ディドロとシャルダン 1763年のサロン Denis Diderot Salon de 1763 物質の質感

ドゥニ・ディドロは、唯物論に基づき、肉体(物質)に依存する五感が、知覚だけではなく、知識、感情、道徳観等の根底にあり、全てを決定するものと見なした。

そうした思想家が絵画を見る時には、絵画が伝える視覚表現、つまり、キャンバスの上に描かれた物質の質感が重要な役割を果たす。

そのことを知ると、ディドロがジャン・シメオン・シャルダンの絵画を激賞したことに納得がいく。
日常生活で見慣れた、ごくありふれた物たちが、シャルダンの静物画の中では、本物以上に本物らしく見える。
「シャボン玉遊び」で描かれた透明なシャボン玉は、触れれば破裂してしまいそうである。

Jean Siméon Chardin, Bulles de savon

ここでは、『1763年のサロン』の中でディドロがシャルダンについて論じた一節を参照しながら、ディドロの絵画観について考察していこう。

CHARDIN.

 C’est celui-ci qui est un peintre ; c’est celui-ci qui est un coloriste. 

シャルダン

彼こそ画家である。彼こそ色彩家である。

ディドロは、同じ言葉を文の冒頭で反復するアナフォールという文体上の技法を用いながら、シャルダンがどのような画家であるかを、二つの側面から印象的に紹介する。

1)一つ目は、画家であること。
サロンについて語っているのだから、画家であることは当たり前であるが、あえて画家と書かれることで、彼がどのような画家なのか興味を引くことになる。

2)二つ目は、色彩の画家であること。
線を中心にした絵画は、構図や形体が重視され、理性的な画面構成となる。
色を中心にした絵画は、生み出される印象が重視され、感情的だとされる。
ディドロがシャルダンを色彩家として提示することは、物質が感情の起源となる物質主義的な視点を暗示して、興味深い。

 Il y a au Salon plusieurs petits tableaux de Chardin ; ils représentent presque tous des fruits avec les accessoires d’un repas. C’est la nature même ; les objets sont hors de la toile et d’une vérité à tromper les yeux. 

今年のサロンには、シャルダンの小型の絵が何枚か出典されている。それらのほとんどは、果物を食器と一緒に描いている。まさに自然そのものである。描かれた物がキャンバスの外にあるようで、視覚を欺くほどの真実性がある。

1)静物画 — 日常生活の品物
1763年のサロンに展示されたシャルダンの絵画は、静物画であり、従って小さなキャンバスに描かれていた。

絵画の伝統では、神話、宗教、歴史は高貴なジャンルであり、大きな画布の上に描かれた。そ
肖像、静物等は低いジャンルと見なされ、使われる画布は小さなものだった。

Jean Siméon Chardin, Nature morte

ここでディドロは、シャルダンの出展した絵画が静物画ばかりだという事実を記述しているだけに思われる。
しかし、シャルダンをとりわけ高く評価していることは、日常生活でごく自然に見かける品々が、高貴なジャンルに劣らない美のテーマであることを示している。

そのことは、ディドロが演劇作品を執筆する時には、テーマとして、市民生活を取り上げたことと並行関係にある。
文学史的には、彼が「市民劇(drame bourgeois)」というジャンルの創始者と言われている。

2)自然の再現
シャルダンの描く果実や食器類は、「まさに自然そのものである(la nature même)」とディドロは言う。

画家は、モデルとなる果実を見て、キャンバスの上にその果実を再現する(représenter)。
その行為はどの画家にも共通するが、シャルダンによって描かれた果実は、「キャンバスの外にある(hors de la toile)」ようであり、本物だと錯覚させるところまで、見事に描かれている。

シャルダンが「画家(peintre)」であるというのは、「目を錯覚させるほどの真実性(une vérité à tromper les yeux)」を持った絵画を描くということを意味している。

