村上春樹のインタヴュー La littérature ne suffira pas, la science non plus.

2020年12月21日のFranceinfo : cultureで村上春樹のインタヴュー(1分間)聞くことが出来る。

https://www.francetvinfo.fr/culture/livres/roman/dans-le-monde-d-apres-le-coronavirus-la-litterature-seule-ne-suffira-pas-la-science-seule-non-plus-confie-l-ecrivain-haruki-murakami_4228505.html

文字に起こされた内容は以下の通り。

Dans le monde d’après le coronavirus, la littérature ne suffira pas, la science seuil non plus, confie l’écrivain Haruki Murakami.

franceinfo a rencontré le romancier japonais à succès Haruki Murakami dans les locaux de la radio Tokyo FM où il anime de temps à autre une émission musicale. 

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ベートーヴェン 生誕250年

2020年は、ベートーヴェンの生誕250年の年。
2020年12月20日、TF1 20hでは、ベートーヴェンを振り返るニュースを流していた。

 Ludwig van Beethoven aura passé toute sa vie à Vienne. Il est en effet le compositeur le plus joué à travers le monde. Il était Allemand, mais c’est dans la capitale autrichienne qu’il a passée toute sa vie. À ses funérailles en 1827, 30 000 Viennois ont fait le déplacement, une popularité aujourd’hui intacte. Beethoven est le compositeur le plus mystérieux de son temps.

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ナット・キング・コール Nat King Cole いつ、どこで、誰が聞いても、心安まるジャズ・ヴォーカル

ナット・キング・コールの優しい歌声はとても優しい。
無理に刺激するような歌い方をせず、一つ一つの曲を慈しむかのように、聞く人の心を包み込むように流れていく。
いつ、どこで、誰が聞いても、良い気持ちになるジャズ・ヴォーカル。

例えば、チャップリンの「モダン・タイムス」の中の曲 Smile.

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ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 3/5 今はもうユーカリの時代じゃない

Manet, Polichinelle
Théodore de Banville

第3セクションでは、再びテオドール・ド・バンヴィルに対して直接的な呼びかけがあり、彼の芸術がすでに今の芸術ではないと言い放つ。

その際にアルシッド・バヴァが持ち出すのは、バンヴィルを中心とした高踏派詩人たちの詩句の断片とも考えられる。
しかしその一方で、バヴァの詩句は、耳に奇妙に響く音を繋げて遊んでいるだけのようにも聞こえる。

音が意味に先行する詩句。
例えば、Pâtis panique。
子音 [ p ]が反復して弾け、母音[ a ]と[ i ]がそれに続いて繰り返される。
その後で、牧草地が意識され、パニックの意味を考えていくことになる。

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ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 2/5 写真的詩の上にクソを垂れる

「花について詩人に伝えること」の第2セクションを構成する九つの4行詩では、前のセクションに続けて、ロマン主義詩人たちの末裔にあたる詩人たちが批判の対象になる。
その中には、高踏派詩人の一人になりたいと望んだ一年前のランボー少年自身も含まれると考えてもいい。

実際、アルシッド・バヴァの詩句には、以前にランボー少年が綴っていた青春の息吹に満ちた若々しい詩句はなく、ほどんど意味不明と言わざるを得ない内容になっている。
そうした詩句の中で、これまでの詩の本質を端的に表す言葉が取り上げられる。
その言葉とは、「写真家(photographe)」。
第2セクションを通して、その意味と意義を解明していきたい。

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言葉の誤解や行き違い

母語であれば誰でも読むことができるし、書くことができる。毎日会話をしているし、スマートフォンやパソコンに向かい文字を書いたり、メモを手書きで書くこともある。
読むことも書くことも、ごく当たり前の行為にすぎない。

しかし、自分の伝えたい内容が相手にそのまま理解されない経験は誰にでもあるだろうし、読んだ内容に関して人によって理解が違うという経験もある。
外国語であれば、自分の語学力不足を理由にすることができるが、母語となるとそうも言えない。

自分の言ったこと、書いたことが相手にうまく理解されなかったり、逆に相手の意図が理解できず、誤解することがあるとしたら、どこに問題があるのだろう?

