
「花について詩人に伝えること(Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs)」は、ランボーが新しい時代の詩はどのようにあるべきかを語った、詩についての詩。
第1詩節は、ロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖(Le Lac)」のパロディー。
しかも、ランボーらしく、読者を憤慨させるか、あるいは大喜びさせるような仕掛けが施されている。
Ainsi, toujours, vers l’azur noir
Où tremble la mer des topazes,
Fonctionneront dans ton soir
Les Lys, ces clystères d’extases !
意味を考える前に、「湖」の冒頭を思い出しておこう。
Ainsi, toujours poussés vers de nouveaux rivages,
Dans la nuit éternelle emportés sans retour,
Ne pourrons-nous jamais sur l’océan des âges
Jeter l’ancre un seul jour ?
こんな風に、いつでも、新たな岸辺に押し流され、
永遠の夜の中に運ばれ、戻ることができない。
私たちは、決して、年月という大海に、
錨を降ろすことはできないのか。たった一日でも。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/
「こんな風に、いつでも(Ainsi, toujours)」と始まれば、当時の読者であれば誰もがラマルティーヌのパロディーであると分かったはずである。
ランボーはその後もロマン主義的な語彙を重ねるが、最後は音による言葉遊びをし、とんでもないイメージで詩節を終える。

こんな風に、いつでも、黒い紺碧の方へ、
そこではトパーズの海が震えている。
その方向に向かい、夜の間に機能するのは、
「百合の花」。恍惚感を吐き出させる浣腸。
「恍惚感を吐き出させる浣腸(clystères d’extases)」!
詩的な美の目的が読者に「恍惚感(extase)」をもたらすことだとすれば、どんな詩人が「恍惚」と「浣腸(clystère)」を繋げようとするだろうか。ランボー以外には。
しかも、浣腸は「百合(lys)」と同格に置かれ、百合の説明になっているのだが、声に出すとすぐにわかるように、clystèreにはlysが含まれている。音による言葉遊びもランボーの得意技なのだ。
『悪の華(Les Fleurs du mal)』という題名からも分かるように、花は詩の隠喩として機能する。
さらに、百合は、バンヴィルなど高踏派の詩人たちが歌う花でもある。
ランボーは、「黒い紺碧(azur noir)」という反対の意味を持つ単語を重ねる語法(撞着語法)を用い、さらに「トパーズの海(mer des topazes)」が震えるとか、「黒(noir)」と「夕方(soir)」で韻を踏む等して、ロマン主義的なイメージを作り挙げる。
そうした詩句(=百合)が、恍惚感を生み出すのがロマン主義の詩なのだ。
そこに「浣腸」という言葉を入れることで、一気に雰囲気が変わり、ロマンチックな気分は粉々に吹き飛んでしまう。
ランボーはこの第一詩節で、ラマルティーヌの「湖」を彼の言葉で再構築し、その上で、たった一つの言葉を爆弾のように使い、ロマン主義的な詩句を内部から崩壊させる。
lysの言葉遊びからは、彼の大笑いする声が聞こえてくる。
この第一詩節からもわかるように、「花について詩人に伝えること」は詩法を歌う詩であり、ランボーの詩句を理解する上で欠かせないものと考えられる。
ところが、2020年に出版された『対訳 ランボー詩集』(岩波文庫)にはこの詩が収録されていない。
訳者の中地義和氏は日本だけではなくフランスでも活躍するランボー研究の専門家であり、2021年の初頭に出版される『ランボー辞典(Dictionnaire Rimbaud)』(Classiques Garnier)の執筆者としても名前を連ねている。
そうした専門家による詩の選択には必然性があるはずで、「花について詩人に伝えること」が選ばれなかった理由には興味を引かれる。
