ルソー エミール Jean-Jacques Rousseau Émile Profession de foi du vicaire savoyard 自然宗教 Philosophie naturelle 

ジャン・ジャック・ルソーは、五感を通して感じる「感覚(sensation)」と、その感覚が引き起こす「感情(sentiment)」を人間存在の中心に据え、個人と社会のあり方について様々な思索を展開した。

1762年に出版された『エミール』では、子供から成人に至るまでの人間の成長を見据えた教育論であるが、青年時代を扱う章の中で、宗教感情について論じている。

その際に、「サヴォワ地方の助任司祭(vicaire savoyard)」を登場させ、助任司祭の「信仰告白(profession de foi)」という形式で、「自然宗教(la religion naturelle)」がどのようなものかを定義する。
「自然宗教」とは、キリスト教の人格化された神や教会の儀礼を否定し、人間が生まれながらに持っている感受性や、聖なるものを信じる気持ちに基づいている、普遍的な信仰心と言えるだろう。

サヴォワの助任司祭は、信仰告白の中心に、社会的な人間の繋がりを据え、自然宗教の本質となる部分を説明する。

 Exister pour nous, c’est sentir ; notre sensibilité est incontestablement antérieure à notre intelligence, et nous avons eu des sentiments avant des idées. Quelle que soit la cause de notre être, elle a pourvu à notre conservation en nous donnant des sentiments convenables à notre nature ; et l’on ne saurait nier qu’au moins ceux-là ne soient innés.

 私たちにとって、存在するとは、感じることである。感受性は知性に先立つ。それは疑う余地がない。私たちは、思考よりも前に、感情を持った。私たちの生存の原因が何であろうと、その原因は、私たちの自然なあり方に相応しい感情を私たちに与えることで、生命の維持に必要なものを提供した。少なくとも、それらの感情が生まれながらのものであることを、否定することはできないだろう。

ルソーの思想の最も基本的な部分が、最初に、一言で要約される。
« Exister pour nous, c’est sentir. » 人間の存在は、感じることにある。

感覚を生存の第一原理と考えることは、感覚を第一原理と見なす「感覚論(sensualisme)」から出発し、「経験論(empirisme)」に属するといえる。
それは、人間の全ての知識は経験に由来するという哲学的な思想であり、ルソーが出会ったというサヴォワ地方の助任司祭は、その確認をするかのように、「感受性は知性に先行する(notre sensibilité est (…) antérieure à notre intelligence)」と続けている。
考えるよりも前に、感じる。ルソーにとって、人間存在の根源はそこにある。

次の段階では、存在が保たれる理由が考察の対象になる。
人間はまず何かを感じる。それが存在することである。
その存在が保たれる(conversation)とすれば、感情が、「私たちの自然な状態(notre nature)」に相応しいものだからである。

サヴォワ地方の助任司祭の表現では、「私たちの存在の原因(la cause de notre être)」が、自然状態の私たちに相応しい感情を生み出したのであり、そのおかげで私たちは生存を保ってきたことになる。

では、自然状態に相応しい感情とは、どういうものだろう。

Ces sentiments, quant à l’individu, sont l’amour de soi, la crainte de la douleur, l’horreur de la mort, le désir du bien-être. Mais si, comme on n’en peut douter, l’homme est sociable par sa nature, ou du moins fait pour le devenir, il ne peut l’être que par d’autres sentiments innés, relatifs à son espèce ; car, à ne considérer que le besoin physique, il doit certainement disperser les hommes au lieu de les rapprocher. Or c’est du système moral formé par ce double rapport à soi-même et à ses semblables que naît l’impulsion de la conscience. Connaître le bien, ce n’est pas l’aimer : l’homme n’en a pas la connaissance innée, mais sitôt que sa raison le lui fait connaître, sa conscience le porte à l’aimer : c’est ce sentiment qui est inné.

そうした感情は、個人だけのことを考えると、自分自身に対する愛、苦痛への恐れ、死を嫌悪すること、安楽さへの欲求である。しかし、疑うことができないことに、人間は自然にしていれば社会的であるか、少なくとも、社会的であるように作られている。とすれば、上に挙げた以外の生得の感情によって、社会的であることになる。それらの生まれながらの感情は、人間という種と関係している。なぜなら、肉体的な必要性だけを考れば、人間は、集まっているよりも、バラバラに離れているべきもの、と考えられるからである。他方で、自分と他者との二重の関係によって形作られる道徳システムから、良心の衝動が生まれる。善を知ることは、善を愛することではない。善に関して、人間は生得の知識を持たない。そうではなくて、理性が人間に善とは何かを教え、良心が人間に善を愛するように促すのである。その感情こそが、生得のものである。