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デイヴィッド・ホックニー  現代の色彩画家

1937年にイギリスで生まれたデイヴィッド・ホックニー(David Hockney)は、現在、フランスのカルヴァドスで活動を続け、ipadで絵画を描くこともあるという。
今回の紹介する映像では、ホックニーの生涯、作品、書籍について大まかに見ることができ、現代の色彩画家が生み出す世界に入るための第一歩になる。

ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 1/5 ロマン主義を浣腸する

「花について詩人に伝えること(Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs)」は、ランボーが新しい時代の詩はどのようにあるべきかを語った、詩についての詩。

第1詩節は、ロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖(Le Lac)」のパロディー。
しかも、ランボーらしく、読者を憤慨させるか、あるいは大喜びさせるような仕掛けが施されている。

Ainsi, toujours, vers l’azur noir
Où tremble la mer des topazes,
Fonctionneront dans ton soir
Les Lys, ces clystères d’extases !

意味を考える前に、「湖」の冒頭を思い出しておこう。

Ainsi, toujours poussés vers de nouveaux rivages,
Dans la nuit éternelle emportés sans retour,
Ne pourrons-nous jamais sur l’océan des âges
Jeter l’ancre un seul jour ?

こんな風に、いつでも、新たな岸辺に押し流され、
永遠の夜の中に運ばれ、戻ることができない。
私たちは、決して、年月という大海に、
錨を降ろすことはできないのか。たった一日でも。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

「こんな風に、いつでも(Ainsi, toujours)」と始まれば、当時の読者であれば誰もがラマルティーヌのパロディーであると分かったはずである。
ランボーはその後もロマン主義的な語彙を重ねるが、最後は音による言葉遊びをし、とんでもないイメージで詩節を終える。

こんな風に、いつでも、黒い紺碧の方へ、
そこではトパーズの海が震えている。
その方向に向かい、夜の間に機能するのは、
「百合の花」。恍惚感を吐き出させる浣腸。

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ノートルダム大聖堂 修復にともなう再発見 Redécouverte de Notre-Dame de Paris

2019年4月の火災から一年半以上が過ぎ、パリ・ノートルダム大聖堂の修復が進んでいるが、その工事に伴い、これまで見ることができなかった様々な部分の再発見があるといういう。

https://www.tf1.fr/tf1/jt-we/videos/vitraux-orgue-sculptures-la-redecouverte-de-notre-dame-94258735.html

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ネルヴァルの宗教的・哲学的思想 Une pensée religieuse et philosophique de Gérard de Nerval

とても残念なことに、ジェラール・ド・ネルヴァルという作家は日本でもあまり知られていず、紹介される場合があったとしても、狂気と幻想の作家とか神秘主義などというレッテルが貼られてしまう。
そのために、最初から色眼鏡をかけて読まれることになり、現実を描写した美しい文章で綴られた作品でさえも、複雑でわからないとか、意味不明などという感想を持たれたりする。

彼の作家としての実像は、現実に興味を持ち、その時々に話題になっていることを取り上げ、ユーモアと皮肉を交えて機知の利いた話にする名手だった。
しかし、何度か狂気の発作に襲われたことがあり、最晩年にはその時の体験記的な物語を公表し、最後はパリの場末で首を吊って死んでしまったために、夢と狂気の作家に祭り上げられてしまうことになった。

そうしたことのもう一つの理由は、彼の思想が「超自然主義(surnaturalisme)」と呼ばれる傾向のものであり、現実主義的、合理主義的、実証主義的思考から見ると、非理性的だと見なされること。
「超自然主義」自体は、ロマン主義の時代には多くの文学者に共有されたものであり、とりわけ不思議なものではないし、古代ギリシアから連綿と続く伝統に基づいている。
しかし、精神病院に入れられた事実やギュスターブ・ドレの版画に見られる自死の怪しげなイメージといった要素が相まって、夢と狂気の作家というレッテルが形成されていった。

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