面白いことに、中地氏は、ランボーが1872年にベルギーで書いた3編の詩の中からは、「あれは舞姫か・・・(Est-elle almée ?…)」を選んでいる。
しかし、私がランボー理解にとって重要だと考えるのは、「アマランサスの花の列・・・(Plates-bandes d’amarantes…)」。
現実と想像を区別せずに、主観と客観の境目を取り払い、言葉を疾走させるランボーの詩を端的にわからせてくれる詩だと思う。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/
こうした違いは決して悪いことではなく、むしろ視野を広げるきっかけになることを期待したい。
そこで、私の視点から見た「花について詩人に伝えること」の意義について簡潔に記しておきたい。
ランボーの詩の中でも、「感覚(Sensation)」「谷間に眠る男(Le Dormeur du Val)」といった初期のものは、誰が読んでも比較的容易に理解できる。
On n’est pas sérieux, quand on a dix-sept ans. » (Roman)
まじめにやってられない、17歳の時には。(「ロマン」)
こんな詩句を読んだら、誰でも思わず頷いてしまう。
しかし、ある時から、ランボーの詩は何を言っているのか分からなくなる。
その上、分からないけれど、魅力的。だから始末に悪い。
代表作とされる「母音(Voyelles)」や「酔いどれ船(Le Bateau ivre)」は理解困難だし、『地獄の季節(Une Saison en enfer)』も難しい。『イリュミナシオン(Illuminations)』の散文詩の中には、ほぼ意味不明とさえ言いたくなる詩がある。しかし、詩としての評価は高い。
ランボーの中で何が起こったのだろう?
1854年10月20日に生まれたランボーは、1870年1月、15歳を少し超えた頃にはすでに自作の詩が雑誌に掲載されるほど早熟で、ノートに詩を書きためていた。
同じ年の5月には、テオドール・ド・バンヴィル(Théodore de Banville)という有名な詩人に手紙を送り、「現代高踏派詩集(Parnasse contemporain)」に3編の詩を掲載してくれるように依頼する。
その頃彼が書いていたのは、鋭い感性ととびきりの言語感覚を活かし、新鮮な息吹に溢れた瑞々しい詩だった。
早熟の詩人ランボーのイメージ通りの詩であり、「ロマン」の最初の詩句のようにストンの胸に落ちてくる。
それが変化するのは、1871年のこと。
ランボーは、詩とは何か、詩人とはどのような存在であるべきか、独自の考察をした。
1871年の5月に書かれた2通の「見者の手紙」に共通する主張は、「全感覚を混乱させる(dérèglement de tous les sens)」こと。そうすることで、「未知なるもの(l’inconnu)」に到達することができると言う。
この主張は、ボードレールのコレスポンダンス理論を下敷きにしている。五感を連動させ、香りから視覚を導いたり、音から色を生じさせる等、共感覚の世界が問題になる。
https://bohemegalante.com/2019/02/25/baudelaire-correspondances/
そこでは、「私」と他者(人、物)、主観と客観の区別も消滅していて、その状態にいる詩人が「見者(voyant)」と呼ばれる。
「見者の手紙」の2通目、ポール・デメニーに宛てた1871年5月15日付けの手紙では、古代ギリシアから現代に至る詩の歴史を振り返り、ボードレールを含めた19世紀後半の詩人たちを「第2次ロマン主義者(seconds romantiques)」と呼ぶ。
その上で、ランボーは、「最初の見者、詩人の王、真の神の一人(le premier voyant, roi des poètes, un vrai Dieu)」であるボードレールさえ乗り越えようとする意志を示す。
その3ヶ月後の8月15日、ランボーは再びテオドール・ド・バンヴィルに手紙を送る。
今度は「現代高踏派詩集」への掲載依頼ではない。その反対に、ロマン主義から始め高踏派までの詩を徹底的に否定し、新しい詩法を提示するためだった。
ランボーはその主張を韻文詩によって展開する。その詩こそが、「花について詩人に伝えること」である。
詩の冒頭、彼はロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖」をパロディーにし、批判することから始めた。
