フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その4 マニエリスム

フォンテーヌブロー派の美は、後期ルネサンスのマニエリスム絵画に大きな影響を受けている。

マニエリスム的な美とはどのようなものか?
盛期ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ビンチと後期ルネサンスに属するティントレットの描いた「最後の晩餐」を比較すると、違いは歴然としている。

Léonard de Vinci, La Cène
Le Tintoret, La Cène

レオナルドの絵画は、左右のバランスが取れ、色彩も穏やかで、静謐な印象を生み出している。
他方、ティントレットの方は、テーブルが手前から奥に向かって斜めに置かれ、左右が非対象となり、人体はくねり、引き伸ばされている。

マニエリスムとは、ティントレットの「最後の晩餐」に見られる様式だと言うことができる。
調和の取れたルネサンス様式に強調や歪曲を加え、極端な比率の人体やねじれたポーズを作り出し、構図を不安定にし、人工的な明暗を取り入れる。
その目指すところは、「自然さを超える美」だった。

人体に関して言えば、「蛇状体」と呼ばれる、蛇のように曲がりくねり、引き伸ばされた表現が用いられた。
16世紀初頭に活躍したフィレンツェの画家、アーニョロ・ブロンズィーノの「愛の寓意」を見ると、「蛇状体」がどのようなものか、一目でわかる。

Angelo Bronzino, Allégorie du triomphe de Vénus

フランスに目を移して、フォンテーヌブロー城の一角を飾るプリマティッチオの作品「軍馬ブケパロスを飼い慣らすアレクサンダー大王」を見てみよう。

Primatice, Alexandre domptant Bucéphale du Primatice

フレスコ画の両側に置かれた裸体の女性像や天使たちの体は、引き伸ばされ、くねり、マニエリスムの特色をはっきりと表現している。
さらに、ブロンズィーノの「愛の寓意」と同様、優美さ、繊細さ、官能性を合わせもっている。

こうした肉体表現が、フォンテーヌブロー派的な美の通奏低音を形作っている。
例えば、「狩りのダイアナ」や「エヴァ・プリマ・パンドラ」。

Diane Chasseresse
Jean Cousin, Eva prima Pandora

立姿にしろ、横たわる姿にしろ、体は蛇のように長く、優美なくねりが、美と愛の感情を発散している。ため息が出るほどの美しさ。

こうした優美さと並行して、別のタイプの美も存在する。
それは、フォンテーヌブロー城の内装のため、プリマッチォの下で働いたニコロ・デッラバーテによってもたらされた。

デッラバーテは、神話、聖書、歴史的な物語等から主題を取り、理想的な風景を描いた。そこでは、人物は姿は小さく、神話的、歴史的な光景全体が絵画の主題になっている。
そうした絵画は、宮廷で行われる祝宴の際に、室内を飾る装飾として用いられることもあった。

フォンテーヌブロー城の舞踏室の一角にあるニコロ・デッラバーテの作品「大山猫を退治するセバスチャン・ド・ラビュタン」。

Nicolò dell’Abbate, Sébastien de Rabutin tuant un loup-cervier

デッラバーテの歴史的風景画ともいえる「エウリディーチェの死」と「プロセルピーナの略奪」。

Nicolò dell’Abbate、La Mort d’Euridice
Nicolò dell’Abbate, Enlèvement de Proserpine

アントワーヌ・カロンは、デッラバーテに続きながら、風景ではなく都市を舞台に、歴史的な場面を描き出している。
「第二次三頭政治下の大虐殺」や「冬の勝利」は、カロンの代表的な作品。

Antoine Caron, Les Massacres du Triumvirat
Antione Caron, Le Triomphe de l’hiver

アンリ・レランベール作と推定される「愛(アムール)の葬列」。
右手の奥の宮殿は、ダイアナに捧げられたもの。中央の上空には、二羽の鳥にひかれた乗り物に座るヴィーナス。キューピットの横たわる棺は、黒い頭巾を被ったプット(翼のある裸の男児)の列によって引かれている。その後に続くのは、プレイアッド派の詩人達。

Attribué à Henri LERAMBERT, Les Funérailles de l’Amour

デッラバーテに続くこうした絵画では、例え裸体が描かれることがあっても、優美さや官能性はなく、厳格な印象を与えるものになっている。

16世紀の後半になると、プリマティッチオに由来する優美と、デッラバーテに由来する厳格さが融合する傾向が見られるようになる。
その結果、「蛇状体」の女性が描かれているとしても、以前のような官能性は押さえられ、どこか厳格な印象を与える。

アンブロワーズ・デュボワの女性像は、その代表例だろう。
「花、あるいは夏の寓意」も「プシケの化粧」も、「狩りのダイアナ」や「エヴァ・プリマ・パンドラ」とは違った印象を与える。

Ambroise Dubois, Flore ou Allégorie de l’été
Ambroise Dubois, La toilette de Psyché

軽く曲げられた肉体の優美な表現は共通しているとしても、デュボワの作品では、官能性は抑えられ、神話の女性を描きながらも、現実性が強調されている。

トュッサン・デュブルイユの「イアントとクリメーヌの化粧」でも、印象は変わらない。

Toussaint Dubreuil, la toilette de Hyante et Climène

アンブロワーズ・デュボワやトュッサン・デュブルイユは、第2次フォンテーヌブロー派と呼ばれることもある。
実際、16世紀の後半から17世紀の前半にかけて活躍した画家たちの作品は、プリマティッチオ系とデッラバーテ系の融合したものと見なすことができる。

そして、こうした絵画が、17世紀フランスのバロック絵画、古典主義絵画へと続いていくことになる。
その意味で、フォンテーヌブロー派の絵画や装飾は、フランス的な美の源流を形成する大きな流れの一つだということができる。

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