3)物質性
ディドロにとって、絵画が物質の現実性を表現していることは、重要な意味を持っていたはずである。
彼の哲学思想は、物質を五感による知覚が捉え、人間の内面(感情、精神性、道徳等)に影響を与えるという過程を基礎としていた。
従って、絵画の場合でも、描かれた物が誇張されたりせず、あるがままの自然な姿であることが重視された。
もし再現された物が真実性を持たなければ、知覚の対象が偽りとなり、その知覚を受けて生じる感情や思考も偽りとなってしまうことになる。

そのことから、ディドロがシャルダンを評価する理由は、再現の自然さと真実性にあるのだといえる

この後、ディドロは、2枚の絵画を取り上げ、描写し、分析をする。
まず最初は、「オリーブのガラス瓶」。

Jean Siméon Chardin, Le Bocal d’olives

 Celui qu’on voit en montant l’escalier mérite surtout l’attention. L’artiste a placé sur une table un vase de vieille porcelaine de la Chine, deux biscuits, un bocal rempli d’olives, une corbeille de fruits, deux verres à moitié pleins de vin, une bigarade avec un pâté. (1)
 Pour regarder les tableaux des autres, il semble que j’aie besoin de me faire des yeux ; pour voir ceux de Chardin, je n’ai qu’à garder ceux que la nature m’a donnés et m’en bien servir. (2)
 Si je destinais mon enfant à la peinture, voilà le tableau que j’achèterais. « Copie-moi cela, lui dirais-je, copie-moi cela encore. » Mais peut-être la nature n’est-elle pas plus difficile à copier. (3)
 C’est que ce vase de porcelaine est de la porcelaine ; c’est que ces olives sont réellement séparées de l’œil par l’eau dans laquelle elles nagent ; c’est qu’il n’y a qu’à prendre ces biscuits et les manger, cette bigarade l’ouvrir et la presser, ce verre de vin et le boire, ces fruits et les peler, ce pâté et y mettre le couteau. (4)
 C’est celui-ci qui entend l’harmonie des couleurs et des reflets. Ô Chardin ! ce n’est pas du blanc, du rouge, du noir que tu broies sur ta palette : c’est la substance même des objets, c’est l’air et la lumière que tu prends à la pointe de ton pinceau et que tu attaches sur la toile. (5)

 階段を上ると見える絵は、とりわけ注目に値する。画家は一つのテーブルの上に、中国製の古い陶器の花瓶、二枚のビスケット、オリーブで一杯のガラス瓶、果物の籠、ワインが半分まで入った二つのグラス、パテの付いた苦いオレンジを置いた。(1)
 他の画家たちの絵を見るためには、自分の目を育成する必要があるように思われる。シャルダンの絵を見るためには、自然が与えてくれた目をそのまま保ち、それを使うだけでいい。(2)
 もし自分の子供を絵画の道に進ませるとしたら、この絵を私は購入するだろう。 そして、は子供に言うだろう。「これを模写(コピー)しなさい。もう一枚模写(コピー)しなさい。」恐らく、自然をコピーするのは、この絵をコピーするより難しいことではないだろう。(3)
 この陶器の花瓶は陶器で出来ている。このオリーヴたちは、水の中にそれらが浮いている、その水で、目から切り離されている。ビスケットは手に取り、食べるだけだ。苦いオレンジは皮を剥き、圧縮するだけだ。このワイン・グラスは、ワインを飲むだけ。果物は、皮を剥くだけ。パテは、ナイフで切るだけ。(4)
 シャルダンは、色彩と反射の調和を理解している。おお、シャルダンよ! あなたは白、赤、黒の絵具をパレットの上で砕いているのではない。それは、描かれている物の実質そのものだ。空気や光をあなたは画布での先端で捉え、キャンバスの上に置いているのだ。(5)

原文にない番号をふったのは、何か書いてあるのかわかりやすくするため。

(1)は、描かれている物の描写、というか、列挙。
絵画を見るときに、何が描かれているか確認するのは、基礎的な作業である。
ちなみに、bigaradeは、苦いオレンジ。