デメニー宛の手紙では古代ギリシアの詩まで歴史を遡ったが、バンヴィルに宛てた詩では、ロマン主義開始時から始め、自分の時代の詩の歴史に焦点を絞る。その上で、新しい時代に相応しいと彼が考える新しい詩法を提案した。
その詩法をバンヴィルに宛てて送ったのには意味がある。
すでに指摘したように、約1年前の1870年5月24日、ランボーは彼に手紙を送り、「現代高踏派詩集(Parnasse contemporain)」に3編の詩を掲載してくれるように依頼していた。
その中で彼は、自分も高踏派詩人の仲間になりたいと願い、高踏派とは、理想の美(beauté idéale)に熱中し、ロンサールの子孫(descendant de Ronsard)、1830年の巨匠たちの弟(frère de nos maîtres de 1830)、真のロマン主義者(vrai romantique)、そして、真の詩人(vrai poète)であると定義した。
1870年5月の時点で、ランボーの願いはロマン主義詩人の末裔になることだったのだ。
だからこそ、一年後の詩の中では、ロマン主義から歴史を始め、自分がそれまでに書いてきた詩を含め、批判の対象としたのではないだろうか。
その第一歩がラマルティーヌのパロディ。
第2詩節からもロマン主義を揶揄する詩句が続き、第三詩節では1830年に言及される。
「花について詩人に伝えること」は5つのセクションに分かれ、全部で40詩節から成り立っている。
それぞれの詩節は、8音節の詩句が4つで構成され、韻は交差韻。
ランボーは詩の最後に「アルシッド・バヴァ(Alchide Bava)」という名前を付し、その後、A. Rの署名と、1871年7月14日という日付を書き記している。
そこで、これ以降、「花について詩人に伝えること」の作者名を挙げる場合には、ランボーではなく、アルシッド・バヴァとする。
第1セクションは6つの詩節から構成され、ロマン主義の詩がやり玉に挙げられる。
I
(1)
Ainsi, toujours, vers l’azur noir
Où tremble la mer des topazes,
Fonctionneront dans ton soir
Les Lys, ces clystères d’extases !
1
こんな風に、いつでも、黒い紺碧の方へ、
そこではトパーズの海が震えている。
その方向に向かい、夜の間に機能するのは、
「百合の花」。恍惚感を吐き出させる浣腸。
第1詩節は、すでに見てきたように、ラマルティーヌの「湖」のパロディ。
第2詩節では、ロマン主義のどのような側面を揶揄するのだろうか?
(2)
À notre époque de sagous,
Quand les Plantes sont travailleuses,
Le Lys boira les bleus dégoûts
Dans tes Proses religieuses !
サゴヤシの茂るぼくたちの時代、
「植物」がよく活動する時、
「百合」は青い嫌悪感を飲み込むだろう、
君の宗教的な「散文」の中で。
最初に、「君の宗教的な散文(tes Proses religieuses)」に注目したい。
「君の(tes)」と呼ばれる相手は、手紙の受取人であるテオドール・ド・バンヴィルを指しているといえるが、それ以上に、「花について詩人に伝えること」という題名に出てきた「詩人」と考えた方がいいだろう。
「散文(Proses)」の最初の文字が大文字で書かれている理由に関しては、次のように考えたい。
ランボーは「見者の手紙(1871年5月15日)」の中で、古代ギリシアから19世紀のフランスに至るまで、「全ては韻を踏んだ散文だ(tout est prose riméme)」と批判した。
伝統的な詩の考え方に従えば、詩とは韻文であることが第一の条件だった。逆に言えば、韻文で書かれていればどんなものでも詩と見なされることにもなった。
従って、「韻を踏んだ散文」という表現は、詩法の規則に従って韻を踏んているとしても詩とは言えない代物があるという、因習に対する批判であることがわかる。
そのことから推測して、「君の散文(tes Proses)」が意味することは、詩人を自称している君の作品は、たとえ韻を踏んでいても詩ではないという「嫌み」だということになる。
「宗教的な(religieuses)」は、ロマン主義が中世を通してキリスト教を結びつくことを示している。
