フロベール 『ボヴァリー夫人』 Flaubert Madame Bovary エンマとロマン主義

 『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』は1852年から1856年まで書き継がれたが、この時期は、ロマン主義から写実主義、象徴主義、モデルニテへと向かう転換期にあった。

 そうした芸術観の転換を象徴的に表すのが、1857年の『ボヴァリー夫人』と『悪の華(Les Fleurs du mal)』の裁判。フロベールの小説とボードレールの韻文詩集が、公衆道徳に反するという理由で裁判にかけられ、詩集の方は有罪になった。

 興味深いことに、二人の作家は、出発点では19世紀前半に主流だったロマン主義に深く傾倒していた。その後、ロマン主義を内部から解体することで、新しい芸術観を創造していった。

ボードレールに関しては、美術批評「1846年のサロン」の中で、「ロマン主義とは何か?」という問いかけを行い、そこからモデルニテのコンセプトとなる概念を発展させた。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマの少女時代がロマン主義一色だったことを示し、その中に皮肉な視線を溶け込ませる。そのことによって、ロマン主義文学の概略を素描し、その上でほころびを作り出し、エンマの運命がロマン主義の行き着く先と重なり合う前兆とする。

注意しておきたいのは、フロベールの小説家としての姿勢。
彼は、語り手として物語の中に介入し、登場人物の心の中や様々な状況を説明することをほとんどしない。ただ淡々と出来事を物語っていく。
出来事の意味を読み取るのは読者の役割なのだ。
ただし、時に、こっそりと彼の視点を示し、読者の読み方に対して指針を示すことがある。

エンマは13歳で修道院に入ることになるが、それ以前にすでにベルナルダン・ド・サン=ピエールの『ポールとヴィルジニー』を読んでいた。
18世紀後半に出版されたその小説は、西インド諸島の美しい自然の中で純粋な少年と少女が成長し、純愛を貫きながら最後は悲恋に終わる物語であり、ロマン主義文学の先駆けと見なされている。

エンマの読書に関する最初の記述として『ポールとヴィルジニー』の名前を挙げることは、フロベールのロマン主義文学観がどのようなものかを示す上で大きな意味を持っている。

ちなみに、「純な心(Un cœur simple)」に出てくるマダム・オーバンの二人の子供の名前はポールとヴィルジニーであり、フロベールはそこでもベルナルダン・ド・サン=ピエールの小説に一瞥を投げかけている。

 Elle avait lu Paul et Virginie et elle avait rêvé la maisonnette de bambous, le nègre Domingo, le chien Fidèle, mais surtout l’amitié douce de quelque bon petit frère, qui va chercher pour vous des fruits rouges dans des grands arbres plus hauts que des clochers, ou qui court pieds nus sur le sable, vous apportant un nid d’oiseau.

 彼女は『ポールとヴィルジニー』を読み、夢見ているものがあった。竹でできた小さな家、黒人のドミンゴ、犬のフィデール。そうした中でもとりわけ夢見たものは、善良な小さな少年の優しい友情。教会の塔よりも高い大木から赤い果物を取ってきてくれたり、素足で砂の上を走り、鳥の巣を持ってきてくれたりする。

(朗読は1時間18分9秒から)

ベルナルダン・ド・サン=ピエールはジャン・ジャック・ルソーに強い影響を受け、『自然の研究』という一連の著作を残した。
『ポールとヴィルジニー』も『自然の研究』の一部であり、フランス・ロマン主義文学を特徴付ける一つの側面が、ルソーから生まれた自然に対する愛好であると、この記述から見て取ることが出来る。

夢見がちな少女が修道院に入り、宗教的な雰囲気に満たされると、夢想は「神秘的(mystique)」なものになっていく。

Vivant donc sans jamais sortir de la tiède atmosphère des classes et parmi ces femmes au teint blanc, portant des chapelets à croix de cuivre, elle s’assoupit doucement à la langueur mystique qui s’exhale des parfums de l’autel, de la fraîcheur des bénitiers et du rayonnement des cierges. Au lieu de suivre la messe, elle regardait dans son livre les vignettes pieuses bordées d’azur, et elle aimait la brebis malade, le Sacré-Cœur percé de flèches aiguës, ou le pauvre Jésus, qui tombe en marchant sur sa croix. Elle essaya, par mortification, de rester tout un jour sans manger. Elle cherchait dans sa tête quelque vœu à accomplir.