ルソーは、人間の自然な感情に関して、他者との関係なく一人でいる場合と、他者との関係、つまり社会生活の中での場合を区別して考える。

一人だけ(individu)のことを考えると、最も本質的なのは、「自分に対する愛(amour de soi)」であり、「苦痛(douleur)」や「死(mort)」を避け、「居心地よく過ごしたい(bien-être)」と願う感情。
こうした感情のおかげで、生存を保つ、つまり生き続けることができる。

ちなみに、自分に対する愛(amour de soi)は、他人と比較して優位に立ちたいと願う「自己愛(amour propre)」とは明確に区別される。

しかし、サヴォワ地方の助任司祭は、人間は、本質的に、人との関わりを持つ社会的な存在だと考える。
そのために、孤独の中にいる時の感情とは違う感情を生まれながらにして持つのだとし、その感情は「人間という種に属する(relatifs à son espèce)」ものだと言う。
人間は社会的な存在であるために、社会生活を送るために必要な感情を自然に備えていると考えるのである。

その時、「肉体的な必要性(le besoin physique)」によって生まれるのではない、別の感情に言及される。
肉体の次元、例えば、体を維持するための食物の獲得を考えれば、一人でいることを望むだろう。他者と一緒だと、獲物をめぐり争いが起こる可能性がある。バラバラに離れている方が、自己保存に向いている。

他者と社会を形成する場合、種の保存のためには、「道徳の体系(système moral)」から「良心(conscience)」が生じる必要がある。

その際、サヴォワ地方の助任司祭は、こう考える。
人間は本来的には「善(le bien)」を知らない。彼に表現によれば、善を知ることは、善を愛することではない。つまり、頭で知っていても、善の実践、つまり道徳的な生き方をするわけではない。
他方、「理性(raison)」が働き、善が何かを知ると、人間は良心に導かれて善を愛するようになる。
そして、その感情は「生得的(inné)」である。

ここでとりわけ注目に値するのは、理性と感情が対立的に捉えられていないことである。
ルソーにとって、理性の働きかけにより、人間は善を愛する感情=道徳心を持つようになる。そして、その感情が生得的なものだと考える。
このことは、彼が18世紀という啓蒙主義の時代の思想家であり、理性に基づいた思考の持ち主であったことを示している。


 Je ne crois donc pas, mon ami, qu’il soit impossible d’expliquer par des conséquences de notre nature le principe immédiat de la conscience, indépendant de la raison même. Et quand cela serait impossible, encore ne serait-il pas nécessaire : car, puisque ceux qui nient ce principe admis et reconnu par tout le genre humain ne prouvent point qu’il n’existe pas, mais se contentent de l’affirmer ;

友よ、私は、理性から独立した良心の直接的な原則を、私たちの本質(自然)によってもたらされる結果によって説明することが、不可能だとは思っていない。不可能な時があるとして、どうしても必要というわけでもないだろう。というのも、すでに人類全体に同意され認知されているこの原則を否定する人々は、その原則が存在しないと証明することはなく、そうした主張を肯定するだけで満足するからだ。

ルソーの論理は多くの場合、とても回りくどく感じる。
それは、彼が常に彼を攻撃、迫害する人々を意識し、予め敵たちに対して反論する言葉を書き込んでいるからである。

ここでも、良心や道徳心は人間にとって生得的な感情であるというルソーの主張に対して、反対する人たちを登場させる。
彼等は、「すでに人類全体に同意され認知されているこの原則(ce principe admis et reconnu par tout le genre humain)」を否定し、しかも、「証明はせず(ne prouvent point)」、ただ「言い張るだけで満足する(se contentent d’affirmer)」。
そう言うことで、彼等の反論に根拠がないと、予め反撃を加えているのである。

そうしておいてから、助任司祭は、自分の主張を展開する。

quand nous affirmons qu’il existe, nous sommes tout aussi bien fondés qu’eux, et nous avons de plus le témoignage intérieur, et la voix de la conscience qui dépose pour elle-même. Si les premières lueurs du jugement nous éblouissent et confondent d’abord les objets à nos regards, attendons que nos faibles yeux se rouvrent, se raffermissent ; et bientôt nous reverrons ces mêmes objets aux lumières de la raison, tels que nous les montrait d’abord la nature : ou plutôt soyons plus simples et moins vains ; bornons-nous aux premiers sentiments que nous trouvons en nous-mêmes, puisque c’est toujours à eux que l’étude nous ramène quand elle ne nous a point égarés.