古代文明は異教的、つまり古代ギリシア・ローマの神話の世界であり、中世はキリスト教が支配した時代。
古典主義のベースは古代であり、その古典主義に対立する運動として生まれたフランス・ロマン主義は、中世を参照し、キリスト教を支柱とする。
君の詩ともいえない韻文は、「青い嫌悪感(bleus dégoûts)」を抱かせる。
「青色」は「母音(Voyelles)」の中でOという文字と対応し、オメガ、つまりギリシア語の最後の言葉を連想させる。
ここでその連想が適応可能かどうかは不明だが、もし可能であれば、「青い嫌悪感」とは、嫌悪感の中でもとりわけひどい嫌悪感を意味すると考えることができる。
「サゴヤシの時代(époque de sagous)」や「植物(Plantes)」は、何か特定の対象を指し示しているのではなく、詩とも言えない韻文がはびこっていることを、比喩的に示していると考えたい。
そうしたつまらない韻文が「活動すればするほど(travailleur)」、「百合(Lys)」=詩も、ロマン主義の宗教的な詩が生み出した「青い嫌悪感」を受け継ぐことになる。
以上のように読み説いてみると、アルシッド・バヴァはここで、キリスト教的な内容で、韻文の形式だけは守っている詩を攻撃しているということになる。
第3詩節になると、1830年に的が絞られる。
(3)
− Le lys de monsieur de Kerdrel,
Le Sonnet de mil huit cent trente,
Le Lys qu’on donne au Ménestrel
Avec l’œillet et l’amarante !
— ド・ケルドレル氏の百合、
1830年の「ソネット」、
「吟遊詩人」に与えられる百合、
ナデシコとアマランサスと共に!
1830年は、7月革命によって王政復古で復活したブルボン王朝が倒され、ルイ・フィリップの立憲君主制が成立した年。
オドレン・ド・ケルドレル(Audren de Kerdrel)一族は長く続く貴族の家柄であり、正統王朝(ブルボン王朝)を支持する王党派だった。
そして、正統王朝を象徴するのが百合の花だったことから、「ド・ケルドレル氏の百合(lys de monsieur de Kerdrel)」とは、1830年世代のロマン主義が敗れ去る象徴になる。
その百合と同格に置かれるのが、「1830年のソネット(Sonnet de mil huit cent trente)」。
そのために、1830年のソネットもまた敗れ去ることが暗示される。
では、「1830年のソネット」という表現で、アルシッド・バヴァは何を言おうとしているのか?
1830年は、文学史の上では、ヴィクトル・ユゴーの演劇作品『エルナニ』が1829年に上演された後を受け、ロマン主義文学が主流になったと考えられる年。
ユゴーと共に初期のロマン主義運動を推進する役割を果たしたのが、サント・ブーヴ。
彼は、古典主義からは等閑にされていた16世紀の文学や演劇を論じた評論を通して、16世紀を代表する詩人ピエール・ド・ロンサールの文学的な価値を再認識させ、ロンサールが得意としたソネット形式を復活させた。
ところで、1820年代後半に、16世紀の文学を復活するきっかけとなったのは、トゥルーズの「花合戦アカデミー(Académie des jeux floraux)」の懸賞論文募集だった。
そのアカデミーが優勝者に与えたのが、「百合(lys)」「アマランサス(amarante)」等の花だった。その中に、「ナデシコ(œillet)」が入っていたとの指摘もある。




(ちなみに、1828年のコンテストで受賞したのは、フィラレート・シャール(Philarète Chasles)とサン・マルク・ジラルダン(Saint-Marc Girardin)。サント・ブーブは受賞者ではない。また、ジェラール・ド・ネルヴァルはこの懸賞論文に応募したと後に書いているが、実際には応募していなかった。)
ソネット形式の詩の内容は多くの場合抒情詩であることから考えて、この詩節でのアルシッド・バヴァのターゲットは、ロマン主義の中心となる抒情詩だと考えられる。
続く第4詩節と第5詩節では、再び「君」に言及されるが、他方で、現実の何かを連想させるような言葉は出て来ない。その意味では第3詩節とは対照的である。
(4)
Des lys ! Des lys ! On n’en voit pas !