教室の生暖かい雰囲気から決して外に出ることなく、銅の十字架のついたロザリオを手にした色白の修道女たちの中で暮らし、祭壇のお香や新鮮な聖水盤や大きな蝋燭の輝きから立ち上って来る神秘的な物憂さを感じながら、彼女は穏やかに心を落ち着けた。ミサの進行に従うのではなく、手にした本に描かれた紺碧に縁取られた敬虔な挿絵を見ていた。彼女が好きなのは、病気の子羊、鋭い矢に射貫かれたサクレ・クール寺院、哀れな姿のイエスだった。イエスは、歩きながら、十字架の上に落ちかかりそうになっている。エンマは苦行をするために、一日中何も食べないでいようと試みた。何か果たすべき請願を頭の中で考えていた。

修道院の中でエンマが好んでいるのは、決してキリスト教の信仰ではない。彼女はただ「神秘的な物憂さ(langueur mystique)」に身を浸し、うっとりとしている。
ミサの間も、手にした本の挿絵から、病気の動物、矢に射貫かれた聖堂、十字架の哀れなキリストの姿などといった悲惨な場面を探し、そればかりに気を取られている。
そうした哀れな存在に自分を似せるため、自分に苦行を課し、そのことで何か思いが遂げられると空想している。

ミサの間、神への想いではなく、不幸な存在の挿絵に見入る少女の姿は、キリスト教的な精神性を掲げるロマン主義の一側面に対する痛烈な皮肉になっている。
フロベールの筆にかかると、ロマン主義的な精神性は、信仰の陰に隠れて「神秘的な物憂さ」に恍惚となるナルシシズムにすぎなくなる。

その皮肉は、次に、フランス革命で失墜したキリスト教の精神性を復興したシャトーブリアンに向けられる。

 Le soir, avant la prière, on faisait dans l’étude une lecture religieuse. C’était, pendant la semaine, quelque résumé d’Histoire sainte ou les Conférences de l’abbé Frayssinous, et, le dimanche, des passages du Génie du christianisme, par récréation. Comme elle écouta, les premières fois, la lamentation sonore des mélancolies romantiques se répétant à tous les échos de la terre et de l’éternité ! Si son enfance se fût écoulée dans l’arrière-boutique d’un quartier marchand, elle se serait peut-être ouverte alors aux envahissements lyriques de la nature, qui, d’ordinaire, ne nous arrivent que par la traduction des écrivains. Mais elle connaissait trop la campagne ; elle savait le bêlement des troupeaux, les laitages, les charrues. Habituée aux aspects calmes, elle se tournait, au contraire, vers les accidentés. Elle n’aimait la mer qu’à cause de ses tempêtes, et la verdure seulement lorsqu’elle était clair-semée parmi les ruines. Il fallait qu’elle pût retirer des choses une sorte de profit personnel ; et elle rejetait comme inutile tout ce qui ne contribuait pas à la consommation immédiate de son cœur, — étant de tempérament plus sentimentale qu’artiste, cherchant des émotions et non des paysages.

 夕方には、祈りの前に、宗教に関する読書が復習室で行われた。月曜から土曜までは、聖なる歴史の要約とか、フレシヌ神父の説教集だった。日曜日には、楽しみとして、『キリスト教の精髄』が読まれた。彼女(エンマ)は、最初の何回か、大地と永遠性のこだまとなって反復するロマン主義的メランコリーの響き渡る嘆きの声を、どれほど恍惚として聞いたことだろう! もしも彼女の子供時代が小売り商の立ち並ぶ街の一角にある店の後ろで過ぎていったのだったら、たぶん自然の抒情的な侵入を体一杯受け止めていただろう。普通、そうした侵入が私たちのところまで到達するのは、作家たちの言葉を通してなのだから。しかし、彼女は田舎を知りすぎていた。家畜の群の鳴き声も乳製品も鋤も知っていた。穏やかな光景に親しんでいたので、逆に激しい光景に惹かれていた。彼女が好きなのは海。嵐が吹き荒れるからだ。緑の木々が好きなのは、あちこちに廃墟が点在する時だけ。そうしたものから、何か個人的な姿を引き出すことが必要だった。彼女の心がすぐに消費できないものは全て無駄だと思い、捨ててしまった。— 芸術的であるよりもセンチメンタルな気質の持ち主で、探しているのは感動であって、風景ではなかった。

ロマン主義文学におけるキリスト教の精神性に対するフロベールの皮肉は、ますます激しくなっていく。

『キリスト教の精髄』は、19世紀初頭を代表するカトリックの作家シャトーブリアンが1802年に出版した著作。
社会、芸術、自然など様々な側面から神の偉大さを讃え、フランス革命時に王権と共に攻撃の対象となったキリスト教を復権するために、大きな役割を果たした。
そして、その精神性が、ロマン主義における「超自然主義(surnaturalisme)」を生み出す源泉になったとも考えられる。
フロベールは、そうしたシャトーブリアンから発する雰囲気を、「ロマン主義的メランコリーの響き渡る嘆きの声(lamentation sonore des mélancolies romantiques)」と表現する。
この表現は、1850年代にロマン主義がどのように受け止められていたかをはっきりと示している。

