ヴィクトル・ユゴー 「エクスターズ」 『東方詩集』 Victor Hugo « Extase »  Les Orientales 

1802年に生まれ1885年に83歳で死んだヴィクトル・ユゴーが、フランス・ロマン主義文学の中心であったことに異論の余地はない。
1820年代にはすでにロマン主義を先導する詩人、劇作家だった。
また、現在でもよく知られている『ノートル・ダム・ド・パリ』や『レ・ミゼラブル』の作者でもある。

そうしたユゴーの創作活動は、簡潔にまとめるにはあまりにも膨大であるが、ここでは1829年に出版された『東方詩集(Les Orientales)』に収録された「エクスターズ(Extase)」を読み、ユゴーの詩の本質がどこにあるのか考えみよう。

最初の出版物である『オード集(Odes et Poésies diverses)』(1822)の「序文(Préface)」には、次のような一節が見られる。

 Au reste, le domaine de la poésie est illimité. Sous le monde réel, il existe un monde idéal, qui se montre resplendissant à l’œil de ceux que des méditations graves ont accoutumés à voir dans les choses plus que les choses.

詩の領域は果てしない。現実世界の下には、理想の世界がある。その理想の世界は、大切なことをずっと瞑想し、事物の中に事物を超えたものが見えている人々の目には、光輝いた姿を現している。

詩の領域は「限界がない」(illimité)、つまり無限だとしたら、その反対には、有限な何かがあるはず。
その有限なものとは、次の文で「理想世界(monde idéal)」と対比される、「現実世界(monde réel)」に他ならない。
そうした二つの世界観が、プラトン以来続く「現実とイデアの二元論」に基づいていることは明らかである。

ユゴーの主張でとりわけ興味深いことは、理想の世界が、天上にあるのではなく、現実世界の「下(sous)」にあるという、上下関係の逆転にある。
そして、そこにこそ、ロマン主義の本質が潜んでいる。

深い瞑想(méditation)を続けるために、現実の事物を前にして、「現実の事物以上のもの(plus que les choses)」が見える人々がいる。理想世界は、そうした人々には見えてくる。

詩人について語るのであれば、瞑想することで、現実を超えた理想の世界に到達することができる。その理想世界は、現実の「下」にある。
では、「現実の下」とは、どこなのか?

ユゴーは、同じ「序文」の中で、次の言葉を付け加える。

La poésie, c’est tout ce qu’il y a d’intime dans tout.

詩は、全ての中で、内的なもの全てである。

「内的な(intime)」もの、それは心の中に他ならない。
従って、現実の「下」とは、「人間の内面」を指していると考えられる。

古代ギリシアの時代から、イデアの位置はずっと、地上から切り離された天空だとされてきた。
ユゴーは、その位置を引き下げ、地上に住む人間の心の中に置く。

18世紀の後半にジャン・ジャック・ルソーが人間の内面に価値を発見したとすれば、ユゴーは、その内面に、イデアに匹敵する価値を付与したのである。
さらに、ルソーの場合と同様、内面は自然(nature)に投影され、自然が「現実を超えたもの」と捉えられるようになる。

そこで、詩人は、自己の内面でも、自然の中でも、イデアを感じ取り、「エクスターズ(extase)」に満たされることができる。
ちなみに、エクスターズとは、忘我の状態で感じる恍惚感を指す言葉であり、幸福の極地の感覚を意味する。

Extase

Et j’entendis une grande voix.
Apocalypse.

J’étais seul près des flots, // par une nuit d’étoiles.
Pas un nuage aux cieux, // sur les mers pas de voiles.
Mes yeux plongeaient plus loin // que le monde réel.
Et les bois, et les monts, // et toute la nature,
Semblaient interroger // dans un confus murmure
Les flots des mers, // les feux du ciel.

           エクスターズ

                    私は大きな声を聞いた。
                    『ヨハネの黙示録

私は一人、波の近くにいた、星の輝く夜。
大空に雲はなく、海に帆船もない。
私の目は、現実世界よりもずっと遠くに沈んでいた。
森も、山も、自然全体が、
朧気なつぶやきの中で、問いかけているようだった、
海の波たちに、空の炎たちに。

エピグラフに挙げられているのは、『ヨハネの黙示録』の第12節あるいは第21節に書かれた言葉。

ヨハネが世界の終末の幻想的なイメージを語るその黙示録は、『新約聖書』の最後に置かれ、予言の書的な性質を持っている。
終末論的な幻が描かれる中で、ユゴーの取り上げる「大きな声」は、神の出現を告げている。

その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。」(12:10)

また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。(21:3−4)

ユゴーの「エクスターズ」は、黙示録の「大きな声(grande voix)」に共鳴し、大自然の前に一人立ち、神と出会った恍惚感を歌った詩である。

詩節は6行からなり、最初の5行は12音節(アレクサンドラン)。6/6の切れ目(césure)は規則的で、整然としている。
6行目は、8音節の詩句。切れ目は4/4。
詩句全体が整然とし、調和が取れ、堂々とした自然の姿を感じさせる。

描かれるのは、星の輝く夜、大海原と対面し、一人立つ「私(je)」の姿。

大自然は現実の存在であるが、「私の目(mes yeux)」は、現実の彼方の深みにまで「下っていった(plongeaient)」。
そこは、『オード集』の「序文」に記された内容からすれば、イデア界に他ならない。

後にユゴーは、「夢想の坂道(La Pente de la rêverie)」の中で、夢想の下り道は、現実から目に見えない世界へ繋がっていると記す。

Une pente insensible
Va du monde réel à la sphère invisible.