Et dans ton Vers, tel que les manches
Des Pécheresses aux doux pas,
Toujours frissonnent ces fleurs blanches !
(5)
Toujours, Cher, quand tu prends un bain,
Ta chemise aux aisselles blondes
Se gonfle aux brises du matin
Sur les myosotis immondes !
百合! 百合! 百合が見えない!
君の「詩句」、そっとした歩みの
「罪を犯した女たち」の袖のようなその「詩句」の中では、
いつでも、白い花々が震えている!
いつでも、親愛なる人よ、君が水浴びをする時、
腋の下が金色の君のシャツが
膨れ上がる、朝の微風に吹かれて、
汚らわしい忘れな草の上で!
「君の詩句(ton Vers)」の「君」が、「親愛なる人(Cher)」と呼びかけられる詩人だと考えていいだろう。
そして、この二つの詩節は、「いつでも(Toujours)」という言葉の反復によって、第1詩節と結び付けられる。
そして、この詩人の詩句は、いつでも、ラマルティーヌの「湖」と同じロマン主義的な抒情を反復するだけという皮肉なメッセージが密かに発信される。
君の詩句は、「罪を犯した女たちの袖(les manches / Des Pécheresses)」のようであり、その中では「いつでも」、「白い花が震えている(frissonnent ces fleurs blanches)」。
その一方で、最初の行では、「それら(百合の花)が見えない(On n’en vois pas)!」と感嘆文で強調されていた。
百合が詩を象徴する花であり、それが見えないとしたら、「君の詩句」の中に見える白い花は詩ではないということになってしまう。
しかも、第2詩節では「君の散文(tes proses)」と呼ばれたものが、ここでは韻文の「詩句(vers)」と呼ばれているにもかかわらず。
こうしたことからも、詩のありふれたテーマである白い花を韻文にしたとしても、それだけでは詩にはならないというアルシッド・バヴァの思いが込められていることがわかってくる。
第5詩節であえて「親愛なる人(Cher)」と直接的な呼びかけが行われているのは、詩の宛て先人であるテオドール・ド・バンヴィル。この詩節がバンヴィルの詩句のパロディになっていることから、そのことを確認することができる。
バンヴィルは、1857年に出版した詩集の序文の中で、「人はうんざりして死んでしまうだろう。もしあちこちで紺碧の水浴びをたっぷりとしなければ。(on mourra de dégoût si l’on ne prend pas, de-ci de-là, un grand bain d’azur)」と書いている。
また、テオフィル・ゴーティエが1868年に発行した「詩の発展についての報告書(Rapport sur les progrès de la poésie)」の中で、バンヴィルを次の様に描いている。
「彼は草原の花々の上を軽々と旋回している。様々に色を変える服を膨らませる息吹に持ち上げられて。(il voltige au-dessus des fleurs de la prairie, enlevé par des souffles qui gonflent sa draperie aux couleurs changeantes.)」

水浴びをし、微風に吹かれて服が膨れ上がるイメージは、こうした詩句からインスピレーションを得たものだろう。
その後で、アルシッド・バヴァは、愛しい君のシャツに風が当たるのは、「汚らわしい忘れな草(myosotis immondes)」の上だと付け加える。
ロマン主義にとって、「思い出(souvenir)」は最も重要なテーマの一つであり、私を忘れないでという意味を持つ「忘れな草」がしばしば取り上げられた。
その草に、汚れたとか不純なという意味を持つ Immonde という形容詞を続けることは、高踏派を代表する詩人バンヴィルがロマン主義の末裔であり、アルシッド・バヴァが思い描く新しい詩にとっては価値のないものであることを明確に示す役割を果たしている。
第1セクションを締めくくる第6詩節では、新たに二つの花が取り上げられ、アルシッド・バヴァはそれらに唾を吐きかけるような言葉を投げつける。
(6)
L’amour ne passe à tes octrois
Que les Lilas, − ô balançoires !