(2)次に、二つの目が対比される。
他の画家たちの絵画を見るためには、目を作る(faire des yeux)必要があるとディドロは言う。
神話や歴史、宗教を扱った絵画では、現実の再現ではなく、理想化された表現が用いられる。従って、それを見るためには、目もそうした訓練をする必要がある。
それに対して、シャルダンの絵画は自然のままで、理想化も、形式化もされていない。従って、現実を見るその目で絵画を見ることができる。

言うまでもなく、ディドロの評価は自然のままの目に置かれる。

3)再現性は、18世紀の絵画においても、最も根本的な原理だった。
ディドロは、絵画を学ぶ子供には、シャルダンの「オリーブのガラス瓶」をコピーする(copier)ことを強く勧める。

「自然をコピーする(copier)あるいは模倣する(imiter)」というのは、古典主義絵画の原則的な表現。
ディドロは、自然以上に、シャルダンの絵画を模写することを薦めることで、シャルダンの絵画が自然以上に自然であり、模倣の対象として相応しいことを示している。

(4)「目を誤らせる真実性」の具体例が示される。
キャンバスの上にあるのは、現実そのものだという印象を与え、描かれた全てに本物の質感があり、食物はそのまま食べられるという印象を与えている。

シャルダンの絵画がそれほどまでに物質の質感を再現していると記すことで、ディドロはシャルダンに対する最大級の賞賛を示している。

(5)色彩について触れることは、ディドロが物質を捉えるときに、線によって描かれる形体だけではなく、色彩にも注目していたことがわかる。

シャルダンが色彩家(coloriste)であるのは、彼が「色彩と反射の調和(l’harmonie des couleurs et des reflets)」を理解していたからだ。
彼は、絵具を調合してモデルの色に近い色を作り出すのではなく、「物の実質そのもの(la substance même des objets)」をキャンバスの上に作り出す。
その実質は、「空気や光(l’air et la lumière)」に他ならない。
形ではなく、空気や光を捉えるという考えは、ドラクロワの絵画、そして印象家の絵画の思考を先取りしている。

唯物論者ディドロの物質観を知る上で、シャルダンに関するこの記述は大変に興味深い。

「オリーブのガラス瓶」を巡る考察が終わると、次に「エイ」についての言及に移る。

Jean Siméon Chardin, La Raie

 Après que mon enfant aurait copié et recopié ce morceau, je l’occuperais sur la Raie dépouillée du même maître. L’objet est dégoûtant, mais c’est la chair même du poisson, c’est sa peau, c’est son sang ; l’aspect même de la chose n’affecterait pas autrement. Monsieur Pierre, regardez bien ce morceau, quand vous irez à l’Académie, et apprenez, si vous pouvez, le secret de sauver par le talent le dégoût de certaines natures. (1)
 On n’entend rien à cette magie. Ce sont des couches épaisses de couleur appliquées les unes sur les autres et dont l’effet transpire de dessous en dessus. D’autres fois, on dirait que c’est une vapeur qu’on a soufflée sur la toile ; ailleurs, une écume légère qu’on y a jetée. Rubens, Berghem, Greuze, Loutherbourg vous expliqueraient ce faire bien mieux que moi ; tous en feront sentir l’effet à vos yeux. Approchez-vous, tout se brouille, s’aplatit et disparaît ; éloignez-vous, tout se recrée et se reproduit. (2)
 On m’a dit que Greuze montant au Salon et apercevant le morceau de Chardin que je viens de décrire, le regarda et passa en poussant un profond soupir. Cet éloge est plus court et vaut mieux que le mien. (3)