その「嘆きの声(lamentation)」は、別の言葉では「自然の抒情的な侵入(envahissements lyriques de la nature)」と表現されるが、それは常に「作家たちの翻訳を通して(par la traduction des écrivains)」、人々にまで届く。
つまりそれは本当の自然ではなく、人々は、作家の言葉というフィルターを通してしかロマン主義的自然を感じることがない。

そうした状況で、エンマが「田舎を知りすぎていた(elle connaissait trop la campagne)」というのは、最大限の皮肉になる。
本当の自然を知っている人間には、ロマン主義の作家たちの言葉によって表現された自然は人工的だとわかってしまう。

その上で、フロベールはさらに挑発するかのように、エンマの好む自然の風景として、ロマン主義的な絵画のテーマを二つ挙げる。
一つは嵐の海の光景。例えば、ジェリコの「メヂューサ号の筏」やオラース・ヴェルネの海洋画等。
もう一つは廃墟のテーマ。ユベール・ロベール以来、廃墟がしばしば描かれてきた。(下の廃墟は、アシール=エトナ・ミシャロンのもの)

これらは、「彼女の心がすぐに消費(consommation immédiate de son cœur)」できるものであり、それ以外のものはエンマにとって無駄なものだとされる。
この一節を読み取れば、エンマのお気に入りは消費財、安易な商品だということになる。

フロベールは、珍しく、その解釈が正しいかどうか正解を教えてくれる。
エンマは、安易な「感動(émotions)」だけを求める「センチメンタル(sentimental)」な「気質(tempérament)」の持ち主なのだ、と。
それをさらに一歩押し進めると、彼女がのめり込むロマン主義は「芸術的(artiste)」でない、という推論にまで行き着く。

こうしたロマン主義のテーマの他にも、エンマはお涙頂戴的な恋愛を歌った古い時代のシャンソンとか、1820年代に大流行したウォルター・スコットの流れを引く歴史小説を読みあさり、空想にふけったりする。
音楽のクラスでエンマの歌うロマンスのテーマは凡庸で、「様式も馬鹿げている(niaiserie du style)」し、「音も不注意(imprudences de la note)」なもの。そうしたロマンスを通してエンマに垣間見えてくるものは、「センチメンタルな現実の魅力的な幻影(attirante fantasmagorie des réalités sentimentales)」。
これらの記述全ては、エンマの修道院時代を客観的に描いているように見える。しかし、使われている言葉の端々には、ロマン主義に対する皮肉が含まれていることは明かである。

母の死に対するエンマの振る舞いは、ロマン主義を代表する詩人ラマルティーヌの詩をなぞっているように見える。

 Quand sa mère mourut, elle pleura beaucoup les premiers jours. Elle se fit faire un tableau funèbre avec les cheveux de la défunte, et, dans une lettre qu’elle envoyait aux Bertaux, toute pleine de réflexions tristes sur la vie, elle demandait qu’on l’ensevelît plus tard dans le même tombeau. Le bonhomme la crut malade et vint la voir. Emma fut intérieurement satisfaite de se sentir arrivée du premier coup à ce rare idéal des existences pâles, où ne parviennent jamais les cœurs médiocres. Elle se laissa donc glisser dans les méandres lamartiniens, écouta les harpes sur les lacs, tous les chants de cygnes mourants, toutes les chutes de feuilles, les vierges pures qui montent au ciel, et la voix de l’Éternel discourant dans les vallons. Elle s’en ennuya, n’en voulut point convenir, continua par habitude, ensuite par vanité, et fut enfin surprise de se sentir apaisée, et sans plus de tristesse au cœur que de rides sur son front.

 母が死んだ時、彼女は最初の幾日かひどく泣いた。死んだ母の髪の毛を使って、死者を思い出すための品を作ってもらった。(父のいる)ベルトに送った手紙は人生に対する悲観的な考えで満ちていたが、その中で、自分が死んだら同じ墓に葬って欲しいと頼んだ。お人よしの男(父)は彼女を病気だと思い、会いに来た。エンマは心の中で満足していた。最初の一撃で、青ざめた人生の滅多にない理想に到達したと感じていた。平凡な心の人間がそこに到達することなど決してない。彼女はラマルティーヌ的な心の蛇行にずるずると滑り込み、湖の上のハープの音色、今にも息の絶えそうな白鳥の全ての歌、枯葉の落ちる全ての音、天空に昇る純粋な乙女達、谷間を駆け巡る永遠の声を聴いた。彼女はそうしたものに退屈した。それらを認めたくなかったのだ。しかし習慣で、その後からは虚栄心のために、同じようにしていた。そして最後には、自分の心が穏やかになっているのを感じて驚いた。心に感じている悲しみは、額の皺の数より多くはなかった。

