1874年の第一回印象派展に展示された2枚の絵画がある。


フランス絵画に興味を持つ人であれば、一方がルノワール、もう一方がドガであることがすぐに分かるだろう。
この2枚、同じようなところもあり、違うところもある。それらを探ることは、19世紀後半の絵画についてよりよく知るきっかけになる。
印象派のタッチ
よく知られているように、1874年の第1回グループ展に作品を展示した画家たちは、決してメジャーな存在ではなかった。
彼らの中心でもあったエドワード・マネは、公式のサロンに受け入れられることを目指し、74年以降も決して印象派と呼ばれる画家たちの展示会に出品しなかった。当時メジャーなのはあくまでも、公式のサロンだった。
では、サロン的な絵画に慣れ親しんだ目が、ルノワールの「踊り子」を見ると、どのように見えたのだろうか。

ジョゼフ・ヴァンサンという風景画家は、この絵を見て次のように言ったと伝えられている。
「何ということでしょう。この画家は色彩については少し分かっているようですが、デッサンはそれほどでもありません。踊り子の脚がスカートの薄い生地と同じようにふんわりとしています。」
ヴァンサンの目には、バレリーナのスカートと脚が区別できず、ただの走り描き程度の絵のように見えたことがわかる。
そのことは、ドガの「バレエの舞台稽古」にも共通している。
細部までしっかりと描き込まれていず、古典主義的な絵画と比べると、習作段階で終わっている印象がするのもしかたがない。

もちろん、そうした描き方は意図的なものであり、それが印象派と呼ばれることになる画家たちに共通した特色になっている。
そのことをはっきりと示しているの展示作品がある。
それは、フェリックス・ブラックモンのエッチング。
彼の「汽車(ターナーに基づく)」を見ると、全てが曖昧模糊としている。

題名のカッコで示されているように、この作品はイギリスの画家ウイリアム・ターナーの「雨、蒸気、速度—グレート・ウェスタン鉄道」を下敷きにしている。

ターナーの絵画が、テムズ川にかかる鉄橋の上を走る蒸気機関車の姿を再現する目的ではないことはすぐにわかる。
描写の正確性を求めるのではなく、ターナーは、雨と霧の中を疾走する機関車の激しい振動や、それが吹き出す吹き出す蒸気や煙など、五感で感じた感覚をキャンバスの上に留めようとした。
そのためには、輪郭線を明確にし、物事を細密に描く手法は適していない。生命の流れる感覚を表現するためには、スピード感を持って全てを一気に描き上げる必要があった。
「雨、蒸気、速度」は、その見事な達成の一つだとといえる。
ブラックモンのエッチングは、ターナーの画風が1874年のグループ展に参加した画家たちのモデルの一つであったことをはっきりと示している。
光の色彩 デッサンと構図
「踊り子」と「バレエの舞台稽古」は、印象派的なタッチという点で共通しているが、もう一つの共通点を指摘しておこう。
それは、題材が近代生活を対象としているという点。ルノワールもドガも、彼らが生きた時代の人々、ここではバレリーナを取り上げている。
そうしたテーマは、決して19世紀半ばのレアリスムから始まったのではなく、世紀の前半のロマン主義の主張でもあった。
1846年に、ボードレールが同時代の生活を現代的なテーマとして扱うことを主張したが、その際に彼が論じたのはロマン主義とは何かだった。
実際、1820年代、古典主義に対して起こったロマン主義運動の主張の一つは、古代の神話や歴史をテーマにするのではなく、自分たちの生きている時代の主題を扱うべきということだった。
ルノワールは肖像画で、ドガは風俗画で、同時代の人々の生きる姿を取り上げた。バレリーナもそうした主題の一つだった。
では、違いは何か?
ルノワール
ルノワールのバレリーナは、一人でポーズを取り、背景には何も描かれていない。
画面の中心を占めるのは、バレーの衣装。青と白が組み合わされ、透明感のあるスカートの後ろは、空間の中に溶け込みそうな印象を与える。
衣裳の上の少女の上半身と顔、下にすらっと伸びた二本の脚は、肌色に輝き、赤褐色の髪の毛とピンクの靴がアクセントを付けている。
多くの批評家は、この絵がまだ完成されていないとか、背景が平凡だとか指摘しながらも、少女の優美で魅力的な肖像画を好意的に評価したと言われている。
しかし、それ以上に、この絵画は、肌や衣裳の輝きを通して、「光の戯れ」を見事に捉えている。
一言で言えば、ルノワールは、形ではなく、色彩を通して光を見ていた。
その表現は、「太陽の効果」や「都会のダンス」でも確認することができる。


ドガ
エドガー・ドガが捉えるのは、ルノワールのような光ではない。
彼は、古典主義的な画家ドミニク・アングルを常に評価し、デッサンや構図を重視した。

アングルの「トルコ風呂」を見れば、明確な構図に基づいていて、一人一人の女性の姿も輪郭線がはっきりと描かれ、形として捉えられていることがわかる。
1876年の第2回グループ展にドガが出品した作品「事務所の人々の肖像(ニューオリンズ)」は、「バレエの舞台稽古」とはまったく違うテーマでありながら、類似した構図が用いられている。

ドガの構図は、アングルのように左右対称ではなく、左から中央の奥へと深まっていく。
日常の一場面を独特のアングルから捉えた非ヨーロッパ的な構図は、日本の浮世絵からインスピレーションを得たとされている。
ドガは浮世絵だけではなく、当時の新しい技術であり写真術も利用した。
バレエの舞台稽古の場所やニューオーリンズ綿花取引所のような限られた空間では、イーゼルを設置し、長い間スケッチすることは難しい。そのために、写真機を使って撮影を行い、アトリエの中で写真を見ながらこうした場面を描いたとも言われている。
ドガは、多くの印象派の画家たちとは違い、太陽の光の下で描くことはなかった。彼はアトリエの画家であり続けた。
1874年の第1回グループ展に参加者を募る際、ドガは、サロンに落選した画家だけではなく、サロンに入選したことのある画家も可能な限り招待し、展示会があまり過激なものにならないことを主張したと言われている。
こうしたことは、彼が、いわゆる印象派の画家たちとはある程度異なった絵画観を持っていたことを示している。
構図とデッサンへの強い意識は、その表れの一つである。
1874年に描かれた「ダンス教室」を見てみよう。

緑色のベルトが白い衣裳の上にアクセントを付けているとはいえ、全体の力点は左から右へと奥行きを狭める構図にある。
その空間の中で、数多くのバレリーナ達の多様な動きが見事なデッサンによって描き出されている。
ルノワールの「踊り子」と比較すると、二人の画家の画風の違い、狙いの違いが明確になる。
ドガが動きを捉える巧みさは、「フェルナンド・サーカスのミス・ローラ」を見るとよくわかる。

下から見上げる視線で捉えられた曲芸師ローラは、画面のセンターからはずれ、そのことが、次に右に向かうことを強く感じさせる。
また、暖色(オレンジ、金色)と寒色(グリーン、シルク色)を重ね合わせることで、空中ぶらんこの視覚的なドキドキ感を強く感じさせることに成功している。
ドガは、伝統的な絵画の技法を捨てることなく、写真術や浮世絵、色彩論などの新しい要素を加えることで、独自の世界を生み出したことを確認することができる。
このように、第一回印象派展に出品されたルノワールとドガのバレリーナの絵画を対照すると、二人の画家の特色が鮮明に描き出されている。

