見られる。

François Clouet, Le bain de Diane

画面の右の中景では小さく、鹿が犬に襲われているシーンが描かれている。
ダイアナ(Diane)は決して男を近づけない狩りと月の女神。
猟師のアクタイオンは、ダイアナが水浴びをしているところを見、裸体を見たと言いふらさないように、女神によって鹿の姿に変えられてしまう。さらに、女神によってけしかけられた猟犬たちに襲われ、殺されてしまう。

Henri II par François Clouet.
Catherine de Médicis,

クルーエがこの絵を仕上げた時、フランス王はアンリ2世。
彼はカトリーヌ・ド・メディシスと結婚していたが、心はディーアヌ・ド・ポワチエにあった。

王から熱愛されていた年上の恋人ディアーヌ(ダイアナ)は、しばしば女神ダイアナの美しい姿で描かれた。

Diane chasseresse

そこで、「ダイアナの水浴」でも、ディーアヌ・ド・ポワチエが描かれていると考えることができる。
後ろを通りかかっている馬上の騎士はアンリ2世。中心にいる3人の裸婦の一人は、カトリーヌ・ド・メディシス。

しかし、アレゴリーの鍵が明確でないため、3人の女性の誰が誰なのか特定ができない。また、2人の牧神が誰を表しているのか、犬に殺されるアクタイオンが誰なのか、色々な説があり、はっきりしない。

この絵画から言えることは、16世紀フランスのフォンテーヌブロー派の絵画では、神話の場面を借りて王を取り巻く人間関係が描かれたという事実である。
この時代、芸術の美は文化政策の中心にあった。従って、フォンテーヌブロー派の絵画の発展は、国王の主導したものであった。そのことを忘れることはできない。

では、フォンテーヌブロー派の美意識とはどのようなものだったのだろうか。(続く)

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