Et les Violettes du Bois,
Crachats sucrés des Nymphes noires !…
愛が君の入市税徴収所を通すのは、
「リラ」、— おお、無意味な言葉!
それから、「森のスミレ」、
黒い妖精の甘い唾だ!・・・
ここでは、「百合(lys)」に代わり、「リラ(Lilas)」と「スミレ(Violettes)」が取り上げられる。


「リラ」には balançoires という呼びかけがなされる。
その語源となるbalancerは揺れるという意味で、balançoireはブランコ。それ以外に、ふらふら揺れて内容が一定しない言葉、たわごと、たわいもない話という意味でも使われる。

ランボーは、『ジュティストのアルバム』というパロディ詩集の中で、百合についても同じ言葉を使っている。
Ô balançoires ! ô lys ! clysopompes d’argent !
おお たわごとよ! おお 百合よ! 銀の浣腸よ!
「森のスミレ(Violettes du Bois)」に関しては、「唾(crachats)」と同格に置かれる。
その唾は、「黒い妖精たち(Nymphes noires)」が吐き出したもの。
ランボーは、「母音(Voyelles)」の中で、Aという文字に黒を割り当て、そのイメージを次のように描いている。
A, noir corset des mouches éclatantes
Qui bombinent autour des puanteurs cruelles,
A, 輝くハエたちの黒い胴着。
残酷な悪臭たちのそばで、ぶんぶんと飛び回っている。
黒から連想すると、アルシッド・バヴァにとって、黒い妖精とはハエのようなものかもしれない。
そうなると、森のスミレは、黒いハエの吐き出す唾ということになってしまう。

その「スミレ」と「リラ」という二つの花だけが、「愛(amour)」のおかげで、「君の入市税徴収所(octrois)」を通過する。
入市税徴収所と訳したoctroiとは、一つの街や村に入る時に商品に対してかかる税金を徴収する場所、あるいはその税金を意味する。
そのことから、「愛がその場所を通過させる」とは、一つの場所からもう一つの場所に移動する際に何らかの負荷がかかることを前提にし、その移動を可能にするのが「愛」だという意味に理解することができる。
通過するものは花、つまり詩。
現実世界から詩の世界へと花を移動させることが詩人の役割だとすると、詩とは愛によって生み出されることになる。
しかし、アルシッド・バヴァは、愛のおかげで詩となった花に対して、戯言だとか唾だとかいう言葉を投げつける。
それらの花でさえ、彼にとって価値のあるものではない。

第1セクションでは、様々な花の名前が挙げられた。
百合、ナデシコ、アマランサス、忘れな草、リラ、スミレ。
それらは、ラマルティーヌからバンヴィルに至る詩を様々な側面から見た姿であり、「花について詩人に伝えること」の中で言われるの花々への最初の言及である。
アルシッド・バヴァは、それらに対して、伝統的な詩では使われない、浣腸、たわごと、唾といった乱暴で穢い言葉を投げつけた。
そのことは、高踏派も含めロマン主義的な詩を否定することであるが、パロディにすることで、ロマン主義をなぞりながら同時にそれを解体するという手法を取っていることでもある。
「花について詩人に伝えること」で提案される新しい詩法は、否定するためとはいえ、ロマン主義の詩を出発点としているのである。
トンデモ詩人アルシッド・バヴァは、まず最初に、ロマン主義を浣腸した!