ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 1/5 ロマン主義を浣腸する

「花について詩人に伝えること(Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs)」は、ランボーが新しい時代の詩はどのようにあるべきかを語った、詩についての詩。

第1詩節は、ロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖(Le Lac)」のパロディー。
しかも、ランボーらしく、読者を憤慨させるか、あるいは大喜びさせるような仕掛けが施されている。

Ainsi, toujours, vers l’azur noir
Où tremble la mer des topazes,
Fonctionneront dans ton soir
Les Lys, ces clystères d’extases !

意味を考える前に、「湖」の冒頭を思い出しておこう。

Ainsi, toujours poussés vers de nouveaux rivages,
Dans la nuit éternelle emportés sans retour,
Ne pourrons-nous jamais sur l’océan des âges
Jeter l’ancre un seul jour ?

こんな風に、いつでも、新たな岸辺に押し流され、
永遠の夜の中に運ばれ、戻ることができない。
私たちは、決して、年月という大海に、
錨を降ろすことはできないのか。たった一日でも。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

「こんな風に、いつでも(Ainsi, toujours)」と始まれば、当時の読者であれば誰もがラマルティーヌのパロディーであると分かったはずである。
ランボーはその後もロマン主義的な語彙を重ねるが、最後は音による言葉遊びをし、とんでもないイメージで詩節を終える。

こんな風に、いつでも、黒い紺碧の方へ、
そこではトパーズの海が震えている。
その方向に向かい、夜の間に機能するのは、
「百合の花」。恍惚感を吐き出させる浣腸。

「恍惚感を吐き出させる浣腸(clystères d’extases)」!

詩的な美の目的が読者に「恍惚感(extase)」をもたらすことだとすれば、どんな詩人が「恍惚」と「浣腸(clystère)」を繋げようとするだろうか。ランボー以外には。

しかも、浣腸は「百合(lys)」と同格に置かれ、百合の説明になっているのだが、声に出すとすぐにわかるように、clystèreにはlysが含まれている。音による言葉遊びもランボーの得意技なのだ。

『悪の華(Les Fleurs du mal)』という題名からも分かるように、花は詩の隠喩として機能する。
さらに、百合は、バンヴィルなど高踏派の詩人たちが歌う花でもある。
ランボーは、「黒い紺碧(azur noir)」という反対の意味を持つ単語を重ねる語法(撞着語法)を用い、さらに「トパーズの海(mer des topazes)」が震えるとか、「黒(noir)」と「夕方(soir)」で韻を踏む等して、ロマン主義的なイメージを作り挙げる。
そうした詩句(=百合)が、恍惚感を生み出すのがロマン主義の詩なのだ。
そこに「浣腸」という言葉を入れることで、一気に雰囲気が変わり、ロマンチックな気分は粉々に吹き飛んでしまう。

ランボーはこの第一詩節で、ラマルティーヌの「湖」を彼の言葉で再構築し、その上で、たった一つの言葉を爆弾のように使い、ロマン主義的な詩句を内部から崩壊させる。
lysの言葉遊びからは、彼の大笑いする声が聞こえてくる。


この第一詩節からもわかるように、「花について詩人に伝えること」は詩法を歌う詩であり、ランボーの詩句を理解する上で欠かせないものと考えられる。

ところが、2020年に出版された『対訳 ランボー詩集』(岩波文庫)にはこの詩が収録されていない。
訳者の中地義和氏は日本だけではなくフランスでも活躍するランボー研究の専門家であり、2021年の初頭に出版される『ランボー辞典(Dictionnaire Rimbaud)』(Classiques Garnier)の執筆者としても名前を連ねている。
そうした専門家による詩の選択には必然性があるはずで、「花について詩人に伝えること」が選ばれなかった理由には興味を引かれる。

面白いことに、中地氏は、ランボーが1872年にベルギーで書いた3編の詩の中からは、「あれは舞姫か・・・(Est-elle almée ?…)」を選んでいる。
しかし、私がランボー理解にとって重要だと考えるのは、「アマランサスの花の列・・・(Plates-bandes d’amarantes…)」。
現実と想像を区別せずに、主観と客観の境目を取り払い、言葉を疾走させるランボーの詩を端的にわからせてくれる詩だと思う。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/

こうした違いは決して悪いことではなく、むしろ視野を広げるきっかけになることを期待したい。
そこで、私の視点から見た「花について詩人に伝えること」の意義について簡潔に記しておきたい。


ランボーの詩の中でも、「感覚(Sensation)」「谷間に眠る男(Le Dormeur du Val)」といった初期のものは、誰が読んでも比較的容易に理解できる。