その原則が存在すると私たちが肯定する時、私たちは、彼等と同程度には根拠がしっかりしているし、それ以上に、心の中の証言も、良心が良心自体のために証言する声も、持っている。判断の最初の光に目が眩み、初めのうちは目にしている対象物を混同してしまうかもしれない。そんな時には、私たちの弱々しい目が再び開き、再び確かなものになるまで待つことにしよう。そうすれば、同じ物が、理性の光に照らされ、最初に自然がそれを私たちに示したのと同じ姿で、見えてくるだろう。私たちは、もっと単純に、もっと虚勢を張らずにいよう。単に、自分たちの中に最初に見出す感情だけを、考えの対象にしよう。というのも、検討を重ねると、、私たちは常に常にそうした感情へと導かれるからだ。その検討が私たちを道に迷わせなかった時には。

最初の部分で、自分の主張は、反対者たちの主張と同程度には根拠があるという。それは、反対者に対する皮肉。

助任司祭の主張が正しいとする根拠は、「内心の証言(le témoignage intérieur)」と「良心の声(la voix de la conscience)」。
要するに、心の声がそう言っているのだと言う。

しかし、それではさすがに証明にはならない。
そこで、もう少し説明を加える。その際にも、自然と理性の微妙な関係が見られることに注目しよう。

助任司祭にとって、物の本来の姿は、「最初に自然が私たちに示した物の姿(tels que nous les montrait d’abord la nature)」。
その姿が見えなくなってしまった人間でも、「理性の光(lumières de la raison)」の下で、再び本来の姿が見えるようになる。
変に考えすぎず、「単純で(simple)」、「虚栄心のない(moins vain)」状態でいれば、「理性」が「自然」へと導いてくれる。

人間の無知を理性の光で照らす啓蒙主義の時代にあって、全ての人が理性の恩恵を受け、自然の状態を取り戻す。さらに言えば、社会生活の中で、道徳心や良心が自然の感情として共有される。

最後に、助任司祭の抒情的な感嘆が聞こえてくる

 Conscience ! conscience ! instinct divin, immortelle et céleste voix ; guide assuré d’un être ignorant et borné, mais intelligent et libre ; juge infaillible du bien et du mal, qui rends l’homme semblable à Dieu, c’est toi qui fais l’excellence de sa nature et la moralité de ses actions ; sans toi je ne sens rien en moi qui m’élève au-dessus des bêtes, que le triste privilège de m’égarer d’erreurs en erreurs à l’aide d’un entendement sans règle et d’une raison sans principe.

良心よ! 良心よ! お前は、神の直感、不死なる天の声。無知で視野が狭いけれど、しかし知性があり自由な人間存在のための、確かな案内人。善と悪を誤りなく裁き、人間を神と似せる者よ。お前こそが、人間の本質(自然)を卓越したものにし、その行動を道徳的なものにする。お前がいなければ、動物の上に立つ私が感じるのは、悲しい特権だけだ。規則のない理解力と原則のない理性のために、誤りから誤りへと私を迷わせる、悲しい特権だけ。

「良心(conscience)」に対して向けられたこの叫びは、良心と神をつなぎ、サヴォワ地方の助任司祭の口を通して、ルソーの考える「自然宗教(philosophie naturelle)」の根本思想がこの一節で語られてきたことを明かしている。

社会の中で、人間は「無知で視野が狭い(ignorant et borné)」。しかし、本来的には、「知性があり自由(intelligent et libre)」である。

そうした人間は、「規則のない理解力(entendement sans règle)」や「原則のない理性(raison sans principe)」しかない状態では、過ちを繰り返してしまう。
しかし、「善と悪を正しく判断する(juge infaillible du bien et du mal)」感情、つまり良心という感情を持つことで、「本来の卓越した自然状態(l’excellence de sa nature)」を取り戻し、「行いは道徳的(moralité de ses actions)」になる。
助任司祭にとって、それは、人間が「神の似姿(semblable à Dieu)」になることである。

サヴォワ地方の助任司祭による宗教思想の中では、一人一人の人間が自分の中にある良心を理性の光で照らし出すことが問題であり、特別な儀式や儀礼は必要としない。また、奇跡や啓示を行う特別な神も必要ない。
こうした点で、キリスト教、とりわけ王権と結びついた教会の主張するキリスト教とは相容れない。
その結果、『エミール』は出版直後にパリ高等法院から有罪判決を受け、ルソーに対する逮捕令が出された。

このような歴史的な事実を振り返ってみると、「自然宗教」がキリスト教と相容れないことが理解できる。

日本的な感性からすると、一人の人格神に対する信仰は分かり難いが、人間の心の中にある神聖なものに対する感情を信仰の柱に据える宗教的な感受性は比較的容易に理解できるし、親近感がある。
その一方で、理性と感情をつなげ、理性の働きを信仰の重要な要素を考えることは、日本的な思考とは馴染まないように思われる。

ルソーを読むことは、そうして親和性と距離感を同時に感じることであり、日本的な感性や思想のあり方を知る上でも、非常に興味深い体験となる。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中