「ラマルティーヌ的心の蛇行(méandres lamartiniens)」の中でエンマに聞こえる様々な声や音は、ラ・マルティーヌの『瞑想詩集(Méditations poétiques)』(1820)に収録されたいくつかの詩に由来する。

エンマは母の死を悲しむよりも、その機会を利用し、儚い人生を嘆き悲しむことで、凡庸な人々には決して到達できない「青ざめた人生の滅多にない理想(ce rare idéal des existences pâles)」を知ったように思い、満足感を覚える。

母の死を悼んでいるつもりでありながら、実はロマン主義的抒情を満喫するエンマ。
自分に酔っていると言ってもいい。
そんなエンマに言及しながら、最後に、彼女の悲しみは額の皺の数より少ないと結論付ける。

ここで語り手は、読者が抱いたはずの印象に確認を出すために、出来事を客観的に語るという枠組みから一歩だけ踏み出し、彼女の心の中の悲しみに言及し、目に見える額の上の皺と比較する。
読者は、この表現から、ロマン主義的抒情に対する皮肉をはっきりと読み取ることになる。

最後に、語り手は、エンマがどのような気質の持ち主を明示し、これまでの具体的な記述をまとめる一節が付け加えられる。

Cet esprit, positif au milieu de ses enthousiasmes, qui avait aimé l’église pour ses fleurs, la musique pour les paroles des romances, et la littérature pour ses excitations passionnelles, s’insurgeait devant les mystères de la foi, de même qu’elle s’irritait davantage contre la discipline, qui était quelque chose d’antipathique à sa constitution. Quand son père la retira de pension, on ne fut point fâché de la voir partir. La supérieure trouvait même qu’elle était devenue, dans les derniers temps, peu révérencieuse envers la communauté.

その精神は、熱狂のただ中にありながら現実的。教会が好きなのは花のため、音楽はロマンスの歌詞のため、文学は情熱的な興奮のためだった。彼女の精神は、信仰の神秘を前にすれば反抗し、規律に対してはさらに苛立った。規律には彼女の体質に対して反感を引き起こす何かがあったのだ。父親が彼女を寄宿から引き取った時、立ち去るのを残念に思う人はいなかった。修道女長は、最近になってエンマは共同体に対して敬意を欠くようになったとさえ思っていた。

エンマの精神が positif という考察は、『ボヴァリー夫人』という小説を理解する上で最も重要な指摘だといえる。
「熱狂(enthousiasme)」はさまにロマン主義的態度そのもの。花やロマンスや情熱的な興奮をエンマが好むのは、ロマン主義的な抒情を彼女に感じさせてくれるからに他ならない。
しかし、そうした中でも、彼女の精神は醒めている。現実的で、実証的。
positif は、熱狂や「信仰の神秘(mystères de la foi)」とは最も対立する。
修道院の「規律(discipline)」に対して、反抗的な態度を取らせる。

ロマン主義的抒情性を求めるようでいて、実は現実的な精神の持ち主であることが、エンマの一生を決定付ける秘められた要因に他ならない。

彼女の目から見える夫シャルルの姿は凡庸でしかない。ラマルティーヌの恋愛詩の中の恋愛に憧れるエンマにとって、夫からの愛は夢見る愛とはほど遠い。
レオンやロドルフとの恋愛は彼女を夢見させてくれる。抒情的な想いに身を委ねることもできる。
しかし、エンマの実証的精神は、実質を求める。彼女は夢見る女でありながら、夢を超えて現実を手に入れようとする。そこに矛盾が生じ、悲劇が生まれる。
ロマン主義的な熱情を求める想いが真剣であればあるほど、現実的な精神との軋轢が強まり、エンマは破滅の道を進むしかなくなっていく。

フロベールが、『ボヴァリー夫人』の中でエンマをロマン主義の愛好者としたのは、ロマン主義を内部から解体し、新しい時代の精神のあり方を模索したからだと考えることができる。
時代は、ロマン主義からレアリスムへと移行し、さらに世紀末へと進んで行く。
その中でフロベールが、ロマン主義を超えて、レアリスムも超えて、どのような芸術を目指していたのか?
それについては、別の考察が必要になる。

ここでは、エンマのロマン主義への皮肉な視線を確認することで、フロベールがロマン主義を単に否定しただけではなく、ロマン主義から出発して新たな芸術観を生み出そうとした、ということを確認しておきたい。