 私の子どもがその絵を何度も何度も模写したら、次に、同じ大家の、さばかれたエイの絵に取りかかるように言うだろう。描かれている物は気持ちが悪くなるものだ。魚の生肉であり、皮であり、血だ。それを見て、別の感情を持つことはないだろう。ピエールさん、アカデミーに行く前に、この絵をよく見るのです。そして、できれば、自然にあるいくつかの物に対して持つ嫌悪感を、才能を活かして救う秘密を学ぶのです。(1)
 その魔法について、人は何も理解していない。白の厚い層が何層も重なり合い、その効果が下から上への発散している。他の時には、誰かがキャンバスの上に吹きかけた息の蒸気だと言うだろう。別のところでは、薄い泡が投げ掛けられたと言うかもしれない。ルーベンスやベルへム、グルーズ、ラウザーバーグたちなら、私よりもうまく、そのやり方を説明するだろう。彼等はみんな、いつか、あなたの目にその効果を感じさせるでしょう。近づくと、全てが混乱し、薄っぺらになり、消えてしまう。遠ざかると、全てが再生し、再び作り出される。(2)
 聞くところによると、グルーズは、サロンに来て、私がここで描写したシャルダンの絵に気づき、じっくりと眺めた後、深いため息をついきながら通り過ぎていった。こうした賞賛は、私の賞賛よりも短いが、ずっと価値がある。(3)

(1)ディドロが「エイ」を取り上げる理由は、描かれた対象の選択にある。
シャルダンは静物画を多く描き、描く対象は市民の日常生活に普通に見られる物だった。
その点はすでに指摘したが、「エイ」では、さばかれたエイ(Raie dépouillée)。見ると気分が悪くなる(dégoûtant)。
醜い物、嫌悪感を抱かせる物を絵画の対象とすることは、伝統的な絵画観の中では考えられないことだった。
約100年後にボードレールが醜を美に変える芸術観を強く打ち出したが、ディドロはそれを先取りしている。

ディドロの表現によれば、「自然にあるいくつかの物に対して持つ嫌悪感を、才能を活かして救う秘密(le secret de sauver par le talent le dégoût de certaines natures)」を、シャルダンはすでに知っていた。
醜いエイを描いた絵画が、そのことを証明している。

(2)醜いエイを美しい絵画に変える「魔法(magie)」について、ディドロは、彼なりの説明を幾つか試みる。

その全ては、どのように描かれるかというよりも、「効果(effet)」に関連している。
白い層が幾重にも重なり、そのことが効果を生み出す。
その効果は、息の蒸気のようにも、薄い泡のようにも感じられる。

そうした印象を語った後で、他の画家達の名前を出し、自分の説明が不十分であることを弁解しているようにも思える。

しかし、ここでも、後のボードレールや印象派に繋がる視点を提示している。
絵を近くから見ると、全てが朧気になる。
遠くから見ると、描かれているものが明確になる。
むき身のエイを通して、ディドロは、次の時代を告げる新しい絵画観を捉えたのだということができる。

(3)最後に、ディドロが評価するもう一人の画家グルーズを登場させ、「エイ」という絵画の素晴らしさを、再確認する。
グルーズは、ただため息をついただけ。つまり、言葉もでないほど感嘆したのだった。

Jean-Baptiste Greuze, Portrait de Denis Diderot

『1763年のサロン』の中のシャルダンの項目からは、ディドロの芸術観がはっきりと見えてくる。

1)描く対象は、神話や宗教ではなく、日常的な品物。
しかも、エイのように嫌悪感を引き起こすものさえ、絵画の対象になる。

2))モデルとなる現実の物は、理想化せず、現実性を感じさせるように再現する。

3)そのためには、物体の形以上に、光や空気感を捉えることが必要。
それを可能にするのは、線以上に色。
ディドロがシャルダンを色彩家と見なすのは、そのため。

以上のことから結論付けられるのは、ディドロにとって、シャルダンの絵画の最大の長所は、現実以上と言えるほどの現実性を持っていることだといえる。

『1763年のサロン』では理由が明確にはなっていないが、キャンバス上の現実性、本物の質感が、現実では醜いものを美に変える「魔法」を持つと、唯物論者ディドロは考える。

Jean Siméon Chardin, Autoportrait

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