              感知できない坂道が、
現実世界から目に見えない空間へと向かう。

その坂道を下った詩人は、ヨハネと同じように、目にした幻を言葉にする。

Gardons l’illusion ; elle fuit assez tôt.
Chaque homme, dans son cœur, crée à sa fantaisie
Tout un monde enchanté d’art et de poésie.
(« À mes amis L.B. et S.-B.» )

幻を保っておこう。それはすぐに逃げ去ってしまう。
人はそれぞれ、心の中に、自分の空想のままに、作り出す、
魔法にかかった世界を、芸術とポエジーの。
                   (「友L. B. とS.-B.へ」)

「恍惚」の中で描き出された自然の光景は、詩人が夢想の中で見たイデアの世界であり、それは「魔法にかかった世界(monde enchanté)」のように感じられる。

「エクスターズ」の第2詩節は、自然の躍動する姿が、何を語っているのか明かされる。

Et les étoiles d’or, // légions infinies,
A voix haute, à voix basse //, avec mille harmonies,
Disaient, en inclinant // leurs couronnes de feu ;
Et les flots bleus, que rien // ne gouverne et n’arrête,
Disaient, en recourbant // l’écume de leur crête :
— C’est le Seigneur, // le Seigneur Dieu !

黄金の星々たち、無限の軍勢が、
大きな声で、小さな声で、無数のハーモニーを奏で、
こう言った、炎の冠を傾けながら。
青い波は、何にも支配されず、留められず、
こう言った、波の頂上の泡を曲げながら。
  — 「主だ、主なる神だ!」

第一詩節の後半では、自然全体が、海の波と空の星に問いかけていた。その問いの答えが、第2詩節の最後を飾る第6詩行で明らかにされる。

それ以前の5つの詩句は、星と波の描写ともいえる。
星は、声を合わせて天空の「ハーモニー(harmonies)」を奏で、光輝く冠を「傾げて(inclinant)」、礼拝する。
波は、「てっぺんの泡(l’écume de leur crête)」を「たわめて(recourbant)」、礼拝をする。

その際、ユゴーは、「青い波(flots bleus)」が何によっても妨げられないことを強調する。そのために、この詩の中で、Et les flotsで始まる一行だけ、詩句の区切り(césure)の位置を6/6からずらし、« Et les flots bleus / que rien // ne gouverne et n’arrête »とする。その詩の技法によって、「que rien(何もない)」がリズム的に強調されることになる。
青い波を支配し、留めるものは、何もない。それほど波は力強く、その波が頭を垂れる。
その様子は、礼拝に対する敬虔さを、強く印象付ける効果を持っている。

そして、最後の行で、崇拝の対象となるものが明らかにされる。
それは、「主(Seigneur)」であり、4/4の詩行の中で二度繰り返される。
そして、最後に「神(Dieu)」という言葉にスポットライトが当たる。

星と波に代表される自然全ての動きが、神を崇拝する印なのである。

12行の詩全体を通して、「私」の前に広がる自然の姿が描かれているだけのように見えるが、その光景は、私の目が現実の世界よりも遙かに深いところに潜り、目にしたものだといえる。
それは、『オード集』の「序文」が語るように、ヴィクトル・ユゴーにおいては、心の中に下ったイデア界であり、無限であり、理想の世界でもある。
その世界に到達するためには、一人であることが必要であるし、意識的な自己を離れ、陶酔状態にある必要がある。

この詩の題名のエクスターズ(忘我、陶酔)は、まさにその状態を意味している。

最後にワーグナーが曲をつけた「エクスターズ」を聴き、自然が神の賛歌となる恍惚感を味わってみよう。

             Extase

                Et j’entendis une grande voix.
                Apocalypse.

J’étais seul près des flots, // par une nuit d’étoiles.
Pas un nuage aux cieux, // sur les mers pas de voiles.
Mes yeux plongeaient plus loin // que le monde réel.
Et les bois, et les monts, // et toute la nature,
Semblaient interroger // dans un confus murmure
Les flots des mers, // les feux du ciel.

Et les étoiles d’or, // légions infinies,
A voix haute, à voix basse //, avec mille harmonies,
Disaient, en inclinant // leurs couronnes de feu ;
Et les flots bleus, que rien // ne gouverne et n’arrête,
Disaient, en recourbant // l’écume de leur crête :
— C’est le Seigneur, // le Seigneur Dieu !


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