On n’est pas sérieux, quand on a dix-sept ans. » (Roman)
まじめにやってられない、17歳の時には。(「ロマン」)

こんな詩句を読んだら、誰でも思わず頷いてしまう。

しかし、ある時から、ランボーの詩は何を言っているのか分からなくなる。
その上、分からないけれど、魅力的。だから始末に悪い。
代表作とされる「母音(Voyelles)」や「酔いどれ船(Le Bateau ivre)」は理解困難だし、『地獄の季節(Une Saison en enfer)』も難しい。『イリュミナシオン(Illuminations)』の散文詩の中には、ほぼ意味不明とさえ言いたくなる詩がある。しかし、詩としての評価は高い。

ランボーの中で何が起こったのだろう?

1854年10月20日に生まれたランボーは、1870年1月、15歳を少し超えた頃にはすでに自作の詩が雑誌に掲載されるほど早熟で、ノートに詩を書きためていた。
同じ年の5月には、テオドール・ド・バンヴィル(Théodore de Banville)という有名な詩人に手紙を送り、「現代高踏派詩集(Parnasse contemporain)」に3編の詩を掲載してくれるように依頼する。

その頃彼が書いていたのは、鋭い感性ととびきりの言語感覚を活かし、新鮮な息吹に溢れた瑞々しい詩だった。
早熟の詩人ランボーのイメージ通りの詩であり、「ロマン」の最初の詩句のようにストンの胸に落ちてくる。

それが変化するのは、1871年のこと。
ランボーは、詩とは何か、詩人とはどのような存在であるべきか、独自の考察をした。

1871年の5月に書かれた2通の「見者の手紙」に共通する主張は、「全感覚を混乱させる(dérèglement de tous les sens)」こと。そうすることで、「未知なるもの(l’inconnu)」に到達することができると言う。
この主張は、ボードレールのコレスポンダンス理論を下敷きにしている。五感を連動させ、香りから視覚を導いたり、音から色を生じさせる等、共感覚の世界が問題になる。
https://bohemegalante.com/2019/02/25/baudelaire-correspondances/
そこでは、「私」と他者(人、物)、主観と客観の区別も消滅していて、その状態にいる詩人が「見者(voyant)」と呼ばれる。

「見者の手紙」の2通目、ポール・デメニーに宛てた1871年5月15日付けの手紙では、古代ギリシアから現代に至る詩の歴史を振り返り、ボードレールを含めた19世紀後半の詩人たちを「第2次ロマン主義者(seconds romantiques)」と呼ぶ。
その上で、ランボーは、「最初の見者、詩人の王、真の神の一人(le premier voyant, roi des poètes, un vrai Dieu)」であるボードレールさえ乗り越えようとする意志を示す。

その3ヶ月後の8月15日、ランボーは再びテオドール・ド・バンヴィルに手紙を送る。
今度は「現代高踏派詩集」への掲載依頼ではない。その反対に、ロマン主義から始め高踏派までの詩を徹底的に否定し、新しい詩法を提示するためだった。
ランボーはその主張を韻文詩によって展開する。その詩こそが、「花について詩人に伝えること」である。

詩の冒頭、彼はロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖」をパロディーにし、批判することから始めた。
デメニー宛の手紙では古代ギリシアの詩まで歴史を遡ったが、バンヴィルに宛てた詩では、ロマン主義開始時から始め、自分の時代の詩の歴史に焦点を絞る。その上で、新しい時代に相応しいと彼が考える新しい詩法を提案した。

その詩法をバンヴィルに宛てて送ったのには意味がある。
すでに指摘したように、約1年前の1870年5月24日、ランボーは彼に手紙を送り、「現代高踏派詩集(Parnasse contemporain)」に3編の詩を掲載してくれるように依頼していた。
その中で彼は、自分も高踏派詩人の仲間になりたいと願い、高踏派とは、理想の美(beauté idéale)に熱中し、ロンサールの子孫(descendant de Ronsard)、1830年の巨匠たちの弟(frère de nos maîtres de 1830)、真のロマン主義者(vrai romantique)、そして、真の詩人(vrai poète)であると定義した。
1870年5月の時点で、ランボーの願いはロマン主義詩人の末裔になることだったのだ。
だからこそ、一年後の詩の中では、ロマン主義から歴史を始め、自分がそれまでに書いてきた詩を含め、批判の対象としたのではないだろうか。

その第一歩がラマルティーヌのパロディ。
第2詩節からもロマン主義を揶揄する詩句が続き、第三詩節では1830年に言及される。(次ページに続く)